#2.久方ぶりの我が家
「――ふむ、なるほどなあ。やはりそうであったか」
王都リリーナでの買い物をした後、一応今回起きた事の報告の為、王城に寄ったのだが。
途中で別れたゴートが既にあらかたの事を報告していたためか、カオル達はゴートの知らない部分の報告のみに留めていた。
王も王で、離れた場所に居ながらいくらかラナニアの状況を察していたためかさほど驚く様子もなく、何かの確認の様なつもりで聞いているように、カオルには感じられた。
「王様、今回の一件って、何企んで俺達を回したんだい? お姫様を助ける為でもなかったようだし、攻め込むつもりもなかったんだろ?」
「無論じゃ。今の時代戦争なぞ金貨一枚にもならんわい。儲かるのは軍需部門だけ……そんなごくごく一部だけ儲けても民が飢え兵が傷ついては本末転倒じゃ」
「じゃあなんで兵隊とか国境に?」
「ラナニアに変事が起こりそうだったのは事実であろう? 海軍によるクーデターなんて起きて、誰が指導者になるかは解らんが、我が国に刃を向ける可能性も0ではなかろう?」
その為の備えじゃよ、と、リラックスするように背伸びしながら、王はカオル達を見据える。
「お前も、前に会った時より幾分、精悍な顔つきになったな。男の顔になった。その……死んだ娼婦の娘の件、よほど堪えたのだろうな」
「まあね……これに関しては、あんまり人には話したくない事だけどさ。ただ、フランとの繋がりがあったからこそレトムエーエムに対抗できた訳だから、報告しない訳にはいかないよなって」
「うむ……しかし、あちらでも異世界人が大きな影響を与えていたようだな。そのマダムとかいう女性、女神に呼び寄せられた一人だったのだろう?」
「そうなんだよな。俺の知らない国の人っぽいけど」
話しの中から王の感心を惹いたのは、ラナニアの現状そのものよりも、カオルが出会った人々の話だった。
特にマダムは、王から見ても特異な存在らしく。
注意深く見据えるように見つめてくる王に、カオルも「やっぱ食いついて来たか」と口元を緩める。
「お前の世界にも、複数の国があるようだが、どれくらいあるのだ?」
「国は沢山あるよ。百以上あったと思った」
「そんなにも!? それでは、直接会ったくらいではどの国の者かは解らぬわけか」
「そうなるね。ただ、あっちはあっちで俺の事を知らない国の人と勘違いしてたっぽいけど」
日本なんて国知らないし、と、苦笑いしながら頭をポリポリ。
ただ、難しい話になりそうなので、形ばかりは顔を引き締める。
「女神様に誘われてこの世界に来たって言うのは、異世界人共通なのかな? 俺もそうだけど……兵隊さんの親父さんもそうだったんだよね?」
「その通りじゃ。古今東西、異世界からこの世界に来る異世界人は全て、女神とのかかわりを持っている。そして多くが、その場その国、時として世界そのものに大きな影響を与えていく……この世界の歴史そのものとなって」
「異世界人が、歴史になるのか……」
自分もいつかそうなるのかと思えば、少しだけ感慨深くもあり。
けれど、そうなるにはまだ早いという気持ちも強く、心まで引き締まってゆく。
「ただ、異世界人というのはこの世界と比べ特異な能力を持つことも多い。多くは技能じゃが、時には世界の法則を無視した真似ができてしまえるほど強い者もいる。そういった者が孤立したり世界に恨み憎しみを抱くようになると……魔人となってこの世界に災いを振りまく事もある」
顎に手をやりながら、カオルに聞かせているというよりは、独り言のように呟き。
そうして王は、何かを思い出すように視線を上へと向けた。
「魔人の主、魔王とは、全ての禍の元凶……そう人々は信じ込んでおる。じゃが、本当にそうなのであろうか?」
「なあ、今すごく聞き捨てならない事を言ってたよな? 異世界人が、魔人になるって?」
「そうじゃぞ? 魔人は、異世界の者が魔に取り込まれた存在じゃ。この世界の人間で、魔人になった者は一人といないと聞く」
「……つまり、女神様が連れて来なきゃ、魔人なんて生まれなかった……?」
「そうなるのう」
――おのれ女神様、余計な事をしやがって。ほとんどマッチポンプじゃねぇか。
衝撃の事実すぎて、心の中で女神様への不満を叫んでいた。
「ただ『勇者は異世界人がなるもの』という伝承通りならば、異世界人がいなければ魔王は倒せない事になる。その時代における勇者は一人だけとして、それ以外の異世界人が数多くみられるという事は……女神自身が、本当にその者が勇者なのかどうか解らぬか、調べる暇もなくこの世界に放り込んでいる事になるかのう」
「迷惑この上ねぇな……まあでも、あの神様ならそうなるかなあ」
王の知る女神と自分の知る女神様は恐らく別人だろうけど、と思いながら、それでも数少ない神の例がそれなのだから、王の説明にも頷けるというものである。
「女神アロエは慈悲深く人間を愛する女神であると聞くが、同時に運命に深くかかわる女神でもあるからな。恐らくはその者の運命を見て、この世界の何がしかを変える事を期待して転移させるのだろうが……余りにも多すぎて、それが何を期待されてそうなったのかもよく解らん。勝手にこの世界に不満を抱いて勝手に魔人になられても困るんじゃが、保護する暇もなくてなあ」
「もしかして、俺みたいに目立って王様の友達になった奴って珍しいのか?」
「友達にまでなるのはかなり珍しいが、目立った結果有名になってある程度の権威や権力を手にするのは、珍しくはないようだな。さっきお前の話していた『マダム』もその類ではないか? 善行によって得た権威を正しく使う珍しい例ではあるが」
言われてみると「なるほど」と納得できてしまう。
つまり、マダムは異世界人としては実に正しく在った、という事なのだ。
自分も同じように、多くの人の為になるように生きれば問題ないのだろう、とも。
そう理解できてくると、カオルは「やっぱ今までの生き方は正しかったんだな」と、その在り方に強い実感を覚えていった。
「だが、全員が全員善良な訳ではない、というより、扱いが大きくなるにつれて野心のようなものを抱くようになるのかもな。あるいは、元居た世界とあまりにもかけ離れ過ぎた世界であるが故、孤独感を感じてしまう、とか」
「ああ、そういうのはあるかもなあ。俺だって、偉い人とかに褒められてつい気が大きくなっちゃう時ってあるし。野心とかは、そんなに抱く気はないけどさ」
「ははは、お前はそれでいい。野心など、今の世には不要なものじゃよ」
戦争の世ではないのだから、と、王は笑う。
しかし、その表情はまだ、硬いままだった。
「――シャリエラスティエ姫。祖国とバークレーの今については、あちらの王族から聞いたようだな?」
「……はい。ずっと陛下から言われていた『諦めよ』という言葉、その意味がよく解りました」
それまでずっとカオルの横で押し黙っていたサララが、王に声を掛けられ、楚々とした仕草で顔を上げる。
緊張感走る内容なれど、その表情はどこか柔らかさを感じ。
不安さを感じさせることなく、王に笑ってみせていた。
「ですが私、諦められそうにありません」
「というと?」
「末の妹フニエルが、今のエスティアをまとめてくれています。私は、その助けになりたいのです」
「バークレーの息がかかっている。あちらの王族の目当ては……解っていると思うが?」
「それでも、です」
わざと不安にさせる様な、試す様な一言に、しかしサララは顔色一つ変えずに「大丈夫ですよ」と微笑む。
自信を感じさせる顔だった。すぐ隣にいる恋人を信頼し、頼れることに、強い安堵を感じていた。
だから、サララは胸を張って王に伝える。
「私は、私の幸せの為にも、そしてエスティアという、私がずっと離れてしまっていた国の為にも、できる事をしたいのです」
「……そう、か」
ため息混じりに、何かを諦めた様に。
王は目を閉じ……それからまた、サララを見た。
「あいわかった。ならば好きにするがよかろう。ただし、エルセリアはまだバークレーと事を構える気はない。故に、お前達には王室と関わりなき『私人』として出向いてもらう事になる。何かあった際には、わしらの助力は期待できんぞ? それでもよいな?」
「ああ、それで十分だ。俺達は俺達のやりたい事をするんだから。この国に迷惑が掛からない様にするぜ」
「この人が……こう言ってくれていますから」
はっきりと自力宣言するカオルに、「心強いですわ」と、頬を染めながらはにかむサララを見て、王は再び「そうか」と、短く答え、短く息を吐き……そして、笑った。
「お前らの幸せの為には、確かにエスティアの問題は捨て置けんものな。いつかはそうなると思っておった……ゴート」
「はい」
名を呼び、王がパチン、と指を鳴らすと、ぼうん、と、見慣れた役人が現れる。
カオル達は驚いたが、王は慣れた様子だった。
「この者達の出立の為の手続き、全て事前に済ませて置け。リバーライト辺境伯への根回しもな。最優先じゃぞ」
「承知いたしました我が王」
お任せを、と敬礼し、またぼうん、と消える。
実に便利な役人だった。
「普通に受け入れてるんだな。悪魔ゴートさん」
「ワシも最初は驚いたが、まあびっくりするくらいにいつものゴートじゃからなあ。たまにカボチャ頭になるくらいで、言動も行動も何も変わらん」
「普通悪魔になったら負の感情に押しつぶされて、何かしら人格に影響が出るはずなんですけど……ゴートさんは心が強かったんですねえ」
「まあ、アレはワシの数居る優秀な部下の中でも特に優秀な者だからな。相応に鍛えられておるわ――悪魔になっても耐えられたのは流石に想像の上じゃったが」
便利な部下がより便利になったわい、と、喜び半分、それでも複雑さが半分を占めているようだった。
おかげで王は難しい顔になっている。
「まあ、お前達の出立の為にワシがしてやれるのはこれくらいじゃな。精々がんばるがよい」
「ありがとうな、優しい王様。手続きをやってくれるだけでも十分有り難いよ」
「感謝いたしますわ。どうか私たちのする事を、この国から見守っていてくださいね」
これくらい、などと言うが、煩雑な出国の手続きや地方領主への取り計らいなどをやってくれるのは十分すぎるほどの支援だった。
金もある程度あり、自前の移動手段も持っているカオル達にとって、やはり一番手間取るのはそこなのだから。
これには二人とも、はっきりと感謝の意を示し、頭を下げる。
王も「面を上げよ」と笑いながら、これからの二人の行く末を想った。
王城を出た後カルナス入りした二人は、ポチを厩に預けた後、まずは自宅へと戻った。
「お二方とも、おかえりなさいませ。ご無事で何よりでしたわ」
「ああ、ただいまリリナ」
「リリナさん、ただいまです」
主人らが帰ってきたのを知るや、ハウスキーパーのリリナは、楚々とした仕草でそれを迎えた。
入ってみれば、自分達が出立した時と変わらぬ、整理整頓された清潔空間。
これも旅の間、リリナがずっとこの家をきちんと管理していた証左である。
これにはカオルらも「今までお疲れさま」とねぎらいの言葉をかけるが、リリナは「当然のことをしたまでですわ」と、態度を崩さない。
「お土産の本、結構あるからさ、後で馬車から運んでくるから、楽しみにしててくれよ」
「まあ! 私などの為に……ありがとうございます。ラナニアは様々な文芸文化が発展した国ですので、これからは楽しめそうですわ」
「旅の間も退屈せずに済むから助かりますよねえ。やっぱり本って偉大ですよお」
いかに軍馬車のおかげで高速移動が可能とは言っても、合間合間はやはり退屈するもの。
これまではサララはひたすら眠っていたりカオルと雑談したりして過ごしていたが、ラナニアで買った『ライトノベル』はとてもいい退屈しのぎになっていた。
「そうなのです。本は一冊一冊は場所を取りませんし、懐に忍ばせて置いて読みたい時に読めるのがいいのです……特にミミ本はサイズ感も重量もほどよいですから、素晴らしい発明だと思いますわ」
「本当はラナニアに行ったのだから、発明者のミミさんも一目見て見たかったんですけどねえ。さすがに色々あり過ぎたというか」
「そっちの土産話はあんまりできそうにないんだよな」
「お二方はお仕事で参ったのですから、それは仕方ありませんわ。ですが、こうして本についてお話ができるだけでも、私はとても楽しいのです。幸せなのです。恵まれているのです」
本の話大好き、というのが伝わってくる、そんな落ち着いた仕草。
二人は顔を合わせ「沢山買っておいてよかった」と、顔をほころばせた。
その後、二人はひとまずソファーに掛け、リリナがお茶とお茶菓子を持ってきたことで、一休みとなった。
リリナもソファに座らせ、三人で話の続きをする。
「私の故郷では、若い下層階級の女性は本を読むのは難しかったのです。ですから私、この国にきて毎日が幸せなのです」
「女性ってだけで読めなかったのか?」
「読めなかったというか、『女に学問を学ばせても仕方ない』という風潮が強かったのですわ。文字くらいは辛うじて読めても、数の計算だとか、そういった勉強をさせてもらえない女性が多いのです」
「時代に沿わないですねえ。オルレアン村なんて、むしろ女性の方が読み書きや計算ができるくらいなのに」
「手紙書いたりするの流行ってたらしいしな」
余所の国と比べるにあたって、まず頭に浮かぶのは故郷とも言える村だった。
そう、オルレアン村の女性はとても賢かったのだ。
だからして、『女性に学ばせても』などという凝り固まった風潮は、二人にとって時代遅れとしか思えなかった。
「私はそんな中でも師に恵まれ読み書き計算は早いうちに習得出来ましたが、仕える主人によってはそれは『面白くない事』のようでしたので、愚かな娘を演じる必要もありました。本を読めると知られて叩きだされたこともあるほどで……正直、あの国での若い女性は、目立つことそのものが『悪しき行為』なのではないかと」
「目立つのが? なんで? 勉強出来たらいけないってのがまず解らんな」
「女性は愚かである方が、男性にとって利用しやすいから、ではないでしょうか? カオル様がいらっしゃる手前、あまり妙な事も言えませんが……私の故郷では、男性は女性を下に見る事が多かったようですので」
「ひでぇ話だな。女も男も同じ人間だろうに」
なんでそんな差別するんだか、と、つまらなさそうに眉を顰めるカオル。
サララは……話を聞きながら、顎に手をやり何やら考え事をしていた。
「もしかしてリリナさんの故郷って……バークレー、だったりしません?」
「ええ。バークレーですわ。西部のクロームストークという街の出です」
「聞いた事がありますね。奴隷市場があるっていう噂があって……」
「噂ではなく、実際にありますわ。市民の娯楽でもありますもの」
珍しくもありませんわ、と、紅茶を一口。
そうして、カップを置きながらまた話す。
「そうやって『自分より下の哀れな人』を見る事で、抑圧されている女性にとってのストレス発散にも役立っているのです。とはいえ、これは他国から見たら非道この上ないものですので、私自身、あまり肯定したくもないのですが」
「普通に人権無視だもんな……」
「国民も、全てが奴隷制度に肯定的な訳でもありませんし……結局あれは、一部の金持ちや領主の為に有る制度ですから、下級市民の生活にはあまり寄与しない制度ですから……故郷のことながら、お恥ずかしい話ですわ」
「いやいや、リリナが悪い訳じゃないからな。そんな環境だけど、本を読めるくらい頑張ったって訳だろ? すごいよな」
「そうですねー。お仕事もちゃんとしてくれますし、師という方も、きっと素敵な方だったんでしょうね~」
若い女性というだけで差別されるような世界なら、リリナほど仕事のできる、読み書きのできる女性は珍しいはずなのだ。
実際踏みつけられたりもしていた訳で、そんな中でも強く生きてきたリリナは立派だった。
少なくとも二人にはそう思えたのだ。
そしてリリナもまた、自分の師に言及され、嬉しそうにはにかむ。
「……はい。師は女性を差別する事のない世の中を望んでおられました。私もまた、メイドという道を進む事で、活躍できる世界に少しでも寄与できるよう、これからも頑張らせていただきますわ」
「心強いな。頼むぜ」
「頑張ってくださいね。期待してます」
雇ったハウスキーパーが「これからも頑張ります」なんて言うのだ。
雇う側としても嬉しくなってしまう。
「ただまあ、俺達は少ししたらエスティアに向かうから、また家の留守を頼むことになると思うけど……」
「そうなのですか? それは寂しくなりますわ……ですが、主の不在の間こそ、ハウスキーパーの働き所ですから……どうぞ安心して、後をお任せくださいませ」
心強い味方だった。
戦闘に参加する訳でもなく、旅先で活躍してくれるわけでもないが、ただここに彼女が居てくれるだけで、カオル達は安心して旅立てる。
安心して家に帰れる。家の心配がなくなるだけで、その身は軽くなるのだから。
「ですがエスティアに向かうのならば、バークレーの兵隊にはご注意くださいませ。私は何をしにお二方が向かうのかは解りませんが、バークレーは常にエスティアを狙っていますので……」
「ああ。いざこざが起こらなきゃいいんだけど、最悪は自力で脱出できるように色んなところに気を配らなきゃな」
「大丈夫ですよリリナさん。カオル様が傍に居るんだもの……きっと、今回も上手く行くはずです」
この人がいるから大丈夫、というサララの言葉に、リリナも「そうですね」と、本心からの肯定を以て返す。
信頼できる主なのだ。そしてそんな主に心底惚れているこの猫獣人の少女が言うならば、きっと大丈夫なはず。
リリナの中に不安は一切なかった。『この方々は必ずまた、戻ってきてくれるはずだから』と。
「勿論お土産もたくさん持って帰るつもりだけどな」
「そちらは期待しててくださいね」
そして、二人のそんな気遣いの言葉が嬉しくて、ニコリと微笑みながら「はい」と、短く返した。