#18.恋する女王
女王は、恋焦がれていた。
食事も喉を通らないほどに、そう思えてしまえるくらいに、目の前の恋に苦しんでいたのだ。
「あの……フニエル様? お悩みなのは分かるのですが、少しでも何かお腹に入れませんと……」
こういうとき、メイドの立場のサララは余計なことは言えない。
ただただ黙って、入り口脇の壁からフニエルと、それを説得しようとするアリエッタを見つめるのみである。
胸の内を駆け巡る恋の衝動。
ベッドに腰かけ、頬を赤く染めながらいやいやするように首を振ってぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる乙女がそこにいた。
「要りません……とてもではないですけど、食べる気になれないのです」
目の端に涙を浮かべながら。
何が起きたのか分からずアリエッタは混乱しそうになっていたが、それでも務めて冷静に、諭すように「そうは仰りますが」と、優しく語り掛ける。
「フニエル様、ただでさえ公務でお疲れなのですから、お食事だけはとっていただけませんと……このスープなどはいかがですか? フニエル様のお好きなオニムサシの入ったスープですのよ? ああ、良い香りがしますわぁ♪」
「いいです……疲れてません。疲れを感じるほど、大したこともしてませんし」
「で、ですが……」
頑なに食事を拒むフニエルに、アリエッタも「どうしよう」と視線を左右させてしまう。
この辺り、サララ視点で「成長してないなあ」と思わされる。
ぽやっとしているだけではない、と評価を見直したものの、こういった場面では主を言い負かすことができず困惑してしまう。
普段は勢いで押し切れるが、相手が泣いていたり落ち込んでいたりすると慰め方に困るのは昔からだった。
「私、辛いんです……ラッセル様とお顔を合わせるたびに……胸が、強く打つようになって……」
「それは……恋をしてらっしゃるからなのでしょう?」
「そうなのです。だけれど……だけれど最近、ラッセル様が、ほかの女性を見る顔が、優しくなっているように……ああ!!」
恋に悩みはつきもの。
女王陛下は、婚約者が自分以外の女性を見るのが気に食わないらしかった。
「ご安心くださいフニエル様。ラッセル様がお城の侍女やメイドに手を出したり色目を使っているなどということは、今のところありませんから……浮気のご心配なども今はまだ……」
「そんなこと言われても、私安心できません! だって、ラッセル様は誰にでも優しくて、いつもお笑いになっていて……私のような子供なんて本当はなんとも思ってらっしゃらないのでは? って、ずっと思ってしまって……っ」
不安になるのは自分に自信がないから。
フニエル自身は間違いなく可愛らしい容姿をしているが、三次性徴を迎えた娘などと比べれば明らかに幼いし、スタイルでは劣ってしまう。
発育に関しては女性によくある悩みながら、婚約者との結婚を控える女王にとって、それはことさら深刻な悩みとなっているらしかった。
(なんか……すごく胸に突き刺さるんですが)
そしてそれは、間接的にサララにとってもダメージになっていた。
ただ見ていただけなのに、自分に突き刺さるポイントが多いのだ。
よくある勝手な嫉妬と自分の体型に対しての不安。
本当に好きな人が今の自分を愛してくれるのかという心配は、サララも通った道なので理解できてしまう。
それらは乗り越えた上でサララには現在「三次性徴を迎えたら同じように愛してくれるのかな」という不安もあった。
これもまた、いずれフニエルが到達するであろう悩みのはずである。
自分が変わってしまうこと。それは、自分を見てくれる相手がいればこその悩みだった。
「あの」
だからこそ、サララは看過できなかった。
自分が乗り越えた悩みに、この妹は今、躓きかけている。
傍から見ればなんでもないようなことでも、本人とってはどうしようもなく重い、越えられない壁に見えてしまうかもしれない悩みだった。
――だって、好きな人がほかの女の子と仲良くしていたら嫌だし。スタイルだってこれでいいのか解らないし、怖い。
政治についても、今の情勢についてもサララは口出しできる立場ではなかったが。
それでもこの点について、サララは口出しできる、しなくてはならないと思ってしまった。
止められていた干渉。けれど、黙っていられなかったのだ。
「過ぎた発言をお許しください。私は、今のままでは女王陛下は、成長できないのでは、と思うのですが」
「えっ……?」
「サラ、突然どうしたの? 貴方はあまり――」
当然、壁際に立っていた、フニエル視点では意識すらしていなかったメイドが話しかけてきたのだから、フニエルは困惑していた。
涙も一瞬止まり、不思議そうに自分を見ているのを、サララも感じていた。
アリエッタもメイドの出過ぎた真似を止めようとしたが……それは、フニエルによって止められる。
「成長できないって、どういうことですか?」
「失礼ながら、女王陛下は成長期であると推測いたします。ですが、そのような大切な時期に食事をとらなかったり、十分な休息をとらずにいると、発育にも大きな影響を及ぼしますわ」
「……そうなのですか?」
「ええ、まあ……確かに」
サララのようにほぼ三次手前まで来るとそこまででもないが、フニエルはまだ、二次になって間もないくらいの時期。
そのくらいの少女にとって、十分な休息と栄養補給はとても重要な成長要因になりうる。
ただでさえ公務でストレスがたまりがちなフニエルにとって、これを逃すのはかなりの痛手となりえた。
「それだけではありません。陛下がラッセル様に恋をなさっているなら、尚の事、綺麗なお姿で居たいでしょう?」
「あ……はい、そうです。それはもちろん……少しでも、気に入ってほしいです、から……」
先ほどまで泣き顔だったのに、今はもう、頬を赤く染めテレテレとしていた。
そう、自分を見てほしいのだ。少しでも自分をかわいいと思ってほしいのだ。
そんな気持ちは自分にもあったと、サララはしっかりと以前の自分を思い出しながら「それでしたら」と、カート上の料理の皿を一つ、また一つ手に取る。
「例えば、こちらの『ポピーフラワーのサラダ』でしたら、お腹の調子を整えてくれて、お肌がよりお美しくなるでしょうし、こちらの『オニムサシのスープ』などはプルプルとしていてとっても身体が温まるんですよ? 身体が温まると何がいいかご存じですか?」
「解りません……何がいいのですか?」
「顔色や肌艶がよくなって、とっても健康的に見えるのです。健康的な方って、お綺麗でしょう?」
そうですよね、と、アリエッタに向けてにこやかかあに微笑む。
それを見てアリエッタもはっ、と気づき「そうですね」と同じように笑顔を作る。
「こちらのプディングのソースに使われている山イチゴなんかはもう、爪から綺麗になれるってお医者様も美容に勧めるくらいなんですから!」
「つ、爪から……び、美容って、そういうところも気を付けないとなんですね……」
「そうですわ! フニエル様がご希望なら、これから毎日フニエル様がお美しくいられるように、よりお美しくなれるようなお料理を用意致しますわ! さあ、しっかりと食べて、栄養と美しさを手に入れましょう!!」
フニエルの意識が恋の悩みから美容に向いたのを確認するや、サララは一気に「どうぞ」とテーブル上の料理に手を向け食事を勧める。
その流れに、フニエル自身も空腹を感じ始めたのか……お腹を小さな手でなでながら「そうですね」と、次第に笑顔になっていく。
「アリエッタ、やっぱり私、食べることにします」
「まあまあ……ええ、ええ、よかったですわ。それではすぐにご用意を! サラ!」
「はい、すぐに」
入ってすぐに拒否されたせいで禄に準備も整っていなかったのだ。
アリエッタもぼーっとしていたわけではなく、この機を逃さずに速やかに準備を始める。
ほどなく私室のテーブルの上には本日の昼食がずらりと並ぶ。
少女一人が食べるにはいささか多い気もするが、フニエルは「わあ」と目を輝かせ椅子に掛けた。
「これ……その、よく食べますけど、美容によかったのですね?」
「『鬼の葡萄』の酢漬けですか? そうですね。そちらは目の疲れや視力などを回復するのだとか。目がよくなるとどうなるかわかりますか?」
「どうなるのですか?」
「じ、と何かを凝視することがなくなるため、眉間にしわができにくくなるのです。フニエル様はまだそのような心配はいらないかもしれませんが、目に力が入りすぎるとどうしても顔つきが怖くなっていきますから、優しい顔立ちでいたいなら、目は良いほうがいいですよね」
自分の眉間を指先でなでながらニコリ。
するとフニエルもまた、倣ったように自分の眉と眉の間を指で撫でまわしていた。
不思議そうに視線が上向きになっていて……それから「そうですねっ」と、満面の笑みになる。
(変わってないわこの娘……)
サララにとっては、変わりない妹の姿だった。
恋に悩んだり幼いままの自分に苦しんだりもしているが、このような時、見慣れた「かつての姿」が見えて安心する。
自分のことは気づいてくれないけれど、それでも。
サララにとっては大事な妹だった。
「貴方……何と言いましたっけ」
「……サラと申しますわ。女王陛下」
不意に名前を呼ばれびく、とするが、すぐに臆面もなく答える。
その動揺は尻尾や耳にも表れておらず、少なくとも外面上、気づかれないはずだった。
「サラ……貴方はどこか、ほかのメイドとは違うものがあるように感じていましたが、きっとそれは、博識だからなのですね」
「ああ、確かにそうかもしれませんわ。サラって、意外と物知りというか……眼鏡かけているだけあって賢いのです」
そして自分のことを覚えていない二人が変な方向性で納得していることに内心でため息を漏らす。
(あまり話したりもしなかったアリエッタはともかく……フニエル、貴方は姉に気づくべきでは……?)
今はまだ気づかれたくないけど気づかれないとそれはそれで傷つく姉もいるんですよ、と、悩ましい気持ちになっていた。
表面上はクールを装うが。
「……お褒めいただき光栄ですわ」
「それに、入って間もない割にはお城の空気に溶け込んでいるっていうか……あんまり違和感がありません」
「そうですわね。サラったら当たり前のように馴染んじゃって、あんまり教えることがなくってちょっと寂しいのです」
「それは……その、申し訳ございません」
事あるごとに上司として仕事を教えようとしてくるが、要領のいいサララはロイヤルシッターの仕事くらいならすぐに覚えていってしまったので、アリエッタとしては物足りなく感じていたらしい。
手先をワキワキさせながら「つまらないわ」と独り言を言っていたのもサララの記憶に新しかった。
正直こちらに関しては謝る必要もないのだが、部下である以上無視することもできず、とりあえず平謝りしておく。
「でも、サラのような人が傍にいてくれたら、私もちょっとは安心できるかもしれません……女王になりはしたものの、このお城って、私のお城じゃないみたいで……」
「いっそサラも侍女になってしまうのはどうかしら? 適当に私の親族の男性を紹介して――」
「あ、いえ、私には決まった方がいますからっ」
話が急激に変な方向に流れそうになったので、慌てて制止する。
アリエッタは勢いがある。止めなければまずいと思ったのだ。
この時ばかりはサララも尻尾までびくん、とさせ、わたわた手を前に出す。
「あら? そうだったかしら……?」
「最初に言いました……とにかく、私には相手がいますから……そういったお話は、ご勘弁を」
「残念だわ……」
「残念です……」
主従そろって眉を下げ残念がる。
サララとて胸が痛まないでもないが、「これだけはだめ」と、固く拒絶した。
「でもサラ? 私今まで貴方はずっと黙っていて何を考えているのか解らなかったけれど、これからは……その、暇なときにでもお話ししてくださいね?」
「陛下がそう仰るのでしたら……ええ、畏まりましたわ」
普通に考えて異例なことかもしれないと思いながら、フニエルの気さくさ、というより立場を考えない緩さにいくらかのありがたみを感じ、つい口元が緩んでしまう。
全然女王らしい威厳とかがないのだ。だけれど、妹として懐いてきてくれた時と何も変わらない。
変にひねくれていたり、誰かに言われるままの操り人形になって死んだ目をしていたらどうしようと、サララはずっと心配だった。
その懸念が一つ、消えたのだ。
(ううん、違うわ……)
懸念を、解消しなくてはならない。
これから起こるのだ、それが。
何か一つ間違えば、この可愛い妹がただの操り人形にされてしまう。
それをなんとか変えなければならなかった。
変えられるのは……自分たちだけなのだと、そう思った。
(この子が笑い続けられるようにしないと。この優しい娘を、曇らせないようにしないと)
正しく、今のままではいけないと認識した。
外聞だけでは把握できない、場内の問題点。
女王自身が抱えている問題。不安。
これを認識し、サララは明確に「このままじゃいけない」と考えたのだった。
ただ様子を見るターンは終わり。
ここからは、問題解決のための行動に切り替わる。