#17.焦る者、利用する者
玉座の間に現れたブロッケンに、ラッセルは「来てしまったか」と、額に手を当て深いため息をつく。
本国に連絡を入れていなかったという事なのだから、おそらくこのお目付けにも何も相談していなかったのだろう。
あるいは相談したうえで反対されたのを無理やり押し通したか。
いずれにしても、このブロッケンにとってはラッセルのやろうとした事は許容できないことなのだというのは、ブロッケンの事を良く知らないサララでもその顔色を見ればよく分かった。
「ぜぇっ、ぜぇ……っ」
顔面蒼白である。
城内を駆け回ったからか顔は汗だくになり、言葉を続けられずにその場にうずくまってしまっていた。
「大丈夫かいブロッケン? 運動不足なんじゃないの?」
「お、王子……っ、貴方は今、何をなさろうと……」
「……君には関係のない話さ」
「陛下への婚約者お披露目を、延期なさろうとしたのではないのですか!?」
ごまかそうとするラッセルに、しかしブロッケンは目をくわ、と見開き詰め寄る。
そのあまりの剣幕に、ラッセルの傍に立っていたフニエルは「ひぃっ」と、怯えを見せたままアリエッタの後ろに逃げ込んでしまう。
だが、ブロッケンは気にもかけない。
「なりませんぞっ! 此度の結婚周りは全て我が陛下の宿願! お疲れでおいでの陛下に、少しでも元気になってもらわねば困るのです!」
「……元気になられても困るんだけど」
「何を仰いますか親不孝な! 貴方がしっかりとそちらの……女王をエスコートし、バークレー城に連れてきて、初めてそれが叶うというのに。貴方は親の望みも叶える気がないと申すのですか!?」
「それは……でも、領内は不穏なことになってるそうじゃないか。すぐに彼女を連れて行くのは危険だと、僕なりに配慮して――」
彼なりに大切な女性を守ろうとしただけ。
少しでも時間をかけたい。できれば父王が折れるまで。あるいは……
そんな思惑がラッセルの中には確かにあった。
フニエルには伝えていないが、本心では彼は、フニエルを父王には会わせたくなかったのだ。
会わせれば、「結婚のためだから」とでも詰め寄ってフニエルは地を舐めることを強要されるかもしれない。
自分の妻になる女性に、そして未熟ながらも真面目にこの国を背負おうとしている少女に、そんなことをさせたくはなかった。
だが、実際に「親不孝」「父の期待を裏切るのか」と強弁されれば、ラッセルはそれに強く抗することはできなかった。
彼自身、父王にはいろいろ思うところはあるが、それでも父なのだ。
全てを受け入れられるわけではないが、全く尊敬していないのかと言われればそんなことはなく、複雑な感情があった。
彼は、自分の父親が王として、周辺国からあまりいい顔をされていないのは理解していたのだ。
それでも自分の国は好きだったし、よく思われたいから国を変えようと考えたが。
それだけでなく、自分の父が貶められるのが嫌だからという思いも、また確実に彼の中にはあった。
そんな彼の中の父への思いが、彼を苦しませる。
「ですから! フニエル女王の安全は我が国が万全を以って保証すればよいだけではないですか! 女王も、そうは思いませんか!? それともフニエル女王陛下は、我が国の安全を、信じられないというのですかな!?」
「そ、そんなことは……」
「でしたら! 何の問題もないではありませんか! ご安心くださればよろしい! 国に仇なす寄生虫など、物の数ではございませんぞ!!」
板挟み。ラッセルが明確に反論できないものと調子付き、ブロッケンは話をどんどん進めようとする。
フニエルもブロッケンの剣幕に怯え、マリエッタの後ろから視線をうろうろさせ、不安そうに「でも」「だけれど」と、涙目になって震える事しかできなかった。
「ブロッケン! フニエルはこの国の女王だぞ! 外交の権限を預かる僕を差し置いて、勝手に話を進めないでくれ!」
「そうは仰いますが王子! 王子はあまりにも身勝手が過ぎますぞ! 外交の権限があるからと、それを悪用して本国と連絡も取らずに独断専行! そのような真似をされぬよう防ぐのがこのブロッケンの、お目付としての役目でございますれば!」
「悪用など……僕は僕なりに考えてやっているんだ!」
「それが国の思惑とずれていては、国益に反することもあるのです! 目先の感情のために、国民の明日を犠牲にするおつもりか!?」
流れはブロッケンに傾いていたが、その様子を一歩引いた場所で見ていたサララは「この人も冷静じゃないですね」と、アリエッタの後ろでうろたえていたフニエルの傍まで寄り、そっと耳打ちする。
(フニエル様。私に一案がございます。私の後ろに来て、耳打ちする素振りをしてくださいな)
(ふぇっ?)
(そして私の話に合わせてくださいませ。そうすれば、この場は乗り切れ、ラッセル様の面目も保てましょう)
(は、はい、わかりましたっ)
マリエッタに聞こえないように、フニエルにだけ聞こえるように。
そうしてフニエルを自分の後ろに隠れさせ、フニエルが自分の耳元に顔を近づけたところで、サララはじ、とブロッケンに視線を向ける。
不意にメイドから目を向けられ、ブロッケンは一瞬たじろいだが……すぐに苛立ちながらに「なんだお前は」と睨みつけた。
「はばかりながら、女王陛下の代わりに私が陛下のお言葉を代弁するように、と」
「なにぃ……? ふん、メイドごときが女王の代弁だと?」
「ブロッケン様、私はあくまでただの女王陛下付きのメイドですが、陛下は私に代弁せよと仰っております。軽々に考えることのなきようにお願いいたします」
「む……」
たかが猫獣人のメイドごときが、と、怒鳴りつけそうになっていたブロッケンだったが。
この猫耳メイドの妙な威圧感と場慣れした感じとにブロッケン自身も妙な警戒心を抱いてしまい、「下手に感情的になるのは危険か」と、それ以上の追及はなんとか思いとどまる。
そうこうしている内にラッセルが驚いたような表情でサララを見ていたが、当の本人は「女王付きのメイドのサラ」で通していたのと、フニエルがこくこくと頷いていたのとを見て「そういう事か」と、それとなくその助け舟の意味を悟った。
「まず、今回のご婚約の件ですが、当然ながらこれが原因でお二人のご成婚が遅れては問題になりますので、女王陛下は予定通り、バークレー入りすることとしたい、と」
「……ほう。つまり、我が王と面会していただける、と受け取ってよろしい訳か?」
「ええ。ですがその為には、一つ条件がございます」
まずは見せかけの餌をぶら下げる。
これで相手はその話が自分たちにとって好都合なのだと理解する。
そう感じると、その餌がとても魅力的に見えてくる。
サララは、見せ餌でブロッケンの気を惹くことに成功した。容易いものである。
そうして引っかかったら、条件を一つだけ提示する。
この一つは、とても重要なもの。それでいて、相手も簡単に飲める程度の物。
「バークレー王との謁見は女王と王との面会の場でもあります。バークレー側の方に守られるばかりでは国と国の威信にも関わりますので、エスティア側からもきちんと護衛と、信頼のおける傍仕えの者達を共連れとして連れていきたいのです」
「……つまり、我が国の警護を信頼していないと?」
「女王陛下はそのようなことは思っておりませんが、それはそれとして、国家を率いる立場にある者が、たとえ安全だからと護衛の一人も連れずに他国に渡れば、それは国家としての威信にもかかわる重大事。たとえ自らの婚儀に関わることとはいえ、おいそれとできることではございません」
「……それは、お前自身の意見か?」
「まさか。私はただの無知なメイドですわ。政治のことなど解ろうはずもございません。全ては女王陛下のご意思ですわ」
私はただの代弁者ですので、と、にこり、微笑む。
だが、ただのメイドが笑みを見せているだけだというのに、ブロッケンはそれがどうにも厄介な、面倒な相手のように思えてしまっていた。
自身の、王に関わる職務に携わってからの経験から来る嗅覚が、「こいつとまともにやりあうと面倒くさいことになりそうだ」と感じさせる。
要求する内容も、何も無暗なことを言っているわけではない。
ここは無為に突っぱねるより、受け入れる度量を見せたほうが都合がいいだろう、と考え、それでも渋々、といった表情で「仕方ないな」と受け入れて見せる。
「女王がそう仰るならば仕方ない。だが、本当に女王の意思なのか? そうなのですか女王?」
そうかと思えばフェイントじみてフニエルに直球で言葉を飛ばす。
不意打ちに遭ったフニエルは「ふぇっ」と泣きそうな顔になるが、全く焦った様子のないメイドの顔を見てコクコクと頷いて見せた。
話を合わせる、という意思はあるらしく、ブロッケンに怯えながらもブレたりする事はなかったのが、サララにはありがたかった。
「彼女もそれでいいと言っている。僕も……それがフニエルの決断だというなら反対はしないさ。ブロッケン、君の要求は通ったんだからもう満足だろう? これ以上彼女を怯えさせないでくれ」
「これはまた……私は別に、女王陛下を怯えさせる気など毛頭ないのですが、な!」
「君の顔は怖いのだ。若い女性には刺激が強すぎる」
「これはあんまりな言葉ですな……ふん、まあよろしいでしょう。では予定通り、女王には我が王との面会をしていただきましょう」
それでよろしいですな、と、再度確認するようにサララに視線を向け……しかし、サララは微動だにしなかった。
ブロッケンとしてはそれでこのメイドが頷くようなら「やはり貴様の意志ではないか」と殴りつけてやるくらいのことはするつもりだったが、あくまで主人の意志に従っているだけ、という体で通そうとしている以上、何かができたわけでもなく。
ただただ涙目の女王が壊れた機械のようにこくこく頷いているのを見て、「確かに怖がらせてしまったようですな」と、内心で少し傷つきながら引き下がることにした。
「うぅ……怖かった、です……」
「フニエル様っ!」
そうしてブロッケンが戻っていき、ようやく場の雰囲気が緩和された辺りで、フニエルはくた、と膝から崩れ落ちてしまった。
緊張の糸がぷつりと切れ、力が抜けてしまったのだ。
すぐにアリエッタとサララがその体を支えたが、どうにも立てないようなので、そのまま玉座まで運んで座らせる。
ラッセルも後頭を掻きながら「ごめんよ」と、バツが悪そうに謝罪した。
「本当なら僕が彼を抑えなくてはいけないのに……君に怖い思いをさせてしまって」
「ラッセル様は何も……それに、私も、ラッセル様が『親不孝』とか言われ続けるのは見たくありませんでしたし……」
「僕が悪く言われる分には我慢もできるさ……でも、本当に良かったのかい? 護衛が付くと言っても、どれだけあてになるものか……恐らくは、その護衛も国王派の息がかかった者達だろうし」
何が起きるか分からない、というのがラッセルの懸念だった。
勿論、暗殺や誘拐など、国と国の関わりに影響するようなことはないだろうが。
とはいえ、何かに焦った末に暴発しかねないのもまた大きな問題なのだ。
ラッセルとしては、ブロッケンに対して出した条件はフニエル自身の意志ではないにしろ、多少なりともフニエルにとって都合のいい、フニエル自身も望むもの、というのは察していたが。
それでも本当にそれでいいのか、どうしても確認せずにはいられなかったのだ。
そうしてフニエルは「はい」と、くたびれたような顔ではあったが、なんとか笑顔を作りながら頷いて見せた。
「ラッセル様がそれで父君に認められるのでしたら……それに、私にとっても信頼のおける方を連れて行っていいようですから……アリエッタと、サラにはついてきてほしいのです」
「それはもちろん構わないけど……」
フニエルにとって信頼のおける二人。
しかし、ラッセルはそのうちの一人の正体にはもう気づいていた。
だから、そのもう一人の意図が知りたかったのだ。
じ、と視線を向けられていたのに気づき、サララはにこやかあに微笑みを返す。
「まあ、光栄なお話ですわ。バークレーという国がどのような国なのか、とても楽しみでございます。お話では、相手方の国王陛下との謁見の場にまで連れて行っていただけるとか」
「それはまあ……でもサラ、今のはちょっと話過ぎだと思うわ。フニエル様と、ラッセル様のお話中なのよ?」
「いいんですよアリエッタ。サラは、信頼できます……さっきも、頼りにしてしまいましたし」
「フニエル様……」
長年自分に頼りっきりだった主が自分以外の者に信を寄せるというのは、侍女としては複雑な気持ちではあったが。
それでも、フニエルが自分を見て微笑みかけてくれるのが、アリエッタには嬉しかった。
「勿論貴方のことも信頼しています。一緒に来てくれますか?」
「勿論ですわ! このアリエッタ、フニエル様とでしたらどのような場であっても!!」
「あは……ありがとうございます。二人とも、ずっと私の傍にいてくださいね」
それは、主人としては威厳のかけらもないお願いだったが。
だが、実の姉であるはずのサララでも「こういうお願いをされると弱い」と思えてしまった。
末の妹フニエルは、気弱ではあるが、臆病ではあるが、どこかこう、「守ってあげたい」「支えてあげたい」と感じさせる一生懸命さがあって、大変可愛らしかった。
「……まあ、君がそれでいいなら。もちろん僕も君の味方だよ。もしかしたらバークレー国内は君とエスティアにとって望ましくない者もいるかもしれないけど……僕は、ずっと君の味方だから」
「ラッセル様……はい! 私、頑張りますねっ」
そしてそのひたむきさは、ラッセルにとっても眩い、太陽の日差しのようで。
この眩さが、暗雲に包まれたままの母国を救ってくれる奇跡の光なのではないかと、そんな気持ちにさせられていた。
ただのかよわい、何も知らない少女だった少し前と違って、今のフニエルは、ラッセルにとって大切な宝物のような存在になってしまっていたのだ。
差し出した手を取り、頬を赤らめる少女に、ラッセルも自然口元が緩んで。
「こほん……それではフニエル様。そろそろお風呂とマッサージのお時間ですので」
「あ、はい……それでは、ラッセル様」
「うん。またね」
そのままだといつまでもいちゃついていそうな二人に、「ちょっと可哀想かも」と思いながらも、サララは先を促した。
日課がまだ終わっていないのだ。それだけではない、謁見に連れている人材。
これを決めなくてはならないのだから。
そうしてフニエル達が私室に戻っていった後、ラッセルはぼんやり、先ほどのメイドを思い出す。
「助けてくれた……んだよな? 何を考えているんだい、君は……」
昔好きだった猫獣人の姫君がいた。
大変可愛らしく、とても賢く、そして自分本位な姫君だった。
調子に乗っていた頃の彼にはそんな姫君ですら「バークレーの前になら跪くはず」と考えていたが、調子に乗り続けた末に頬を叩かれ本気で怒られて以来、自分のしでかした事のバカさ加減に気づかされ、以降は女性の扱い方を真剣に学び、パーティー会場でも「女性に優しい王子様」で通るようになった。
大国ラナニアの王女からも「随分周りが見えるようになったのね」と褒められるようになった。
けれど、二度と彼の前にその猫獣人の姫君が現れることはなかった。
噂ばかりはよく聞いた。
各地を荒らして回った大盗賊団『ひまわり団』が、大胆にもエスティア城に襲撃をかけたらしい、という話。
そうしてさらわれた者たちの中に、その姫君もいたのではないか、という話。
しかし、実際にはその証拠もなく、城に残されたのは猫にされた王族のみ。
初めて見た時は驚きとともに「バカにされているのか」と思ったが、どうやら性質の悪い悪魔か何かに狙われたらしく、本当にそういう呪いにかけられたらしいと聞いて「じゃああの娘も猫になったのか」と、ため息交じりで諦めたものだったが。
何の因果か、こうしてまた自分の前に現れ、そして彼女は、自分の婚約者のメイドに扮していたのだ。
一体何を考えているのか。国に対しての愛情はあるのだろう。
国をバカにした自分を叩いた彼女は、本気で怒っていたのだから。
そう考え、ラッセルは「きっと家族も大切に想ってたんだろうな」と思い至り。
妹を助けるためにしては随分と大仰なことをしているように思えて、つい吹き出してしまう。
(君がどこで何をしていたのかはわからないけど、相変わらず君は僕の予想外のことばかりするんだなあ)
あの場面で介入されたのは、ラッセルにとっては予想外この上なかった。
仮に、彼女がフニエルの助けになりたいからとメイドの振りをしていたのだとして。
わざわざあの場で自ら目立つようなことをするのが合理的かどうかというと、何とも言えないところである。
だが、その予想外のおかげでラッセルは苦境から救われた。
フニエルも納得していた。信頼していた。
つまり、彼女はメイドとしても優秀なのだろう、と。
(……僕としては最高に好みだった女の子が今好みの女の子のメイドやってるっていうのは色々心臓に悪いんだけどね……絶対にフニエルを傷つけないようにしないと)
――今度はひっぱたかれるだけじゃすまないかもしれない。
かつての怒り顔を思い出してかすかな恐怖を覚えながら、それでいて懐かしい気持ちにも浸りながら、ラッセルは自室に戻っていった。