#24.幸福の在り処
古代竜レトムエーエムは、その死後も尚、多大な影響をラナニア西部に与えていった。
レトムエーエムの放った羽蟲は国中の街や村に襲来し、防衛力の低い集落は自衛すらできぬまま壊滅していった。
辛うじて抗えた場所も被害者が続出し、コルッセアの様な焦土にこそなっていないものの、再建に時間を要する箇所は数万にも達した。
国家のシンボル、政治の中枢たる王城も国王の爆発により一部が崩落し、そのあまりにも深すぎる傷跡は、ラナニアという大陸最強だった国家に、浅からぬトラウマを植え付けることになった。
「姉様……ご機嫌はいかがですか?」
王城の一室――リースミルム第一王女の私室では、第二王女リーナが、お見舞いのため訪れていた。
侍従らを伴ってのものであるが、入り口で侍女らを控えさせ、リーナは姉の横たわるベッドへと寄り添う。
「生きてるのが不思議なくらいだわ。呪いとかも、今のところはないし」
対して、ベッドの上の姉姫は、さほど疲れた様子もなくケロッとしていた。
今も、妹がお見舞いに来てくれたのを喜んですぐに半身を起こしてしまう。
すぐに「姉様安静に」とリーナが心配するが、「大丈夫よ」と笑って返すくらいであった。
「正直、父様の爆発に巻き込まれた時には、もう死ぬものと思っていたわ。生きていると解っても、死んででも、レトムエーエムを倒すつもりだったの」
「……はい」
「でも、今の私はこんなに元気。貴方のおかげもあるのかしら……ね?」
あまり筋肉のついていない腕を見せながらにっこり微笑む姉に、リーナは困ったように眉を下げる。
「ですが姉様……今回の騒動は私自身もその責任の一端を――」
「例の、民主主義運動だけどね」
全ての元凶ともなった民主主義運動。
自分がそれに協力し、あまつさえ運動を扇動していたことは、姉に既に知られていた。
知られている以上は隠していられるはずもなく。いいや、元より隠していられるほど、彼女は無責任ではなかった。
だが、それを告白しようとしていた自分を遮るような姉の言葉に、リーナは思わず「えっ」と目を見開いてしまう。
「私はアレも、一つの民意だと思うようになったわ。自分達で統治したい。自分達でやってみたい、と思うのはとても大切な事だと、今の私は思う」
「……姉様?」
「あの運動の原因の中に、国に対しての不満もあったのでしょう。そしてその不満が憎しみを産み……あのような化け物を成長させてしまった。私は以前、彼らの事を『手元にある幸せに満足できないからそんなにことを願うのよ』と思っていたけれど……それなら、それをこそ国は掬い取り、解決して見せるべきだったのよね」
我ながら浅はかだったわ、と、反省したように目を瞑り、そしてまた開く。
明るい光を湛えた瞳。リーナは吸い込まれるように、姉のそんな眼を見つめていた。
「それに、考えてみればすごい事でしょう? 隣国エルセリアでは国家に対してのデモなんて見た事が無かったわ。それだけ、我が国には変わるだけの余地がある。国民が、まだ自発的に行動できるだけのエネルギーがあるという事なの」
「それは……そう、ですね」
「だからね? 私は思ったのよ。『これを活かさない手はないわ』って。今のままの閉塞感に満ちた国中の雰囲気。これを変化させるには、今回のレトムエーエムの件も……利用できるんじゃないかしら?」
「……利用、ですか?」
姉の話す事を理解しようと聴きに徹していたリーナだったが、これには戸惑いを隠せない。
後ろに控えている侍従らも、驚き眼を見開いていた。
「だって、今回の件は間違いなく大きな出来事よ? コルッセアは焦土と化し、国中で被害が及んでるわ。人的な被害だけじゃなく、経済的にも、食料的にも。特に西部の農村部の被害が甚大だって聞いたから……当面の間、国のあらゆるリソースが制限されることになる。復興にだって、かなりのコストがかかるわ」
「そうですね。多くの地域で被害が出たと……」
「だったら、利用できるものはなんでも利用するしかないでしょう? 幸いレトムエーエムが暴れ回った事は、今はまだ周辺国にはほとんど知れ渡ってない……まあ、エルセリアにはバレてたけど」
「……あれは、本当に……エルセリア王が恐ろしくなる一件でしたね」
レトムエーエムが倒れる直前。
エルセリアから突如幾台もの軍馬車がラナニア国内になだれ込んだ。
軍の大半がレトムエーエム対策の為動いてしまったため、国境際は無防備に等しく、これを止められる者はいなかった。
リース達がそれに気づいたのは、コルッセア近郊までエルセリア軍の軍馬車が列をなして到着してからである。
陸軍ですら、そこに至るまで状況を察することができなかったのだから、電光石火という他ない。
「あそこでエルセリア王が野心を見せていたら、私達は確実に敗けていたわ。ラナニアという国は、今頃エルセリアという国名に代わってたの」
「驚かされました……まさか、国際問題になりかねない手段を取ってまで、私達の救援に駆け付けていたとは」
結果として見れば、エルセリアはレトムエーエムの存在を察知し、その救援に駆け付けただけだった。
国土侵攻も「急時の為やむなく」という大義があり、実際西部地域の中でも、防衛力を持たない地域がかなりこの『隣国からの増援』によって救われていた。
そのエルセリア軍であるが、今は『災害復興の為』という名目でラナニアの各地に分散し、名目通り復興の手助けをしている。
「コルッセアから遠く、エルセリアが何故レトムエーエムを察知できたかは解らないけれど……結果として被害はその分抑えられたし、今も手伝ってもらっている……安くはない借りが出来てしまったわ」
「本当に……レトムエーエムだけでも、彼らが到着する前に倒せてよかったと思いますわ」
「そうね。古代竜討伐の手助けなんてさせたら、国境がより東になってた可能性すらあるもの」
国家間の救援と聞けば美談ともなろうが、老獪なるエルセリア王が何の目算もなく他国を手助けするはずもなく。
今後の関わりにおいて何がしか面倒ごとを要求してくる事は想像に容易かった。
それでも、今は頼らざるを得なかった。
頼りになる隣国であった。
「……でもあれよね。お父様はエルセリアを警戒していたけれど、攻め滅ぼしたいとかはまだ考えてないようね。少なくとも、今回はそんなつもりはなかった、と」
「そうですね……あの人もやはり、エルセリアへの憎悪に憑りつかれていただけなんでしょう。レトムエーエムに煽られて」
「哀れな方だわ。仲の良かった兄や妹に裏切られたと思い込んで、一人きりで戦って、私達子供まで信用できなくなって……可哀想」
「……私は、そうは思えません」
その最期に至るまでがレトムエーエムに操られた結果なのだとすれば、リースとしては憐れみを感じずにはいられなかったが。
しかし、リーナは素直に受け入れきれず、唇を噛む。
「あの方はやっぱり、そういう、孤独に生きるしかない方だったんだと思います。お爺様からそう躾けられて……だけれど、だからといってやった事が全てなかったことになる訳ではありませんから」
「だからこそ、苦しんでたんだと思うけどね。最期に私の所に現れた時、お父様は私の心配をして来てくれたんじゃないかって思ったの。違うかもしれないけど、なんとなくね」
「……姉様になら、そうなのでしょうね」
「貴方は、まだあの方の事を引きずっているのよね。解るわ。私だって、貴方のお母様の事は申し訳ないと思っていて――」
「――正妻から生まれた姉様には、私の気持ちなんて解りません!」
知ったような事を仰らないで、と、慰めのような姉の言葉に反発してしまう。
リースは、そんな妹に一瞬驚いたような顔になったが……すぐにベッドから這いだし、妹の近くに寄ってその頭を撫でた。
「わたし……ごめんなさい」
「いいのよリーナ。貴方が王家を恨みたいと思ってしまうのも仕方ないわ。大切なお母様を雑に扱われて、捨てられて……貴方自身だって、道具のように思われていたんだもの」
「……」
「だけどね、これだけは信じて? 私も……シドムも、ハインリッヒだって、貴方の事は大切な妹だと思っているのよ?」
「それは……解っています、が……」
「それでも、自分のお母様の事は受け入れられないのよね? だから、恨んでいいわ。私達を恨んでもいい」
それで気が済むのなら、と、優しく頭を撫で。そうして、抱きしめた。
そんな優しい事を言われたら、涙が流れてしまうというのに。
彼女の姉は、愛する妹を泣かせてでも理解して欲しかったのだ。
愛しているのだと。心から大切に想っているのだと。
それが解るから、リーナはそれ以上何も言えなかった。
「私が――」
そうして、その優しい姉はゆっくりと妹の身体を放す。
涙でぐしゃぐしゃになった眼元をそっと指で掬いながら、にっこりとした笑顔を見せた。
「――私が生きてる間中、必ず貴方の気持ちが救われるように、そして国中の皆が笑って暮らせるように、頑張るつもりだから」
リーナによく似た、血のつながりを感じさせる顔だった。
そしてそれは……彼女の母親にも似ていて。
止まりかけていた涙が、また溢れてしまうのを、リーナは感じていた。
眼元が熱くなる。けれど、止められない。
「まだ、私達の妹として、傍にいてくれるかしら?」
問いかけの答えなど、言わずとも伝わっているはずだった。
姉たちが彼女を大切な存在として思っているのと同じように、彼女もまた、姉たちを大切に想っていたのだから。
だから、彼女は精一杯の笑顔で返すのだ。
泣き笑いの笑顔で。
「――はい、姉様達と一緒に!!」
かつて、ラナニア王家には血の凍るような風習が残っていた。
血の繋がった王族たちが殺し合い、生き残った者だけが王として君臨する。
戦乱の世に興った国の、戦乱を生き残るための戦略。
最も優秀で冷酷な王こそが君臨すべしという因習はしかし、元々は仲睦まじき兄弟が、涙を流しながらに行った悲劇だった。
そうして愛しき者の死によって覚悟を決めた王が軍を率いる為の、呪われた選別。
代々のラナニア王を狂わせていった選別法はしかし、本来は「今さえ切り抜ければ後の世代の者達が幸せに暮らせるはずだから」という、平和への願いからやむなく行われていたものに過ぎないのだ。
今、ラナニアはようやくその呪いから逃れ、姉が、兄が、弟が、妹が、正しく平和のために協調し合える時代が訪れた。
閉塞感に満ちた国家はしかし、ようやくにして新しい風が吹き始めたのだ。
「感動的な話してるところだから、なんか入り難いなあ」
「こういう雰囲気の時って、話掛けちゃいけない感じですよねえ」
侍従に案内され、リース姫の私室へと通されたカオルとサララは、王族姉妹の大変感動的な光景を前に所在なく立ち尽くしていた。
一応ノックしてくれたし、入り口に控えていたミリアがドアを開けてくれたのだが……入ってきたカオル達に気が付き、二人は一瞬、固まってしまった。
「あらあら……お客様がいらっしゃっていたのは気づかなかったわ。ごめんなさいね、今、大切な話をしていたから」
「あ、あの、えっと……」
すぐに取り繕おうとするリースに対し、リーナはと言えばしどろもどろになり視線を右往左往。
ようやく息を吸い込み落ち着くと、ようやくいつものすまし顔に戻った。
「……カオル殿? それにサララさんも、何故こちらに?」
「何故って、リース姫? っていう人が俺達を呼んでたって聞いてさ」
「リーナ様はご存じなかったんです?」
「ご存知なかったですわ……姉様?」
不意打ち気味にさらす羽目になった恥ずかしいシーンを思い返し、リーナは恨みがましそうに姉を見るが。
姉はどこ吹く風で「ええ」と、にっこり微笑む。
これは先程とは違った、王族としての笑顔だった。
慈愛に満ちた、聖母の様な笑顔である。
「レトムエーエム討伐の際、足元で頑張っていた人がいたようだから……貴方の言っていた『魔人殺し』の英雄殿なんでしょう?」
「それはそうですが……せめて、私にも教えてくださったら」
「ふふっ、ごめんなさいね。でもアレね? 思ったよりも――」
拗ねた様に頬を膨らませる妹に心底癒しを感じながら、リースはカオルの姿を上から下から、見定めてゆく。
カオルはちょっと緊張したように黙っていたが、サララは面白くなさそうな顔をしていた。
「――普通の人ね? 鍛えられてはいるみたいだけど、見た目だけだとその辺の青年って感じがするわ」
「まあ、普通の村人ですから」
「なるほどなるほど……普通を装ってるのね。謙虚な事だわ」
「そんなもんですかね?」
「功績をあげて人から認められると、人ってそれに見合った尊大なふるまいをしてしまいがちだから……いいえ、それに見合ってるならいいけれど、功績以上に我が侭になったり、野心を抱いてしまったり……ね」
人は欲望の生き物である。
それがあまり得られぬうちは謙虚でも、いくらでも得られるようになればそれほどに己の内の欲望を育ててしまう。
そうして、一度育ってしまった欲望は、自部自身でも制御が出来なくなってゆく。
レトムエーエムは、そんな人間の欲望を餌にしていたが、あのような化け物に操られずとも人間は、自身の欲で自滅する事があるのだ。
それを想えば、目の前のこの英雄殿のなんと謙虚な事か。
いささか覇気が足りていないようにも思えたが、平和な時代ならばむしろ、その大人しさは好感が持てた。
少なくともリースはそう感じられた。
「魔人殺しに加えて、古代竜殺しにもなった訳だけれど」
「実際に殺したのはお姫様だと思いますよ? まあ、俺やサララも頑張ったけど」
「あれだけ時間を稼いでくれれば十分な貢献よ? 国家は救われた。貴方は間違いなくこの国の英雄だわ」
「そう言ってもらえると嬉しいですけどね」
綺麗なお姫様からの真っ正面からの称賛である。嬉しくないはずが無かった。
照れくさく感じながら頬をポリポリと掻き、顔をほころばせる。
「よし――」
「……? 姉様?」
そんなカオルを見て……しかし、姫君は何を思ったのか、一人で頷く。
リーナもそれは不思議に思い、姉に問うが。
「――貴方、私の夫になりなさい」
満面の笑みでの言葉に、その場にいた全員が絶句した。
「……いやっ、いやいやいや!」
しばらく皆して固まっていたが、ようやくに反応できたのはサララだった。
カオルの前に立って、これまでカオルが見た事がないほどに取り乱していた。
「待ってくださいリース王女っ! な、なんだってそんな、カオル様を!?」
「なんだって、って、そんなにおかしな話でもないでしょう? 魔人を殺して古代竜まで足止めして撃破に貢献した英雄殿よ? 十分に王族と釣り合う功績だし、子供を作る相手としては問題ないと思わない? むしろ超有望株よね?」
「それ……は、そうでしょうけど! そうは思いませんっ、というか大問題です!!」
何が不思議なの、と、本当に不思議そうな顔をするリースに、サララは何とか食い下がる。
ここにきてサララだけでなくリーナやカオルも我に返った。
「そうです姉様。カオル殿にはこの、サララさんという方がいらっしゃいますし――」
「あ、ああ、そうだよ。俺、サララともう一緒に――」
「えっ? あらそうなの? なるほどねえ」
「解っていただけましたか。だったらもう――」
「――だったら、二人とも私のモノになればいいじゃない? 私、女の子でも問題ないわよ?」
「はっ!?」
「ふぇっ!?」
「姉様っ!?」
再び固まる一同。
しかしリースはやはり気にした様子もなく、「何か問題なの?」と笑いかける。
「……姉様、その……どちらでもよろしかったのですか?」
「どちらでもよろしかったわよ? 流石に妹には手を出す気にはならなかったけれど、そこのサララさん? 貴方なら全然問題ないわ♪」
「こちらには問題があります! やめてくださいっ、私をそんな眼で見ないでくださいっ!!」
全力で引いたような目で姉を見つめるリーナと、怯えた様にカオルの後ろに引っ込んでしまうサララ。
カオルはというと、リーナに向けて「あんたの姉さんどうなってんだ」と困惑した目で見つめていた。
「まあ、エスティアやエルセリアだと一般的ではないのかしら?」
「姉様っ、同性愛はラナニアでも一般的ではありません!」
「王族では割と珍しくもないと思うけれど……近い例だとシドムは侍従の男の子と――」
「やめてくださいそんなインモラルな話、聞きたくありません!!」
聞けば聞くほどに先程の感動的なシーンが台無しになっていくラナニア王族の裏話であった。
リーナなど、涙目になって耳を手で押さえいやいやするように首を振り乱していた。
「ま、まあ……その、なんだ」
リーナほどではないにしろ、サララもカオルの後ろでガタガタ震えてしまっていた。
こうなってはもう、一番ダメージの浅いカオルが対応するしかない。
「すみませんけど、俺達は貴方のモノになるつもりはないんで」
「あらそう、それは残念ね」
「軽っ……あ、いや、軽すぎはしませんかね? いや、諦めてくれればそれに越したことはありませんが」
「それはまあ、ダメなら仕方ないくらいのつもりで言ってるしね。リーナも引いちゃってるし、素直に諦める他ないわ」
ダメもとにしてもとりあえずで言うにははっちゃけすぎたものだったが、リースはそれほど気にしていないらしく。
こほん、と咳をついて、「それはそうと」と話しを進め始める。
「国に貢献してくれた英雄殿には違いないから、私にできる範囲で何か褒賞を、と思うのだけれど。何かある? 私、即位こそしていないけれど次のラナニア王になる予定だから、国内限定で割と何でもできるわよ?」
「褒賞ですか……なら、友達になってくれません?」
「友達? 友達ってあの、恋愛関係のない友達? それでいいの? 愛人でもいいのよ?」
「そう言うのは無しで! 無しで!」
言ってる事はエルセリア王に近いのに、どこかインモラルな感覚が拭えない次期ラナニア王である。
カオルも「本当にこの人と友達になっていいのか?」と自問自答しそうになってしまう。軽く後悔していた。
「まあ、別にいいけど。じゃあこれから私は貴方のお友達ね! よろしく、お友達!」
「……なんか、ほんとにノリが軽いというか」
「平時の姉様は大体こんな感じです……カオル殿、慣れてくださいまし」
「そうなのか……これが次期ラナニア王なのか……」
慣れるのが難しいノリだったが、慣れる努力はしようと思ったカオルであった。
「それで……そっちの猫耳の……サララさん? 貴方はどうなの?」
「えっ? 私も?」
「それはそうでしょう。古代竜相手だもの。まさかドラゴンスレイヤーが居て、何もしなかったわけじゃないんでしょう?」
「それは……でも、そうですね、それなら――」
自分も褒賞をもらえると思わなかったのか、目を白黒させていたが。
それならそうと、と、サララはわずかばかり視線を上に向け……そうして、リース姫を見つめた。
「――私の祖国の、エスティアの現状について、知っている事を教えていただけたらと」
「エスティアの? ラナニアとは大分離れているから、私も行った事ないわよ?」
「でも、『バークレー』とは友好国ですよね? 北の」
「ええ、そうね。バークレー関連なら私は他のどの国の外交官より詳しいはずよ」
カオルには全く分からない話。
サララの祖国、エスティアについての話だった。
真面目な表情のサララを前に、リースもまた、真面目な表情になる。
「バークレーは現在、エスティアの庇護国となっているわ」
「……それは、エルセリア王からも聞いています」
「あらそうなの? なら解るかも知れないわね。バークレーは大陸でもあまりよくない噂が広がる国。そんな国に保護されているとなれば……」
「……エスティアは、実質支配下に置かれているという事でしょうか」
「恐らくは。その種族の本人を前に言うのもアレだけど、猫獣人って対竜戦闘以外だと笑っちゃうくらいか弱いからね。戦争するまでもなく、勝手に入り込んで『占拠しました』って言ったら即占領できちゃいそうなくらい」
それくらいは解るわよね、と、目を細めながら確認し。
そうして、サララが頷いたのを見てから話を進めようとしたが……サララが先に声を発した。
「でも、エスティアはエルセリアと友好関係があって――バークレーはエルセリアを恐れて侵攻できなかったはずです」
「そうね。近年まではそうだった。けれど、バークレー側にとって都合のいい問題が、エスティアとエルセリアにほぼ同時に起きたの」
「……それってもしかして、エルセリアの王位継承問題……?」
「勘がいいわね英雄殿? ええ、その通り。理由の一端は王位継承でエルセリアの上層部が混乱していた事。王が優秀だったから国内は統治しきれてたのだけれど、それでも流石に他国の事まで手が回らなかったの」
「……もう一つは、エスティアへの、魔人襲来事件ですか?」
「そう。自分の所の王族が、揃って猫にされたっていう事件だもの。国民なら解るわよね?」
サララが猫にされた原因。
魔人ゲルベドスによる襲撃が、エスティアという弱小国にとっては致命的過ぎる状況を引き起こしたのだ。
「王族はその後、どうなったのでしょうか? バークレーに占拠されて、エスティアは一体……」
「そこはエルセリア王には聞いてないのね? まあ、あの人なら隠してた可能性もあるかしら……知らなかったのかもしれないから何とも言えないけれど」
「教えてください。どうなったのですか? 貴方はそれを知っているのですか?」
「知っているわよ? エスティアの王家は魔人の襲撃により全員が猫になった……と思われたわ。けれど、実際には一人だけ無事だった、というのがバークレーの話でね」
「……一人だけ?」
「そう。その一人――王女なんだけど、その王女がバークレーによるエスティア保護を嘆願したの。それによってバークレー王家はエスティアの保護を決定し、庇護国となった」
静かな空気が支配する一室。
口がはさめないままのカオルが、ごくり、喉を鳴らす。
視線を揺らしながら、それでも気丈にリースを見つめようとするサララは……なんとか意識を保ちながら、続きを促す。
「その、無事だった王女の名は……?」
「フニエル、といったかしら? 今はバークレーの第二王子のお気に入りとして、婚約しているらしいけれど」
「……フニエル」
噛み締めるように呟き。
そうして、視線を落としてしまう。
「貴重な情報を、ありがとうございました」
「……貴方、大丈夫? もしかして、王族に何かゆかりのある人だったの? 私はエスティア王家とは親交がなかったから、結構はっきりと伝えてしまったけれど……」
「いいえ、大丈夫です。エルセリア王から『国の事は諦めよ』と教えられた時に、もう大体の事は察していましたから」
サララにとっては、確認がしたかっただけだった。
エルセリア視点からでは解らない事も、バークレーと親交のあるラナニアならばあるいは。
そう思ったからこそ聞きたかったことが、やはりというか、その通りだった事。
それはサララにとって間違いなくショックだったが……それでも、予想していたことが予想通りだったから、耐えられないほどではなかった。
少なくともサララ本人は、そう思い込もうとしていたのだ。
「よっ、と」
「あっ……」
しかし、そんなサララを見て、カオルは何もしないままではなかった。
後ろから抱きしめ、そうして、リースに向けて愛想笑いする。
「すみませんリース様、サララの体調が良くないみたいだからこれで失礼してもいいですかね?」
「ええ、疲れているのに無理をさせてしまったわね……来てくれてありがとう。落ち着いたら、お茶でもしましょうね?」
「助かります……行くぞ、サララ」
「……はい」
今は、カオルのフォローが嬉しかった。
黙っていたら泣いてしまいそうだったから。
耐えられると思っていても、サララはこうした時、か弱い女の子なのだ。
カオルに抱き抱えられてしまい驚いたが、されるがままになっていた。
そうして二人が去った後、二人の王女はぼんやりとドアを見つめていた。
「仲のいいカップルだと思ったけれど、何か色々と事情がありそうね」
「そうですね……あのサララさんという方は、何か、重いモノを抱えているように思えました……私と、同じだったのかも」
「だとしたら、彼がそれを解消させてあげられるかどうかが、二人の今後に関わってきそうね」
「ええ……お二人には、幸せになって欲しいですわ」
愁いを帯びた瞳を見せる妹に「この子にも幸せになって欲しいんだけどね」とため息をつきながら、リースは、先ほど友人になった英雄殿とその恋人の今後に、一株の不安を感じずにはいられなかった。