#23.王は幸福の中眠りにつく
かくして会談の時間となってしまう。
サラというブレーンを失ったフニエルは、それでも「ラッセル様に恥をかかせないために」と、ラッセルに言われるまま『会談の際にしてほしい』と頼まれたことをやることにしたのだが。
その際に隣で話を聞いていたアリエッタが顔を青くしていたのを見て、フニエルは「何かあったのでしょうか?」と、頭の隅に引っかかってしまっていた。
また、それとは別に、ラッセルが事前に用意してくれていたドレスが、自分に全くサイズが合わなかったというのも、フニエルにとっては気になるところだった。
ラッセルは「父上が勝手に作らせたものだから気にしないで」と笑って許してくれたが、本当にそれでよかったのか、本当なら手直ししてでも着るべきだったのではないかと、悩んでしまってもいた。
ただ、そんなことをずっと考えていられるほどフニエル自身に余裕がある訳でもなく、バークレー王の待つ食卓の間の前まできた辺りで「どうしよう」と、緊張のほうが前に出てきてしまって、それ以降はもう、何も考えられなくなってしまっていた。
「大丈夫?」
扉を開く前に、案内で前に立っていたラッセルが振り返り、声をかけてくる。
フニエルは緊張のあまり「ひゃい」と情けない返事をしてしまうが、そんな婚約者を前にラッセルはいつもの優しい笑顔でその小さな頭を撫でたのだ。
それで、落ち着けた。
自分が何をしにここに来たのか。それを思い出せたのだ。
恋する相手の父親との会談。それは、彼女にとって、そしてこれからのエスティアにとっても大切なことのはずだった。
自分が、全て成すのだ。
自分の意思で決めて、自分の意思で進め、そうして会いに来た。
――緊張しているからと、慣れていないからと言い訳して、この人に恥をかかせたくない。
この土壇場になって、フニエルの心はようやく、会談に向けて覚悟が決まったのだ。
「大丈夫です……ラッセル様、私、頑張ります!」
「……ああ。緊張しなくても大丈夫だよ。僕が言ったとおりの事さえしてくれれば、それで――」
ラッセルの笑顔は、どこか影を残していたが。
それでも、フニエルは「私が頑張ればラッセル様も喜んでくださるはず」と、意気込みを胸に前を見据えた。
ほどなく開かれる扉。その先に見える自分の城のそれよりもずっと豪華な食卓の間。
――厳めしい顔立ちのバークレー王が、そこに座っているのが見えて、フニエルは「頑張ります」ともう一度ラッセルに微笑みかけ……そして、前に進む。
「――そなたがフニエル女王、か?」
だが、挨拶しようとしたフニエルを制し、先に声を発したのは、バークレー王の方だった。
皺枯れた、しかし威厳を感じさせる重い声で発せられた言葉に、フニエルはまたぞろ緊張が大きくなる。
「はい……私が、フニエルです。バークレー王ガルガンティエ様。お初にお目にかかります……」
「……そうか、そなたが」
それでも覚悟のままに、なんとかバークレー王を見つめながら上品に挨拶して見せた。
なのに、バークレー王はどこか……消沈したようにため息をつく。
「父上……?」
「いやなに……どのような娘が来るかとずっと想像を巡らせておったが……そうか、このような」
目に見えた失望が、そこにあった。
王のフニエルを見る目は、明らかに色を失っていて、悲しそうですらあった。
すぐそばに控えるブロッケンが「陛下?」と、その異変を察し駆け寄るほどには。
その王の落胆は、誰の目から見ても明らかなものとなっていた。
王と女王の、父親が、息子の婚約者と顔合わせする、その瞬間に見せた落胆は、王以外のその場に居合わせた全員を困惑させた。
「陛下、いったいどうされたのです? ご希望通り、フニエル女王がこちらに――」
「――ああ。確かに希望した。しかしブロッケンよ――お前は、ワシにこれを見せたかったのか? 用意したドレスすら着られぬほど幼い女王を」
「……は? いや、それはどのような……」
「ワシは、猫獣人の女王が、王子と婚約したのだと聞き……そしてそれが、代々の王の願いがかなえられる瞬間に立ち会えるのだと思い……今までなんとか生きてきたが」
失望に、絶望に、老いた身体が震え始め。
王に問うたブロッケンは、意味が分からなかった。
主の願いを叶えたつもりだった。
主が望んだ「息子とエスティアの貴人との結婚」が叶い、ようやくにしてバークレー王家の念願が成就される、その前段階まで進んだはずだった。
なのに、主は嘆き悲しんでいたのだ。
「――そうか。急ぎ過ぎたのか、ワシは。こんなに幼い娘に……ラッセル」
「なんですか?」
「すまなかった」
「えっ?」
席に着くこともできず、何が起きたのかわからずに皆が混乱する中。
突然に、バークレー王が頭を下げ、ラッセルは「何を言ってるんだこの人」と、不愉快な気持ちになる。
周りから言いくるめられ、辛い気持ちになりながらもフニエルと一緒に歩もうとした矢先に父親から聞かされた謝罪に、ますます訳が分からなくなったのだ。
「ワシはてっきり……あの肖像画の娘のような娘と婚約したのかと思っていたのだ。年若いとはいえ、女王ともなれば相応に大人びた娘なのだろうと思っていたのだ……以前見たことのある、なんといったか……あの第一王女なら、ほどよい年頃だったのだろうが」
「なっ……」
「えっ、え……」
「だが、実際にはこのような少女だったとは。いや……事前にお前があれだけ反対していたのもよくわかる。ワシとて、こんな子供相手に『夫に尽くせ』などと、言えるはずもないわ」
それは、前提の崩壊。
事前に決めた「こうなるからこうして」という予定が全てこの一言で壊れ、何もかもが崩れ去ったという現実に、ラッセルはわなわなと口を震わせ、父を睨みつけた。
そうして次にラッセルを突き動かしたのは、怒りだった。
「――遠路はるばる来てくれた僕の婚約者に、なんて物言いをするんだ!!」
内から湧き出た怒りの感情。
散々振り回され続け、自分の気持ちまで踏みにじられて従わされて、その挙句に「期待していた見た目じゃないから」などと言われてまで黙っていられるほど、彼は楽天家ではなかった。
許せなかったのだ。
自分が老い先短いのを盾にして散々好き放題言っておいて、いざその時が来たら自分の思った通りじゃないからと台無しにする、その身勝手さが。
それでも、涙を呑んで親孝行を優先しなくてはならないと覚悟を決め、フニエルに頭を下げてなんとか言うとおりにしてもらう事で話を進めたのに、土壇場で全て覆されたのだ。
だが、何より許せなかったのは、自分の都合でフニエルのことを否定的な目で見る、そのバカにしたような態度だった。
何の悪気もなかったかのように謝るその傲慢さだった。
「ラッセル、さま……? 私は、ここにきては、いけなかったのですか……?」
「そんなことはないよ。父上は、おかしくなっているんだ。わざわざ会いに来てくれた女の子に、こんなことを言わせるために連れてきたわけじゃないんだ……!」
混乱の中、ようやく事態を飲み込み始め、不安そうに自分を見上げるフニエルを抱きしめ「違うから」と、父親の発言が間違いであるように祈る。
いくら先が見えているからと、死が間近に迫っているからと、言っていいことと悪いことくらいは解るはずだった。
だというのに、王は「いいや」と首を横に振る。
「ワシが望んだのは、もっと大人びた……いや、大人の猫獣人の貴人だったのだ。フニエル女王よ、すまんな。今のそなたでは、ワシの……一族の希望には適わん――無論結婚はそのまま進めるが良いが、今のそなたではちょっと……」
「父上っ!」
「……そんな」
言わなければよかったのに。
黙っていてくれれば、ただ失望しただけで、表面的には取り繕ってくれれば、それでよかったのに。
だが、死を前にしてバークレー王は、我慢などできなかった。
もう、間も無くなのだ。それは目の前に来ていて、そして夢は、希望は――適わなかったのだから。
「――せめて、せめて後5年……5年も生きられれば、ごほっ……口惜しいのう。一族の念願、代々の王の夢――それが叶う瞬間が、見られたかも、知れぬのに……ごほっ、ぐっ、げほっ、げほっ!!」
「陛下っ、陛下っ! どうか、どうかお気を確かにっ」
「……父上。貴方という人は」
呆れと失望。
けれど、そうまでして父親が希っていた瞬間を、結局は見せてあげられなかったという負い目。
ラッセルはもう、どう感情を表していいのか分からなかった。
傍らには泣いている婚約者がいた。
ただその肩を、強く抱きしめて「大丈夫だから」と、何が大丈夫なのかも分からないまま呟くことしかできなかった。
彼には、この場を変えられる力がなかったのだ。
――だから、その場を変えられる者こそが主役となる。
『なっ、おいコックの兄ちゃん、いったい何を――』
『悪いな急ぎなんだっ、どいてくんな!!』
『緊急の料理って一体――』
王が咳き込み騒然とする中、食卓の間の前の廊下でも、別の方向で騒がしくなり。
王が若干落ち着いたわずかな瞬間だったこともあり、全員の意識がそちらに向いた。
「――失礼します! 料理のおとどけです!!」
「きゃぁっ」
「き、君は――っ」
すぐ後ろのドアが開かれ、泣いていたフニエルもびくりと驚き。
ラッセルは、その突然の来訪者の正体に気づく。
言うまでもない、カオルである。
カオルが、調理台と共に正面から入ってきたのだ。
「なんだ貴様はっ!? 今は料理など食べている暇などないのだ!! さっさて出ていけ!!」
「悪いなブロッケンさん。なんだか雰囲気が悪いから、ぶち壊しに来てやったぜ!」
「なんだとっ! 曲者っ、曲者だっ! こやつを捕らえよ!! 城兵どもは何をやっている!!」
いち早く噛みついてきたブロッケンにこれ見よがしにドヤ顔を見せてやった後、更に騒ぎ立てるブロッケンをよそに「いいぜ」と、カートに向け声をかけ、料理を覆っていたシーツをまくる。
カートの上にはナッツ系のいい匂いの漂うエスティア料理の数々。
そして――その下の収納からは、白色のドレスがちらりと見える。
一堂の視線がカオルに向き、そして――
「――ふぅ、なんとか間に合いましたね」
――白色のパーティードレスを纏った、猫獣人の姫君が、カートの下からゆったりと現れる。サララである。
「お、おお……おおおおっ!?」
「へ、陛下っ……?」
「き、君は……」
真っ先に反応したのは、先ほどまで苦しげに胸を抑えていたバークレー王だった。
いかにも病人然とした、余命いくばくもないはずの老人が、サララの姿に目を見開き席を立つ。
驚くブロッケンだったが、ラッセルもまた、サララの登場に驚きを隠せず目を瞬かせる。
「その髪の色、サラですか……? なんでここに……それにそのドレスは……」
「あ……ああ、まさ、か……さ、サラって……サラって……」
フニエルは不思議そうに首をかしげていたが、傍に控えていたアリエッタは、サララの顔を見てようやく今までの思い込みに気づいたらしく、あわあわと身体を震わせていた。
――ともかく、みんながみんなサララに視線を向け、驚いていたのだ。
「ブロッケン、これはいったい……?」
「わ、私に申されましても……何が何やら……」
「……シャリエラスティエ王女、だよね?」
王は状況を整理しようとブロッケンに問うたが、ブロッケンは困惑するばかり。
代わりに解を示したのは、いち早くその正体を察したラッセルだった。
その返答に満足そうに目を細めるサララ。
フニエルは「えっ」と小さく声を上げたが、アリエッタは「やっぱり」と顔を青ざめさせていた。
「ええ、ラッセル王子。お久しぶり、という言い方は皮肉すぎますでしょうか?」
「……ああ。本当に。こんなタイミングで君が正体を現すとは。それにその恰好は……」
「これはその……ほかに着る服がなくてですね? 本当はちゃんとしたドレスを持ってたんですが、不幸にも三次が始まってしまいまして」
困っちゃいました、と、多少言いにくそうに照れたように笑って見せる。
そうして、王へとまた向き直った。
「――お久しぶりにございますガルガンティエ陛下。エスティア第一王女、シャリエラスティエでございます。覚えていただけていましたか?」
「おお……そうかそうか……そなたが。いや、あまりに突然すぎて驚いてしまった。いやあ……よう、大きうなって……」
王の視線も、意識も、既にサララに釘付けだった。
艶やかで美しい腰ほどまでの黒髪。
すらっとしたその身体つきは真っ白なドレスによく映えていて、装飾など華美なものはほとんどないにも関わらず、ただそこに立っているだけで美を感じずにはいられない。
息を飲むような美女がそこにいた。
(……あれを初めて見た男が俺でよかったぜ)
一人得意げにしているカオルだが、今見ても尚息をつくほどに、成長したサララは美しかった。
それでいて顔立ちは愛らしさを保ったままで、軍人のように無骨に背が高いというわけでもなくほどよく発育し。
守ってあげたくなる少女から、隣に並び立てる大人の女性のような雰囲気のようなものまで醸し出していて。
カオルをして、ドキドキが止まらなかった。
「しかもそのドレス……やはり、黒髪のエスティア王族には、白いドレスが一番似合う!! そうは思わぬかラッセルよ!!」
「え……あ、ああ、そう、ですね。うん。確かに似合ってるよ」
突然話を振られ困惑気味に返すラッセルに苦笑いしながら、サララも「ありがとうございます」と返し、傍に立つフニエルへと向き直る。
「――まあ、そういう事なので」
「ふぇっ? あ、あの……?」
「女王。いつまで会談の場で、立ったままでいるつもりですか? 補佐である私が遅れてしまったのは申し訳ないけれど、他国の王、貴方の義理の父ともなる方との会談で、棒立ちはないのではなくて?」
「ええっ? ほ、補佐って……あ、あの、シャリエラスティエ、姉様……?」
「はい。しばらくお城を空けていましたが、妹が女王として頑張っていると聞き、いてもたってもいられませんでした。ガルガンティエ王、私も妹の補佐として参加してよろしいですよね?」
成り行きを唖然としながら見ていたのに突然話を振られ、フニエルはまた混乱しそうになっていたが、要点はそこではないのだとばかりに王に視線を送る。
王の目は……生気が蘇っていた。
「無論だ。いや、ぜひとも一緒に食事を!! お前たち何をしておる、ほら、ラッセル! お前も女王と一緒に座らんか!! ワシに恥をかかせるな!!」
「は、え、ええ?」
「陛下? あの……よろしいので?」
「よろしいも何もあるか! ほれ、早く座れ! ああ……そこの者、レオンも連れてまいれ!! 隣国の女王が来たのだぞ!!」
「は、はいっ、ただいまっ」
ニコニコ顔で「ありがとうございます」と礼を言うサララに、バークレー王は「ああもう可愛いなあ」と、年甲斐もなくバカげたことを言いだしラッセルを呆れさせる。
つまりは、好みなのだ。代々の王直撃の容姿だった。
サララの登場により、冷めきった空気は完全に払拭され、当初より遥かに歓迎ムードの中、王と女王との会食が始まった。
「いやあすまなんだフニエル女王! まさかこのようなサプライズが待っていたとはワシも思わなんだ。申し訳ない。無礼を許してほしい」
「あ、いえ……その、私にとっても、サプライズだったので」
「ははは、今代のエスティア女王はなかなかウィットに富んでおる……げほっ」
「陛下……?」
「大丈夫じゃ……いや、例えこの後死が待っていたとしても、この会談の間だけは生きて見せる……このまま座らせてくれぃ」
「……陛下」
もう、次などないのだ。
本当に、この後に死んでもおかしくないくらいで。
一時元気になったように見えても、すぐ死ぬ者がわずかに先が伸びただけ。
それはこの場の誰もが理解していた。だから、中止を唱えるものなどいない。
「しかしシャリエラスティエ姫。そなた、今まで何をしていた? 妹に実権を握らせたは、何かの策だったのか……?」
「いえいえ。私も魔人によって猫にされていまして、元に戻れたのは結構最近なのです。元に戻れてもしばらくは、国の情勢も知ることができず……随分と遅くなってしまいました」
「そうか……いや、二人いる倅の二人ともが、そなたがいなくなったと聞いて落胆していたようだからなあ。ワシも、一時疎遠にはなってもいずれはそなたを倅のどちらかと――と思っておったのだが」
「ぶっ」
「うわっ」
「……どうやら父上は疲れておいでのようだ」
突然の流れ弾に巻き込まれる王子たち。
ラッセルはスープを口に含んだ直後で正面に座っていたブロッケンの顔に盛大に吹き、レオンはといえば眉間に皺を寄せ青筋を立てていた。
(……ラッセルだけじゃなく兄貴の方もだったのか)
素知らぬ顔で料理の配膳を続けるカオルだったが、腹の底から笑いがこみ上げるのを我慢するのが大変である。
「残念ですが私には既に決めた方がいますので……その方以外とは結婚する気はありません」
「ははは、相変わらずはっきり言うのう。相手とは何か、エルセリアの王子あたりか? あちらはラナニアの王女もちょっかいをかけてると聞くが」
「いえいえ。アレク王子は可愛いですが違いますわ。私は、私の救い主様と結婚するのです」
そうと決めていました、と、頬を赤らめながらにはっきり伝える。
これには再びざわめきか広がるが、サララは笑顔を浮かべたままである。
カオルも胸を強く打たれたが、「やってくれたな」と、してやられた気持ちが強くなったのは普段の付き合いからか。
「ほう、その救い主というのは……そなたを人間に戻した男か?」
「その通りですわ。そしてその方は、混乱に陥っていたエルセリアを救った英雄様でもあります。私にとってこれ以上ない相手ですので、この気持ちが揺らぐことはないでしょうね」
「ははは……惚気られてしまったのう。いや、ワシが後20年も若ければと思ったが、国を救う英雄殿相手では流石に分が悪いか」
「例え大国の王様から求められても袖にするでしょうね。そしてその方は、きっと国が相手でも私を守り通してくれるはずです」
それくらいはするはずです、と、大見得を切って見せ。
そしてカオルのほうをちらっとだけ見てその表情を確認する。
カオルは――笑っていた。
それを見て「あら予想外」と、驚きもせずにまた王の顔を見て、にこりと微笑む。
「ですが陛下? 私はこの通りですが、フニエルは私と似た顔立ちですわ。今でこそ幼いですが、いずれはきっと、世界の誰もが恋する美女になるはずです」
「ふはは、言いよる……しかし、そう考えるならラッセルは、よい娘を見つけたと言えるか」
「そうですよぉ。そう遠くない未来に、『エスティアの女王と結婚できるなんて、ラッセル殿はなんて羨ましいんだ』と羨ましがられるはずです。だから、安心していいと思いますよ。貴方がたの宿願――いずれは叶うんですから」
「……あぁ! そのようだ」
にっこり微笑むサララは、カオルから見ればいつものサララだった。
だが、バークレー王にとってはこれ以上ない、至上の笑顔で。
一族が何代も希い続けた、「いつか見たい」笑顔だった。
これが、見たかったのだ。
恋をした最初の王からして、見られなかったのだから。
「こんなにも……こんなにも美しかったのだなあ。肖像画の娘も、きっと笑わば――」
「……父上」
「すまなかったラッセル。それにフニエル女王も。レオンよ、後のことは頼んだ。是非にとも、エスティアと良き関係を……そして、この国を、ワシのような愚かな王が成した間違いを、正してほしい」
王はもう、何も食べられなくなっていた。
ずっと追い求め続けた理想の女性が自分に笑いかけてくれる。それだけでもう満足だった。
一族の誰もが見ることができなかった、理想の女性の笑顔を見られた幸せを胸に、逝きたかったのだ。
浄化されてゆく心が、老いた瞳に涙を流させ、その気持ちを軽くしてゆく。
「何を弱気なことを言ってるんですか。あと5年……いや、3年も生きれば、その宿願だって――」
「ラッセル……父上はもうお疲れなのだ。父上、先ほどの発言は聞かなかったことにしますが、エスティアとの良き関係を築く事、この国を変えてゆくこと、確かに承知いたしました。ご安心ください。そちらでは、きちんと孝行しますから」
王子たちも「もう近いのだ」と悟り、それまでのわだかまり、不信を捨てて真摯な気持ちで父を見る。
もう大分老いた、力なき父親に、最後の孝行を聞かせていた。
「フニエル女王……それにシャリエラスティエ王女。ワシは、そなたらの婚姻の場には出られまいが。それでも……そなたらの幸せを願わせて、もらおう……ごほっ、ごほ……どうか、良き人生を。良き相手と共に――」
「……ありがとうございます、陛下」
「絶対に幸せになりますわ。ですから陛下、ご安心ください」
政治的な物事など、この場では何も言い出せなかった。
それでも、間違いなくこれからの国と国の関係は変わっていくものと確信が持てた。
それは、もらい泣きするフニエルと、安堵したように微笑むサララを見れば政治に疎いカオルにも解ることで。
(上手くまとまったようで、よかったぜ)
美味しい料理以上に人の心を解く何かがあることを、カオルは目の当たりにして納得した。
その後、ほどなくしてバークレー王の容態は急変し、会談は打ち切られ。
その晩の内に、バークレー王は崩御した。
積年の想いが報われた王の顔は、とても満足げな、どこか自慢げにすら見える、そんな安らかなものだった。