#6.無責任な王女は真実に気付く
それは、たまたま起きた偶然の出来事だった。
サララ自身、他の王族やその侍従たちの現状を見て、考え事をしていたのもあったのかもしれない。
だが、それはあまりにも唐突すぎて、そしてサララにとって想定外すぎて、油断してしまっていたのだ。
「あ……っ」
そこには、ラッセル王子がいた。
愛する妹と同じソファの上、横並びに座りながら。
笑顔で自分を見上げてくる妹と違い、驚きに目を丸くしながら。
サララは、この場面ではメイド『サラ』として、クールに振る舞わなければならなかった。
そ知らぬフリをして、「なんだ別人か」と思わせなければならなかったのに。
つい、小さな驚きの声が出てしまったのだ。
それは、間違いなく二人にも聞こえていた。
「君、は……まさか」
「お、お待たせいたしましたっ、陛下、こちらが件の短剣ですわっ」
「あ、はい……どうかなさったのですか? サラ? それにラッセル様も……」
――ごまかしきれなかった。
瞬間的にメイドとして振舞おうと切り替えたつもりだったが、さっきの一瞬の驚きが、二人に違和感を抱かせてしまっている。
少なくともラッセルは、もう自分に気づいてしまったのだろうと察して、作り笑顔になる。
「それでは、私はこれで――」
「フニエル、このメイドが最近入ったっていう? よく話に出てくるメイドなのかな?」
「あ、はい。この人が私のお気に入りの人です。私が『こうなったらいいなあ』って思ったことをすぐにやってくれる人なんですよ!」
「なるほど……サラって言ったっけ? ふぅん……」
そのまま逃げられれば良かったが、追撃のようにラッセルが言葉を割り込ませ、逃げることができない。
無理やり逃げればよかったが、そんなことをすればメイドとしては役割上、死ぬ。
愛する王子の前で不興なり不満なりを買っては、いかに温和なフニエルと言えど許しはしないはず、と考えると、この場に居続けるほかなかった。
この王子の気が済むまでは。
じ、と、見つめられる。
視線にいやらしさは感じなかったが、それでも上から下から見られ、恥ずかしさが込み上げてきた。
「あの……」
「ああ、すまない、君のメイドだもんな。別にやらしい気持ちとかはないんだけど」
「それは解りますが……」
幸いというか、フニエルが頬を膨らませながらラッセルの腕を引いたことで、その視線からは解放されたが。
それでもラッセルの気そのものはまだ自分に向いているように感じられて、サララは居心地の悪さを感じていた。
「僕の昔馴染みに似てる顔だなあって思ってね」
「昔馴染み……ですか?」
「そうそう。すごく気が強くて、僕がバカなこと言ったら頬っぺたひっぱたいてきた人なんだよ~」
「まあ! なんて乱暴な……そんなこと、許されません……」
「ははは、僕もその時はショックだったけどさ。ま、おかげで目が覚めたというか、『女の子には優しくしなきゃ』って思えるようになったんだけどさ」
「……っ」
――明確に気付いている。
今ラッセルが話しているのは、昔実際にあったパーティー会場での一幕。
カオルにも話した、「嫌な人」だと思っていたラッセルを拒絶した時の事だった。
ちら、とだけ自分を見て、それからまたフニエルに微笑みかけるラッセルを見て、サララはそれを察していた。
彼は、少なくともこの場では自分に合わせてくれるのだ、と。
「では、そのサラに似た女性が、ラッセル様の今に強い影響を?」
「まあそうなるね。その一件がなかったら、僕は今でも子供のころのままの……身勝手で乱暴な我がまま王子のままだったかもしれない」
「そんな……そんなラッセル様は、想像できません……」
「今はね。でも、やましい気持ちがあって女性に優しくしてるわけじゃなくて、ちゃんとそういう理由があっての事だって、理解してくれたらうれしいんだけどなあ」
意味深な一言にハッとさせられたが、フニエルが「解りましたわ」と、自分に言われたのだと思って話をそのまま流してしまったので、サララは何の反応も返せずにいた。
ただ、表情はともかく尻尾と耳の動きは隠せず。
ラッセルはそれを見て「ちゃんと伝わったか」と、満足げにフニエルの受け取った短剣を触りだす。
「へえ、これがかの神剣……女神アロエに授けられし神話のころからの神器か……」
これ見よがしに話題をすり替え、サララを話題からフェードアウトさせる。
「はい。何もないエスティアですが、これだけはどの国の宝物にも勝る逸話を持ったものなのだと、お父様が仰っていましたわ」
「なるほど確かに素晴らしい……ように感じるね? 僕にも、宝物の良し悪しを鑑定する力はないが、そこはかとなくそんな気がしてくるよ」
話そのものは適当だった。
興味があるというのも話題作り程度のものでしかなかったのだろう。
あるいはそれ以上にサララの存在が大きすぎて短剣などどうでもよくなってしまったのか。
ぞんざいな反応でもにこやかあな笑顔になって話すフニエルに、ラッセルはただ愛想笑いを浮かべながら「そうなのか」と笑顔で対応するだけである。
(……普通だわ)
間近で見ていて感じたのは、普通の男女のやりとりにしか見えないというところ。
もちろん、バークレーという国の王子である以上、彼の行動には必ずバークレーの利益が関わってくる。
王族とは本来そういったもの。国の威信と誇りとを背負った、もっとも責任の重い外交官として、国を渡るのだから。
けれど、そんな責任の重さを感じさせないくらい、ラッセルはリラックスしているように見えた。
フニエルの言葉には相槌を打つばかりだが、それは別にフニエルを面倒くさがってとかではなく、笑顔で話を聞かせてくれる婚約者の話を、楽しんで聞いているように見えたのだ。
(この二人は……普通の恋人同士、なのね)
その背に背負うのが国でなければすぐにでも祝福してあげたいくらい、普通に互いの事を想い合っているように思えた。
少なくともフニエルの片思いということはなく、ラッセルも、多少利用する形になるとはいっても、憎からず思っているのだろう。
わざわざ前置きしてまでサララにそれを見せたのは、変な誤解を与えないため。
先入観を以てその光景を見れば、なるほど、無知な少女が狡猾な隣国王子に誑し込まれている光景に見えること請け合いである。
(これは止められないわ……)
幸せそうな妹の顔があった。
ラッセルもまた、悪くない顔をしていた。
少なくとも、自分が知っているラッセルはそこにはいなかった。
ラッセルという名の別の王子だったのではとすら思えるくらい、まっとうな王子になっていたのだから。
周りの者がこの二人の結婚を邪魔だてしようとしない理由も、いくらかは解った。
――フニエルの幸せを考えるなら、ラッセルと添い遂げさせたいと思うのは普通だわ。
ただ善良だっただけ。
ただ考えなしだっただけ。
幸せそうなカップルを見たら誰もが考える「あの二人そのまま幸せになればいいなあ」という感情が、そのまま行動に現れただけだった。
間近で見ているサララがそうなのだから、何年もそれを見ていればそうもなろう、という当たり前のことだった。
皆、フニエルのことが大事なのだ。大事だから、好きな人と結ばれてほしいと願ったのだろう。
(けれどそれは……バークレーとの結びつきが強くなってしまう原因でもあって……)
拒絶したい気持ちがない訳でもなかった。
ただ、この国にいる時間が長くなればなるほど、それは薄れていった。
だんだんと自分が、ただ妹の幸せを邪魔だてしようとしているだけの邪魔者なんじゃ、と思えてきた。
そしてそれを正当化させる理由が、バークレーという国の悪辣さのはずだった。
けれど、バークレーという国は、変わろうとしていると調べていくうちにわかってきて、どうしたらいいのかわからなくなってきた。
「……おや、まだいたのかい?」
「サラ、もう戻っていいですよ。短剣、ありがとうございました」
「あ……は、はい。失礼いたしますわ」
ラッセルは、なぜサララがこの場でメイドの恰好なんてしているのか察しているのだろう。
その上で「そんな心配は無用だ」と、理解させたかったのだろうと、サララは感じ取った。
そしてそれは済んだ。もう用事なんてないはず、とも。
出ていく口実を与えられた以上、長居することもない。
サララはもう、その場にいることすらできなかった。
「……ふぁ~~」
部屋を出てすぐ。
サララは私室まで戻り、装いもそのままにベッドに寝転がり、顔を枕に埋めてぐったりしていた。
緊張の中立っていたのもあるが、それ以上に妹とその婚約者がいちゃいちゃしているのを見せつけられて、辛い気持ちになったのだ。
(私だって、私だってカオル様といちゃつきたいのに……違う、そうじゃなくて、そうじゃなくて……っ)
枕に鼻先をこすりつけながら、頭を左右にゆすってぴた、と止まる。
(ラッセル王子は……私に気づいていながら、なんで……)
自分の正体には間違いなく気づいていた。
その気になればその場で明かして、問い詰めることだってできるはずだった。
だけれど、それはしなかった。
それがサララにとっての疑問。
(……私がフニエルの事を心配しているのは解ってるみたいだけれど……じゃあ、何を考えて……)
ラッセルは、少なくとも自分がフニエルにとって害ある男ではない、というのを理解してもらおうとしていたように、サララには感じられた。
ただかわいい婚約者とイチャつきたいだけの、普通の男だと。
そしてそれを理解したサララを、そのまま帰らせた。
何のためにそんなことをしたのか。意味なんて一つか二つしか浮かばず、そしてそれはとてもシンプルなものだった。
(そうか……ラッセルにとって、私がフニエルとの事を認められるなら、それでよかったのね)
自分から見て害ある男だと思われないためにわざわざそんなことをしたのだとしたら、ずいぶんとお可愛らしい王子様である。
だが、そのお可愛らしい事を、恐らくは本気で思ってやったのだろう、とも思えた。
仮にエスティアに対しての害意があっても、フニエルにだけ優しくすればそれは隠せるかもしれないが。
だが、それならそんな回りくどいことをせずに、もっと早くにエスティアという国を蚕食できるはずだった。
それをしなかったのは、したくなかったからなのだろう、とも。
(カオル様相手に話したのを聞いてなければ、きっと私はその真意も解らないまま、フニエルの幸せより重いものを探してしまっていたはず……)
信用できる情報があった。
そしてそれは、ほかならぬ自分の愛する男からのものだった。
それでも信じがたい部分があった。
けれどそれも、今しがた自分の目で見て、信じざるを得なくなった。
この上まだ、彼を疑う必要があるのか。
この上まだ、互いを想い合う恋人同士の邪魔を考えなくてはならないのか。
(私だって……あの娘には幸せになってほしいし……)
妹を間近で見ていて、本気でラッセルの事が好きなのはヒシヒシと伝わっていた。
純粋な妹の事、優しくしてくれた相手にコロッといってしまったのだろうと思っていたけれど、今はもう、それだけではない強い愛慕を抱いているのも解っていた。
ただ、認めたくない自分がいただけ。
妹の愛した男性が、かつて自分の嫌っていた人で、そして、危険だといわれていたバークレーの王子だったから。
(結局私は、周りの人と同じで何もわかってなかったのね……)
この国はもう、自分とは関係のないところにあった。
その疎外感は別に今に始まったことではないが、それでも今、寂しい気持ちを感じずにはいられない。
好きだった、変えたかった国が、自分の届かない場所に行ってしまっているように感じてしまっていた。
(……でも、やることはあるはず)
今はもう、サララの中ではフニエルとラッセルの事は『応援してあげたい二人』になりつつあった。
恐らくはカオルに聞いても同じような返答が返ってくるものだと思いながら。
それでも、やらなければならないことはあったはずだった。
「あの娘が国を背負うなら、私は……」
国は変えなければならなかった。
それはフニエルが女王になっても変わらない。
いや、目立たないだけで、確実に内情は悪化している。
バークレーが関わってきたとかそんな事が些細なほどに、エスティアそのものの内実が酷すぎる。
――やっぱりこの国、変えなきゃだめだわ。
遠いところに行ってしまった国が、しかし、遠いからこそよりダメなものに感じられていた。
猫になった王はどうか。王族たちの侍従たちは。
今城を実質的に支配している侍従長やアリエッタはどうか。
そんな状況下なのに武力で何かを変えようとしている空気を読めない兄は。
誰も彼も、国の事など何も考えないままに、自分の感情で生きているように思えた。
そして自分自身も、「国のため」と言いながら、自分の中の感情的な部分で全てを決めつけ、恋人まで巻き込んでこんなところでメイドをやっている。
――ものすごく、恥ずかしい。
誇れる国であって欲しかった。
愛する人を連れてくるときには、胸を張って案内してあげたいくらいの気持ちがあった。
けれど、今のこの国は、何もかもがダメだった。
そして自分は、そんな国の王女で、それを変えたいと思っていた一人のはずだった。
なのに、なぜそんな悠長なことをしていたのか。
変えたければもっと早くに直接城に出向いて「フニエル、姉様の帰還ですよ!」とでも叫べばそれで済んだだろうに。
そして、本気で国を背負うつもりなら、気弱な妹を押しのけて自分が女王にでもなってエルセリアに助力を願い出ればよかったのだ。
「結局私も……無責任な一人なんだわ。フニエルに全部押し付けて……」
子供のころも、自分が王になろうなんて露ほども考えてなかった。
二人いる継承候補者の兄のどちらかが王になったときに、自分がその補佐なりできればいいと思っていた。
最初から、責務なんて背負う気はなかったのだ。
今も、ナチュラルにそう考えていた自分がいたことに気づく。
変えたいとは思うけれど、一番変えられる立場にはなりたいと思っていなかったのだ。
そして子供だった自分は、やる気がないながらも王の責務を果たしていたはずの父親に「情けない人」というレッテルを張って「このままじゃダメ」と、分かった気でいたのだ。
今までやろうとしていたことも、今自分がやろうとしていたことも、すべてがよくわかってなかった子供の我がままだった。
それが、サララにとってものすごく恥ずかしい。
「でも、じゃあ、どうしたら――」
変えなければならない部分があるのは間違いなかった。
けれど、自分はそんな責任を背負う事なんてできないと思ってしまっていた。
自覚してもなお、やはり自分が女王になる光景は想像できなかった。
それ以上に、「国を救ってください」と頼ったのに自分が女王になって即解決なんてしてしまったら、一緒に来てくれたカオルやベラドンナに対してどんな顔をしたらいいかわからなくなってしまいそうで。
頭の中をどんどんと訳の分からない言い訳が浮かんできて、それらを正当化しようとする。
けれど、それを頭を振って追い出し……よろよろと起き上がった。
「――カオル様に聞いてみよう」
今はもう、一人ではなかった。
頼れる人がいる。誰より頼れる救い主様。
カオルがいればこそ、サララは立ち止まらずにいられた。