#10.ラッセルの真意
翌日の昼下がりのことである。
民の多くがお昼寝タイムから目覚めるころ、突如として王都セントエレネス、次いで王城門前でざわめきが起こり、城内でも「何事か」と侍従らが困惑していた。
それ自体は城内にいたフニエルやラッセルにも届いていて、状況がはっきりしないままに城内にまでざわめきが伝染した辺りで、ようやく明らかになる。
「――コール兄様が?」
「え、ええ、そうなのです。突然お帰りになられて……『フニエルと会わせろ』と」
コール第二王子、私兵を引き連れ帰還せり。
その報は、妹であるフニエルからしても喜ばしいもののはずだが、さすがに突然すぎたからか若干の混乱を以って受け止められ、フニエルを神妙な面持ちにさせていた。
「嬉しいことではありませんか」
だが、不安になりそうになっていた女王の心を、すぐに上書きしていくメイドがいた。
サララである。
傍にあって、兄の帰還がスムーズに進むようにサポートしていた。
「コール王子と言えば、政務に長けた方だと噂に聞いたことがありますわ。陛下にとっても、心強い味方になるのでは?」
「そ、そうでしょうか……? ううん、そうかも……確かにコール兄様には、お勉強も教えてもらった記憶があります」
「でも、突然戻られたのは……今までいらっしゃらなかったのはなんでなのかしら……」
「さあ、そこまでは……ですが、フニエル様にとっては待ち望んだ、自分を助けてくれるご家族なのでは?」
「そうです……そうなんです! ずっと前に助けてほしくて儀式を行ったときは無理だったけれど……きっと兄様は、自力で解決なさったんです! 早速会ってみましょう!! アリエッタ、セッティングを!」
アリエッタが余計なネガティブ要因ではあったが、上手いところフニエルを誘導することに成功し、円滑にコールとの面談へと進むことになった。
これにてサララは一安心である。
「……何もかもが懐かしい。私が城を出てから、ここは全く変わらんな」
城内中庭。
フニエルと面談する部屋はまだ決まっていなかったが、城内入りしたコールは、私兵らを門の内側にて待たせ、ここでひと時のノスタルジックに浸っていた。
子供のころから物静かで書に耽るのを好んでいた彼にとって、この城内の中庭は最適な場所で……気に入っている一角だった。
「おや、鉢合わせましたか」
「そうみたいっすね」
そんな物思いにふけっていたところで、別の入り口から二人の男が現れる。
一人はラッセル王子、そしてもう一人は……カオルだった。
「……む」
自分が城を出るきっかけになった男。
それが今目の前にいた。
腹立たしくも感じたが、今は妹の婚約者。妹の思い人である。
表情には出さずに、中庭へ入ってきた王子に「久しいな」とだけ声をかけた。
カオルに関しては、ラッセルと城内で会話する仲だと聞いていたので、敢えて無視である。
「驚きました。不幸にもグリフォンにさらわれたと聞いたもので……ですが、ご無事で何よりです」
「そう思ってくれるか?」
「ええ。もし亡くなられでもしたら、それも我が国の暗躍によるもの、と勘繰る方が出かねないですから」
ラッセルとしても、婚約者の兄を相手にわざわざケンカを売るつもりもなく、困ったような笑顔で応対しながら芝の上に腰掛ける。
いつもの、お決まりの昼寝スポットであった。
「そこは、私が本を読むのによく使っていた場所だ」
「そうなのですか? 確かにいい寝心地でした。隣、空いていますが?」
大の男が並んで座っても、十分なスペースはあった。
奪い合う必要すらない。
コールからすれば幼少のころからの自分の場所を取られた気になってはいたが、「そんなことにこだわるのもばからしいか」と、小さくため息をついてラッセルの隣に座る。
「君も、休みに来たんだろ? サンドウィッチは?」
「ははは、いいんですか? じゃあ、お言葉に甘えて……」
流石に王子の隣に座るのは、と迷って見せていたカオルだが、そのうちにラッセルから誘われ、遠慮がちに頭を掻きながら、サンドウィッチの収まったバスケットを手にラッセルの逆隣りに座る。
そうして、いつもの調子で「どうぞ」と、ラッセルにバスケットを渡すのだ。
ラッセルも慣れた様子で「ありがと」と、それを受け取る。
奇妙な交友関係に見えたからか、コールは「どういうつながりなんだ?」と目を白黒させたが、ラッセルは気にしない。
「いやあ、ここってなんか落ち着くんですよね。嫌なことがあっても、ここにいるとちょっとだけ癒されるっていうか」
「……そうか?」
「ええ。僕もこの国に来てから色々疲れることがあって……」
バスケットを開きながら、中に入っていたサンドウィッチを「おおこれこれ」とはにかみながら一つかみに手に取り、一つを隣に座るコールへと差し出す。
コールも、話を聞きながらつい受け取ってしまい、そして問う。
「疲れることというのは、フニエルとのことでか? それとも、何か……面倒ごとでも?」
「フニエルとは良く付き合っている、とは思ってますよ。ただもっと打ち解けたいなあ、とか、もっと親しくなりたいと思っています。遊びに行ったり、政治抜きでおしゃべりに始終したり、ね」
「まるで市井の恋人同士のようだな?」
「物語の恋人同士、みたいなのを想像してたんですが……確かに、そうかもしれません」
受け取りながら魚と葉物野菜の挟まったそれを食み、「美味いな」と思わず呟いてしまう。
それを聞いてか、カオルは照れ臭そうに「へへ」と頬を掻いた。
ラッセルも「ああ」と満足気である。
「それ、彼が作ったものらしいですよ? 料理人としての技術は確かだと思うんですけど」
「これを君が……?」
コールからすれば、妹の恋人として紹介された相手である。
手紙の内容だけを見れば各国の危機を救った英雄という話で、それこそ今まで自国を守り続けてくれたエルセリアの危機すら救ったというのだから、救国の英雄として大層な扱いを受けていておかしくない男であった。
少なくとも女悪魔ベラドンナを傅かせていたのだから、ただものではないのは確かだと思っていたが。
それらとは全く別方向で「こいつやるな」と舌を巻くことになったのだ。
そんな男が、料理人のような恰好をしていて、料理人をしていたのだから。
これはコールにとっては完全に予想外だった。
「今日はヨリトモの塩漬けをミミの実とオイルで漬け込んだ奴と、薄青菜のサンドなんですけど……お口に合いますかね?」
「合う合う。美味しいだけじゃなく毎回違うもの作って、その上で口に合うんだからすごいよ、君は」
「……彼は、王子とはよく?」
「ええ。たまたまここで会ってから、大体毎日ですかね? まだそんなに日は経ってないけど、不思議と長い付き合いのように感じてしまっていますね」
それは先ほどのバスケットの受け渡しの自然さを見てもわかるもので。
ラッセル自身もなんでそうなったのかは分からなかったが、このカオルという男とは、普通に打ち解けてしまっていたのだ。
昼寝の邪魔にもならないし、話していて退屈はしない。それでいて美味いものを作ってきてくれる。
用意されたものは余った食材で作ったラフなサンドウィッチだったが、それでも王子にとっては新鮮で、そして味わい深いものだった。
「彼はいろんなところを旅してきたんですよ。エルセリアの各地から、ラナニア……こっちにきてからはそんなに経ってないんだっけ?」
「ええ。もともとはエルセリアを拠点にしていたので……でも、いろんなところの料理を実際に味わって、いつかはこのエスティアの料理も覚えたいですね。バークレーも」
「ははは、それはいい。この城で働くのに飽きたら、是非バークレーで店を開いてくれよ。通うよ」
もちろん城の料理人でもいいけど、と、笑いながら手の内のサンドウィッチを平らげ、腕を枕に横になる。
ラッセル王子は、まことこの場において自由だった。
それが、コールには不思議でならない。
「……私が城にいたころより、今の貴方は随分と幼く見える。いや、悪く言うつもりはないのだが」
「分かる気がします。僕は、城を出たばかりの頃はまだ、世界のことなんて何も考えてない、自国が一番だって考え持ってましたから。バークレーだけが、僕の世界だったんです」
そのまま寝たりはせず、無作法ながらバスケットに手を伸ばし、もう一つ口に入れ。
そうしてそれを手に取りながら、口に含んだ分を小さく噛んで飲み下す。
「……はあ。でも、この城に来てから僕の世界はどんどん広がっていったんですよ。バークレーだけじゃない、本当の世界に気づいた。いろんな国があって、いろんな事情がある。それはもちろんこの国だってそうで、僕の国だってそうだった。問題は、何もこの国でだけ起きてるわけじゃなかったんです」
「バークレーに、問題があると?」
「沢山あったんでしょうね。だから、他の国の人たちは僕の国を嫌っていた。僕がバークレーの人間だから、沢山の人が僕のことを避けようとしていた……ように思えます。コール王子も、きっとそうだったんでしょう?」
「さあ……それはどうだろうな。何せ私は最近まで猫だったからな」
事実とは異なるが、それでもコールはそういう事にしようと思った。
ラッセルの顔が、あんまりにも子供っぽかったから。
最後に見たのは二年前。
彼はその最後に見た顔が、「こんなにも幼かったか?」と、自分の記憶に疑問を抱いてしまいそうになっていた。
バークレーという国への嫌悪感が、王子の顔を醜悪に歪めて見せていたのかもしれない、と。
では、今の彼はどうなのかと思えば、何のことはない、普通の青年の顔なのだ。
まだ幼さを残す、それでいて自国のことを憂う、王族なりの責任感を持った男がそこにいた。
「僕とフニエルとの婚約で、この城からは沢山の人が去っていったのも知っています。それだけ、バークレーという国がこの国にかかわるのが許せなかったか……不安になったんでしょうね。そして、フニエルが女王になることに対しての恐れも」
「……」
「でも、分かってほしいんですよね……あむ」
寝転がったまま、残りのサンドウィッチを口に頬張り、一気にかみ砕く。
何か話すたびに間に何かを食べるのは、それ自体が気を紛らわせるためか、緊張を紛らわせたいのか。
彼も不安なのかもしれないと思いながら、コールは彼の言葉の続きを、黙って待つ。
「貴方がたの妹は、まじめに女王をやってくれていますよ。僕から見ても危ういと思っていたけれど、それでも彼女はこの国を背負おうと、幼い肩に国を背負おうとしています。だから――」
「だから?」
「だから、どうかフニエルのこと……怒らないでやって欲しいというか。バークレーとの軍事同盟とか、結婚前の王都への招待とか、色々と気になるところもあるかもしれないけど、フニエルは何も悪くないというか」
どんな言葉が出てくるのかと息を飲んでいたら、それは婚約者をかばうものだった。
これには思わずコールも目を見開き、つい、カオルの顔を見てしまったが。
カオルが小さくうなづくのを見て、コールは「いや」と、首を横に振る。
「別に私は、フニエルを怒りに来たのではないのだ。むしろ、フニエルの助けになりたくて来ただけでな」
元々城を出た理由は全く別のものだった。
必要さえあるならフニエルを……妹を手にかけてでも実権を取り戻すくらいのつもりだったのだ。
それが、今の自分の心境の変わりようと言ったら。
つまりは、そんなこと本意でもなかったし、しなくてもいいなら、避けられるなら避けたかったのだと自分で理解してしまって、可笑しく感じていた。
だから、コールは笑っていた。
ラッセルが寝転がりながらまじめな顔をしていたのがシュールなのもある。
口の端にパンくずがついたままなのが笑えたというのもあった。
「そんなにおかしいですか……? あっ……はははっ」
そうして何故笑われていたのか気づいて、ラッセルも釣られて笑いだす。
王子二人、子供みたいに素直な気持ちで笑いあっていた。
「ははは……しかしなんだ。君は私が、フニエルを怒りに来たと思っていたのか? それでここに?」
「いやその……そういうつもりでここに来たわけではないんですけど……でも、聞いていただけるなら、と」
「前のままだったら、聞かなかったかもしれないな。だが、今の私は猫ではないし、君もこの城に来たばかりのころとは違うようだと、今わかった」
「それはよかった……理解されるのって、嬉しいものですね」
猫獣人と人間、種族こそ違えど思うものは同じで、そしてその先にはフニエルという少女がいた。
二人とも彼女が大切で二人ともがこの国を好きだからこそ、分かり合えた。
カオルはなんとなく、そうなんじゃないかと思えたのだ。
男二人、肩を並べ語り合えば分かり合えるものなんだ、と。
「少なくとも、今のバークレーに昔ほどの野心はありませんよ。そりゃ、国は大きくしたいし繁栄させたい。でも、それは人の苦しみや悲しみによって得るべきものではないとも思ってるんです。僕と兄上は」
本当はすぐにでも会談が始まるものと思っていたが、予想外にセッティングに時間がかかっているのか、まだまだお呼びがかかる様子もなく。
今は三人、腕枕のままに横並びに寝転がり、空を眺めながら語らっていた。
「バークレー王……君たちの父上はそうでもない、と?」
「ええ、まあ。でも父上は、ノスで養生の日々を送っていますよ。もう随分前に病であまり出歩けなくなりましてね……」
「バークレー王が?」
コールにとってもカオルにとっても初耳の、驚きの情報だった。
バークレー王が、病に臥せっている。
そんなこと、外交上で容易に耳にしていい話ではない。
「……その、そんなことを私に聞かせて大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないでしょうけど……コール王子は、これを利用しますか?」
「……いや」
利用しようと思えばできる話ではある。
王とは国の顔。
今でこそ第一王子が内政を、第二王子が外交をまとめているとはいえ、王という存在があるからこそその権威には意味が生まれてくる。
故に王無き国とかかわりを続ける国はない。
国の代表たる王がいるからこそ、国は国であるのだから。
その王が床に臥せっている。
そんな情報が流れれば、その弱みに付け入られかねない。
だからこそ通常、王が病に倒れただとか、余命いくばくもないだとか、そんな情報は流さない。
たとえ同盟国であろうと、ぎりぎりまで伏せておくはずである。
エスティアが、エルセリアに長年隠し通そうとしたように。
それをわざわざ聞かせる理由。
コールはそれを考え、ラッセルを慮る。
話してもいい相手と思ってくれているか、それを知った上で、自分たちの心情を理解してもらおうとしているか。
コールは両方だと思っていた。自分を信じてくれたからこそ、信じてもらうために敢えて致命ともなりうる事実を伝えたのだろう、と。
だが、神妙な顔をしていたコールとは裏腹に、ラッセルは笑っていた。
「そんなに重く考えなくていいですよ。エスティアだって国王が猫になっていたんですから、まあ、お互い様くらいに思ってくれれば」
「そ、そうか……」
その猫になった王が、望んで猫をやっている現状は、できれば伏せておきたいと思ったコールであった。
サララにとっても恥ずかしい父だったが、コールにとっても当然、この状況下でも何ら責任を取ろうともしないダメな父親に思えていたのだ。
この問題の大半は、そのダメな父がやる気を出せば全て一日で片付いた問題であった。
コールは、赤面していた。
「まあ、僕が外交のためにこの城に来たことで、初めてその状況が分かった訳ですが……父は相も変わらずというか、変な野心持ってましてね」
「野心……?」
「まあその……代々の王が抱く野心というか。『エスティアを我がものに』って。生きてるうちに猫獣人の姫を僕らの妻にさせたいとか、そんな感じの野心ですね」
「……やはり侵略する気はあったのか?」
「昔はあったみたいですよ? 今は流石に無理だと悟ってか、僕がフニエルと結婚するのを利用して、兄上とも誰かと結婚させようともしてるみたいですけど」
ほんとこれが迷惑で、と、深い深いため息が漏れる。
バークレーの野心そのものは本物で、そして王が健在だったらそれは普通に達成されていたかもしれないという事実は赤面していたコールを現実に引き戻したが。
今度はラッセルのほうが暗い顔をしていた。
横で眺めているカオルは「この人らひょこひょこ表情変わって面白いな」と内心思っていたが、黙ったまま。
この場におけるカオルは、ただのわき役。
美味しいサンドウィッチを提供して場の緊張感をやわらげたところで、彼の仕事は終わっているのだ。
あとは推移を見守るばかりだった。
「昔……何代か前の国王が、猫獣人の姫君かお妃か……とても綺麗な貴人に一目惚れしたらしいんですよ」
「そうか……うん?」
「それで、その後に続く代々の王の宿願になってしまったというか。『いつかあの女を我が物に』っていうのが代々残っちゃったみたいで」
「え……なんでそれが残るんですか?」
黙っていようと思っていた矢先にあまりにも気になる話が飛び出て、カオルも思わず参加してしまっていた。
わき役タイム終了である。
コールも、話を聞いていて「なんだそれは」と首をかしげてしまう。
「城に絵画で残されてて……先代が『これが理想の女だ』って遺したものらしいんですけど、代々の王がそれを真面目に受け取ってしまったというか……幼い頃から刷り込まれた、というか」
「……まさかバークレーが我が国にずっと執着していたのは……」
「ま、まあ、一応経済的な理由もあるんですが。金とか、鉱物資源とか……でも、父上が拘るのは……多分間違いなく」
――惚れた女が猫獣人だったから。
まさかそんな理由で国と国との小競り合いになっていたなどと、誰が気づけようか。
戦時中、エスティアは幾度となく近隣国家から攻め立てられ、国土や利権を奪われ続けていた。
バークレーもその内の一つで、そして戦後の世界においても未だに脅威になっている唯一の国。
その唯一いつまでもしつこく執着していた相手国が、まさか女一人のために攻めていたなどと。
話しているラッセル自身は恥ずかしく感じたのか、今度は彼が赤面してしまっていた。
「いやその……じゃあ、その理想の女性っていう猫獣人の貴人の女性が手に入れば、普通にバークレー的には問題ないってことなんですかね?」
「どうなんだろうね……確かに宿願は果たしたことになるんだと思うんだけど……でもそれって、妻にして仲良し夫婦になれば許されるっていうより、あくまでバークレー的に……その、服従させないとだめなのかなあって」
「……服従って」
「コール王子はご存じないかもしれないけど、バークレーだと、『女性を自分に服従させてようやく自分のものにしたことになる』っていうのが昔からの夫婦観なんですよ。流石に近年だと廃れ始めてますけど」
廃れさせた王子にしてみればそんなものは古臭い慣習に過ぎなかった。
けれど、それはあくまで今に生きる王子だからこそ。
今の世代には許せても、それより前の世代には許せないこと、というのは往々にしてよくあることだった。
「父上は、まだそういう価値観を持っている人みたいですから……だから今でも時々、『ワシの前に連れてきてお前に傅かせろ』ってうるさくて」
「……それは、ちょっと」
「君は、それについてどう思ってるんだ?」
その返答次第ではそれまでの評価は改める、と、暗に含ませながら。
それまでとは裏腹に、コール王子は冷ややかな声で問う。
視線は三人とも空を眺めたまま。
しかし、明らかにそれまでとは異なった空気の重さが、場を支配していた。
「そんなのおかしいって思いますよ。夫婦は、互いに尊重しあうべきでしょう。僕はフニエルより年上ですけど、それでも夫婦になったならお互いのことを想い合うべきだと思いますし、愛情があれば、そこに差異なんてないはずですから」
その返答にはカオルもコールも素直に頷けたが。
それでも、不安がないわけではなかった。
彼はそう思っている。けれど、彼の父は。
そう考えると、手放しに喜べるものではないのだ。
「だから……フニエルに父に呼ばれていることを伝えたとき、正直『断ってくれたら』と思ってたんです。思ってたんだけど……あの娘、素直だから。普通に受けちゃったんですよね。すごくいい笑顔で……どうやって父上の前で乗り切ろうか、迷ってまして」
「その辺の王族の女性ならともかく、女王ですもんねえ」
「例え振りででもそんな真似をすれば、我が国の威信は地に落ちてしまうぞ……それは、ちょっと……」
三人ともが、頭が痛くなるのを感じていた。
難解すぎる。男三人雁首並べて、しかし解決策が浮かばないのだ。
「コール王子は、戴冠する気は?」
一つの解としては、コールが代わりに戴冠することで、フニエルの位を落とし、影響を抑える、というものであるが。
当然ながらそんなラッセルの期待は、コールが首を振ることで砕け散る。
「私はフニエルを支えるつもりでここに……私は、自分に王としての器があるとは思っていなかったからな……」
「それに、コール様が王になっても、結局はフニエル様は……その、服従させられるんですよね、そのままだと」
「そうなんだよなあ……あの娘にそんなこと、させたくないというか……」
ラッセルの悩みは深刻なものである。
愛する少女が自分のために本意でないであろう屈服を余儀なくされるなど、そんなシーン、ラッセルは見たくなかったのだ。
頼めば、あるいは求めればしてくれるであろうとことは解っていた。
だが、ラッセルはしたくなかったのだ。させたくなかったのだ。
「フニエルは、僕の妻になる女性なんだよ? そんな娘に、そんな……旧時代的な、時代遅れな真似なんて、させたくない」
守りたかったのだ。
惚れた女だからこそ、自分の手で。
だが、周りが自分に対し優しいこの城はまだしも、国に帰れば自分に厳しい者ばかりが待ち構えている。
果たして自分にフニエルを守れるのか。
そう思えばこそ……彼は不安がっていた。
「ラッセル王子は、女王陛下のこと、本気で惚れてるんですね」
「……ああ! そうさ。僕はあの娘が好きなんだ。気に入ってるんだ。すごく好みなんだ……昔、好きになった娘に似てたからっていうのもあるけど、最近はそれだけでもなくって。あの娘の純粋さ、純真なところがすごく好きで……守りたいんだ」
「……ラッセル王子」
「だからこそ、男として妻となる女性を傷つけたくない。父上の要求は断固として断るつもりだけど……そうなると、今度は僕の立場がどうなるのかわからない。フニエルを、本当に連れて行っていいのかが解らないんだ」
バークレーとしては、それでもフニエルとラッセルの関係を潰す気はないだろうが。
だが、ラッセルの王子としての立場は、その分だけ危うくなるのは、コールだけでなくカオルでも想像にたやすかった。
王の実権はほぼないとしても、もともと第二王子のラッセルにとって、国への貢献はそのまま彼自身の存在価値にもなっていたのだから。
「……ラッセル王子。それについても私はフニエルと話し合ってみたいと思う。それと……私には、頼れるブレインもいる。そちらとも相談してみよう。私が無理でも、そちらならあるいは……な」
「コール王子……ええ、それについては本当に、お願いしたい。僕だけではもう……それに、お目付けも最近更にうるさくなって……」
「フニエルに関することだ、頼ってくれていい。そのために私はここにいるのだ」
頼れる兄として、と。
口元を綻ばせながら隣を見る。
不安に染まる青年の顔が、次第に安らぎを取り戻していくのが見えた。
そう、これだ。これが見たかった。
誰であれ、不安になって欲しいわけではない。
これはフニエルと実際に話す前の前哨戦のようなもの。
コールにとっては予想外の。しかし、とても都合のいいタイミングでの、ラッセルの本心を知るいい機会となった。
「――会いに来てくれてありがとう。こうして話せて、よかった」
それはラッセルに向けたもののようにも受け取れて、カオルは、自分にも向けられたように思えた。
だから、答えはしなくとも小さく頷いた。
それだけでよかった。
この場では彼はまだ、名もなきコックなのだから。
「お待たせいたしました、コール殿下……あら、ラッセル様」
「会談の準備が整ったか。では参るか……またな、ラッセル王子」
「ええ、また」
――また、この中庭で。
侍従の登場に、コールはすぐさま反応し立ち上がるが、無言のままにラッセルと頷き合った。
それからカオルにちら、とだけ視線を向けたが、カオルは気づかないふりをしてそそくさと立ち上がり、片手だけそっと上げて見せる。
「失礼しますわ」
ただの料理人見習いが、二人の王子と横になって寝そべるなどあってはならない。
いや、この緩い城ならそんなことは言われないのだろうか。問題にはならない気もした。
けれど……一応のけじめとして、カオルは去っていったのだ。
(律儀な男のようだ……それでいて読めぬ。面白い男だな)
その逞しさを感じる背を眺めながら、コールはふ、と笑い、迎えに来た侍従に「参ろうか」とだけ告げた。
去っていくコールを見つめ、ラッセルは「頼りになるお義兄さんだな」と、ここで会うまでかけらも抱いていなかった尊敬の念を感じずにはいられなかった。
自分の悩み、苦しみ。それを理解し、解決してくれるかもしれない。
そう信じながら。そう願いながら。