#21.諦めの朝
「う……うぅ……痛……っ」
翌朝も、サララは全身を走る激痛に呻くばかりで、自力では歩くことすら難しい有様だった。
幸いにして痛みのせいで意識ははっきりしているものの、わずかな布擦れが肌に痛みを植え付けてゆく。
「大丈夫ですか? サラ……」
あまりの苦しみ様に、フニエルも心配そうに見舞っていたが。
それが余計に苦しみを前に出すこともできず、サララを苦しめる。
「あはは、大丈夫、とは言えませんが、耐えられないほどでは……あいたたた」
「そんな……無理しないでください。そんなに苦しそうな顔を見ては、私も方もなんだか……」
「フニエル様。サラにとっては人目がある方が辛いようですから……」
苦しげなメイドの有様に、フニエルも大層心を痛めていたが……主の前で必死に耐えようとして却って苦しむメイド・サラを見て、アリエッタはフニエルに退室を促す。
フニエルもそれを受けて「そうなんですか」と悲しみに瞳を揺らし、ベッドの上へと視線を向ける。
「ごめんなさい気づかなくて……その、安静にしててくださいね。ラッセル様も、必要なら城仕えの医師を呼んでくれるそうですから、もし辛かったら……」
「あ、ありがとうございますフニエル様。なんとか、今のうちは耐えられますから……どうか、ご自身のことを」
「はい……それじゃアリエッタ、行きましょう」
「かしこまりました……サラ、どうかお大事にね」
「すみません」
幸いにしてフニエルも素直に退室してくれた為、サララも一安心したが。
出て行っても尚全身の痛みは消えず、「いたた」と、布擦れの掠るような痛みと骨の奥から響く鈍痛とで眉をひそめていた。
「――窓のカギは開いてますよ、ベラドンナさん」
痛みにうずく腰を手でゆっくりと撫でるようにしながら、窓の外に止まっていた小鳥へと視線を向ける。
小鳥はこつ、こつ、とくちばしで窓を押し込み……そのまま入ってくるや、もわ、と、怪しげな白い煙を身体から吹き出す。
「サララさん……大丈夫なんですか? 夕べからずっと眠れていないようですが……」
小鳥から普段の姿に戻ったベラドンナが、心配そうにサララの顔を見つめる。
サララも「まあ」と、眉を下げながらなんとか起き上がり、ベラドンナに笑いかけようとして……できなかった。
「ちょっとした寝返りで痛みが走って目が冴えちゃうんですよね。おかげでずっと背筋とか腰が痛くって」
「成長痛……とは聞きましたが、そこまで苦しむものだとは。人間とは違うものなのですね」
「んん……私も、聞いていたのと大分違うというか……子供の頃聞いた話だと、『痛くなるのは半日くらい』とか『軽い痛みが数日にわたって続くくらい』とか、そんな話だったので……アリエッタも言ってましたけど、個人差が大きいんでしょうね」
「……腰と背中が痛いのですか?」
先ほどから撫でている腰や背筋を見て、なんとかできないものかと悩ましげに視線をうろうろさせるベラドンナを見て、サララも困ったように「ええ、まあ」と頷く。
「一番痛いのは背骨から腰骨の辺りで……でも、胸やお尻もちょっとした刺激で痛くなっちゃうんですよね。それで、手足も関節に違和感があって……ちょっと動くと痛い感じで」
「では、この状態で会談となった場合は……」
「……最悪、なるようにするしかなくなるかもしれません。でも、そんなのは避けたいので……」
「サララさん……?」
苦しみから吐息すら辛そうであったが、持ってきた荷物の入ったバッグへと視線を向ける。
ベラドンナもそれに合わせるようにバッグを見て、「これですか?」と指さす。
頷きながら「それに」と続けた。
「私の……ドレスが入ってるんです。エルセリアでもらったものなんですけど」
「その状態では無理でしょう?」
「無理してでも、なんとかしないといけないので」
状況に焦っているのは、何もバークレー王サイドだけではないのだ。
その状況を利用したいサララたちもまた、バークレー王に倒れられては困ってしまう。
余命いくばくもないとみられるバークレー王とフニエルの会談。
これ自体はエスティア側にとっても必要なことなのだから。
だから、それ自体は成功させなくてはならない。
だが、自分抜きでそれが可能かどうかと考えると、なかなかに苦しいものがあるとサララは考えていた。
「ラッセル王子は、どんな感じでしたか?」
「落ち込んでいましたね。そうなるかとサララさんが考えていた通り、バークレー王やその側近、更にはお兄さんにまで諭されて……有無を言わさず、といった感じでしょうか」
「そうですか……やっぱり」
やはりというか、ラッセルはあてにはできない。
彼自身やれることはやってくれるかもしれないが、そのやれることがあまりにも少なすぎる。
こんな時に……しかし、彼女的に一番頼れるカオルは、フニエルとの距離が遠く、さらにコックという身分なので、迂闊な行動はとれない状態だった。
元より今回の一件はサララが中心になってフニエルを守るつもりだった為、その肝心な柱が折れてしまったことになる。
この土壇場でこれは、かなり苦しいものがあった。
「そうなると後は……私の状態が落ち着くまで、バークレー王が耐えてくれることを祈るしかないです、か」
「時間稼ぎ、ですか?」
「できそうです?」
「それ自体は可能でしょうが……あまり繰り返すと、城内の警戒も強くなり、カオル様も滅多なことでは動けなくなってしまいそうですが」
後サララにできるのは、バークレー王が耐えている間に自分が快気することを祈るくらい。
ベラドンナにできるのは、それが叶うまでの間の時間稼ぎくらいだった。
「……一日ください。それでなんとか、動けるようにしますから」
「解りました。ですがサララさん……無理はしないでくださいね? カオル様にとっては、貴方自身こそが何より大事なのですから」
「あはは……そう、ですね」
曖昧な笑みを無理やり作って、なんとかその場を凌ごうとする。
そんなサララを見てベラドンナも小さく息をつき、「それでは」と、窓辺へ背を向けた。
(それでもこの方は無理をするんでしょうけど……少しでも私が時間を稼がなくては)
ぼうん、とまた小鳥へと変身し、開いたままの窓から出て、また器用にくちばしで窓を加えて閉じてゆく。
そのまま去っていくのを見守り……サララはまた、ベッドに横になった。
ずん、と走る背筋の痛み。
涙目になりながら「いたた」と小さな悲鳴を上げ、見慣れぬ天井を見やる。
(なんとか……私がなんとかしなくちゃ。私が、カオル様を頼ったんだから。私が、皆をここに連れてきたんだから)
苦しみながら、それでもなんとかしなくてはならないと思った。
だから、必死に思考を巡らせる。
幸いにして意識ははっきりしていた。だから、回復した後の自分がやること、やろうとする事をどんどんまとめていく。
上手くいった時の話の持っていき方、失敗したときのリカバリー。
なんとかして状況を自分たちに都合よく、相手の思うままにならぬように運ぶことの難しさを考え、最悪のルートも想定した上でラナニアからの脱出方法まで考えが向く。
責任感があった。
自分がこの状況を作ったこと。猫化の呪いから解放され、その気になればいつでも戻れた祖国に戻らず、助けられた妹を放置したこと。
王族としての責務をかなぐり捨て、好き放題に好きな人との時間を優先してしまったこと。
そして何より、その大好きな人に、助けを乞うてまで一緒に来てもらった国で、自分がこんな状態になってしまっていること。
なんとかしたかった。ずっと国のことは想っていたはずなのに、ずっと何の行動も起こせなかったから。
なのに、やりたいことに身体が付いてこない。
サララは心底、焦っていた。
「――これをな、お前の婚約者に着せてやるといい」
一方その頃ラッセルは、再び王の寝室に呼びつけられていた。
王の言葉と共に側近のブロッケンがラッセルへと豪奢な装飾の箱を差し出す。
突然呼びつけて何事かと眉をしかめていたラッセルだったが、差し出された箱の蓋を開け、目を見開いた。
「ドレス、ですか」
煌びやかな、白を基調としたロングドレスだった。
ところどころに真珠の飾りが施され、それが灯りに照らされきらきらと輝く。
「これはな、かつて『あの絵画の貴人』に懸想した王が、いつかその娘を手に入れた時の為に用意させたものなのだ」
「……そんなドレスが、何代にも渡って残ったんですか?」
「原型はな。実際には代々の王が、このドレスをその時代に合わせ、娘が恥じることのない様に変飾し続けている。お前がフニエル女王と婚約に成功した時、ワシもそれを思い出してな、ノスで密かに職人にやらせていたのだ」
「それはまた……」
代々の王が携わった、焦がれ人の為のドレス。
そう聞けば歴史のある、想いのこもった品にも思えるが。
だが同時にラッセルは、暗い気持ちにもなっていた。
(そんなに何代も、自分のものにならない女性のためにドレスを用意し続けるなんて……そんなだから、こんな歪んだ国になるんだよ)
ばかばかしい慣習だった。
つまりそれだけの数、愛されてもいない妃がいて、愛のない環境で育った子がいたという事。
ただ子を残すためだけに妃にされた女性とて、その想い人と同じ、心ある女性だろうに。
そう思うと、つくづくこの国の今までが、歪さが、代々の王の愚かな懸想のせいで積み上げられていったのを感じずにはいられなかった。
あきれ果てる愚直さ。いい加減、終わらせたかったのだ。
(ここでこのドレスを破いてしまえば……でも、さすがにそんなことはできない、か)
これ一枚破いたところで既定路線は何も変わらない。
ただ親の悲しむ顔が目に入るだけで、別に親を苦しめたいわけでもないラッセルにとって、それは正直何のメリットもなかった。
「父上、ご加減は?」
「今日はすこぶる調子がいい……昼か、遅くとも晩餐には整うかもしれんなあ」
「……そう、ですか」
いい加減覚悟を決めなくてはならない時だった。
結局、自分にはどうにもできない。
その時は近づいていた。
ならば、せめて愛する人が傷つかずに済むように、これ以上父王の疑念を買う事は避けなくてはならない。
「では、フニエルにこのドレスを。昼か晩餐……というのも、伝えておきますよ」
「そうかそうか……ラッセルよ。お前は良き子よ。孝行息子よ」
満足げな王の声に、側近らも機嫌よく「流石です」「ラッセル様はよき孝行をなされた」と口々にラッセルを褒め称える。
昨日散々面罵したその口で、声を大にして伝わるその声に、ラッセルは微塵も感情が動かなかったが。
それでも、フニエルの為ならばこの国王派の「一族の宿願を叶えた孝行息子」という評価は、決して無視できるものではなかった。
王亡き後、自分が自由に生きるためには必要な、後ろ盾なのだから。
そうして王の寝室から出たラッセルは、その足でフニエルの元へと向かう。
箱はブロッケンが持ったまま。ラッセルが自分で運ぶつもりだったが、「かさばるので」と、本人的にはにこやかに笑みを見せながら言ってきかなかったので、結局そのままである。
「フニエル。今日は君にプレゼントがあるんだ」
部屋を訪れたラッセルは、喜びに顔を綻ばせる婚約者に向けてまずこう伝え。
そうしてブロッケンが恭しげに箱を差し出し、ラッセルがその中からドレスを取り出す。
「まあ、ドレスですか……?」
「そうなんだ。実は君の登城に合わせて、父上が用意していたものらしくて……君の好みに合うかは分からないが、『会談
には是非これを』と」
「そんな……バークレー王が、私に……ありがとうございます! 嬉しいです!!」
フニエル視点では、顔も合わせたことのない相手の父親からのプレゼントである。
歓迎されているのだと感じ、嬉しさから無邪気にはしゃいでいた。
「喜んでもらえたようで何よりだよ……ただ、サイズとかが合うか分からないから、後で試着してみてね。もし合わなかったら手直しも――」
「このドレスは代々の王が手掛けた貴重な品。おいそれと手直しなどはできませぬ」
「ブロッケン……」
ようやく暗い気持ちから華やいだ雰囲気になったのに、要らぬ水を差すブロッケンに、ラッセルは浅からぬ苛立ちを覚えたが。
それでも、フニエルの喜んだ顔を見て「まあ」と、気を取り直す。
「ブロッケンの言う事は気にしないで。手直しできないというなら、無理に着なくてもいいからね。少し丈が長いようにも感じるし」
「はあ……わかりました。ラッセル様、ありがとうございます」
「僕は何も……」
そう、何もできなかったのだ。
その虚しさから、つい言葉に詰まってしまったが。
それでもなんとか伝えなくてはならない……と思ったところで、ラッセルはいつもいる人がいないことに気づく。
「あのメイド……まだ寝込んでるのかい?」
「サラですか? はい……思ったよりも成長痛が辛いようで」
「そうなのか。大変だねえ」
この場において、一番頼りになりそうな人物がまさかの降板。
最早どうにもならないと、諦めの気持ちが支配的になる。
「その、父上との会談なんだけどさ。今日の父上は体調がいいらしいから――」
『侵入者だぁっ! 城に魔物が入り込んだぞぉっ!!』
それは、突然の事だった。
どこかから聞こえた男の声。
それは城内にいて尚聞き取れるほどの大声で……そして、緊急事態を連れていた。
「ま、魔物っ!?」
「そんな……ブロッケン、城の守りはどうなっている!?」
「そ、それは私に聞かれても……警備は万全であると、私も思っていましたので……」
「くっ……とにかく、今はフニエルたちを守るのが優先だ。ブロッケン、僕はここに残るから、様子を見てきてくれ!」
「はあ……わかりました。陛下も心配ですから、なあ」
魔物の襲来などと聞けば城内は騒然とならざるを得ず。
瞬く間に場内を駆け回る鉄靴の音が響き、不安げな侍従らの声がどよめきとなって伝わる。
だが、そんな時でもブロッケンは妙に呑気というか、焦りが見られず、部屋を出る際もゆったりと行儀よくだった。
(何を考えているんだブロッケン……魔人の襲来の可能性だってあり得るのに、父上が心配ではないのか?)
フニエルのことなどどうでもよくとも、主の危機かもしれない中で、あの落ち着きようはなんなのか。
ブロッケンとは、そのように心の余裕のある男だったかと考え、疑心が沸いてしまう。
「ラッセル様……」
「大丈夫だよフニエル。僕が君を……なんとしても守るから」
不安そうに自分に寄ってくるフニエルの肩を抱いて安心させてやりながら、ブロッケンの去っていたドアをじ、と凝視する。
空いた手には装飾の入った短剣一つ。最悪は、自分が盾となってフニエルを守るつもりだった。
『たいへんだーっ、魔物が出たぞー! 魔物だ魔物だ羽の生えた女っぽい魔物だーっ!!』
先ほどと同じ男の声が、徐々に部屋に近づいてくるのを感じる。
どたばたと走り回る音。そうして、ばた、と、ドアが急に開かれ、ラッセルは「うわ」と、情けない声を上げてしまった。
「大丈夫ですか女王っ……と、ラッセル様も」
見慣れたコックの男だった。
フニエルの旅に随伴してきた料理人、カオルである。
「君か……驚かせて」
その顔に大きく安堵し、手に持ったナイフをしまう。
胸をなでおろし、なんとか落ち着けた。
カオルもまた「すみません」と、相手を驚かせてしまったらしいと気づき素直に頭を下げた。
「それで、魔物っていうのは? 大量にいるのかい? 危険そう?」
「危険かは解りませんけど、一人だけ、でも無茶苦茶強そうな奴でしたよ。すごい速さで飛び回って、中庭の方から東の塔へ」
「東の……父上の方か。何事もなければいいが」
一応、城兵は何事かあれば即座に要人を守るため駆けつけるように手配されているので、時間さえあれば王の守りは問題ないはずだが。
それでも、このタイミングの襲来には思うところがあった。
(こんなタイミングで魔物の襲撃……? 何だこれは。まるでフニエルがこの城にいることが解っているかのように)
疑念を感じずにはいられなかった。
何かが起きている。それも、自分の知らぬところで。
それはまるで、自分が蚊帳の外に置かれているかのようで。
「女王陛下もご無事で何より……すみません、料理を運んでる最中に魔物と出くわしてしまって。異常があったことを城内に触れて回るためにほかの人に任せてしまったんで、まだ少しかかりそうです」
「何事もなければ……いいです、よ?」
「それはよかった……魔物騒ぎが落ち着くまで、俺もここでお二人を守りますよ」
これでも腕っぷしには自信があるんで、と、腕まくりしながらラッセルらの前に立ち、ドアを睨みつける。
料理人登用ながら、猫獣人の兵らと比べてかなり恵まれている彼が前に立ち、ラッセルも「君なら安心できるか」と、任せる気になれた。
魔物騒動は城内を極度の緊張へと追いやり、結局昼食時を使っての会談は延期となった。
城兵の多くが目撃した魔物はしかし、結局誰に危害を加えたともなく、昼を過ぎたあたりで霧のように所在が分からなくなり、城兵らの必死の探索も虚しく、発見できなくなっていた。