#3.悩める子羊とシスター
ベラドンナがコール王子一行を発見した、その日の晩。
夜間、あてがわれた倉庫兼寝床でその日得た情報をまとめていたカオルは、窓を利用して転移してきたベラドンナからの報告を受けていた。
「――なるほどなあ。コール王子、人間に戻ってたのか」
「私はコール王子のお顔を知りませんでしたから本人かどうかは確実ではありませんが……ですが、少なくともコール王子を名乗る男性が、私兵と共に洞窟に隠れていたのは見つけました」
「グリフォンは?」
「他の仲間のものらしいグリフォンと三頭、洞窟前の茂みに待機していましたわ。縄でくくられていたので、攻撃されることもありませんでした」
手際よく毛色まで染められていて、これが保護色となっていた。
ベラドンナも見つけたとき「これでは見つけられないわけだわ」と苦い顔をしていた。
「でも、王子が面倒くさいこと考えてるのは気になるな……いや、国のためにバークレー追い出そうっていうのはわかるんだけどさ」
「場合によっては国が混乱することになりますものね……」
「そうなんだよなあ」
ベラドンナの言う通り、王族の反国政活動など、下手をすれば国家が分断されることになりかねない。
そうでなくとも、バークレー側から狙われかねないのだから、コール王子自身の身が危うくなる。
「ただ、うまく協力できれば、もしもの時にバークレーを追い出す助けになるかもしれないのか」
「そうですわね……ですが、今のところはあまり、戦力が集まらないようですね。王子も焦っているようでした」
「ってことは、しばらくは動かないのか……うーむ」
出来の悪いベッドの上、あぐらをかきながら腕を組み、カオルは思案する。
今のままコール王子を見張っていれば、その動きも王子側の内情もはっきりする。
だが、現状自分もサララもお世辞にも自由がある身とは言えず、活動範囲も狭い。
手が足りなかった。現状一番自由に動けるのは、目の前のベラドンナだけなのだから、結論は一つ。
「ベラドンナ。王子の居場所は覚えてるよな? その洞窟の場所、地図にメモしておいてくれるか?」
「かしこまりましたわ」
「それで、それが済んだら、ちょっと見張ってほしい人がいるんだよな」
「見張ってほしい方、ですか?」
「ああ。城内に一人、露骨に怪しいのがいてさ。何かあるんじゃないかと思って」
ブロッケンとかいうバークレーの要人。
この男一人が城内の状況を悪化させているように思えたのだ。
フニエルとラッセル王子の関係も気になるところだが、カオル側としては、ブロッケンを見過ごすわけにはいかなかった。
「承知しました。それでは早速地図を……」
「ああ、これに頼むぜ」
ベッドわきにかけておいた荷物袋を取り出し、そこから地図をベラドンナに手渡す。
使い込まれ、かなりボロくなっていたそれを見て、ベラドンナは「まあ」と、目を丸くした。
「こんなに使い込まれて……新品を買ってもよろしいのでは?」
「いやまあ、そうなんだけどさ。それ、初めて村を出たときに村長さんから餞別でもらったものでさ。なんか、手放しがたいというか」
「思い出の品なのですね。大切な、旅の……」
「そうだな。俺たちの旅の、最初の思い出だ」
思えば随分と長い旅になっていた。
村にも戻ろうと思えば戻れるが、あの頃と比べ、今の自分はどうなのか。
村にいたころよりずっとたくさんの金銭を手にし、英雄として、国家の賓客としての立場も得て、自分の家と、その家を管理してくれるハウスキーパーまで雇って。
……そう、「旦那様」と呼ばれる立場になったのだ。
そうして今は、村を出たときからずっと一緒だった少女の為、こうしてその少女の故郷で、その国の為に働いている。
「……ベラドンナとも出会って、ステラ様やトーマスの爺さんと知り合って、王様と友達になって……宿屋の姉妹や町長さんや、提督とも……海の王の巫女の人の話を聞いたり……エルセリアの中だけでもすごい旅をしてたけど、ラナニアに行って、今度はエスティアだもんな……初めて村を出た時はおっかなびっくりだったけど、今はもう、ずいぶん落ち着いちまった感、あるよなあ」
旅は遠くなるもの。
村からの距離は、日数をまたぐほどに遠のき。
初めて村を出たあの日は、どんどんと遠い過去になってゆく。
それを口にして改めて感じたカオルは、ちら、と窓の外を眺め……そして、変わらぬ月を見つめた。
「月はどこに行っても同じなんだよなあ。俺の故郷もあんな月だった。俺は、ずいぶん遠い場所に来ちまったんだなあ」
「……そうですわね。旅は、長いほどに過去を遠くに感じるものですから。ですがカオル様? 私達は、いつでも貴方のお傍におりますわ。ええ、きっと、いつまでも」
「心の中にって?」
「ええ!」
クスクスと微笑みながら、聖女のような温かみのある笑顔を見せてくれる悪魔のお姉さん。
この人と出会えて良かったと心の底から思いながら、カオルはほう、とため息をつき「心の中に、か」と、小さく呟いた。
「確かにそうだな。俺はどんな遠くに行っても、皆の事は忘れてないし、皆もきっと……」
「その通りですわ。それだけに、サララ様が妹さんから忘れられていたのは可哀想でしたが……」
「まあ、外見が違っちまうとどうしてもな。サララ自身、さらわれてから結構年数経ってて大分容姿が変わってるらしいし」
実際、出会ってからずっと間近で見ていたカオルにとって、今のサララはその頃より確かに部分的に成長していた。
そんなだから、何年も離れていればその変化も大きく感じて気づけないのかもしれない、というのはあるのだ。
ただ、会話もほとんどしたこともないコール王子の従者がそれを知っていたというのが直前にあったので、サララもいくばくかショックを受けていたのだが。
……と、そこまで考えて、カオルは「そういえば」と、そのコールの従者について思案を巡らせる。
「あの従者の人、なんで王子のお付きだったのに連れてかれなかったんだろうな? 従者っていったら、その人の一番の子分みたいなもんだろう?」
「そうですわね。そこは私も……そもそも、わざわざグリフォンを連れて王子一人で飛んでいく必要なんてなくて、従者の方と一緒に逃げれば良かったのですから……」
疑問といえばそこである。
王子は見つけられた。けれど、何故王子がそこにいて、あの従者は何も知らなかったのか。
「……信頼関係、もしかして薄いのか?」
「まあ、居眠りするような人ですから、もしかしたら……ですが、気になりますわね」
「ああ。なんだかそっちも気になってきたな。なんであの人、あんな場所に……」
主人である王子が行方知れずになり、国からの沙汰待ちという、いつ首が物理的に飛んでもおかしくない状況下。
そんな状態に置かれるような何かがあったのか、それとも、それすら何か意味のあることなのか。
普通ならスルーしてしまっていた。だが、カオルはもう、大分世の中の面倒ごとに巻き込まれすぎていた。
気になる。疑わしい。
疑いたくはないが、なんとなく、そんな気持ちになってしまったのだ。
それが、カオルには地味に辛い。
「俺さ……旅が長くなるにつれて、人のことを疑いやすい性格になってるのかも。なんか、やだね、スレちゃったみたいでさ」
「大丈夫ですわカオル様。それは正常です……私も、夫と二人で行商をしていた時にはそんな感じになっていましたから。特にひどい騙しにあった時などは……どうしても」
「そうなんだよなあ……問題が起きるたびに人の心の闇みたいなのも見ちゃって……でも、疑いたくはないんだぜ? 信じたいんだ……だから、結構辛いよ」
心が辛い気持ちに押しつぶされそうになる瞬間は、確かにあった。
カオルは今まで、そんな時でも自分と周囲の力でそれを乗り越えてきたという自負があった。
けれど……流石に色々とありすぎた。
「ラナニアでもさ、記憶を失ってサララのことも忘れちまって。そんな時に、俺のことを助けてくれた……妹みたいに思ってた娘がいたんだ。でも、俺はその娘を助けられなかった。死なせちまったんだ……もっと沢山、幸せを見せてやることだってできたかもしれないのに」
「……カオル様」
「そしたら今度はサララの国が大変なことになっててさ。嫌だよなあ。なんでこんな嫌なことだらけなんだろうな。神様ってのは、何やってんだろうな」
皆に敬われる神様が、この世界にはいるのだという。
だというのに、神様は人々のために何かをしてやってくれていたのだろうか?
こんな世の中なのに、人間の力ではどうにもならないことだってたくさんあるはずなのに、なんでこんなにも、嫌なことだらけになっているのか。
ずっと疑問に抱いていた。
この世界はとても優しくて、大変なこともあるけど、頑張ればそれだけ報われる世界だと思っていた。
だというのに、世の中にはこんなにも、頑張っても報われないことがあふれている。
どれだけ努力しても助からない人がいて、どれだけ悲しい気持ちになっても救われない人がいて、どれだけ幸せを希ってもそれを得られなかった人がいた。
「……っ」
不意に、涙がこぼれる。
ずっと隠していた弱音だった。
世界を見てきた英雄殿の、けれど人には見せたくない、見せられない弱い姿だった。
ずっとずっと、強くある為に、人の役に立つためにしまいこんでいた、『少年』だったカオルの、そのままの心だった。
「カオル様、いいのですよ」
ぐっと膝を掴むようにしてこらえようとするカオルの手を、ベラドンナは自らの手で優しく包み込んでくれる。
「貴方はとても優しい方。けれど、決して強いばかりではなく、きちんと弱い面も持っていらっしゃる。いいのです。弱い部分があっても。それが人なのですから」
「情けなく、ないか? 男の癖に、辛い気持ちに抗えなくってさ……こんな、愚痴みたいな……っ」
「情けなくなんてありません。私の夫だって、辛い時は酒に溺れ、泣きわめいていた時だってありました。八つ当たりで怒鳴られた事だって……けれど、それでも私はあの人を愛していましたし、立派な男性だと思っていましたわ」
「……そうなの、か?」
「ええ。弱いところもダメなところも含めて、私はその人のことを認めていましたから。サララさんだってきっと同じですわ。愛する人のダメなところなんて、女は分かっていて、それでも愛するのですから」
そういうものですよ? と、昔の自分と夫のやりとりを思い出しながら、慈母のような笑みを見せる。
もう、笑顔で語れるようになっていた。
自分のうちの苦しみに悩み自分の主を楽にしてやるために、夫とのことを過去にできるほどに、ベラドンナは癒されていたのだ。
ベラドンナ自身も、苦しむばかりだった過去からもう大分、遠い旅をしていたのだから。
「ですから、辛い時は辛いと、サララさんに伝えてもいいと思いますわ。カオル様がお一人で苦しむことのほうが、サララさんにとってはよほど辛いことのはずですから。一人で悩まず、パートナーに相談したりして、二人で解決しようと頑張ってもいいはずですわ」
「……そっか。俺がサララに想ってたのと同じで、サララも……」
「相思相愛なんですもの、お互いにお互いのことを知りたいものですよ?」
自分だけがそうなのだと思っていた。
けれど、サララももしそうなら……相思相愛という言葉の意味を、カオルはようやくにして、言葉面ではなく実感として理解できた。
そうして、目元を濡らしていた涙が引っ込み、首筋が熱くなる。
「ありがとうベラドンナ。そうだよな……俺とサララは、お互いに……」
握ってくれていた手をやんわりと放し、それまでの情けない顔を正し。
姿勢も正し……パァン、と、頬を叩いた。
気が引き締まる。男の顔になっていた。
「よし。弱音タイム、終わりだ! 俺はやるぜ、ベラドンナ!!」
「……ええ。やれる限りの事を頑張りましょう。私達は今、できることをやるしかないのですから!」
英雄、再起。
わずかな心の曇りなど、何するものぞ。
痛む頬に新鮮な気持ちを覚え、カオルはまた、立ち上がれるようになった。
(ベラドンナと出会えて、本当に良かった)
今は悪魔の彼女との主従なんて歪な関係だが。
それもいつかは解消し、普通に友達として、人生の先輩として語り合える時が来たら、と、カオルはそんなことを考えた。
翌日からはもう、それまでのカオルとは見違えていた。
「ねえねえ後輩君? なんか今日はすごくやる気に満ちてない? いつも頑張ってくれてるけどさー」
ゆったりとした速度で料理の乗ったカートを押しながら、先を進むアリランが器用に話しかけてくる。
「そういう気分なのさ。頑張って、もっともっといろいろ知りたくてさ」
「おお! いいねそういうの。あたし達は猫獣人だからさー、後輩君みたいにめちゃがんばろーって意識あんまりないけど、それでもそういう姿勢はかっこいいと思うよー」
あくまでマイペースな調子のアリランだったが、カオルの態度そのものは好感を覚えたらしく、尻尾がぴん、と立っていた。
この辺りサララと同じで「やっぱ猫獣人ってこんな感じなんだな」と、少し面白く感じる。
「なあアリラン。お城の人たちって、やっぱり派閥? とかに分かれてたりするのかい?」
「うん? 派閥? まあ一応昔は色々あったみたいだけど……今のところはフニエル様以外皆猫だしなあ」
「でも王族の方の従者の人は、皆その方の派閥なんだよな?」
「んー、そうでもないかなあ? 従者の人って基本的に侍従長の配下だから。だから城内では、あのお爺ちゃんが今のところ一番のトップなのよ」
意外なことにねえ、と、あまり面白くなさそうな返答が返ってくる。
「それじゃ、王族の方ってのは、自分の派閥みたいなのは持ってないのか……?」
「持ってる方もいるかもしれないけど、皆猫だし? 唯一無事なフニエル様は侍女長……あのお爺ちゃんの孫娘だからねえ。対立してるわけでもないから、実質このお城はあのお爺ちゃんの支配下に置かれてるようなもんだねえ。あははっ」
バカみたい、と、割と言ってはならないことを平然と口にしていたので、カオルのほうがぎょっとして周囲を見る。
ちょうど近場を歩いていたメイドもいたが、さほど気にした様子もなかった。
「そんなにいろいろ言っても大丈夫なのか……? その、怒られたりとか」
「んー? まあ嫌な奴がいたら告げ口くらいはされるかもしれないけど、あのお爺ちゃん基本的に自分に何言われても何もしない人だからね。その代わり孫娘の悪口言われると悪鬼の如く怒り狂うけど……」
「ああ、身内大事系な人か」
「身内大事系な人だねー。逆にそれ以外はなんにも反応しないくらい。なんならフニエル様の悪口言っても咎めはしても処刑とかはしないんじゃないかな?」
あくまで政治とは関係ない立場の人だしー、と、のほほんとした口調で進んでゆく。
カオルをして「これでいいのかこの城?」と不安になる一幕だった。