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嘘つき女神と0点英雄  作者: 海蛇
12章.エスティア王国編1-恋する女王-
223/303

#17.はちあわせハプニング


「どいたどいた~! 侍従の料理が優先だ~!!」


 三日経過した夕方のこと。

もう慣れきった顔で配膳用カートを手に、廊下を爆走する。

今日はアリランは休みなので、自分一人での配膳。

最適なルートはすでに把握済みで、とにかく量を最速で運び続けなければならない。


「まずは一つ目っ、邪魔するぜっ」

「おう、早いな。もうすぐ最初の分が切れそうだと思ってたところだったんだ」

「やるな兄ちゃん。残りも頼むぜ」

「あいよーっ」


 息切れ一つせずに最初の分を配膳。

ついでに空になった皿をカートに乗せ、また戻ってゆく。

アリランと二人の時は帰りは比較的ゆったりと移動できたが、一人の時は帰りもダッシュ。


「侍従用、配膳二回目でーすっ」

「もう用意してあるよ! こぼさず運びな!!」

「りょーかい!」

「これが終わったら要人用だ。急ぐんだよ!!」

「うーいっ」


 厨房に戻るや、すぐにコック長のマギーが顔を出してきて次の指示を下してくれる。

言われるままに料理の満載されたカートを受け取り、また持ち出す。

背に向けかけられた言葉も聞き逃さない。


(とにかく、今は急がないとなっ)


 食事時はコックの戦場。

それは料理はもちろん、配膳役も変わらない。

とにかく急ぐ。とにかく正確に運ぶ。とにかく待たせないようにする。

お腹を空かせている者たちを、一人でも多く満たしてあげなければならない。

コックという職業は、薫が想像していた以上に時間に厳しく、あわただしいものだった。




「――はい、確かに料理も問題ないわね。時間もぴったり。戻っていいわ」


 侍従たちの食事を運び終え、次に運んだのはゲスト用の2番食堂。

部屋の前でいつものように懐中時計を持ったメイド――キューカに引き継ぐ。

カートを渡し終えるとすぐに戻るのだが……その時、不意に小さなため息が聞こえ、カオルは気になってしまう。

振り向くと、カートのグリップを震える手で握ろうとする、キューカが見えた。


(……緊張、してる?)


 声をかけるべきではないと思いながらも、気になってしまう。

するとキューカもカオルに気づいたのか「何か?」と、表情ばかりはクールを装おうとしていた。


「いや、何かため息が聞こえたから……疲れてるのかなって」

「気にしなくていいわ」

「そっか。じゃあいいや」


 気にするなと言われてそれでも尚関わるのは流石に深入りと言えよう。

友達ならまだしも、彼女はただの別部署のメイド。

仕事関係で疲れてようが何だろうが、関係ないはずだった。


(でも……キューカさんって、いつも飯、この時間帯に食えないんだよな)


 侍従もメイドもフットマンも、侍従の食事の時間には全員が食事をとる。

この時ばかりは貴人の傍仕えも食事をとるはずで、ゲストなどの食事の配膳時間も本来、これらの食事時間とはズレるはずだった。

だが、このゲストの要人だけは毎日必ず侍従たちに近い時間帯になるように食事をとる。

これはこの要人がバークレーで同じ時間に食事をとっているからなのだが、これが原因で、キューカは著しく食事の時間が遅れてコック達と一緒に食べていたり、ひどいと食事そのものがとれないことが多いのだと、アリランが話していたのをカオルは覚えていた。


(――後で何か差し入れでもしてやろうか)


 見習いコックにだって自由時間くらいはある。

大体はその空いた時間で先輩たちから仕事についてわからないことの補完のために質問したり雑談したりしてコミュニケーションをとるものだが、一度気になりだすと忘れ去るということができないのがカオルという男だった。




「――何をのんきにやっているのだ!! この役立たずが!! 配膳すらまともにできないのか!!」


 その、ほんのわずかな遅れが元で、キューカのもとに不幸が舞い降りる。

曲がり角にさしかかろうというその時、背後から聞こえてきた罵声と、消え入りそうな小さなおびえた声。

さっきまでドアの向こうにいた要人が出てきたのか、キューカに怒鳴りつけていたのだ。


「も、申し訳――」

「謝っている暇があるなら1秒でも早く配膳せんかぁ!! お前が間抜けなせいでもう1分も食事の時間が過ぎているのだぞ!? お前はその責任が取れるのか!? それによって生じた遅れの分、バークレーの未来を貴様は背負えるというのか!? どうなんだ!」

「ひぃっ、ご、ごめんなさいっ、すぐに運びますからっ」

「当たり前だ! このツラばかりの無能猫が! お前らは我らバークレーが手を貸さなんだら、とっくに盗賊に滅ぼされていたところなのだぞ! 早くしろ!!」


 それを受けキューカは必死に謝るが、そんなもので要人の怒りが収まるわけでもなく。

結局、言われるまま、怒られるままに配膳するしかないのだ。


(あの懐中時計って……)


 たった1分の差でああまで理不尽に怒鳴り散らされる。

それは、キューカにとってたまらなく恐ろしいことなのだ。

だから、1秒でもズレる事無く時間通りに配膳されるよう、いつも懐中時計を持っていたのだ。

自分がたった一言話しかけただけで、キューカは怒られた。

そう思うとひどく申し訳ない気持ちになるが、それ以上に、そんな些細なことで怒鳴り散らすバークレーの要人とやらに、腹立たしさも覚えた。


(……くそ)


 振り向けば、まだその要人は食堂の外にいた。

キューカに対して何やら訳のわからないことを叫び散らしながら。

そうして、さも当たり前のようにキューカの尻に手を伸ばし、なで回す。

キューカもそれに気づき、びく、と身を震わせるが……抗うこともできず、気づかないフリをしていた。

だが、耳も尻尾もしぼんでしまい、目に見えておびえていたのは、離れた場所にいるカオルでも容易に見て取れた。


――すぐにでも殴りつけてやりたかったが、そんなことをしても何かが変わることはない。

バークレーは、エスティアにとって救い主なのだから。

その要人が何をしてこようと、メイドは耐え続けなければならないのだ。


(救い主だから、何をしてもいいってのか……?)


 もしそうなら、自分はサララに何をしても許されたのだろうか。

猫獣人を助けたら、何をしてもいいというのだろうか。

そんなことはない。そんなはずはないと、カオルは怒りにはらわたが煮えくり返りそうになったが。

だが、そんな短絡で殴り掛かって許されるほど、世の中は甘くないことも分かっていた。


「――くそがっ」


 だが、怒りは溢れる。留まらない。

怒りの矛先は……壁だった。

ズガン、と、怒りのままに壁に拳をたたきつけ――そのいくらかを凹ませてしまう。


「んっ?」

「えっ……?」


 そして、その音に要人とキューカが驚き、振り向こうとしていた。

カオルも我に返り「やべっ」と焦りながら曲がり角に入り、隠れる。

幸いか気づかれることもなく、それが元になってか要人も騒ぐのをやめキューカともども食堂に入ったようだが……その中でキューカがどんな目にあっているのかは想像もできず。

ただただ、何事もないことを祈るばかりであった。

カオルは、ただのコック見習いなのだ。今はまだ、それ以上は何もできなかった。

それが今の彼には、どうしようもなく情けなく、みじめに思えた。




 意気消沈して戻ると、マギーが「遅かったねえ」と手を腰に仁王立ちしていたが、カオルが先ほど見た光景をマギーに告げると「なるほどねえ」と、何かに納得したように頷き、怒りの姿勢を解いた。


「確かにあの要人には、城内のいろんな人が迷惑してるよ。救い主って言ったって、あたしらは生きてるんだからね。どんな理不尽な目にあってもいいってのは、間違ってると思うけど……」

「でも、キューカさんは我慢させられてるんですよね? かわいそうっていうか……メイドってだけでそこまで我慢する必要があるのかなって」

「……国のためって思えば、我慢するしかないんだろうけどね。確かに、今バークレーに庇護を打ち切られたら、エスティアはまた元の無防備な状態に戻っちまうからね。でも、あの要人一人が本当にそこまでの事をできるのかっていう気持ちもある」


 今度は腕を組みながら。

しかし、カオルの疑問に沿った答えを一緒に考えてくれていた。

カオルとしては意外な対応だったが、それでも、気になることは多かったのでありがたくも思う。


「やっぱり、この城にいる中では王子様が一番偉いんですよね? でも、その王子様はそんなに横柄じゃないんですよね?」

「ああ、そうさ。王子はとても善い方だよ。少なくとも女性はメイドであっても優しく接するし、何か粗相があっても怒鳴ったりなんてしないからね。あの要人とはえらい違いさ」

「それに、王子が女王と結婚したら、当然繋がりは無視できなくなるわけで……あれ? じゃあなんであの要人、そんなに無茶なことばかり言ってるんだ……?」

「……解らないねえ。もしかしたらエスティアと関わるのが嫌な、庇護に反対してるような人なのかもしれないけど。それにしたってもうちょっと上手くやるだろうしさ。単に問題人物なだけなのかも、と……いや、おしゃべりはこれくらいにするよ。まだ配膳は全部終わってない。そろそろ女王陛下の食事の時間だ。気を付けて運びな」

「あ、はい」


 コック長なりの見解、というのは城内においてはあまり重要なものではないだろうが、それでも自分以外の見解を聞けるのは大きかったので、カオルとしてはできるだけこの話を長引かせたかったのだが。

残念ながらまだ配膳の仕事が残っていたらしく、次のカートが用意される。


「何度か運んでるからわかるだろうけど、絶対にこぼしたりしないようにね。昨日までは代役の爺さんが受け取ってたけど、今日から侍女長のアリエッタが受け取るはずだから、機嫌損ねないように」

「侍女長が自ら……さすが女王の配膳っすね」

「いや……あれは単にアリエッタ以外務まらないからやってるだけだよ。とにかく、任せたよ」

「はいっ」


 マギーと会話したおかげか、先ほどまでの苛立ちや気持ちの沈みもいくらかは収まり、また新たな気持ちで仕事に取り掛かれる。

用意されたカートを受け取り、またカートを押してゆく。


(でも、侍女長っていったら城内だと結構偉い人だし、知り合いになれたら貴重な情報とか聞けるかもしれないな)


 そこまで関われるかはともかく、顔くらいは知っておいて損はないと思えた。

とにかく前向きに考える。一つことに執着しすぎない。そうすることで見えるものもあるのだから。

これは、この世界で彼が問題に直面した時の、一つの解決方法だった。

目の前以外にも解決の道はあり、多くの場合、難問というのは別の部分から糸口が見えるものなのだから。




 女王が食事をとる時間帯は、侍従たちの多くは食後のお昼寝タイムに突入するため、廊下もガラガラ、かなり運びやすくなっていた。

それでもなお細心の注意を払って運び、目的の女王の私室前に到着。

私室の前には、確かに前日までと違って年若い、背の高い侍女服のお姉さんが立っていて、カオルの姿を見るや「あらあら」とにこやかあな笑顔を向けてくれていた。


「貴方が最近入ったっていう人間のコック見習いの人ね? 私侍女長をやっているアリエッタって言うの。初めまして~」

「あ、初めまして……うん?」


 その侍女長のアリエッタ、見た目のわりにマギーなどと違いきゃぴきゃぴとした話し方をしていたが、問題はその後ろに引き連れていたメイドだった。


「あ」

「……っ」


 サララだった。眼鏡やカチューシャをつけていたし化粧もしていて結構印象が違うが、それでもサララだった。

一目でそうとわかるくらいにサララだった。


「んー? どうしたの?」

「あ、いえ……コック見習いのカオルという者です。よろしくお願いします、侍女長様」

「礼儀正しい方ねぇ。いいのよもっとフランクでも。このお城ではフニエル様と王子様と……後は侍従長のおじいちゃん以外は適当でも割と許されるから~」

「は、はあ……」

「この子は見習いのメイドなの。貴方と入った時期も近いし、お料理の受け取りも今後はこの娘が担当するから、仲良くしてあげてね」


 カオルとしては「なぜサララがここに?」とか「なんでメイドなんてやってるの?」とか「なんでこの人サララに気づかないんだ?」とか、色々なことが気になりはしたが。

メイド服のサララは大変かわいらしく、カオル的には十分ありだった。

アリエッタがウィンクなどしてくれていたが、全く気にならないほどに。

ただ、上の空になっていたわけでもなく、「解りました」と手堅く返答し、その場を去った。

料理の受け渡しは完了したのだ、長居する必要はない。

その気になればもっとアリエッタと立ち話などできたかもしれないが、今はもう、その場でいたたまれなさそうにしていたサララのためにもすぐに離れてやるのが吉だと思ったのだ。




「んー、あの人、サラの方ばっかり見てたわねぇ。ロリコンなのかしらぁ?」


 残ったアリエッタは、引き継いだカートの中身を確認しながら、先ほどのカオルの様子を思い出し唇を尖らせていた。

自分が目の前にいたのに、自分のことを気にせず後ろにいたメイドばかり見ていたのだ。

これは侍女長としてはつまらなかったらしい。


「あっ、いえ、そういう訳ではないと……」

「そぉ? 人間の方って私みたいなおっぱい大きい娘のほうが好きって聞いたんだけど……そういう訳でもないのかしらねえ?」

(ナチュラルに人の想い人誘惑するとか何考えてるのって思ったけど……カオル様が私のほうを見てたのは、まあ、きっと驚きとかだと思うなあ)


 サララとしては正体を明かす訳にもいかないし、カオルとの接点などアリエッタが知ってるわけもないのでなんと答えたものか困ってしまうが。

内心ではカオルが自分に注目していたのは、きっと連絡役のはずの自分がメイドなんてやってるからだろう、と考えていた。

実際はともかくとして。


「でも、想像していたよりもたくましい方だったわね。顔つきも精悍だし……猟師か何かやってたのかしら?」

「ど、どうなんでしょうね……」

「それに、意外と言葉遣いも丁寧だったし……学者みたいな知的さはないけど、粗野なのとも違う感じがしたわ。経験からくる自信? みたいなのも感じられたわね」

「そうですね……それは、あるかも」


 伊達に侍女長なんてやってる訳ではないらしく、人を見る目は確かなようだった。

これに関してはサララもちょっと驚きで「ただぽやっとしてただけじゃなかったんだこの娘」と、いくらか見方が改まった。


「やっぱり人間の方っていいわねえ。ああ、いけない気持ちを抱いてしまいそうだわぁ」

「……それは、ちょっと」

「あらぁ?」

「あ、いえ……」


 見方を改めた直後に、乙女っぽい仕草のままあらぬことを口にするアリエッタに、ついついサララも血相を変えて口出ししてしまったが。

アリエッタが目ざとく横目でそれを見るや、「しまった」と、サララは言い訳を考える。


「婚約者がいる方が、あまりそういった事を言うのは……」

「うふふ、確かにそうね。でもまあ、好きでもない人と結婚するのも虚しいし、フニエル様は心配だしで、正直結婚する気もないのよねえ。もちろん、フニエル様が結婚するまでは私自身も悪い風聞が立つようなことは避けなければならないけれど……それを気にしなきゃいけないのは、多分今だけなのよねえ」


 侍従の醜聞は主の醜聞。

傍仕えの侍女が問題行動を起こせば、当然それは仕えている主自身に徳がないからそうなるのだと、周囲に伝聞されてしまう。

特に結婚を控えている時期のフニエルにとって、腹心でもあるアリエッタが婚約者と違う男に色目を使っている、などという色恋沙汰の問題は致命傷にもなりうる。

アリエッタ自身それはわかっているのだろうが、では、それが終わったらどうなるのか。

フニエルが結婚した後、自分は用済みになるのでは、と、アリエッタは考えているようだった。


「今でこそ侍女長なんてやっているけれど、私自身、結婚したら職を捨てる必要もあるだろうし。侍女という立場は、妻という立場と掛け持ちでできるほどに容易なものではないから……子供も産まなきゃいけなくなるし、ね」

「アリエッタさん……」

「生まれが生まれだから仕方ないとはいえ、私も貴方のように気軽に生きられる立場なら、と思わずにはいられないわ。フニエル様のお傍に仕えるのは、それはそれで楽しかったけれどね」


 王族には、侍従の苦しみなど分からなかった。

サララは、王族としては珍しく、民衆のことも考えられる王族ではあったが。

最も身近にいるはずの侍従たちが、何を考えどう想い生きているのかなど、今の今まで考えが及ばなかったのである。

ともすれば真っ先に自分たちを裏切りうる、自分たちに手にかけられる距離にいる者達なのに、である。


 尽くしてもらって当たり前だった。

傍に仕えて、自分のためだけに彼女たちが生きてるのが、当然のことだった。

だが、それは彼女たちの滅私奉公があったからであり、彼女たちにも(わたくし)はあったのだ。

同じ人間なのだから。同じ人生を生きる、同じ国の人間。

だというのにサララは、今ようやくそれに気づけたのだ。


(私たちは……そんなことにも気づかずに……)


 国を離れ、カオルと共に暮らし。

サララは、自分ではもう相当、世相に詳しくなった気になっていた。

色々な、民衆との暮らしというものを実際に肌で感じられるくらいに続け、庶民の感覚も身についているつもりだった。

でも、それで理解できているのは民衆の事だけだったのだ。

最も自分たちに近い存在を、彼女は完全に見落としていたのだ。

そしてそれはおそらく、自分以外の王族も。


「……アリエッタさん。侍従の方は、王族の方にとっては、どう思われてるんでしょうね」

「そうね……あまり悪し様には言えないけれど、フニエル様以外の王族の方は……何とも思ってらっしゃらないでしょうね? だって、私たちはただの世話係だもの。そこにあって当たり前の空気を、一々意識して吸ったりしないでしょう?」

「そう、ですか」

「でもサラ? 貴方はとても運がいいわ。私達が仕えるフニエル様は、そんな方々とは違う。私たちのことを気にかけてくださるわ。私たちをかけがえのない存在として見てくださる。あの方は、誰であっても見下さないし、誰であっても忘れたりしない」


 それがどれだけ尊いことか。

自分たちが空気として認識されている中で、ただ一人だけ自分のことを見てくれているとしたら。

それはそう……離れがたい気持ちになってしまうだろう。

少なくともサララはそう思えた。

サララはそれをカオルに感じた。

けれどアリエッタはそれを、フニエルに感じていたのだ。


「でも、それなら貴方はずっと陛下のお傍にいられるのでは?」

「そうね……フニエル様だけがすべてを決められるなら、そうでしょうけど……でも、ご結婚なさるという事は、相手方とも関りができるという事。当然、バークレー側からも王子の傍仕えの方がいらっしゃるはずよ。そして、力関係はバークレーのほうが強い……」


 その影響力を行使するなら、元からいた女王の側近など、まず真っ先に排除するに決まっていた。

女王を支える人間がいなくなれば、女王は夫の言うことを鵜呑みにするしかできなくなるのだから。

そうすることで、バークレーという国はエスティアを完全に我が物にできる。

それは、傀儡(かいらい)国家を作るためのプロセスだった。


「遠からず私は切られる。その口実に、私の結婚は向こうにとって都合がいいでしょうから……」

「そうなってから抵抗しても、無駄なんでしょうね」

「恐らくはね。もちろん、これは私のただの妄想かもしれないわ。何事もなくご結婚後も私は仕えられるかもしれない。でも、本当にそうなるとは私は思えないわ」


 いかに大切にしてくれる主に仕えようと、その主が男にいいように操られたのではどうにもならない。

アリエッタの悲哀は、同時にフニエルの悲哀でもあった。


「だから……そんなことになるくらいならいっそ、という気持ちもない訳ではないのよ? だって、気に入った主と引き離されて好きでもない人と結婚するのは、それは女としては、墓場に入れられるのと変わらないでしょう?」

「……」

「貴族として生まれたからフニエル様と出会えた。けれど、貴族として生まれたから引き離されて、辛い気持ちのまま生きて……恋すらしたことないのよ? 貴方には耐えられて?」

「まだ、結婚した相手と恋ができないと決まったわけではありませんから」

「まあ、そうね……確かにそうだわ。ああ、いやだわ、私最近変にナイーブになってしまって。なんでもかんでもネガティブに受け取ってしまうのは善くないわね!」


 辛うじてアリエッタの境遇に救いがあるとすれば、結婚相手は恐らく、それほど絶望するほど悪い相手ではないという事である。

確かに猫獣人はあまり働くのが好きではないしのんびりとしたマイペースな人間ばかりだが、それでもアリエッタの家系は最上位の生活ができる上流階級である。

一般の猫獣人がたまに餓死の危機に陥ることがある中で、少なくとも食事に困ることはない結婚相手、というのは、本来ならこの上なくアリな相手のはずなのだ。

血が近いのは確かに難儀する部分もあるが、つまりは気を遣う必要が少ない相手ともいえる。

だから、アリエッタが自分の身の上を不幸に感じているのは、あくまで一時的な、アリエッタ自身も言っているようなネガティブな感傷に過ぎないのだ。


 だから、サララは完全には飲み込まれなかった。

確かに侍従の境遇や想っていることを彼女たち王族は知らない。

けれど、それを理解しているのだというフニエルはといえば、逆に王族自身のことを何も知らないはずなのだ。

扱いが平等なのは自分が王族だという自覚に乏しいから。

そう考えれば、確かに侍従にとってはありがたい主かもしれないが、危うさすら感じられる。

サララは改めて「フニエルは女王としては問題があるみたい」と、その立場、存在の危うさを再認識した。


「ささ、おしゃべりばかりしていてはフニエル様の食事が冷めてしまうわ。すぐに運んで頂戴」

「あ、はい……そうですね。すみません、変なことを聞いてしまって」

「いいのよ。私も最近胸につかえてたから……今話せて、少しだけすっきりした気分なの。私のほうこそごめんなさいね、入ったばかりの貴方に変なこと言って」


 自分自身の納得がいかない立ち位置。

それは、アリエッタ自身が感じている、運命の難しいところなのだろう、とサララは考える。

誰もが胸に抱く悩み。アリエッタの場合は王族とかかわりが深いからこそ抱く、複雑に見えてしまうそれも、実際には誰もが考える悩みと同じなのだ。

解決が難しい、ともすれば解決できない問題。

普段ほんわかしているだけだと思っていたアリエッタがそんな悩みを抱いていたことに気づき、サララは少しだけ親近感を抱いた。


(恋の悩みは……それは、重いものだもの)


 サララ自身、自分の本当の立場をカオルに伝えるのも、エスティアの現状を伝え助けを求めるのも勇気がいることだった。

それもこれも、彼女がカオルに恋をしていたから。

人は、恋愛が絡むと途端に問題を大きくしてしまったり、難解にしてしまったりする。

アリエッタのこれも、きっとそのたぐいの問題なのだろうと、サララは納得することにした。


「……でも、浮気はダメですからね?」

「えー? ちょっとくらいインモラルでもいいと思うんだけどなあ。ダメ?」

「ダメです。絶対ダメです」


 もちろん、くぎを刺すことも忘れなかった。

アリエッタが誘惑しようとしていたのは、他ならぬカオルなのだから。

アリエッタの気持ちが理解できても、アリエッタに譲歩する気は更々なかったのだ。

サララもまた、恋に悩む乙女の一人であり、恋する人を取られまいと頑張っていたのだから。


(この人……結構緩いから油断すると平気で道を踏み外しそうで怖い……)


 マイペースなのが猫獣人の特徴ではあるが。

アリエッタはその中でも一際マイペース過ぎるというか、サララとしては見ていて怖くなるのだ。

そのマイペースさがカオル相手に向かないことを祈りながら、カートをフニエルの元へ。



「……ご飯、いりません」


 そうして二人は、悩ましげに頬杖をつく女王のそんな一言に、固まることになった。

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