#19.苦行の夜
バークレー王都カレンディアへの移動は、まずエスティア国内ではグリフォンを用いての高速移動で国境のラグナス、そしてそのままバークレー側のフェンへと移動しそこから軍馬車でバークレー国内を横断する、というルート設定になっている。
旅にはフニエル付きの侍女長アリエッタとサララ、料理人としてカオルと少数の兵が随行し、ラッセルとその目付ブロッケンが道先案内として先導していた。
「わあ……空の上って、こんなに広いんですね……」
国内でも王都セントエレネスより外に出たことのないフニエルにとっては新鮮な外の世界であった。
空の海。眼下に広がる山脈の岩肌と緑。そしてはるか先、雲の割れ目に見える見知らぬ平地。
城の窓から空を眺めるだけだった少女にとって、実際に風を切って空を舞う感覚は、価値観が塗り替えられるほどの初体験。
「でも、風が冷たいですからね……」
「はぶ……はい、ありがとう、サラ」
「あっあっ、私も……」
冷たい風に耳をやられぬようサララが抱きしめると、アリエッタもその肩を抱き、二人してフニエルを挟み込むようにして寄り添っていた。
「二人に挟まれていると……姉様たちに可愛がってもらっていた時のことを思い出します」
「そうなんですか? こうやって抱きしめてもらえていたんです?」
「はい……姉様がたは、私が幼かったから……会うといつもこうやって抱きしめてくれて」
こうしていると暖かいんです、と愛らしく語るフニエルに、サララも「そういえば昔はよく抱きしめてあげたっけ」と、かつての姉妹の交流を思い出す。
幼いフニエルは、いつも家族が近くにいると寄ってきて、その都度抱きしめてもらったり頭を撫でてもらったりと甘えていたのだ。
王族故生活域が微妙に異なり、一族でもコールらと同様上位に位置するサララは毎日顔を合わせていたわけではないが、それでも会えば絵本を読んであげたり一緒に踊ってあげたりと、サララなりに可愛がってあげたものである。
「私も……いつかは、自分の子供を抱きしめてあげるようになるんでしょうか?」
「そ、それは……」
「ええ、そうですよフニエル様。ですから、抱きしめられるばかりではなく、抱きしめる練習もしましょうね?」
「はい……その時は、アリエッタもサラも、手伝ってくださいね」
屈託のないフニエルから突然出たシリアスな疑問。
アリエッタは戸惑いを隠せなかったが、サララはしれっと答え、抱きしめる頭を撫で始めた。
「んぅ……サラの撫で方、優しくて好きです」
「ええ、私もこの撫で方が好きだったんですよ」
「……? そうなんです?」
「ええ」
フニエルが好きだという撫でられ方。
それはサララがよくしてあげた、幼少のフニエルの頭を撫でてやった時と同じものだった。
懐かしみを感じて、だけれど不思議なそれに、フニエルは首をかしげるが……すぐにそんなのどうでもよくなってくる。
うと、と、眠気を覚えたあたりで周囲の風景が急に上へと上がり始めた。
「もう間もなくフェンへ到着します。皆様、衝撃に備えてください」
操舵するグリフライダーの声に、三人はぐ、と椅子に備え付けられた抱え紐を握りしめた。
ほどなく《ズン》と落着。景色は村の前に。
既に先導するラッセルとカオルらの二騎は到着済みで、グリフォンから降り立っていた。
「さあどうぞフニエル。ようこそバークレーへ」
「あ、ありがとうございますっ」
降りようとするフニエルにラッセルが駆け寄って手を貸し、抱きとめるようにして降ろす。
アリエッタとサララは手を貸すまでもなく慣れた様子で降り立っていた。
「ここで少し休んでから軍馬車での移動になるからね。空の旅はどうだった?」
「すごかったです! 私、あんなに空が青くて白いなんて思いもしなくって……!」
「ははは、城の外に出るとそんな感じだよね。僕も初めて城を出たときはそんなだったよ」
「ラッセル様も!? ああ、そうなんですね……えへへ」
一緒の気持ちになれたのが嬉しかった。
そんな笑みを見せるフニエルに一同癒されたが、どこかへと行っていたブロッケンが現れ、「もういいのですかな?」と急かそうとしていた。
ラッセルは頬を引き締めて「いいや」と首を振る。
「フニエル、疲れているだろう? 少し休んでいかないか? このフェンには美味しいゼリーパフェを食べさせてくれる店があって――」
「いいえラッセル様、大丈夫です。先を急いでいるのでしょう?」
「で、でも……」
「事情は分かりませんが、これもラッセル様との婚儀の為です。私は大丈夫ですよ!」
ラッセルとしては、少しでもフニエルのカレンディア入りを遅ららせたかったが。
フニエルは、先んじてサララに「バークレー側も何か急いでいるようですので」と含みを持たされ、この度の目的を優先するように考えていた。
ラッセルにとっては失敗させたかった話。
けれどフニエル視点では失敗してはならないと考えられていたのだ。
だから、ラッセルも気まずそうな顔になりながら「そうかい」と、あいまいな笑みを浮かべる。
ブロッケンは満足げにうんうん頷いて「それでは」と、村はずれに用意してある軍馬車へと手を向けた。
「女王と殿下にはあちらの軍馬車に。お付きの侍女とメイドも……まあ、一緒でよかろう」
「わ、解りました……はぅ」
「大丈夫ですよぉフニエル様。私がついていますから」
「もう怖くないですからねー」
「……」
顔を見た瞬間びく、と反射的に一歩引いたフニエルだったが、なんとか泣かぬように踏ん張り、アリエッタとサララに両サイドを守ってもらうようにしながら向かってゆく。
ラッセルからも「あんまり彼女を脅かさないでくれよ」とスレ違い際に釘を刺され、ブロッケンは密かに傷ついた。
(お世辞にもいい奴じゃないけど、流石に可哀想だな……)
カオル視点ではキューカへの度の過ぎた折檻は赦せなかったが、それはそれとして顔のせいでここまで女性陣に嫌われるのは哀れにも思えていた。
あるいは、その怖い顔のせいで性根がゆがんだのかもしれないと思うと、同じ男として同情を感じずにはいられなかったのだ。
女性は、ある範囲までは相手の顔で相手のことを認知するのだから。
とはいえ彼にどうすることもできるはずもなく、無言のままブロッケンの前を通り過ぎ、フニエルらとは別の軍馬車へと案内される。
カオルが乗るのは護衛らと同じもので、いかついバークレー側の軍人と華奢なエスティア側の軍人とが居並ぶ、なんともいえぬむさ苦しい空間であった。
(料理人だから仕方ないけどさ……せめてもうちょっとこう、みずみずしさが欲しいというか)
女王付きの護衛という事でエスティア側はコールが選び抜いた精鋭らしいが、皆猫獣人らしからぬきりりとした面構えで、どうにも砕けたおしゃべりが楽しめそうな感じがしない。
対してバークレー側の軍人はといえば、カオルを見て厳めしい顔を更に厳しく引き締め、眉間にはしわなどが寄っているほどで。
とてもコミュニケーションを楽しめそうな気配はなかった。
小さくため息しながら「長い道のりになりそうだぜ」と、全行程半日ほどの道程を呪った。
「だーっはっはっはっ!! コックさんよ、あんたは話が上手ぇなあ!!」
「ほんとほんと、こんな男ばかりの馬車に押し込められてどうなるかと思ったが、あんたがいてくれてよかったぜ!」
そして実際に走り出した軍馬車は、大いに沸いていた。
最初こそ所在なさげに視線をうろうろとさせていたカオルだったが、次第に沈黙に我慢ができず「あのさ」と、近くにいるエスティア兵に話しかけ。
それから次第にバークレー兵も巻き込んでの雑談となって、カオル自身の今までのこちらで旅してきた話の一部を聞かせるころには、馬車にいる全員がカオルの話に耳を傾け反応し、笑ったり驚いたりするようになっていた。
「そんで、そのラナニアの酒ってのはどうだったんだ? エルセリアの要人が飲みたがってたんだろう?」
「ああ、すごい辛かったよ。俺も行く先で飲むことはあったけどさ、ラナニアの酒ってのはすごく度が強くて、すぐに酔いがきちゃったぜ。でも、後に残らないんだ」
「残らないって言うと……良く酔えるって事か?」
「そうそう! 二日酔いしないんだ。だから気持ちよく酔える」
「それいいな! うちの国もラナニアの酒が入ることはあるが、どうにも高くて手が出せねえんだよな」
「飲むならラナニアの酒かー。でも、うちの国のワインも美味いんだぜ? 毎年時期になると村の娘がブドウ畑から収穫したブドウを踏み踏みしてさー」
酒の話になれば国境を超え盛り上がる。
国も種族も違えど、共通の話題には皆乗り気になって乗っかってくれた。
護衛馬車なんて言ってもすることのない間は張り詰め続けることもできぬ。
ただただ、この退屈しない時間を楽しめればそれでいいと思っていたのだ。
「おい皆、楽しんでるところ悪いが、もうすぐ到着するぜ。カレンディア」
「おいおいもう着いちまうのかよ!? まだ話半分ってところだぜ?」
「もっと話したかったのにな……帰りもいい話聞かせてくれよな、コックさん」
「ああ、面白い話はまだまだあるからな。帰りの時もよろしく頼むぜ」
気が付けばもう目的地に到着である。
東西に広いバークレーの地は、それでも軍馬車では障害のない平地が多いこともあって、非常に早くその工程が進む。
それでも陽が落ち始め、「到着するころには夕方かな」と、カオルは感じていたが。
時間が短く感じられたのも、この気のいい兵隊たちのおかげだと思えば、「やっぱり誰かと一緒にいるといいな」と思えるものだった。
王都カレンディアに到着した一行は、街の入り口で盛大に住民らに祝福されたまま王城へと移動。
フニエルらはすぐに部屋を割り当てられ、そこでその後の説明をラッセルから受けていた。
「とりあえずの予定としては、一旦ここで休んでもらって、父上の調子がいい時を見て紹介する、という流れになると思うんだけど……」
「サラから聞きましたが、バークレー王は、病気でいらっしゃるんですよね……大丈夫なのですか?」
「ううん、それは……でも、無理をさせてもよくないからね。急いでもらってすまないけど、少し時間がかかるかもしれないんだ」
あくまで相手側の体調あってのもの。
だから気にしなくてもいいんだと思わせたくて、少しでもリラックスしてほしくてフニエルを抱きしめる。
「あ……」
「ごめんよ。少しの間、待っててね」
その抱擁は、侍女らに抱きしめてもらったときとは全く異なり。
フニエルの心を温かくし、それでいてきゅ、と胸を締め付ける、そんな抱擁だった。
頬を赤らめたフニエルは「はい」と小声で返し、ラッセルの胸に顔を埋める。
恥ずかしいのだ。顔を見ていられなくなっていた。
尻尾はぴん、と立ってしまい、緊張が露骨に出ている。
サラは「まあまあ」と小さく笑いながら見守る。
(……父上の病気については話してなかったはずだけど。もう読まれてるんだなあ)
当たり前のように言外の状況を把握されていて、ラッセルは心底驚かされていたが。
それくらいはこの聡明なメイド風の王女ならやるんだろうな、と、ある意味で納得もしていた。
「それじゃ、一旦失礼するよ。僕自身、父上とは久しぶりに会うからね。調子を見てくるよ。君たちもゆっくり休んでいてくれ」
「はい。また後で」
「うん、またね」
抱擁を解き、照れたままはにかむフニエルを見て「可愛いなあ」と頬を緩めそうになりながら。
なんとかしてこの可愛い婚約者を傷つけないように、と、その先のことを考えていた。
「フニエル様、早速ですが、今後の打合せを……」
「あ、はい……サラ? どうしたのですか?」
ラッセルがいなくなり、すぐにでも会談になる可能性もあるため、サララは今後のことを伝えようと思っていたのだが。
その顔を見たフニエルは、不安げにその顔を見上げた。
アリエッタもすぐに異変に気付き、サララの肩を抱く。
顔が、真っ青だったのだ。さっきまで笑っていたはずの彼女が、今は苦痛に歪んだ笑顔になっていた。
「大丈夫? 気分が悪いの?」
「いえ……その……すみま、せん」
ぐ、と、抱き寄せられ、全身から力が抜ける。
そのまま膝から崩れ落ちそうになり――アリエッタが身体を支えてくれて、なんとか耐える。
「いつから調子が悪いの? 今朝は大丈夫だったわよね?」
「その……馬車の中でお昼寝してからでしょうか……」
「あの仮眠タイムの時に? サラ、それならそうと言ってくれれば……」
「あはは、すみません……」
全身を走る激痛。
それでいて足腰に力が入らず、平常心を保っているのもやっとだった。
「フニエル様。私のことはどうか気になさらず、今はまずご自身のことを――」
「で、でも……」
「ご安心ください。これは病気などではなくて……そうですよね、アリエッタ様?」
「あ、ええ……恐らくは予兆……三次性徴が始まっただけですわ」
不安がるフニエルを安心させるように無理に笑いかけながら、なんとか近くのソファに身体を預けさせてもらい、自身の身に起きた事を説明する。
大人の体になるための重大な変化。それが今、サララの身に起きているのだ。
「アリエッタの時はそんなに苦しそうにしてませんでしたけど……」
「個人差があるようですから……人によってはとても苦しむものという話です。サラの場合は、特に大変なようですね」
「あはは……ついてない、ですね。ちょっと今日は、もう動けないかも、しれません……すみません」
ぎこちない笑みを浮かべながら、なんとか頬をぽりぽり掻こうとして……激痛に「あいたっ」と、身を震わせる。
わずかな骨のきしむような感覚。
ちょっとした動きがサララにとっては苦痛この上ない。
「無理しないでください……私は、頑張りますから! アリエッタもいますし、大丈夫です!!」
「フニエル様もこう仰っているし、今日はもう休んでいいわ。ベッドまで連れて行ってあげるわね」
「すみません……」
すぐに会談があった場合、これでは何もできなくなる。
来た意味がない。無理にでも動かなくてはいけないのではないか。
サララ自身そう思っていたのに、あまりの激痛に何も考えられなくなっていく。
こんな状態で無理をしても、結局無様を晒すだけ。
無力さを感じながら、しかしそれでも、今は休むしかなかった。
結局サララは、アリエッタに抱えられながらなんとかあてがわれた部屋へと戻り、そこで一晩を過ごすことになった。
本来なら最も大事な待機時間を、自身の休息にしか使えず。
しかし幸いか、その後現れたラッセルから「今日は調子が悪いみたいで」と引き延ばしの話が聞かされ、会談は延期されることとなった。