#8.意味のない呪文は女悪魔のたしなみ
コール王子を仲間に引き入れるため、ベラドンナは昼の内に王子らが潜伏する『ルップ洞窟』に向かっていた。
蝙蝠の姿のまま中に入ると、やはりというか、フードを被った赤眼の青年が、ほかの男たちとともにああでもなくこうでもなく、実にならぬ議論に時間を費やしているようだった。
「――セントエレネスを迂回するのはグリフォンを使えば問題ないとして、城そのものを攻め落とすには……どうすれば玉座の間に抜けられる? フニエルが逃げ出す前に攻め込むには、どうすれば……」
「そも、殿下のお考えになるだけの戦力が整ったとしても、我らの襲来がフニエル様に知れれば、当然フニエル様もなにがしか危機感を覚えて逃げる可能性がございますれば……」
「飛空部隊による強襲は速度と隠密性が命です故、城内からの目が届きやすいバルコニーなどを伝っての襲撃は不作に終わる可能性もございます。それに、多数の兵を載せるだけのグリフォンを用意するとなると、やはりある程度の軍資金と人づてが欠かせませぬ」
何をするにも手が回らないのが現状のようだった。
何より人が集まらぬ。
そして資金繰りも苦しく、改善する目途も立たない。
作戦ばかり考えても、実際にはそれを実行するだけの人材も、それができるだけのグリフォンの数も整っていない。
まさしくこれは、机上の空論を続けるばかりなのだ。
「ええいっ! ではこの作戦も無理だというのか……一体どうしたら! どうしたらフニエルを傷つけずに城だけを奪える!?」
「いっその事、直接フニエル様にお言葉を聞かせてみては……? その、手紙などしたためて」
「おお、それはいい! 武力に訴えるにも現状のままでは時間がかかりすぎます。まずはフニエル様に内情を説明して、危機感を抱いていただいては……」
「それでは我らの存在がフニエルに……そしてバークレーの者たちにも知れてしまうではないか! 何のために偽装してまで逃げたのか解らん! まずはバークレーの排除。これが最優先だ!!」
(なんて不毛なことを……それに、心なしか、周りの人たちも王子をなだめているだけに見えるわ……)
現状何もかも足りていない王子は、しかしやる気だけは依然萎えておらず、過激な方策ばかりを考えているようだった。
しかし、いずれも現状からでは無理なことばかり。
それをやればまず間違いなく負けるのは自分たちだというのは解っていないようだが、周りにいる側近たちはそうでもないらしく。
王子の言うことなすこと、ひとまずは現実的な意見を聞かせ、王子の暴走を抑制しているように見えた。
「我ら先祖代々の宮仕え。殿下同様にバークレーの存在は危険だとは思いますが、奇襲を仕掛けるにも、生憎王城は堅牢堅固な造りになっております。寡兵で攻め込むには、いささか規模が大きすぎます」
「だから、まずは必要な兵数を集めようとしているのではないか……だが、いつまでたっても数が集まらん」
「恐らく、それだけバークレー側が巧妙に、慎重になっているのでしょうな。あちらとしても、力押しすればエルセリアが黙っていない、と考えておるのかもしれません」
「それ故に、城内の者たちも、それ以外の者たちも危機感を抱いていないのでしょう。『思ったよりも危険がないな?』と油断しておるのです。ですから、まずすべきは、その危機感の啓発……」
バークレーは危険な存在である。
そう感じさせるなら、それを周知する必要があった。
だが、実態はどうあれ、現状のままではそれもまた意味が薄い。
どれだけ口々に「バークレーは危険だ」と叫んでも、実際問題バークレーは今のところ、何の危害も加えてこないのだから。
(もしフニエル女王がラッセル王子に虐待されていたりすれば、それを理由に侍従や兵士たちを焚きつけることはできるんでしょうけど……実際にはお二人は仲睦まじいようですし……それも難しそうね)
やはりこのままでは埒が明かない。
状況を動かせるカギはここにしかないのに、本人たちは身動きが取れないままになっていたのだ。
サララの言う通り、動かすならここからだとは、ベラドンナも感じていた。
『キキーッ』
「うぉ……こ、蝙蝠か」
「洞窟ですからなあ。どこからか迷いこんできたのでは……むっ」
「殿下、お下がりをっ」
「なに……うわあっ!?」
頭上からの蝙蝠の襲来。
ぼうん、と、煙とともにそれが変化し……コール王子らは、目を見開き驚いた。
突然目の前に女悪魔が現れたのだ。いかにもな悪魔悪魔した女悪魔が。
驚きながらも、そばに控えていた兵士が王子をかばいながら後ろに逃がそうとする。
「お待ちくださいな、コール王子」
「うぉっ!? い、いつの間に……」
「殿下っ」
補足しようとすれば、すぐにできた。
洞窟内、それも猫獣人程度の速度であれば、ベラドンナは即座に追いつき、追い抜ける。
逃げようとしていた正面に立って見せ、振りかぶろうとした短剣を手で押さえつけ、顔を間近まで近づけにこり、微笑んで見せた。
「う……くっ、放、せ……バークレーの、手のものか……っ」
「いいえ? 私は……シャリエラスティエ様の遣いの者ですわ」
「なにっ!?」
「シャリエラスティエ様だと……?」
「そ、そんな……っ」
掴んだままの手をそっと優しく放しながら、ベラドンナは真剣な眼差しを向ける。
ニコニコと微笑んでいれば気のいいお姉さんにも見えるベラドンナはしかし、目を細め、じ、と見つめると、背の高さから、相応の威圧感もあった。
それを以て、それが冗談ではないように聞かせたのだ。
幸い、コール王子は混乱することなく、武器を持った手をそれ以上ベラドンナに向けることなく、素直に下ろしてくれた。
話を聞くつもりになったのだ。
「お前のような者が……サララの……? サララは、無事だったのか?」
「ええ。猫にされた直後に賊にさらわれ、各地を転々としていましたが……さる方に救われ、今はその方とともにこの国に来ております。私はその方の使い魔なのです」
「……悪魔を使うような者が、サララを……? サララはどこにいるのだ!?」
「今はエスティア城に。フニエル様お一人でのご奮闘と聞き、いてもたってもいられなったらしいのですが……そこで起きている問題に、いささか危機感を抱いているようで」
こちらの通りに、と、あらかじめサララがしたためた手紙を王子へと差し出す。
恭しげに膝を折ってのもので、王子も「うむ」と、神妙な面持ちでそれを受け取った。
「シャリエラスティエ様は、『本当にコール兄様でしたら私の字はわかるはずです』と仰っていましたが……」
「う、うむ……確かに、これは……うむ」
実際には「そんなの解るはずないですけど、プライドの高い兄様はきっとそれで納得するはずです」と言い含められていたのだが。
果たしてコール王子はというと、サララの目論見通り困惑しながらも表向きはそれで通すつもりのようだった。
「それと、もし万一それでも納得いただけなかった場合の為に、シャリエラスティエ様より『私の髪を』と預かっております。ご覧になられますか?」
「髪? 髪……か、そうか……ああ、見せてもらおう」
追い打ちとばかりに、胸元から大切に紙とハンカチーフに包まれていたそれを取り出し、差し出す。
綺麗な黒髪の一端。そんなに多くはないが、インパクトは絶大だった。
「……ああ、そうだ」
書かれた文字など記憶にはなくとも。
妹の黒髪を見て、王子はなつかしさに手を震わせた。
よく見覚えのある、濡れ羽のような艶やかな黒髪。
一族の中でも一番輝いて見えた妹のそれは、兄にとっても鮮明に記憶に残るものだった。
(まあ、サララさんはそれも『きっとうろ覚えでしょうけど』と言ってましたが……思った以上に効果があったようだわ)
「殿下……?」
「信じよう。バークレーの手の者なら、この場で私を殺すくらいできただろう。それをしないのだ。少なくとも敵ではあるまい」
手に持っていた武器をしまい。
王子は、小さなため息とともに、それまで自分が掛けていた椅子へと戻っていった。
「――サララの遣いなのだろう? まずは手紙をじっくりと読ませてもらうとしよう」
そこにどんなことが書かれているのか。
それが気になって仕方ないようだった。
彼にとっても、この数年間は鬱屈とした、変化のないものだったのだ。
それが、急に変化した。
その心の動きは、ベラドンナにも解かるほどで。
だから、ベラドンナは素直に「はい」とだけ答え、王子の前に立った。
「――なるほど。沢山のことがあったんだな……女悪魔、ベラドンナ、と言ったか……? お前の主は、ずいぶんとすごい男のようだ」
「はい。カオル様はシャリエラスティエ様の為ならば、何だってする方ですわ」
「それは怖いな……あいつが望めば、この国くらいもぎ取れるのか。私がここに潜伏して二年、必死になって兵を募っていたというのに……あいつは、この一年でそれが適うくらいの後ろ盾を得ていたんだな……」
恐ろしい奴だ、と、しかしどこか楽しそうに唸りながら、コール王子は手紙を丁寧に畳んでゆく。
「そしてあいつは、あいつ自身の目で、間近でフニエルとラッセル王子を見てきたのか……大胆な奴だよ、本当」
「殿下、それでは……?」
「ああ、サララと会おう。話を直に聞きたい。だが……生憎と私はバークレーの目の下に出る訳にもいかん」
「私でしたら、殿下を妹君の前まで、瞬時に連れていくことが可能ですが……?」
「……なに?」
それは本当なのか、と、目を見開きながら。
しかし、ベラドンナの言うことを疑う気は毛頭ないようだった。
人の善さはフニエル同様で、ベラドンナをして「もう少し疑ってもいいのでは?」と思ってしまったが、今はそれでよしとして。
真剣な表情のまま、じ、と王子を見つめ、一言。
「信じていただければ」
「解った。信じよう」
即断即決。
この決断の速さは政治の世界では強みになるかもしれないと、ベラドンナも思えるほど、その返答は早く。
すぐさま、王子はそばに控える者たちに目配せしていた。
「では殿下、最低限の護衛はお連れくださいませ」
「妹君とのご会談、その支度をただちに」
側近らも慣れたもので、そうと決まればすぐに会談の準備が始まる。
やれ王子の着ていく服やら控えさせる護衛の選別やら、先ほどまで重苦しかった洞窟内の空気が一転して、一気に流動的になっていったのを、ベラドンナは肌で感じていた。
「時間は?」
「夜がよろしいかと。陽が落ちてより鐘三つほど経った頃、再び伺いますわ」
「解った、とサララに伝えておけ。会談には、お前の主も出るのか?」
「殿下がよろしければ」
「……妹の想い人に会うというのも、悪くはないか」
それまで皺の寄っていた眉間からふ、と力が抜け、王子は、どこか肩の荷が下りたような顔をしていた。
「では、これで私は――」
「ああ。妹によろしく伝えてくれ」
彼にとっても、変化は必要なことだったのかもしれない。
そう思いながら、ベラドンナは恭しげに頭を下げ、そのままぽん、と、転移した。
その日の夜更け。
提示した時間の通りにベラドンナが再び洞窟に現れると、すでに準備万端、といった様子で正装をまとった、立派な王子らしい王子がそこにいた。
フードを被っていたころは目立たなかった黒髪が、つん、と、その存在を主張する。
「転送は、一人ずつ行いますわ。まずは護衛の方からでよろしいでしょうか?」
「ああ、そうしてくれ」
あらかじめ選別された護衛は二名。
いずれもきりりとした、猫獣人としては珍しい、歴戦を思わせる顔立ちの男たちだった。
これが「お頼み申す」とベラドンナの前に先立つ。
「では早速――我が愛しき隣人よ、魂を我が未来の地へ――」
「お、おおおお……」
護衛の片方を転移させると、残った護衛が眼を見開きながら小さな悲鳴のようなものを上げていた。
それがベラドンナ視点で「少しかわいいかも」と思えてしまう。
何せ、顔はいかつい中年なのに、耳や尻尾がギャンギャンに震えていたのだ。
いわば巨大な猫である。
「それではお次の方――」
「あ、ああ、頼みましたぞ」
「ええ――」
本心では怖いのかもしれない。
当然である。王子が信じたとは言っても、これは悪魔の術。
どんな災いがあるかもしれないものを身に受けるのだ。
そんなの怖いに決まっていた。
いくら訓練を積んだ兵士であっても、未知のものには怯えは隠せまい。
いいや……表情の上では隠せていたのだから、彼は本物の兵士なのだろう。
だが、尻尾と耳はそれを隠せずにいた。めっちゃ怯えていた。
(猫獣人の方って、本音が耳と尻尾で駄々洩れになるのね……かわいい……)
ベラドンナとしても「失敗してはいけないから」と緊張感をもって行っていた転移だったが、思わず気が抜けてしまいそうになるほど、その光景はベラドンナ的には癒されるものだった。
母性というか、そういうものが表に出てしまいそうになり、ついついシスターをやっていた時のような笑みを浮かべそうになる。
「……なんというか、ベラドンナよ、楽しそうだな?」
「あ、いえこれは……その」
二人目を転移させ、そして次に続く王子にジト目で見られる。
内心を透かし読まれたような気持になり、ベラドンナはハッとして取り繕おうとしたが。
王子もまた、びくびくと尻尾を震わせていた。
「かわ……はっ!?」
「かわいいと言ったかお前!? なんだ、我らをそんな目で見ていたのかお前はっ!?」
「も、申し訳ございませんっ、つい……あっ、いえ、そんなことは……とにかく、転移です転移っ」
「なっ――さっきまでの呪文は何の意味が――」
王子に内心を指摘されたことに焦り、格好つけでそれっぽい呪文めいたものを唱えることも忘れ、転移させてしまう。
「……ベラドンナ殿」
「女悪魔殿、それはちょっと……」
「あ、あぁぁ……し、失礼しますわっ」
そして残された者たちからジト目で見られ。
居心地の悪いものを感じ、逃げるようにして転移していった。