#13.潜入する英雄
「――という訳で、今回僕の国の炭鉱夫が持ち込んだ技術によって、採掘できる金の量が4倍に跳ね上がったよ」
エスティア城にて。
城の中庭では、ティーテーブルを挟んで女王フニエルが、バークレー第二王子ラッセルから参画事業の説明を受けていた。
今説明されているのは、かねてよりエスティアが所有していた金山の採掘効率について。
解りやすくグラフにまとめられての説明だったので、あまりその辺り詳しくないフニエルも目を輝かせ「まあ」と驚いて見せた。
「4倍もだなんて……一体、どのような……」
「これまで猫獣人の炭鉱夫は嗅覚と直感で危険なガスが出る場所やなんかを探り当ててただろう? それはそれですごいんだけど、疲れてたり眠かったりするとそれに気づくのが遅れたりして、事故が結構起きてたと思うんだけど」
「ええ、確かにそういう事案もあったとか……無理なく働くように言ってあるはずなのですが」
「まあ、そういうリスクを減らす為に休憩時間を多めにとってるのも効率が落ちる理由ではあるんだけど……だから、その嗅覚や直感に頼るのをやめて、他の、より嗅覚が鋭い動物に頼る事にしたらしい」
区切り目でラッセルがぱちりと指を鳴らすと、ラッセルの従者が鳥かごを持ってきてテーブルの上に置く。
「小鳥……ですか?」
「そうそう。僕の国では炭鉱ではこの鳥を使うんだ。カナカナ鶏っていう鳥でね。空は飛べないけど嗅覚は獣人よりすごいって言われてる」
「それでは、この鳥を使って危険な場所を探るのですか?」
「そういう事になるね。人間や獣人より確実に、迅速に気付けるから、炭鉱夫は採掘に集中できるって訳。危なかったら鳴くから、鳴き声が聞こえたら作業を中止して退避すれば、その分だけ安全性はあがるよね?」
「確かに、その通りですね」
籠の中の小鳥は「ほー、ほー」と、高い声で鳴いていたが。
せわしなくフニエルやラッセルの顔を交互に見やり、かたかたと鳥かごにくちばしを擦りつけていた。
「ですがラッセル様。小鳥は私達猫獣人にとって、少々問題があると言いますか……」
「ああ、解るよ。鼠とか小鳥とかはついつい目で追っちゃうんだよね。大丈夫、その為にこの子達は特殊な能力を持ってるんだよ」
「特殊……ですか?」
「ああ、じっと見てれば解ると思うけど」
どうぞ、と、フニエルに手を向け、その場でリラックスしたように深く座り込む。
フニエルもまた、言われた通りにじ、と、カナカナ鶏を見つめた。
ほどなく、フニエルの視線を感じたカナカナ鶏は、羽をバサバサとざわつかせ始める。
「あ……こ、これ……」
フニエルが変化に驚いている間に、カナカナ鶏は背景に溶け込み、見えなくなっていった。
びっくりして耳をピン、と立てるフニエルに、ラッセルは自慢げに「すごいだろう?」と頬を緩める。
この純粋な少女がそんな程度の事で驚くのが、とにかく楽しくて仕方ない。
そんな心持ちで、コクコクと頷く婚約者に笑いかけていたのだ。
「すごいです……確かにこれなら、猫獣人ばかりの中でも問題なく飼えますね」
「飛ぶことはできないけど、自分に対しての視線を感知する能力と、背景に溶け込む能力。この二つがあるから、天敵が多い地域でも生き延びていられた。小さいけど、賢い生き物だよ」
「こんなに小さいのに……すごいですね。ちゃんと、生き抜くための知恵を身に着けてるんですね……」
偉いなあ、と、心から感心したように背景に溶け込んだ小鳥を見つめながら、フニエルもにっこりと笑う。
利用する為に取り入っている少女。だけれどラッセルにとっては、可愛らしい婚約者でもあった。
(兄さんはこの娘をもっと上手く操れって言うけど……ちょっと気が進まないんだよなあ)
元々は、何の関心もない、名前すら知らなかった相手だった。
初めて会った時も人見知りの激しさからひたすら怯えられて、「何のために僕はここにいるんだろう」と悩んだ事もある。
このように打ち解けたのだって相当長い間支えているからであって、そうなるまでには相応の苦労もあったのだ。
だが、目的あって取り入ったこの少女が、今ではただ利用して捨てる気にもなれない、そんな存在になっているのを、ラッセルは自覚していた。
確かに政治的に無力で、王族としても相当に無知。
しかも人を疑うのが苦手でそんなに自己主張できない気の弱い性格なので、押し切ろうとすればいくらでも押し切れてしまう都合のいい権力者だった。
打ち解けてからも、自分の言う事をすぐ鵜呑みにしてしまうこの少女には「危ういなあ」と心配になってしまう程で。
ラッセルとしては、どう扱うにしても今のままでいさせるのはかわいそうだという気持ちもあったのだ。
(なんにも知らない子供をいいように使って、用が済んだら捨てるなんて、そんな非人道的な事はちょっと僕には無理っぽいなあ)
ラッセルとしては、できればこのままこの城に居座り続けて、のんびりとした時間を過ごせればそれでよかった。
第二王子だし、王位なんて継承する気もないし、内政は兄に任せておけば十分問題ないはずなので、自分は得意な外交を担当して、生活の基盤はエスティアに……と考えても居たのだが。
だが彼の兄アゾートは、エスティアに肩入れし過ぎるラッセルに常々苦そうな顔をして「利用するつもりの相手に取り込まれるなよ」と釘を刺し続けていた。
それが、ラッセルには鬱陶しい。
(確かに僕も利用してるけどさ。だってすごく可愛いし、間違いなく将来美人になるだろうし。なんたってあの娘の妹だしなあ)
特徴だけなら自分の知っていた『エスティアの姫』の顔に似てきたフニエルは、ラッセルとしても十分許容範囲内の相手。
まだまだ子供っぽいとはいえ、立場的な意味も含めて大人びてきてからでは競争相手も増える可能性を考えれば、今手元に引き寄せるのは彼にとって間違いなく最適手のはずだった。
「うに……? どうかなさったのですか? ラッセル様」
「ああ、なんでもないよ」
ぴょこぴょこを耳を動かしながら、じーっと自分を見つめてくるフニエルに、ラッセルは誤魔化すように笑いかけ。
テーブルに置かれたままのティーカップを手に取って啜った。
温くなっていたが、温度などどうでもいい。
ただその場をごまかせればそれでいいのだから。それだけで誤魔化されてくれる、容易な相手なのだから。
当のフニエルも、ラッセルの言葉に「そうですか」とにっこり笑い、ラッセル同様に紅茶を楽しむ。
猫獣人は猫舌なので、出される紅茶は皆温い。
けれど、それもそろそろ慣れてきた。
ラッセルにとってこの国は……居心地のいい、のんびりとできる拠点となっていた。
「女王陛下、ちょっとよろしいですかな?」
「あら、どうしたのですか爺。私、今はラッセル様と大切なお話をしているのですが」
「それはそれは失礼を……」
それ以降も炭鉱についての話をラッセルから聞いていたフニエルだったが、ある時側近の白髪頭の猫獣人が現れ、その流れも一旦止められる。
フニエルとしては残念だったが、爺と呼ばれたその小柄な老人がラッセルの顔を見ると、ラッセルも「どうぞ」と、愛想よく返す。
それを善しとしてか、老人は伴っていた若い人間の男に「来なさい」と呼びかけ、隣に立たせた。
「この方は?」
「旅の者だそうですが、何か力仕事でもできれば、と、短期間ながら働きたいと申しましてな」
「はあ……旅の方ですか。それで、何故私に?」
「城内で雇う者は全て私がチェックいたしますが、最終的な裁可は陛下がなさるものですので」
ちら、と、隣に立つ男に視線を向け、またフニエルへと視線を戻し。
主が反応するより前に、また口を開く。
「名はカオル。エルセリアから来たようで、入国管理も認めていますので、正規の入国者かと」
「エルセリアでは力仕事から動物の世話から使い走りまで、なんでもやってきました。料理も得意です」
見れば精悍な若者である。
ひょろりとした猫獣人の男と違い、骨格からして骨太で、なんとも強そうな、逞しさを感じさせる男だった。
「確かに、今城内は力仕事が出来る人が少ないですし……魔物に襲撃された際なども応戦できる人が少ないですから……必要と言えば必要ですが。エルセリアの方、ですか」
「構わないんじゃないかな? 軍人とかじゃないんだろう?」
「鍛え方からして軍人のそれとは全く異なりますな。恐らくは農村部出身者で間違いないかと」
背こそは高めで腕も足も筋肉質だったが、それは軍人の持つそれらとはいささか異なり、農村部の男が身に着ける類の筋肉だった。
持ち運び、引っ張り振り下ろす。
軍人に求められがちな瞬発力や持久力といったものよりは、継続性を求められる作業に向いた筋肉がついた身体で、これには老猫獣人も太鼓判を押していた。
フニエルは迷っていたようだが、ラッセルが後押ししたのもあり、「二人がそう言うなら」と小さく頷く。
「それでは、貴方の責任で適切な部署に配属してあげてください。お給金も、適切に」
「承知いたしました。良かったな。では参るぞ」
「あ、はい。ありがとうございました。女王陛下」
農村出身者にしては丁寧な言葉遣いだったが、「旅の中で身に着けたのかしら」と、フニエルはすぐに流してしまった。
ラッセルは賛同したものの注意深く彼の顔や仕草を見ていたが……すぐに「気のせいか」と意識を切り替えた。
(一瞬だけ僕の方を見てた気がしたけど、まあ話に混ざってたから気になったのかな? まあ、あれくらいの男なら何か乱心を起こしても問題ないだろう)
必要とあらば秘密裏に。
そう思いながらも意識はフニエルに向けて「それじゃあまた話を戻そうか」と、それまでの説明を再開する。
フニエルもまた「はい」と、たおやかに微笑みながらラッセルの方だけを見て、二人だけの時間がまた流れていった。
「今のは仕方なくだが、あのお二方のご歓談の邪魔をする事がないようにな」
一方、担当部署に案内されていたカオルは、歩きながらに先を往く側近の老爺の話を聞いていた。
カオルは素知らぬ顔で「解りました」と答えながら、何か有用な情報が無いかと自分からも問いかける。
「陛下と一緒にいらっしゃったあの方は?」
「バークレーの第二王子、ラッセル殿下だよ。この国を救ってくださった救い主様だ。決して、ご機嫌を損ねるような事はしないようにな」
「なるほど、女王陛下のいい人ですか」
「そういう事だ。ワシらにとっては大変な賓客。今であってもバークレーとこの国とを繋げた大事なゲストだ。いずれは女王の婿になる方でもある。長くいるつもりのない君には関係なかろうが、我が国にとっては重要な方なのだ」
それをゆめゆめ忘れないでくれ、と、年季を感じさせる皺枯れた声で伝え、それきり黙り込む。
必要な事は伝えた。それ以上は伝える気もない、とでも言わんばかりに。
だが、カオルは少しでも情報が欲しいので、それだけでは留めない。
「侍従長さんがそう言うって事は、バークレーっていう国は大切な友好国なんですね。エルセリアと同じくらいなんですかね?」
「うむ……その辺りは、なんというか、その……」
それまではすぐに分かりやすく教えてくれていたこの侍従長の老人だったが、カオルの問いにはなんとも答えにくそうに、奥歯にものが挟まったような言い方しかできない。
カオルも「おや?」とさらに疑問を深める。
だが、初日、それも配属先に着く前から必要以上に問い詰めるのも問題になる気がしたので、それについてそれ以上追及する気はなかった。
ただ一言「難しいんですねえ」と、お気楽に反応してそれきりである。
老爺もまた、それ以上に問われなかったので内心ではホッとしながら、「もうすぐ着くから」と告げ、それきり黙りこくっていた。
(まあ、尻尾と耳の動きで結構わかるんだけどな……獣人の人ってみんなこんななんだなあ)
猫獣人はサララで慣れているカオルである。
日常的に感情が尻尾や耳で露わになる関係上、口で誤魔化そうとしていても何を考えているのかは大体看破できてしまえる。
この辺り、カオルは猫獣人のプロであった。
(やっぱ城内でも、まだバークレーに全力で傾いてる訳じゃないんだな。きっと、反対派みたいなのもいるんだ)
城内の上から下まで全員が全員、バークレーを迎え入れる事に前向きな訳ではない。
それが解っただけで、今回の潜入作戦は成功したと言えた。
(やっぱ潜入してよかったな。この分なら情報も色々得られそうだし。サララも喜ぶぞ)
ホクホク顔で思い出すのは、潜入前のサララとのちょっとしたやり取り。
最初、二人は城の外から、警備している兵隊に見つからないくらいの距離を取って眺めるだけだった。
一応サララは正体がバレないように市場で買った眼鏡をかけ、帽子など被って変装をしていたが、距離的な都合もあり、安全圏から城内の情報など得られるはずもなく。
それより前に王都セントエレネスで聞き込みなどもしたが、「城内の事は分からない」という意見がほとんどで、たまに知ってそうな人が居ても「バークレーが関わってきてるから関わらない方がいいよ」と忠告するだけに留め、結局解らずじまいなことばかりだった。
従来の方法では初手からして詰んだも同然。
そのままでは解決できるはずもないと考えたカオルは、自分が潜入する事で有益な情報を得ようと訴えたのだ。
「カオル様が城内に入るのですか? 大丈夫なんです?」
「外から見てても埒が明かないっていうか、びっくりするくらい何の変化も無いからな。城の出入りも業者以外ほとんどないし。一般人の謁見機会とかも無いから直接女王を見るのも大変そうだし」
「まあ、確かにそうですけど……でもカオル様、大胆な事を考え付きますねえ」
「やれることはなんでもやりたいからな。ベラドンナが頑張ってる以上、俺達も何の成果も得られませんでしたってのは避けたいよな?」
カオルからの指摘に、サララも納得いかない顔ではあったが「まあ」と、小さく頷く。
否定しようがない事実だったのだ。
先を急いだ結果二手に分かれ、その末にこれである。
一人で頑張らせているベラドンナにも申し訳ないし、進展なしは避けたいという焦りもあった。
「何か情報を得たら一旦戻って情報を精査してさ、それで、サララが城に入れそうなタイミングがあったら、それで入ればいいんじゃないかな」
「そのタイミングを計る為にも、カオル様が自分で入る必要があるんですね」
「そういう事だな。潜入だけならベラドンナでもできただろうけど、直接会話するのは無理だろうからな」
「まずは入れるかどうかか問題ですけど……でもまあ、人手不足らしいっていうお話は聞いたから、案外行けるかなあ」
カオルがこの計画を考え付いたのも、サララが話した通りの事をセントエレネスで聞きつけたから。
その猫獣人は「金に困ってるならいいかもな」と勧めてくれたので、ありがたくその案を利用することにしたのだ。
「とりあえず一緒に回ってて、セントエレネスもバークレーの人がうろついてるって事はあんまなさそうだ。思ったより……平和?」
「そうですね。私、てっきりもっと至る所にバークレー人が配置されてて、監視とかされてるのかと思いました。城内だけなんでしょうかね?」
「そうなのかもな。あるいはまだそこまで深刻な状況になってないとか。よく解らないけど、とりあえず今のセントエレネスなら、サララが一人で居てもそんなに危険はなさそうだな」
王都は王城直近に在りながら、それほどバークレーの影響下にあるような雰囲気でもなく。
少なくとも今の状況なら、サララが独り歩きしても心配はないと割り切れた。
そんなだから、サララも最終的には「解りました」と納得の上で頷く。
上手くやれば間違いなく進展が得られる。ダイレクトな状況の把握ができる。
上手く女王なり近しい側近なりとコンタクトが取れれば、サララが入城する機会も得やすくなる。
まずは、その一手が上手く行ったと言えた。
後は配属される部署次第、と考えていたカオルだったが、侍従長が「着いたぞ」と止まって振り向いたのは、『厨房』と書かれた扉の前だった。
「へえ、あんたが新入りの人かい? 丁度良かった。男手が足りなくてねぇ!」
「コック長。あくまで短期で入った者だからあんまり手荒に扱わんようにな」
「何言ってんだい爺さん。あんたがここに連れて来たんだ。基礎くらいはできるんだろう?」
早速中に入ると、むわ、とした熱気の籠った調理場。
そこに居た高いコック帽を被った大人のお姉さんが、お玉片手にカラカラと笑っていた。
これがコック長らしいと解り、カオルも「若いな」と、感心していた。
小さいとはいえ一国の王城に勤めるコック長にしては、やけに若く感じられたのだ。
「あんた、名前は?」
「カオルっていいます。よろしく」
「ああよろしく。フランクでいいよ。あたしはマギー。こう見えて100年はここで働いてる。見た目で舐めんなよぉ?」
「ははは、流石猫獣人っすね」
第一印象として感じていた部分をあっさり覆され、カオルも「たまらねぇな」と笑ってごまかすしかなかった。
どうみても20そこらのお姉さんだが、100歳以上のお方であった。
「まあ、ワシらは200以上生きる種族だからな。君達人間と比べれば大分違いもある」
「耳と尻尾だけの種族じゃないってこった。古今東西色んな料理覚えてるからね。我が侭なお姫様の料理だって作ってきたんだ」
「我が侭なお姫様、か」
うちにもいたなあ、と、サララの顔を思い返し。
そうしてカオルは、気合を入れた。
「なら俺にもできそうだ! 何だって言ってください、やって見せますよ!!」
かねてより、王城の料理というのに興味があったのもある。
エルセリアでは王城のコックと知り合う機会があったので料理のレシピなどを教えてもらったりしたが、他国ではどうなのか。
その辺り知る事が出来るならむしろ都合がいいとばかりに、カオルはノリノリになって腕をまくる。
それを見たマギーも「面白い奴が入ってきたねえ」と、愉快そうに老爺に笑いかけた。
こうして、カオルは王城の見習い料理人となった。