#10.きょてんづくり
「それで、カオル様、その箱は衣類ですから、こちらに――」
「こっちか? 解った」
「おねーちゃん、この箱はー?」
「あ、それは隣の部屋に運んでおいてくださいね」
「はーい♪」
「ねーちゃんねーちゃん、これなーにー? ピンクのひらひらがついてるー、おもしれー!!」
「ふわっ、それは下着ですからっ、箱から出しちゃダメーっ」
荷台から救護院まで大体の荷物を運び込んだカオルは、今度はあてがわれた部屋まで運び込もうとしていたのだが。
シスター・リンネの計らいで救護院の子供達も手伝いに入ってくれて、作業はとてもにぎやかな、ちょっとしたお祭りのような状態になっていた。
荷物の配置はサララが指揮を取っていたのだが、この子供達が真面目な子からやんちゃな子まで様々で、荷物で遊び出す子まで出てくるのでさしものサララもわたわたとしていた。
そんなこんなで、作業が始まってから二時間ほど。
日もどっぷりと暮れ、皆が疲れ果てたところで、リンネが「そろそろご飯に致しましょう」と、食堂に移るように促され、全員がそちらに移動した。
「はあー、流石に疲れました……」
「ははは、沢山の子供に囲まれるなんて中々ないもんな。俺は楽しかったけど」
「お兄ちゃん力持ちなんだもん、木箱を三つも運べるんだよー? 僕驚いちゃったよ」
「大人の男の人ってすごいんだねえ。やっぱりきたえてるとそうなるの?」
「そうだなあ。鍛えてるとそうなるのかもなあ」
「すごいなー、かっこいー!」
「おれもいつか兄ちゃんみたいにでっかくなりてぇなあ」
いつもは並ぶか対面して座る二人が、今は子供達に混じってバラバラに。
けれど、会話はいつもより多めに、そして、子供達は食事時でもはしゃいでいた。
「大人の方がいらっしゃるのは珍しいので……すみませんね、お二人とも」
「いえいえ。こういう環境も嫌いじゃないですよ?」
「結構楽しいしな」
子供ばかり十人も集まっていると、流石に食事中も静かとはいかず、お喋りがそこかしこで始まり。
カオルもサララも巻き込まれながらの食事だったが、これはこれで二人にとっては新鮮な、そして楽しい一時だった。
二人だけの食事も好きだが、賑やかな場所での食事も結構楽しいのだ。
特に今回は、旅をしていた中でもなかなか得られない方向性の賑やかさなので、二人は笑顔だった。
そんな二人の顔を見てか、リンネも「良かったですわ」と、胸をなでおろす。
「この救護院は、エレイナさんがこちらに就任してから創られたものだと聞きましたが……教会そのものよりは、ここの維持のためにずっと残ってらっしゃったようですので」
「そうですねえ。あの人は、子供好きだったから……一人ぼっちになっちゃった子とかを、放っておけなかったんですよ、きっと」
「そのようで。私自身はほとんど接する機会もありませんでしたが、慈母のような方だったと……ですので、私もこの救護院を少しでも盛り上げていけたらと思いますわ」
リンネはまだシスターとしては若かったが、それでもやる気に満ちていて、真面目な雰囲気が二人にもひしひしと伝わっていた。
このような辺境とも言える猫獣人の国でシスターなどやっているのだから、相応に使命感を持って赴任したのだろうと感じられ、二人は「この人で良かったなあ」と、安堵しながら「頑張って」と応援した。
「ねーねーおねーちゃん。おねーちゃんって、まだ『さんじ』来てないの?」
「んん? さんじ……? ああ、三次ですか。うん、まだ来てないですねー」
「そうなんだ……まだママになれないんだ」
「ぶっ!? うっ、けふっ、けふ!!」
隣に座った幼女の何気ない発言に、サララは思わず口に含んだものを噴き出しそうになっていた。
辛うじて口を押えて堪えたようだが、代わりに激しくむせてしまい、涙目になる。
カオルが「大丈夫か?」と心配そうな顔をしたが「うぅ」と目元を拭いながらこくりと頷き、水を一口。
ようやく落ち着いた様子で一息ついて、出来る限り柔らかい笑顔を作りながら「あのですね」と、話しかけた。
「確かに、三次性徴を迎えないとママにはなれないですけど、食事の時にそういう事は聞いちゃだめですよ~?」
「えー、そうなの? ごめんなさい。おねーちゃんっておとなのおねえちゃんともちがうから、いつそうなるのかしりたかったの……」
「ああっ、泣かなくても大丈夫ですからっ、うん。それじゃ、ご飯を食べ終わったら教えてあげますね。今は、楽しいご飯の時間、でしょう?」
「ほんとっ? おしえてくれるの? うんっ、ありがとーおねえちゃんっ! はやくごはんたべよっ、はやくっ」
サララに諭されて不安そうな顔になっていた幼女だったが、ご機嫌とりが上手く行ったのか、ぱあっと笑顔になって、掴んだ木のスプーンでシチューをかっ込もうとする。
「ゆっくり食べて大丈夫ですからね~、お姉さんはどこにも逃げませんから」
「うんっ、わかった!」
サララの話自体はカオルにもちょっと気になったが、少なくとも食事時にするような話ではないらしいのは雰囲気から察せたので、そんな光景を微笑ましく思いながらも、余計な事は口にせず食べることにした。
そうして食後は風呂の時間。
救護院裏まで引かれた温泉に、まずは男子から入ることに。
カオルも子供達に混じってゆっくりと琥珀色のお湯に浸かる。
「あー……疲れが取れるぜ。まさか温泉があるとはなー」
「兄ちゃん兄ちゃん?」
「うん、どうし……うびょっ!?」
呼ばれて振り向くと、子供の一人が水鉄砲でお出迎え。
顔面にばしゃりと温かいお湯を浴び、「やってくれたな」と顔を拭う。
「おーかえしだーっ! おりゃっ、おりゃぁっ!」
「きゃーきゃーっ、あははっ、にーちゃんつよいっ」
「負けないぞーっ、おらーっ」
「おれのうぉーたーれーざーをくらえーっ」
ゆったりとした温泉が一転、賑やかなお湯遊びの時間になり、全然落ち着けなかったが、それはそれで楽しい時間になっていた。
「ふはははっ、大人は強いのだーっ」
「ぎゃーっ」
「へぶっ」
「うひゃぁっ、にいちゃんすげーなあ、やっぱ大人ってつえーやっ」
さんざん子供達とはしゃいで遊び、最後に子供達を負かして大人の威厳を見せつけ、またゆったりとお湯に浸かる。
子供達もそれ以上は騒がず、カオルに倣って並んで座った。
「なーにーちゃん。にーちゃんって、サララねーちゃんと結婚してるの?」
「結婚? してねーよ? まだしてない」
「そーなんだー」
「いつ結婚するの?」
「いつって……そうだなあ。今の問題が落ち着いてから……」
落ち着いてから、どうするか。
この問題が解決して、無事サララがエスティア王家に戻ったら、自分とは離れてしまうのではないか。
王族は、王城で暮らすもの。
どのような形で今のエスティアの問題が解決されるにしても、サララとは距離が生まれてしまう気がする。
そう考えると……先の事は、あまり考えたくなかった。
だから、保留。
後の事は後に考える。
それでいいじゃあないか、と。
でも、子供に聞かれてみて、自分の心の中に迷いがあるのが感じられた。
本当にこの問題を解決してしまっていいのか。
サララはそれを望んでいた。カオルも「サララが望むなら」と全力で手を貸すつもりではある。
けれど、その先にサララが望む幸せが本当にあるのか、それが解らなかった。
「なあ、結婚って、どんな時にするもんだと思う?」
まともな答えなど返ってくるはずが無いと解っていながら、子供達に向けてそんな質問をしてしまう。
自分でも「バカだな」と半笑いになりながら、それでもカオルは知りたかったのだ。
純粋な子供が、何を考え、どう答えるのか。
それによって自分が何かしら感じる事が出来れば、と。
子供だって、人間なんだから。
「えー、いつって」
「んー、んーんー」
「にいちゃん変な事聞くなあ」
子供達も一様にむずかしそうに腕を組んだりしながら考える。
想像だにしてなかったのだろう。当たり前だ、子供の頃に結婚がどうだなんて、考える訳がない。
それを今、子供達は考えてくれる。自分の質問に真摯に、とても真面目に。
ちょっとだけ不安な気持ちが表に出そうだったカオルは、ほっこりとした。
「やっぱり、すきなひとができたら?」
「けっこんしたいなーって思ったら?」
「結婚したら子供できるんでしょ!? じゃあ、子供が欲しくなったらじゃないかなー」
子供達の意見は皆バラバラで、だけれど、どれも的を射ていたように思えて。
カオルは「なるほど」と、子供達のように腕を組んで頷いて見せた。
そうして「でもな」と、腕を解いて腰に当て、子供達を見回す。
「好きな人ができてもすぐには結婚できないし、結婚したいなーって思っても、相手の気持ちとかがあるだろ? 子供は……確かに、欲しくなったら結婚するかもだけど、結婚の目的とはちょっと違うかな、俺は」
「そうなんだー」
「おとなって、むずかしいね」
「すきなのに結婚しないの?」
「ああ、好きなのに結婚しないんだ。好きだけじゃ、できないっていうか、な」
大人は難しい。
結婚なんて、少し前まで全く考えてすらいなかったが、カオルはもう、一般には大人と言って差し支えない年頃になっていた。
だから、それを問われるのも解るし、全く意識していない訳でもない。
いつかはサララと、そう思うし、その時になったらサララもきっと受け入れてくれるとは思うけれど。
ただそれ以上に、「今はその時じゃないよな」という気持ちと「じゃあいつならいいんだ?」という不安とが入り混じっていて。
なるほど確かに大人という奴は複雑で、難解だった。
だからか、難しい顔をふにゃっと崩して、子供達に笑いかける。
「女が男の方を好きーってなってくれなきゃだめだから、今は絶賛好意稼ぎ中なんだぜ?」
「かせぎちゅう?」
「そうそう。稼ぎ中。カオル様すきすきーってなってくれるまで、傍に居て力になったりするんだ」
「そっかー、稼がないとダメなんだね!」
「かせぎないとけっこんできないんだ……がんばってねにーちゃん!」
「がんばって!」
どういう風に理解されたかはともかく、応援されて悪い気はしないので「ありがとよ」と、身も心もほかほかになったところで、カオルは立ち上がった。
ざぱー、と威勢のいい音が裏の林に響き、子供達も一緒になって立ち上がる。
大きな波、小さな波。お湯が揺れて、賑わいが去る。
「待たせたな。サララ……うん?」
「あ、男性チーム出たんですねー。それじゃ、女性チームいきますよー?」
「う、うん」
「いってきまーす」
「おう、いってら……なんだ?」
温泉から戻ったカオル達と入れ替わりに、今度はサララ達が入ってゆく。
ただ、食事の時までの無邪気な様子とは違い、年長の子達はどこか赤面していて……不思議な感じだった。
年少の子達はそんなに違いなかったが、心無しサララにより懐いているように見える。
「何があったんだ?」
一人ロビーに残っていたリンネに問うと「少し」と、指を摘まむようにしながら笑顔のまま。
けれどそれ以上は語らぬままだったので、カオルの頭にはクエスチョンが回ったままだった。
「実はですねー。さっき、女の子チームで三次性徴についてお話してたんです。リンネさんも交えて」
お風呂が終わった後、部屋に着たサララに先程の違和感を聞いてみたカオルは、ちょっと照れ顔で説明を受けていた。
「成長に関わる大事な事だったのである程度リンネさんが教えてたらしいんですけど、正確な時期とかはリンネさんにも解らなかったらしいので、できるだけ細かに説明してあげました」
「三次……?」
「ええ。普通の人間の人って、第二次性徴まででしょう? 猫獣人は第三次性徴までありまして、大体17から18くらいになると始まるんですけど……これが結構大変でして」
ベッドに腰かけながら、照れ顔からきりっとした表情になりながらの説明に「顔がころころ変わって面白い」と思いながらも真面目に耳を傾ける。
学校などでは保健の授業は大体恥ずかしくて寝たふりか、真面目に聞いてない素振りをしていたが、これに関しては無視してはいけない事なきがしたので、真面目に。内心ドキドキしながら。
「大変っていうと、やっぱでかい変化なのか?」
「かなり大きいですねー。今までカオル様がみたこの国の猫獣人の女性って、皆その……結構グラマラスだったでしょう?」
「え? あ、ああ、そうだったかもな」
あんまり注視しているとサララに「浮気者」とか言われながら引っかかれるのでカオルはそういったトラップには引っかからない様に注意していたが、それでも気になるものは気になる。
わざわざサララに言われてどきりとしたが、素直に肯定されるとジト目で見られそうなので、気を遣いながら「興味なかった」という体で返した……つもりだった。
だが、サララは「別に怒りませんから」と呆れたようにため息をつかれ、カオルは「すみません」と頭を下げた。
「三次性徴を迎えるとあんな感じになるんです。私はまだ二次までだから、一般的にその辺の人間の年頃の娘さんと変わらないくらいですけどー」
「ですけど?」
何か含みを持たせるような言い方に、カオルは「何が続くんだ?」とちょっと不安になる。
それと同時にずず、と、前に出て顔と顔とが近くなる。
可愛らしい顔だった。
「それが始まると、傍から見てて解るくらい骨格とか筋肉が成長し始めて、全身成長痛みたいになるらしいんですよ! それがもう怖くて怖くて……」
「成長痛って……?」
「あれ? カオル様なった事ありません? 子供の頃、成長する時に節々が痛くなったりするの。女の子なんかだとお胸のあたりとかがよく痛くなるって言いますけどー」
「いや、俺はそんなには……でもそうか、痛くなるのか」
言われてみて、サララの胸に視線が移る。
スレンダーだと思っていたが、一緒にいる内に膨らみらしい膨らみはちゃんと感じられるようになった、そんな控えめな主張が確かに寝間着の胸の部分にもあった。
露骨に見られていると気づいて、サララはさっと胸を手で隠す。
「いや、ですから……その、私はまだそんな育ってないですから。まあその、三次性徴を迎えてようやく大人になるんです、猫獣人は」
「なるほどな。それで子供がどうとか――」
「そ、そういうことです! それだけ!」
そこまで説明されて、ようやくなんで年長の子達の様子が変わっていたのかがカオルにもなんとなく察せた。
そして「そういえば」と、小学校の頃にそんな事があったなあ、とも思い出す。
「俺の世界でもそういうことあったな。学校で男女に分かれてさ」
「ほえ? カオル様の世界だと、学校って普通にあるんです?」
「普通にあるぞ。多分どこの国にもある。そんで、小さい子は小学校から始まって、中学校、高校、大学って進むんだ」
「勤勉ですねー……それじゃ、生育に大切な事とかも全部学校で?」
「大体はそんな感じかな……」
折角教えてくれていたのに、その大半は理解することなく聞き流してしまっていたが。
今にして思えばそれは結構大事な事だったんじゃないかと、大きな損をしたような気にもなっていた。
人間はびっくりするほどあちらでの人間と同じだし、ちゃんと学んでればそれなりに役立つこともあっただろうに、と。
とはいえ、流石に猫獣人の生育については人間の身には全く分からないことだらけなので、その辺りサララに聞く事しかできないのだろうとも思っていた。
その時は今のようにちょっと照れが前に来るだろうが、真面目な事なら聞けば教えてくれるだろうとも思いながら。
「カオル様、明日からの事なんですけど……とりあえず一週間くらい、お城の事は考えずにここで慣れる事を重視しませんか?」
「慣れか……ああ、それでもいいかもな。それに、明日は墓地にもいくんだろ?」
「はい。シスターに会えなかったのは残念ですけど、私が元気だって事、伝えたい事には変わりませんから」
大好きだった人の死は、サララにとってもショックに違いなかったが。
それでも時間が経ったおかげか、今では落ち着いて話す事が出来ていた。
死を知った直後に思い切り泣けたのが、サララにとってプラスになっていたのだ。
寄り添える人の大切さ。寄り添えることの重要性に、カオルも痛いほど気づいていた。
だから、サララの提案にも素直に頷く。
「いいぜ。じゃあ明日は花を用意して……でも、慣れってどんな事するんだ?」
「高地トレーニングです。私は高いところでも身体が順応してますけど、カオル様は結構、辛くなってきてましたよね?」
「ああ、まあ……忙しくて感じる暇なかったけど、確かに普段より調子が上手く働かんな」
「じゃあやっぱり必要ですね。身体をこの高さに慣れさせないと、ちょっとした事で頭痛がしたり、めまいがしたりしてしまう事もありますから」
慣らしは大切ですよ、と、指を立てながらの説明に、カオルも「そうだな」と納得する。
ここを拠点にして少し落ち着けたが、グリフォンに乗って各地に移動する際にはまた、気圧の変化で耳がやられるのだ。
それを軽減する為にも、高地になれる必要はあった。
「王都セントエレネスはこの辺りでは一番大きな山の頂上付近に作られた街ですから。この辺りはまだ耐えられても、カオル様の場合鍛えないと、高山病が怖いですしね」
「そんなに高くなるのか……この辺りでも結構高く感じたけど」
「その代わり景色は最高ですよ! 街から見下ろす山々! 自分達が雲の上で暮らしてるって、平地に暮らす人達にとってはちょっとした幻想なんじゃないかなって思います!」
「……それはちょっと楽しみだな」
ネガティブな事ばかりでもなく、観光に来た訳ではないとはいえ、先々を楽しみにさせてくれるリップサービスも欠かさない。
本当にこのサララと言う少女は、よく気が付くいい女だった。
カオルにはそう思えた。飴と鞭の使い方が上手いというか、男をやる気にさせる女なんだな、と。
「それじゃ、明日からはトレーニングの日々か……よろしくな、サララ」
「ええ、よろしくお願いしますね、カオル様」
二人してぺこりと頭を下げ、また顔が近くなり。
そうして「ふふ」と笑いながら離れる。
まだまだ、顔が近くなってもキスまではいけない、そんな関係性。
だけれどそこから先に進むには、どうしたらいいのか二人にはまだ解らない。
今はただ、目の前の問題を解決するしかなかった。