#22.希望の夕刻
昼の会談が延期になったものの警備が強化され、ベラドンナは同じ手が使えなくなってしまっていた。
だが、それでもまだ時間を稼ぐ必要があるとばかりに、彼女は次の手を講ずる。
「――まさか、このようなタイミングで使者を送ってくるとは。あの女魔人め、面倒なことを」
どこへともなく消えた羽の生えた女の姿をした魔物。
それは、実際にはどこかに消えたわけでもなく、ある部屋に入り込んだだけだった。
「申し訳ございません。緊急のようだったもので……王様?」
「ふん……このような真似、二度としてくれるな? ワシやブロッケン以外の者が知れば大事になる。他国の介入を許すことになりかねんからなあ」
ふてぶてしくもバルコニーから自らの寝室に入り込んだ女悪魔に、王は憎たらしげに視線を向け、小さくため息を漏らす。
そう、ここは王の寝室。城兵ですら迂闊には入り込めぬ、一種の聖域。
そこに直接入り込み、王との対峙を図ったのだ。
「――して、女悪魔よ。あの魔人めの要件とは? 急なのだろう?」
「それは……ええ、まあ」
やはりというか、ブロッケン同様、バークレー王も魔人とのかかわりを持っていた。
それを確認できただけでも大きな収穫だが、それだけでは不穏の種がここにあることしか示せない。
今の問題は、いかにサララが回復するまでの時間を稼げるか、にあるのだから。
「貴方は今、第二王子ラッセル殿の結婚に先立ち、隣国の女王と会談をしようとしていますね?」
「耳が早いな……ふん。その通りだ。だがそれはお前らには関係なかろう? ワシは言われた通り、このカレンディアで勇者を歓待して足止めしているではないか。採掘権も握った……件のドラゴン。あれがお前らの目的だったようだが?」
「いいえ、それは目的の一つにすぎません。どちらかというと私の主にとっては、貴方がたが縁を結んでしまう事のほうが問題でして」
適当な作り話である。
バークレー王の語る話をブロッケンの話の裏付けとしながらも、適当に今考えた事をさも既定路線かのように語ってゆく。
しれっとした顔で語られるそれは、しかし人外の姿をしているからこそ、バークレー王に真実味を感じさせる。
話の中ほどで「なに?」と、睨みつけながらに歯を噛む仕草を見てベラドンナは、話を、彼をして想像していなかった展開に捻じ曲げたことを確信した。
「隣国エスティアを支配しようとするのは別にいいのですが……今それをしてしまうと、エスティアと強く結びつきすぎて、エルセリアに警戒されることになるでしょう?」
「むう……確かに、エスティア内の金の採掘権を握れば我が国は強国になれると同時に、エルセリアから睨まれることにもなりかねんが。だが、そんなことでは踏みとどまれぬ。これは、先祖代々の念願であり、ワシ自身が希ってきた事でもあるのだ」
「別にやめろとは言っていません。もう少しだけずらすことはできませんか?」
「……それは無理であろう。お前の主がワシの命を永らえさせたのも、あくまで契約の範囲まで。それが尽きればワシの命も尽きてしまう。それはお前たちが言い出したことであろう? 契約の延長は、許されないと」
端から無理な話のはず、と、王は自嘲気味に笑いながらその身を起こす。
力を感じさせぬ、よれよれとした印象だったが、不思議とまだ生気は感じられた。
「正直、生きているのが不思議なくらいであった。だが……一族の念願が成就する瞬間を……そして、我が息子の晴れ姿を見ねば、死ぬに死ねぬ。その為に、外道にまで手を染めた。本来跳ねのけねばならぬ、お前たち魔人の手を借りてまで、な」
「……ですが」
「ワシはもう逝く身だ。本来、国のことなど息子たちに任せ、余計なことをするべきではないことくらいはわかっておる。だが、こればかりはかなえねばならぬ。たとえこの結婚が禍を招いたとしても。フニエル女王には、我が前に来てもらわねばならぬ……!」
引く気は一切ないこと。
それは、ベラドンナの目にも明らかであった。
これ以上無理を押せば、間違いなく疑いをもたれる、そんなライン。
深くため息を漏らし、ベラドンナは王を見つめた。
……王の瞳は、力こそないが、死しても本懐を遂げよう意思があった。
「主に告げよ。約定は果たしたのだ。ならば、それを捻じ曲げようとしてくれるな、と」
「……私が貴方を手にかけないと?」
「その気ならとっくにそうしておろう。魔人や悪魔ならば、人の意志を捻じ曲げるよう洗脳することもできようからなあ」
達観した様子の王を前に、ベラドンナはこれ以上の交渉や脅しは無理だろうと判断した。
人は、このようになるとテコでも動かないのだ。
こうなったらもう、王や王子を手にかけでもしないかぎり妨害など無理に違いないと考え、そうする気のないベラドンナは、「そうですか」とだけ返し、引くしかなかった。
(……これ以上の時間稼ぎは、無理そうですね)
部屋の窓から飛び立ったベラドンナは、自身の無力さを噛みしめながら、また小鳥の姿へと戻り、サララの元へと戻っていった。
夕刻が近づいた頃、フニエルの待機室にて。
「うーん、どうしたものかなあ」
サララが寝込んでいることに起因して、状況が思わしくないらしいのは、ベラドンナが時間稼ぎに走ったことを見ても明らかだった。
だからしてカオルは、現状でどう動くべきか、思考を巡らせようとしていた。
「どうしたものかって、どうするつもりなんだい?」
部屋の中にはラッセル王子と、不安そうに視線をうろうろさせるフニエル、そしてアリエッタ。
彼らを護衛するため、という名目でこの部屋に入り込んだカオルだったが、正直どう動いたものか、迷ってしまっていた。
なんとなしに呟いた独り言だったが、ラッセルに反応されて戸惑ったのもある。
「いえその……調理場とか、大変なことになってないかなあって。一角を貸してもらってたんですけど、仲良くなったコックの人とかいたもので」
「君はもううちのコックたちと打ち解けたのか……すごいな。腕はいいけど気難しい連中ばかりだと思ってたんだけど」
「腹を割って話したら案外気のいい人たちでしたよ。ただ、さっきも言いましたけど、料理の配膳してる最中に魔物をみかけたもので、大丈夫かなあと」
自分はその危険を城内に知らせるために彼らに押し付けてしまった形になる。
実際にはベラドンナは何の危険もない存在なので問題などないのだが、心配した風を装わなければならないのはカオルにとって煩わしかった。
「なら、君は戻ってもいいのではないか? 城内も、一時は騒がしかったが今は元に戻ったようだし」
「そうっすね……そうしましょうか」
「あ、あの、待ってください」
ラッセルに勧められたまま戻ろうかとドアノブに手をかけたところで、後ろから声を掛けられる。
声の主は……フニエルだった。
「はい、なんでしょうか?」
「その……私のメイドの、サラという子なんですが。今身体の調子がよくなくて……魔物に襲われていないかも心配なので、見てきてくれませんか?」
「サラ……の様子を?」
――それは渡りに船って奴だな。
内心で好都合に感じながらも、それを悟らせまいとなんとか平静を装おうとする。
「嬉しそうだね?」
「いえ、そんなことは」
装えてなくてラッセルに突っ込まれ心底焦る。
カオルはどこまでも役者になれない男だった。
「本当ならアリエッタに見に行かせたいのですが、こんな状況ですし……アリエッタには、傍にいてほしいので。お茶などを差し入れてあげてください。必要ならお薬も――」
「解りました。それではまずは様子見を。失礼しますね」
「あ、はい、お願いします」
なんとかつまらずに話せてはいたが、その口調に女王らしき威厳は微塵もなく。
カオルをして「偉い人のはずなのに全然偉く見えねえなあ」という感想のままに、あっさりとした対応で話を終え、そのまま出ていくことにした。
「サララー? 大丈夫かー?」
そうして何事もなくたどり着けたサララの部屋。
本来ならば、よほど慎重に慎重を重ねなければ入ることもできないはずの部屋だったが、都合よくフニエル女王からお許しが得られたので、『メイドのサラの部屋』まで簡単に来ることができた。
部屋の前でノックするも、無反応。
(あれ?)
何事かと不安になる。
成長痛らしいとは先ほど魔物騒ぎの前にベラドンナと会った時に聞いたものの、かなり苦しんでいるようだとも聞いていたのだ。
嫌な予感がして、ドアノブに手をかける。
『あ……カオル様、入らないでください』
直後にサララの声が聞こえ、安堵。
だが、拒絶を示されぴた、と手が止まる。
「サララ、大丈夫なのか?」
『ええまあ……その、なんとか?』
「おい」
『あのあの……すみません。ちょっと別の問題が起きていて。私がいいっていうまで、入らないでもらえます?』
「まあ、それで大丈夫なら……別の問題って?」
『……実は、ようやく成長痛が収まりかけて、さっき鏡で見てみたんですけど……かなり色々変わっていまして』
「ほう?」
『持ってきたドレスが……全然入らなくなってて』
「……」
――それは入れないよなあ。
珍しく困ったように伝えたサララに、カオルも状況を理解した。
つまりこのドアの先には、着る服がなくて裸同然のサララがいるという事。
「でも、どうするつもりなんだ? そのままじゃまずいんだろう?」
『ですから……ベラドンナさんにお願いして、なんとか服の調達を……』
「まあ、それでどうにかなるならいいんだが」
三次性徴を迎えた猫獣人の女性は、二次までのそれと比べかなり体型的に異なってくる。
今まで見てきた大人の猫獣人の女性を想像し、「あれだと普通の人間でもきついかもしんないな」と、懸念を感じた。
体型的にメリハリがありすぎるのと、背丈の問題。
恐らく人間の女性向けの服では、特注しないと多少無理が出てしまうのではないか。
何せこの世界、多くの人間の女性が小柄で、店に売られているようなものも大体がそういったサイズのものばかりなのだ。
おかげで小柄だったサララの服を探すのはさほど苦労しなかったが、逆にベラドンナのような長身の女性にとっては合う服を探すのは至難を極め、無理に探すくらいなら自力で縫う方が早いほどだったと、ベラドンナも語っていたのをカオルは思い出した。
「アリエッタの服でも借りられれば楽そうなんだけどな」
『あー……アリエッタは、うーん、でもなあ』
直近にいてかつ確実に借りられそうなアリエッタだが、サララは難色を示した。
『あのですね。アリエッタとは体型がかなり違うので……背丈は同じくらいなんですけど、色々と、その……とにかく、あの人の服だと無理っぽいんです』
「そうなのか。じゃあなんとか人間の服を調達するしかないんだな。あるといいんだが」
『都合よくあってくれるのを祈るばかりです。そんな訳なのでカオル様、しばらくの間は私の事は放っておいていただけると……』
「解ったよ。いや、女王からお前のことを見舞ってくれって言われてな。でもとりあえず辛い時間は終わったようで安心した」
『カオル様……ええ、私は。ですが、時間稼ぎをしてもらっても、結局服がなくって』
「やれるだけのことはやりたいけど、今回の俺は料理人だからなあ。いざという時に暴れるくらいはできるけど、それ以外じゃ力になれそうにないぜ」
本当ならサララの代わりにフニエル女王の補佐でもできればよかったが、そんな器用なことは自分にはできないと自覚していたので、申し訳ないと思いながらもそれだけははっきりと伝える。
『あはは、大丈夫ですよ。私も似たようなものですから……今のままだと、本当に何のためにきたんだかわからなくなってしまいそうですけど』
「ほんとにな。ああ、こんなことになるなら政治の勉強でもしとくんだったよ」
『本当に、気にしないでください。助けを求めたのは私ですけど……でも、カオル様に無理はしてほしくないので』
「まあ、それでもやれることが何かないか考えるけどな。ぎりぎりまでは、チャンスがあるかもしれないんだから」
『……そうですね』
諦めるのはまだ早い。
やれることはあるかもしれない。
少しでも前向きに考えようとするカオルに、サララは「あの」と、呼び止めるように声を上げる。
『カオル様のそういう前向きなところ……私、好きですよ』
「……っ! そ、そうかよ」
『はい……私も見習わなくちゃ』
――諦めるにはまだ早いのだから。
そう思えるだけの心強さが、カオルにはあった。
だからこそサララは敢えてそれを言葉にし、カオルに聞こえるように告げ。
「――ああ!」
カオルを振るい立たせられた。
今はまだ、これくらいしかできないけれど。
それでも、やれることはあるのだから、と。
それきり。それきりである。
ドアを挟んでの会話は、しかし二人に、諦めることのない前向きな気持ちを根付かせることとなったのだった。