#1.バークレーの爪
エスティア城・玉座の間にて。
長い黒髪の、細身の少女が玉座に掛けていた。
猫獣人の特徴そのままに、黒毛の猫耳と尻尾を生やした少女。
そんな少女が、赤銅色のティアラを被って、ひざ掛けにもたれかかっていた。女王として。
「バークレーと、軍事同盟を?」
視線の先は、自身の前で直立する青年に対して。
品のいい青の装飾の入った白い揃えに、肩には金縁のモール。
長めの赤い髪は後ろで縛られ、線は細いものの整った顔立ちは美しさすら周囲に感じさせ。
恭しげに、というよりは親しげに笑いかけていた。
「そうさフニエル。今のままでは、いつか君達はエルセリアに利用されてしまうかもしれない。何せこの国は金を生む鶏だ。今はまだ黙っているが、いずれは――」
「ですが、エルセリアは混乱こそしていたとはいえ、元々我が国を保護してくれていたのでは……?」
エルセリアは、南の大国。
彼女達猫獣人の国――エスティアにとって、自分達を保護し続けてくれた盟国のはずだった。
だが、青年は首を振る。
ただそれだけで、少女は不安そうに眉をひそめた。
「今まではそうだった、というのが正しいね。これからはどうなるか解らない。だってそうだろう? 誰が次代の王になるかによって、国の流れや在り方というのは大分変わる。それはどこの国でも同じさ。僕の国だってそう」
「……エスティアも?」
「そうさ。先代の時代はエルセリアに保護されるだけの時代だっただろう? だけど、これからは違う。君が、この国を発展させていくんだよ? 自分の足で立ち歩かないと」
「私が……この国、を……」
それは、謁見というよりは教授しているような光景だった。
女王フニエルは、政治を知らない。
エスティア王家には、数多くの王子や王女が居た。
後継者候補と目されるだけの優秀な者も複数名いたし、そんなだから彼女は自分が王位に就く事など、微塵も考えずに育っていた。
末の娘だったので、皆に可愛がられていたのだ。
このまま色んな人に愛でられ愛され、いつか自分はどこかの国の王家か貴族かに輿入れするもの。
そのように言われ、育ってきた箱入り娘だった。
そんな彼女が王位に就いたのは、ほんの三年ほど前。
六年前、魔人ゲルベドスの襲撃によって大混乱に陥った国を、どの国より先に助けに来てくれたのは、バークレーだった。
そしてこの青年――第二王子ラッセルが、彼女の支えとなったのだ。
政治どころか人前に出る事すらロクにできなかった彼女を、新たな王として国民に広める事が出来たのも、ラッセルのおかげ。
「解り、ました……貴方がそう言うのなら、バークレーと、同盟を結びたいと思います」
フニエルは、このラッセルに深く感謝していた。
それまでバークレーという国は、この国を狙う危険な人達なのだと言われ育っていたのに対し、ラッセルはどこまでも自分に紳士的で、優しく接してくれていたから。
そうして、何も解らない彼女に、王族なりの生き方や王としてのある程度の立ち居振る舞い方などを教えてくれたのも彼である。
フニエルにとって、ラッセルは誰よりも信頼できる婚約者で、王族としての教師だった。
「ありがとう。これで少なくともエルセリアが心変わりを起こしても、君達を守る事が出来るよ――じゃあ、後で正式な書類を寄越すから、サインをしておいてね」
「はい。それで……ラッセル様? 同盟のお話だけなのですか? 今日は、何か折入ったお話がある、と聞いたのですが……」
そして同時に、フニエルはこの七つも離れた婚約者に、恋心も抱いていた。
彼からの婚約の提案を受けたのも、政略だけでなく本意あってのもの。
赤い瞳はどこか憂いるようにラッセルを見つめ、頬は赤く染まり……恋した目の前の人に「これだけなのですか?」と問いかける。
「我が国との軍事同盟は十分『折入った話』になると思うんだけどね。でも、君にとってはそんなくらいの話だったか」
参ったね、と、眉を下げ笑うラッセルに、フニエルはどこか申し訳ない気持ちになり「ごめんなさい」と謝った。
猫耳はしょんぼり縮こまってしまい、華奢な身体がより小さくなる。
ただ、当のラッセルは「いやいや」と髪をかきながら笑いかけた。
「気にしなくていいよ。そうだね、君にとってはこちらの方が話題としては大きいかも知れない。僕の父上――バークレー王が、君に会いたいと言ってきてね」
「え……バークレーの、王が?」
「うん。是非君と話したいらしい。それで、よければ近々王都カレンディアに来てほしいんだ。来れそうかな?」
「それは……でも」
エスティアには、自分しかいない。
ラッセルの提案は、確かにフニエルには魅力的に思えた。
エスティアを保護してくれるバークレーの王族には感謝もしていたし、このようにラッセルが言うなら、是非にでも行きたいと思ってしまった。
けれど、自分が不在になればどうなるのか。
ただでさえ近年まで混乱していた国土が、主不在になればどうなってしまうのか。
それくらい、今の彼女には理解できていた。
おいそれと頷いていい話ではないと思い、迷いを見せるが……ラッセルはにこり、微笑みかける。
「僕と君の結婚式についても話し合いたいそうでね。その、日取りとかゲストとか、そういった話は僕たちだけでは決められないだろう?」
「あ……」
迷いは、すぐに吹き飛んでしまう。
結婚。この、目の前の王子と結婚。
それは、フニエルにとっても望む事のはずで。
「――解りました。近いうちに予定を決めて、カレンディアに向かいたいと思います」
「ありがとう! 君ならそう言ってくれると思っていたよ! それじゃ早速本国に手紙を出すことにするよ。半年以内には行けるようになると思う」
「……はい」
――この人が喜んでくれるのが、何よりうれしい。
恋した相手が手放しで喜ぶのを見て、フニエルは心が強く満たされるのを感じていた。
そう、目の前のこの青年が喜ぶなら、彼女は何だってしたいのだ。
彼女の側近達は、女王と他国の王子とのやりとりを、満足げに眺めていた。
ともすれば国家存亡の危機にも陥りかねない選択すら気にもせず、彼らは「これで我が国は安泰だ」と笑っていたのだ。
政治を知らぬ女王と、国家の重みを慮外する側近、そして、やたらとエスティアに肩入れしてくれる隣国の王子。
それが今のエスティアを支える者達だった。
「んー、中々いい服がありませんねえ」
一方その頃、カオルらは、エルセリア王都リリーナでショッピングをしていた。
ラナニアへ向かう際に立ち寄った時には見て回るくらいだったが、カルナスへ戻る途中の今ならば、と、次の旅支度の為の買い物をしていたのだ。
今は、エスティアへの旅路に着ていく外套を選んでいる最中である。
「なあサララ、これから夏だってのに、ケープとかマントとかって必要なのか? 暑くないか?」
こちらでもない、あちらでもないと色んな商品を手に取り悩んでいるサララに、カオルは適当なマントを選びながら渡していく。
そして「これはダメです」とすぐに突っ返され、気だるい気持ちになりながら次のマントを選ぶ。
「エルセリア国内ならそんなに必要はないですけどー、エスティアは北国ですからね。夏も中盤までは外套が無いと寒いですよ?」
「そうだったのか……エスティアって、山の中なんだっけ? やっぱ冷えるのか」
「冷えますねー。夜中はちゃんと温かい格好で寝ないと風邪を引いちゃいます。途中までは馬車で旅をするんでしょうから、毛布なんかもちゃんと積んでおかないと辛いですよー」
「夏に持っていく装備とは思えんな……でもそうか、色々積まないと、か」
どれくらいの滞在かはまだ決めていないものの、これから夏という時期に旅をするにあたって、冬装備を持っていくのはカオルにとってかなり想定外だった。
衣類などは適当に涼しげなものを持っていって、寝具も薄かけ一枚あればどうにかなると思っていたのだ。
「オルレアン村も結構山の方だけどさ、エスティアってそれとは比べ物にならないくらい高い場所にあるんだよな?」
「そうですねー。お城も街も村もみんな山の上にあります」
「山の中、じゃなく山の上なのか……大丈夫かな」
高所恐怖症の気はなかったが、それでも高地で暮らした事のないカオルには不安も多かった。
あちらでも高山病、という単語くらいは聞いていたので、「恐らくこちらでも似たような事になるんじゃないか」と、心配していたが。
サララは「大丈夫ですよ」と、にっこり微笑む。
「高地での生き方、暮らし方はサララ、プロ中のプロですから」
「お、出たなプロ発言」
「ふふ。でもほんとに慣れてますからね。カオル様は心配なさらないでくださいね」
聞き慣れたプロ発言も、地元のお姫様の言ならば説得力もあり。
カオルは「心強いな」と笑いながら次のマントを手渡した。