#14.壊せない壁、そして
その後も一行は炭鉱の内部を見て回り、炭鉱内の簡易休憩所でガス災害防止用に連れられているのだという『カナカナ鶏』を見たり、かつて落盤した場所を見て何がダメだったのかの説明を受けたりして、炭鉱に関しての理解を深めていった。
(なんか……思ったより普通に面白いんですが)
(うむ……私は疲れたが、確かに、本当に参考になることばかりで目が離せん……)
本来なら視察も適当に済ませ、「少し自由に見させてくれ」とでも言ってこの炭鉱に眠る『宝』とやらの正体を探るつもりだった二人だが、カオルもコールもそんな気が薄れるほどに、目に入ることすべてが目新しく感じられて夢中になってしまっていた。
ラッセルも今のところ何かを隠したり焦ったりする様子もない為、「恐らく例の一件はブロッケンの独断なのだろうな」と、二人は考える。
「これで後は最奥の切羽以外はお見せした感じですね。そちらは何が起きるか分からず危険なので、できれば……」
「うん……?」
先ほどの『エキスパートが掘っている最先端』を除き、一通り見て回った後、ラッセルが締めくくりの話をしようとしたちょうどその時である。
コールの耳がぴく、と揺れ、何事かを察知した。
その場で首をかしげるコールに、ラッセルは「どうかなさいましたか?」と問いかけると、コールは「ああ、いや」と、その最先端の切羽へと続く穴を見やった。
「何やらトラブルがあったようだな、と。小気味よくツルハシを叩き付ける音が止まり、炭鉱夫らも疑問の声を上げているようだ」
「トラブル、ですか……? ちょっと見てきてくれ」
「はっ」
コールからの無視できぬ一言に、ラッセルは眉間に皺を寄せ傍に控える護衛の一人を向かわせる。
それから「何事もなければいいのですが」と、苦笑いを見せる。
「向こうからは『叩けない』『硬すぎて無理だ』と……口々に話しているせいで具体的な事までは聞き取れないが、何か硬いものでも出たのだろうか?」
「ダイヤモンドの原石とかなら嬉しいのですが」
「ははは、それはいいな。しかし、炭鉱夫達がツルハシを入れられないくらい広範囲に出たとなると……」
「かなり広範囲にそれが出たって事ですかね? 原石ってのがどれくらいか分からないですけど、そんなにでかくなるんですか?」
「いや、大き目のダイヤでも片手に収まる程度のものだろうし、原石もたかが知れてる程度だと思うんだけど……そう考えると……」
ダイヤの下りはあくまで楽観的な、ジョークとも言えるものだったが、一般に鉄でできたツルハシの刃が通らないほど硬い物質が地中に埋まっているというのは、ラッセルにも想像がつかないことであった。
ほどなく向かわせた護衛が戻ってきて、「話を聞いてきたのですが」と、困惑した様子で説明を始める。
「炭鉱夫達の話によると、『見たこともないくらい硬い壁が出てきた』とのことで、打ち込んだツルハシの先端が歪んでしまうほど、硬い岩盤にぶつかったようなのです」
「道具が壊れるくらい硬いのか……」
「ツルハシそのものは先端を交換すればいいのだろうが、ツルハシが歪むほどの岩盤となると……」
そこに何があるのかは分からないが、コールはその話から「これはもしや」と、ここにきた目的に行き当たる。
カオルの方を見ると、カオルもやはり同じ結論に至ったようで、ラッセルをじ、と見つめていた。
「直接見に行けないか? 何が起きているのか気になる」
「いや、しかし……場合によっては危険なことになるかもしれません。切羽の最先端は不安定なことも多く、ちょっとの判断の遅れで落盤に巻き込まれたりすることだってあるんです。水が出ることだって――」
「だが、ここで何かが起きた時に『原因はわかりませんでした』で片付けられても困る。場合によってはここと同じように硬い壁とやらが他の鉱山でも出てくるかもしれないしな」
「それなら僕が調べて、詳細にレポートを作成しますので、それでなんとかいきませんか?」
要人の安全がかかっている以上、ラッセルもこのコールの相談には食い下がるばかりである。
護衛の話によれば「今のところ作業場の危険はない」とのことだが、何かが起きてからでは遅いのだ。
これにはコールも「強情な」と軽い苛立ちを覚えたが、カオルがぽん、と肩を叩き首を振ってくるのを見て、それを引っ込める。
自分たちは、あくまで視察に来ている側なのだ。
無理を言って見させてもらっている手前、気になるからとごり押ししていいはずがない。
「いや、すまなかった。気になりはするが、確かにラッセル殿の言う通り、危ないものな。だが後で詳細に調べてもらえると助かる」
「こちらこそ。万全を期した上での採掘ではありますが、僕だけでなく、奥のエキスパート達が解らないことが起きている以上は、安全を重視したいので……」
ラッセルにとってみれば義理の兄になる予定の相手である。
本来なら少しでもいいところを見せて得点を稼ぎたいが、だからといって危険な場所には立ち入らせたくないし、無事帰ってもらわなくては困るのだ。
幸いにしてコールが引き下がってくれたので一安心であった。
胸をなでおろしながら、様子を見てきた護衛に「すまないけど」と、奥の情報を収集するように命じ、炭鉱を後にする。
幸いにしてその後、事故などが発生した事はなかったらしいが、その切羽は一面全て硬い壁に阻まれ、掘り進むことができなくなってしまっていた為、採掘が断念された。
その日の夜。
猫獣人の炭鉱夫らがグリフォンで帰還した後、責任者たるバークレー側の炭鉱夫達は、炭鉱近くの拠点で一連の出来事について話し合っていたが、結局「明日からは別の場所を掘ろう」と、次の方針を決めるだけにとどまり、全員が就寝する。
全てが寝静まった炭鉱の夜は、とても穏やかで冷たい風が吹いていた。
「――とうとう掘り進んだようね。思ったよりも深い場所にいたものだわ」
誰もいないはずの炭鉱。
誰もいないはずの最先端の切羽。
そこに、『彼女』はいた。
腰ほどまでの長い亜麻色髪を炭鉱風にたなびかせ。
魔人・ピクシスは、最奥の黒い岩盤へと手を触れる。
「『ガラガンディーエ』? 目は覚めているのでしょう? バゼルバイト様は気づいてらっしゃったわよ?」
どこか親しみを込めたような声は、しかし虚しく炭鉱に木霊するばかり。
ところがどうであろう、しばらくすると炭鉱そのものが揺れ始めるではないか。
パラパラと細かな石炭や石片が崩れ落ちるが、ピクシスは眉一つ動かさない。
ほどなく、岩盤の中に鼓動のようなものを感じたからだ。
『――その声は、ピクシスかね? やあ、久しいな』
響く声はそれだけで炭鉱を揺らし、一部を崩落させてゆく。
ピクシスも「そうね」と口角を吊り上げ、岩盤に触れていた手を腰に向け、剣を手に取り軽く振るった。
《ピシャッ》
何かがひび割れる様な音が高い音が響き、揺れが収まる。
『共鳴阻害か。実に懐かしい……』
「貴方が安全だと思って眠りについたこの山も、今では炭鉱として掘り進められ、人間たちの目に収まるところまで来ているわ」
『ああ、それで最近やたらカチカチとうるさかったのか。鱗の……どこかはわからないが、パチリパチリと何かが当たっているような気がして鬱陶しかった……』
「掘っているのが人間でよかったわね。猫獣人の炭鉱夫だったら貴方、ずたずたにされていたわよ?」
この壁の主――ガラガンディーエは、この地に封印されていた古代竜である。
かつて魔王アルムスルトの覚醒に先立って世界中で大暴れした古代竜達は、勇者の登場とともに各地の人類を相手に奮戦するも虚しく撃破されたり、封印されたりしていった。
そんな中、古代竜達の中でも上位にあったガラガンディーエは、自らの死を回避するため、奇策に打って出ることにした。
それが、この山中――自分達の天敵たる猫獣人達の足元に、自分自身で封印を施すことによって安全を図る、というものであった。
猫獣人は対竜戦闘において絶大な力を誇り、対古代竜戦においては数多くの猫獣人達が各地に派遣されていた。
特にその猫獣人が集まるエスティアの地は『女神に与えられし土地』として神聖なる加護を受けており、犬獣人達の聖地『リーヒ・プルテン』と並び、古代竜が進撃するすることのできない絶対不可侵の聖域と思われていた。
古代竜は生命活動を続けている限り運命の女神アロエにその存在を定期的に探知され続けるが、封印された場合はその限りではなく、また封印下にある古代竜は時間そのものが停止している為、討伐することができない。
これを利用し、猫獣人達の手の届かない山の内部に入り込み、自らに多重封印を架して女神の探知を回避したのだ。
だが、その封印も解け、彼はまた目覚めてしまった。
これは遠からず、この地に勇者が訪れることに他ならない。
すぐ近くまで猫獣人達が来ている環境、というのも彼には悪い材料であった。
『猫獣人ならば、私に近づいた瞬間に気づいていただろうからな……あの場にいたのが人間だけでよかった。ああ、猫獣人は怖い。私はあいつらに一度、左の三番目の目を潰されたんだ』
「単独でも未覚醒の古代竜くらいなら倒せるのが猫獣人の大人だものね。どこにでも売られてるようなツルハシ一つでもドラゴンキラーになりかねないし、あの場でバレていたらシャレにならなかったわね」
『全くだよ……それで、わざわざ君が私に会いに来たという事は、以前話していた計画とやら、実行に移す気になったのかね?』
「ええ、そのつもりらしいわ……陛下も悩んでおられたけれど……」
『くくく……それはいい! 私も正直、運命に翻弄され続けるのは疲れたよ。私たちはただ食事をとって生きているだけなのに、それだけで目の仇のようにされるだなんて、辛すぎる』
「捕食者から見たらそんな気持ちでしょうね。捕食される側は……必死に抵抗しているだけなんでしょうけど」
古代竜としてはかなり穏やかな口調で話すガラガンディーエに、ピクシスは口元に手をあてながら上品に微笑む。
「貴方たちの数も随分減ってしまったわ。最近ではシャリア・シャギアとレトムエーエムも……」
『レトムエーエムの坊やが死んだのは、まあ……しかしシャギアが死んだとは……何を相手にしたんだい?』
「解らないわ。こっちも全く観測していなかったから、異世界人がらみなのかもしれない。あるいは猫獣人かも……あっちはオルレアンに隠れていたのよ。貴方と同じように、自分に封印を施してね」
「あの狡猾なシャギアがなあ……私はあいつとも付き合いが長かったが、それでも他の者達と違って自分勝手だったから、あまり好きではなかったが……しかし、あれほどの者が死ぬとは」
解らないものだなあ、と、ため息交じりの声が響く。
直後、炭鉱風が強く吹き荒れ、ピクシスの髪やスカートをたなびかせた。
髪を抑えながら、ピクシスが「やめて」と呟く。
すぐに「ああ、すまない」と、申し訳なさそうな、人のよさそうな声が響き、風が止んだ。
『丁度3対ある鼻の孔の一つに繋がっているようでねえ。おかげで息苦しくはないのだが、鼻の中にゴミがちょくちょく入り込んできて困る。クシャミをするわけにもいかないし……ブレスを一吹きできればすっきりするのだが』
「やるなら人のいない時にして欲しいわ。貴方のブレスは私でもまともに受けたら痛いじゃすまないし……」
『ははは、私が君に危害を加える訳がないだろう? 我が愛しき姫騎士ピクシスよ』
「……やめて。私はお姫様なんかじゃないわ。ただの殺人鬼よ。殺人鬼が、たまたまこの世界で魔人になっただけ」
『関係あるものか。女神の加護など受けずとも我ら古代竜と唯一互角に渡り合える同格の存在、魔人。その中でもひときわ美しい君ならば、我が妻にふさわしいとずっと思っていた。私の姫君なのだよ、君は』
「異世界にきて、まさか大きなトカゲの化け物に求愛されるなんて思いもしなかったけれど。今では悪い気はしないのよ?」
少なくとも彼の言葉を受けても嫌悪感を覚えない程度には。
ピクシスは、この古代竜の情熱的なセリフに、笑顔で受け答えしていた。
彼女にとって、人外は決して珍しい存在などではなく。
そして、人外は存外、人間らしいところもあるのだと知っていたから。
何より今、彼女はその人外の側の陣営に立っているのだから。
「まあ、魔人とはいっても所詮は元人間だから、貴方との間に卵を産むのは無理でしょうけどね?」
『それが残念でならない。君の仲間には竜と人とが交わったような奴もいたが、異世界人も世界によってはそれが可能なのだろうな』
「ベギラスの事? ええ、そうね。彼の世界では――けれど他の仲間の世界では、貴方のような生き物は知恵ある生き物として畏敬されていたらしいわね。人間が交わるなんて畏れ多い、って」
『畏れ敬う対象にされるというのは面白いな。この世界では我らはただただ恐れられ、憎まれるばかりだというのに。生まれる世界が違えば、尊敬されることもあったのか……我々は』
「……本当に。生まれる世界の違いって、残酷だわ」
『世界が違えば……君と本当の意味で結ばれる事もあったのだろうか。ああ、こうして話しているだけでも幸せだが、もっと君と触れ合えればなあ』
恋人というにはもどかしく。
妻にしたい女性にそれ以上手を伸ばすこともできず。
ガラガンディーエは叶わぬ願望を呟く事しかできぬ。
ピクシスも、同じくらいに残念な気持ちになっていた。
(他者と愛し合えるというのは幸せな事……それがたとえ古代竜とだとしても……誰からも愛してもらえなかった私にとって、この世界は幸せなはずなのに……)
彼女にとって、この世界は幸せに溢れたものに映っていた。
彼女のいた世界は、愛に乏しい世界。
多くの人が機械的に子供を作り、当たり前のように我が子を他者に預け、子の顔すら見る事無く働くだけの日々を送る。
労働こそが全てを生み、労働こそが全ての赦しであり、労働こそが全ての価値の源であった。
子供を作る事すら労働であり、子供を育てる事すら労働であり、そして子供とのコミュニケーションすら労働だった。
働く事しか許されない世界は、表向きばかりは豊かであったが、人の心は荒み続け、狂ってしまう者が後を絶たなかった。
だが、歯車が狂っても別の歯車がそこにあてがわれるだけ。
昨日まで隣で同じ労働をしていた女が狂って殺人鬼になっても、誰一人彼女を顧みることなく、自分の目先の労働だけを見ていたのだ。
それが、この世界では至る所に愛が溢れていた。
彼女は驚きとともに、「これこそが理想だったのだ」と、涙を流して自分を転移してくれた『女神様』に感謝した。
そうして彼女は異世界からの技術者として、この世界を繁栄させる為に努力することになった。
「――貴方だけよ。心の底からそう思ってくれるのは。私と同じ気持ちになってくれるのは、貴方だけ」
結果として、彼女の見た理想の世界は、幻想だった。
確かに愛はそこにあった。けれどそれは多く一方的なものであったり、独善的なものであった。
彼女は異世界に来て初めて「愛にも様々な形があるもの」と知ったのだ。
そして「愛の中にも望ましくない形があるのだ」とも。
愛を渇望して狂った女は、今度は人々の愛の歪さに気が狂いそうになった。
そしてその苦しみは、魔人となってからもしばらくは続き――目の前の、黒い壁の主に見初められ、ようやく終わった。
「だから、ねぇガラガンディーエ。ここから逃げて頂戴。今ならまだ、人間達も猫獣人達も気づいていないわ。女神も遠い。私達のところに来てくれれば、しばらくは手出しされないわ」
『極東か……だが、魔王らは私を快く思ってくれるかどうか。バゼルバイトは、我ら古代竜を憎んでいるからなあ』
「安心して、陛下にはもう許可を取ってあるの。バゼルバイト様も難しい顔をしながらお許しになってくださったわ」
『あのバゼルバイトが……くくく、いや、ありがたいなあ。ありがとう、ピクシス。君がいるなら、安心して飛べる』
共鳴遮断によって支配されていた空間が、再び揺れ始める。
ぐらりぐらりと大きく揺れ、まるで霧のように砂粒が、石炭クズが舞い。
天盤が崩れていき、次第にその黒い壁が、彼の体にしてみればごくごく小さな鱗に過ぎなかったのが露わになってゆく。
「そうよ――それでいいわ。古代竜ガラガンディーエ、我が愛しき人。私と一緒に、空を舞いましょう!!」
愛する姫騎士の言葉とともに、炭鉱は激しく揺れ動き崩れてゆく。
3対の眼がギョロリと動き、視界に自らの姫君の姿を捉え、喜びに打ち震えた。
こうして古代竜ガラガンディーエは、冷涼なる夜のエスティアに、再び顕現した。