#16.気づかれなかった姉
「失礼いたしますわ」
上から下までメイド姿となったサララは、メイド『サラ』として、早速女王フニエルと顔合わせする事になった。
その日の執務を終え、私室でくつろいでいるのだというフニエルの元へアリエッタに案内され、そのまま連れて来られたのだ。
「あら……アリエッタ。どうしたんですか?」
「フニエル様。先日お話した、新しいメイドなのですが、首尾よく見つかりまして。ご挨拶をと」
「メイド……はい、この間の件ですね。ちょ、ちょっと待ってくださいね……っ」
アリエッタから「まずは私が話を通すから」と部屋の前で待たされ、中から聞こえてくる声に妹の姿をイメージする。
まだ姿こそ見えないが、その口調、メイド一人と会うだけで緊張し、心の準備が必要な様に「相変わらず慣れた人以外は苦手なのね」と、ため息混じりに懐かしさも感じていた。
「は、はい。大丈夫ですよ。連れてきてください」
「かしこまりましたわ――サラ、いらっしゃい」
アリエッタからの声を受け、サララは「はい」と、自分自身でも覚悟を決め、「どうにでもなれ」とばかりに部屋に入る。
一応、リボン付きのカチューシャのおかげで髪型は幼少の頃よりいくらか違った感じにしていたし、事前にアリエッタから受けた化粧のおかげで眼元などの印象は結構変わって見えるはずだった。
あくまで初対面という設定上、余り堂々とし過ぎてもいけないと思い、いくらかおどおどとした演技をしながらフニエルの前に立つ。
正面に立って、その姿を見てまず最初に抱いた印象は「あんまり変わってない」という懐かしさ。
既に二次が始まっていて体型的には自分とそんなに変わらないけれど、それでもまだまだ幼さを残す面持ち。
幼少の頃を思い起こさせる顔はあどけなく、とてもではないが政治の世界に関わるような鋭さは感じられない。
エルセリアのステラ王女のようにそのように演じているだけならまだしも、素でそう振舞ってしまっているような危うさすら感じられる、そんな幼さだった。
「お初にお目にかかります女王陛下。新しく働かせていただくことになりました、サラと申します」
「……サラ、ですか? なんだか、どこかで見た様な……」
「っ!? あ、いえ、その……」
「私も最初そう思ってたんですよねえ。でも、明らかにお城慣れしてないみたいですし、気のせいでは?」
案の定即バレするかと思いきや、「うーん?」と悩ましげに首を傾げるフニエルに、アリエッタは「いえいえ」とそれを否定する。
フニエルも、信頼のおける侍女長の言う事を真に受け「そうですか」とすぐに疑問をかなぐり捨てる。
サララ的にはナイスアシストだったが、妹の自分に対しての無関心さにちょっと悲しくもなっていた。
(こういう状況だから仕方ないけど……妹に気づかれないって結構辛い……)
「サラ、貴方にはこれからベッドメイクとフニエル様がお召しになるドレスやパジャマ、肌着の用意をしてもらうわ。当面の間はそれ以外は私がするから、まずは少しでも慣れる事。いいわね?」
「あ、はい……粗相のないように頑張りたいと思います」
確かにメイドそのものはやった事が無かった。
これが使う側ならむしろいつものように「プロです」と胸を張りたいところだが、使われるのは完全に初めてである。
そもそも人にこき使われるのが好きではないのもあるが、サララ自身自分の不器用さは理解した上でできないものとは向き合わなかったのだ。
幸い、カオルと暮らす中でも自分の寝るベッドくらいはいつも自分でなんとかしていたので、そこは問題なさそうだった。
(そういえばカオル様、どこに入ったんだろう。カオル様なら力仕事もできるし狩猟担当かな? 案外料理人見習いとかになってたりして)
「まだ教える事は他にもありますので、私共はこれでいったん失礼いたしますわ。サラ、いくわよ」
「はい。失礼いたします」
流石に年季の入った侍女長の所作と比べれば、頭を下げる動作一つとってもぎこちなく映っただろうか。
いそいそとアリエッタの後をついていくサララの姿は、実に堂に入った『お城勤めに不慣れな新人メイド』であった。
「……ふぅ。ひとまずは大丈夫そうね。フニエル様も怯えた様子はなかったし……貴方を選んだ私の目に狂いはなかったわ!」
「は、はあ……私もとりあえず、安心しました」
部屋を出て少し歩き、アリエッタとまた向き合う。
アリエッタ的には主人が緊張しない貴重な相手を見つけた喜びで満足そうに微笑んでいたが、サララ視点では「ばれなくてよかった」と「なんで気づかなかったかなあ」という背反する感情がないまぜになって、複雑な気持ちになっていた。
兄の侍従ですらすぐに気づいたのに。改めて、この侍女と末妹の残念さが浮き彫りになってしまっていた。
「大丈夫? 緊張しちゃった?」
そんな自分を見て何か勘違いしたのか、アリエッタは首を傾げながら問うてくるが。
サララは「変に落ち込んで不審がられてもよくない」と考え、いつもの営業スマイルになる。
「いえ。確かに女王様の御前だったので不安もありましたけど、優しい方のようで安心しました!」
「そう、よかったわ……なんだか落ち込んでるようにも見えたから。でも、そうね。フニエル様はお優しい方。何も心配はいらないわ」
とってもいい娘なんだから、と、我が事のように笑うアリエッタは、サララから見ても「忠誠心はあるのよねえ」と感心できるものであったが。
同時に、「優しいだけじゃ為政者は務まらないのに」という不安も、間違いなくそこにあった。
「あの……アリエッタさん。質問をしてもよろしいですか?」
「よろしくてよ。何かしら?」
「陛下にお世話する上で、気を付けないといけない事などを教えて頂ければ……」
「そうね。その辺りは一番に教えないといけない事だから私も教えるつもりだったけど……まずは、フニエル様にあまり干渉しない事。あの方はいつも色んな事で悩んでらっしゃるわ。政治の事、国家運営の事、最近では……恋の事にも」
「恋……ですか?」
「そうよ。バークレーの第二王子ラッセル様とご婚約してらっしゃるのは知っているわよね? 国中に発表したし、それは流石に皆解ってるはずだけど」
国民はそれを知っていた。
サララ自身は知らなかった事だが、本来はエスティア人なら誰でも知っている事のはずなのだ。
国を離れていたのは自身の所為。そうとは思っていても、疎外感は感じてしまう。
複雑な気持ちのまま、サララは「はい」と、神妙な面持ちになって頷いた。
「とにかく、フニエル様は考え事の最中に他者に干渉されるのを嫌がるわ。仕方ないタイミングというのはあるかもしれないけれど、極力タイミングを見て、考え事などをなさっていないようなときに話しかけるようにして頂戴」
「かしこまりました」
「ご本人も難しいお年頃なの。女王を名乗ってはいても、そのお心は些細な事で揺れ動き、消沈してしまう事もあるわ。だからお傍で見ていて心配になってしまう事もあるかも知れないけれど、ご本人が望まない限りは黙っている事。私たちのお仕事は、黙っている事もお仕事の内だから、それを忘れないように」
「黙っている事も……」
思い返せば、自分がこの城で王族として暮らしていた頃。
確かにメイドは、必要な事こそ言ってくるものの、自分が求めない限りは声をかけてきたりはしなかった。
侍従に関しては世話係なども兼ねていたのでその限りではなかったが、それでもいつもタイミングを見計らって話しかけてきたように思えたのだ。
使っている立場では解り難い気遣い。
それでも、主人が安心して生きられるように計らうのが彼女たちの仕事なのだろうと、サララは改めて侍従やメイドといった仕事を再認識した。
(まあ、自分がメイドとして使われるなんて想像もしてなかったけど……)
まさかの状況だった。
それでも、利用できるものはすべきだとも思っていた。
気付かれていないなら、フニエルの全てを見る事が出来る今の状況は、実際美味しいのだから。
(後は……カオル様と接触する事が出来れば)
「そういえば、新人と言えば、調理場にも新しい人が入ったようね。私はまだ見てないけれど、お爺様が言ってらっしゃったわ」
「はあ、新しい人が……お爺様……ですか?」
「そう。私のお爺様! 侍従長をやってるんだけど~」
話の切り替えから、フニエルについての必要事項はとりあえず打ち切られたらしく、アリエッタは雑談の如く自分の周りについての話を始める。
サララはそれに疑問を抱く素振りを見せながら「新しく入ったって言うのはきっとカオル様の事」と、先に潜入したカオルの配属先も把握していた。
(爺ってまだ生きてたのね……相変わらず緩いのかしら……)
アリエッタの家は、エスティアにおいては数少ない貴族の家系。
代々王家に仕える名家の血筋だった。
名家なんて言ってもそれほど大それたものでもなく、エルセリアの貴族と違って領地も持たない為に完全に城住まいの侍従と化しているのだが。
代々政と関係しない城内のあらゆる物事を取り仕切っていたのが、このアリエッタの祖父で王族から『爺』と呼ばれる侍従長である。
(今じゃアリエッタが侍女長だし、城内人事のツートップがこの一族に取られてる関係上、城内はすごく緩い事になってそうねえ……)
元々はこれに加えいくつかの氏族が収まっていてバランスが取れていたのだが、この分だとそのバランスも崩れていそうな感じだった。
緩い一族による城内支配。これは様々な面で問題が生まれていそうで、サララはにわかに胃が痛くなる感覚を覚え始めていた。
「――それで、その新しく入ったっていう人、人間なんですって。とっても珍しいわよね」
「はあ……人間の方が。確かに珍しいですねえ」
話を聞きながらに「やっぱりカオル様の事だった」と安堵したが。
問題はロイヤルシッターになった自分が、いかにしてカオルと接触するか、という点にあった。
「私も、人間の使用人なんて久しぶりに見るからちょっとドキドキしてるわ。素敵な方だったらどうしようかしら♪」
「アリエッタさんは、貴族の方ですし、ご婚約してらっしゃるのでは……?」
「ええ、してるわよ。そうは言っても一族の中の遠縁の殿方だから、ほとんど身内なのよねぇ」
どこかで薄めたいのだけれど、と、山国にありがちな割と切実な悩みを口にしながら、悩ましげにため息をつく。
これに関してはサララも同情せざるを得なかった。
(氏族が違っても結局はほとんど親戚みたいなものだし……この辺りはよその国から相手を探せる王族の方がまだマシだけれど、でも、血の維持は必要な事でもあるから難しいわよね)
ドラゴンスレイヤーとしての血筋は確実に残さなくてはならない。
それは、女神によって生み出された猫獣人としての存在意義に関わるとても重要な事。
それゆえに、古来猫獣人は不便極まりない山脈地帯に国を創り、血が交わらぬ様に暮らしていた。
しかし、近親同士での婚姻が続けば血が濃くなりすぎ、時に奇形児や障害児が生まれる事にも繋がる。
これを避けるため、人間などと婚姻して血を意図的に薄める必要性も、確かにあった。
故に、多産な猫獣人は、一族の特徴を最も色濃く受け継いだ一人だけが近親婚をし、他の者は血筋の離れた相手や他種族との婚姻を進める。
アリエッタは……一族でも最も初代の特徴を受け継いだ一人になってしまっているので、近親婚は避けられなかった。
「やっぱり、他種族の男性には興味がありますか?」
「それはもちろんあるわよ。犬獣人はともかく、人間の男性は力強くって逞しいって言うじゃない? 物語のようにぎゅっと、強く抱きしめられたりなんかしたら……あぁ♪」
「……はあ」
「後はエルフね! 私達より華奢らしいけれど手足の筋肉は結構あるらしいし! それに、狩猟も得意だろうから私達とは相性ピッタリ!」
「エルフ……エルフかあ」
近年では見なくなって久しい種族だった。
そもそものところエルフをはじめとする亜人種族とは生活域が全く違うので会う機会もないに等しいのだが、サララ自身、文献でしかその存在を知らないほどに、エルフという人種は幻の存在となっていた。
だが、だからこそというのか、アリエッタは目を輝かせ「一度見てみたいわ!」と語るのだ。
この辺り、物語に恋する少女のようにも見えて「やっぱりまだ心は乙女なのね」と、可愛らしさすら感じていたのだが。
同時に、何か引っかかるような気がして「何がおかしいのかな?」と疑問に思い始めてもいた。
エルフ。それは一体どんな生き物なのか。
耳が長く、森に順応し、弓矢や魔法の扱いにたける狩猟者。
森林地形に適応し、人間と比べるとやや小柄だがすらっとしていて、手足の筋肉は発達している。
精神的には人間や獣人と比べ達観している事が多く、世捨て人の様に人間の文化圏からは離れた僻地で暮らす事が多いとか。
(確かに見てみたいけれど、流石に関わりが無さ過ぎて……でも、何か引っかかるのよね)
何に引っかかるのかは分からないままに、もやもやとした気持ちになるが。
すぐにアリエッタが「それはそうと」と話題を変えてしまい、それについていく為に意識がそちらに向いてしまう。
結局、何が引っかかっているのかに思いつく事はなく、アリエッタの雑談は30分近く続いた。