#20.古代竜レトムエーエムとの戦いにて2
『グハハハハハハッ!! 思ったよりもよく動く!! 貴様、タダの猫獣人ではないな!!』
コルッセアの地では、激戦が繰り広げられていた。
街を破壊しながら暴れ回るレトムエーエム。
しかし、その目標は一点に定まっていた。
現状における最大の障壁、猫獣人のサララに。
「はぁっ……さ、流石に強い……っ、覚醒した古代竜が、こんなに厄介だとは!」
対してサララはと言えば、一撃こそ貰っていないものの、消耗が見え始めていた。
短時間の戦いだったにもかかわらず、オルレアン村近くの山で戦った時と違い、頬に汗を流し、油断なくレトムエーエムを睨みつける。
直後、レトムエーエムの長大な尾が真上から降り注ぎ、それを高く跳躍して避けた。
《どごぉんっ》
一撃で大地が剥がされ、大量の瓦礫が舞う。
その上を器用に飛び交いながら、なんとかしてレトムエーエムの顔まで飛びかかり、拳に力を入れた。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
『むぅっ! 舐めるなぁっ!!』
「――あっ」
顎に向けての一撃は、しかしレトムエーエムが首を大きくしならせ回避される。
代償にできた大きな隙。直後、巨大な頭がサララに向け叩きつけられる。
「きゃぅっ」
どん、と、強烈な衝撃が伝わり、意識を失いそうになった。
普段ならそれだけで即死していてもおかしくないダメージ。
それを受けてなお無事なのは、対竜強化されたその身体のおかげではあったが。
それでも、華奢な少女にその衝突は、ただならぬ打撃となった。
「う、ぐ……っ、まだっ」
そのまま落下し、近くの瓦礫に叩き付けられそうになり、身をよじって反転させ、なんとか着地する。
立ち上がろうとして強烈なぐらつきを覚え、自分の平衡感覚が傷つけられている事に気づき、眼を見開く。
(まず……っ)
手慣れている相手だった。
山の上で戦った古代竜と違い、こちらは明確に覚醒していて、猫獣人相手に戦い慣れしている。
都市部での戦いという事もあり、レトムエーエムもいくらかは身動きが鈍くなっているとはいえ、その巨大過ぎる身体からの攻撃はサララにとって脅威であった。
今の一撃も、地面まで時間があったから辛うじて着地できたが、そうでなければ重傷になっていてもおかしくない。
幸いなことにぐらつきはすぐに収まり、今はしっかりし足を踏ん張っていられるが、レトムエーエムもそんな猫娘を見逃すはずもなく。
すぐに追撃が襲い掛かってきた。
『そろそろ――死ね』
今度は、左足での踏みつけ。
巨大な柱のような太い足が、遥か高みから自分目掛け踏み下ろされる。
しかし、速度はサララの予想以上に早く、飛び退く暇もない。
「そんな――ものぉっ!!」
『……ほう?』
知らぬ者が見たらこれほど異常な光景もないだろう。
自分を押しつぶさんとしたレトムエーエムの足に、細い両の腕で抗い。
サララは、押しつぶされまいと押し返そうとしていたのだ。
『これほどの力を持つ猫獣人も珍しい……貴様、王家の者か……? これはますます面白くなってきた!』
「だから、何だって言うんですか……私はっ、私は、貴方を許しませんよっ、レトムエーエム!!」
『グハハハハハっ、素晴らしいな! この劣勢で尚そのような口が利けるのか。ああ、そうだな。貴様らはいつもそうだった。だが、たった一人で何ができる?』
かつて、ドラゴンスレイヤーは世界中に居た。
魔王の魂が甦らぬよう、レトムエーエムのような古代竜を狩り回っていた。
だが、その末裔も今では辺境の小国に押し込められ、この場にはサララしかいない。
『このわずかな一時でも解るぞ? 貴様の力では、我を殺す事はできぬ。多少は、手傷も負わせられようが、な』
「だとしても、私のしている事は無意味ではないはずです。時間が稼げればそれで十分!」
『無意味な時間稼ぎと言いたいところだが、昔から猫獣人という奴らはやたらに頭が回る……ならば、油断せずに確実に潰さねばなあ?』
ぐ、と、力が更に籠められ。
サララの身体は、背骨からぎしぎしと悲鳴をあげ始めていた。
耐えられる重量には限界がある。
いかに対竜強化されていようと、その限度を超えれば後に待っているのは、死のみ。
「ぐ、ぅ……あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
『ぬぉ!? ぐ、おおおおおおおおっ!?』
――バカバカしい。そんな簡単に死んでたまるものですか!
そう思えばこそ、そのまま潰される訳もなく。
サララは掛けられる力のベクトルを逸らし、自分を押しつぶさんとする足の裏を、レトムエーエムにとってあらぬ方向へと受け流した。
ずるり、滑ったように足が思わぬ方向に逸れ、古代竜は困惑の声を上げながらずずん、と、姿勢を崩し倒れ込む。
「――喰らえぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
『おおっ!? グォァァァァァァァァッ!!!!』
それが好機とばかりに、消耗した自分の身体にムチ打ちながら、倒れ込んだレトムエーエムの顔へと肉薄する。
なんとか顔をもたげようとしていたレトムエーエムだったが、その接近にはぎりぎりまで気づけず。
今度は反撃もできぬままに、鋭く伸びたサララの爪を、その巨大な瞳に刻み付けられる。
左の瞳に五回、両手の爪で抉るように引っ掻き、ぐちゃりと潰す。
『ギャァァァァァァッ!! アグッ、アギィッ!! アアアアアアアアアアアアッ!!!』
「フランさんの、仇……! その、両眼で――」
『貴様っ、貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!』
「はっ――ぐっ!?」
しかし、攻勢はそれまでだった。
抉り潰された片眼の恨みとばかりに、レトムエーエムはサララの胴体目掛け頭突きし、吹き飛ばす。
激痛のまま、涎をダラダラと垂らしながら、無事な右眼から涙を流しながらのあらん限りの抵抗。
それがサララを捕らえ――クリティカルヒットしたのだ。
今度は地面までの時間が短く、着地もできず背中から叩きつけられてしまう。
(うぅ……痛い……苦しい……っ)
全身に走る激痛。幾度も這いあがってくる吐き気。
まだ生きている実感はあるものの、それを感じればそれほどに、目の前の敵の強大さを思い知らされる。
『あああああっ!! ウガァァァァァァッ!! ギィッ、ガハァァァァァァッ!!』
(……まだっ)
まだ、立ち上がれた。
震える足で踏ん張りながら、見てみれば、レトムエーエムはまだ、片眼を失った痛みに震え、意味のない方向へと八つ当たりを繰り返していた。
まだ、戦えるという気になれた。
ダメージが全く通らない訳ではない。
調子に乗って攻撃し過ぎれば痛い眼も見るが、上手く戦えば大分優勢に戦えるとすら思えた。
それだけ、片眼を潰したメリットは大きいのだから。
「う、ぐ……っ、けふっ、くふっ――」
しかし、そんな想いとは裏腹に、腹の底からズクズクとくる痛みがサララを苦しめる。
鈍い痛みがいつまでも消えない。
喉奥から焼き付くような苦い唾液が沸き上がり、思わず咳き込んでしまう。
口を押えた掌に、いくらか血が零れていたのを見て、サララは、哂った。
(ああこれ、死んじゃう奴じゃないですか……なんでこんな……こんな訳の分からない事に。夢だったらよかったのに)
これが夢だったらどれだけよかった事か。
だが、それが夢ではない事は、嫌という程その身に刻まれていた。
苦しくて仕方ない。辛くて仕方ない。だけれどこれが現実。
だが、不思議とサララは、焦りはしても、不安には感じていなかった。
「私……がっ」
再び、レトムエーエムへと駆け出す。
「私が、時間を稼げば。ダメージを与えられれば、それだけ、カオル様が――っ」
信じられるのは、愛した人がいるから。
きっとその人が戻れば、この化け物をなんとかできるから。
不思議なもので、かつて古代竜に襲われていたのを助けた時の事は覚えているのに、何故かその人になら今、この古代竜をどうにかできるように思えたのだ。
いや、実際にはそうではないのかもしれない。
けれど、そんな気になってしまったのだ。
(こんなところで、死んで、たまるもんですか――っ)
その人に会うまで死ねない。
その人の傍で、何が何でも幸せになりたい。
死んだフランを見て、サララは、死にたくないと思ってしまったのだ。
絶対に生きて、生き延びて、大切な人と、ずっと一緒に居たいと思った。
『グゥッ、アガァッ――壊れろっ! 皆壊れてしまえェェェェェェェェェッ!!!!』
「――っ!!」
脳に直結した痛みに苛立ち、レトムエーエムは尚も怒りの矛先を求める。
いつしか、《カッ》と、レトムエーエムの口内が赤く照らされ。
それを見たサララは、本能的に近くの崩壊した建物へと身を滑り込ませた。
「はっ、はぁっ、くそっ、くそっ! 急げ、急げ急げ急げぇぇぇぇぇっ!!」
一方、カオルは絶叫さながらに自分にわめきたてながら夜街へと向かっていた。
そこからなら比較的安全に逃げられるという話だったが、レトムエーエムの叫びは街に居ればそれだけで解るほど大きく。
先程の絶叫も、彼には解っていた。
サララは奮戦してくれている。
けれど、同時にレトムエーエムがただ一方的にやられていた訳ではないのが解ってしまっていた。
少なくとも、何かしら一撃を加えるまで、サララは劣勢に立たされていたのだ。
何が起きるか解らない。もしかしたら、サララが敗けてしまうかもしれない。
そうなる前に、サララが傷を負うより前に、何が何でも戻らなくてはならなかった。
比較的無事な一角とはいえ、街の一部は地震の影響で崩れてしまっていた。
なんとか安全な道を探し、進んでいる内に、『偽りの花園』があった一角に通りかかった。
「――お願いだからっ、一緒に逃げてよっ」
静まり返った道を往くと、不意に女の声が響く。
急がなくてはならないのに、思わずカオルは足を止めてしまった。
「私の事は良いから、お前達だけで逃げな。ここはもう、おしまいだから」
「そんな事ない! マダムがいれば、またやり直せるわ! こんなところでっ、こんなところで死なないでっ」
(……この声、は)
店の方角からだった。
そして聞き覚えのある、若い女の声と、しゃがれた老婆の声。
自然、足が向いてしまう。
「今ならっ、今なら間に合うわっ」
「こんなところで、こんな年寄りのために命を粗末にするもんじゃないよ。死なれでもしたら、助けてやった甲斐がなくなるじゃないか」
「背負ってでも逃げるから! だからお願いよマダムっ」
「私達、なんでもやるからっ」
「マダムに死なれたら、私達何をしたらいいかわからないじゃないっ」
「私はいいのさ……私は、この世界に来てからの、仲間達の事を想いながら、眠りにつくことにするよ」
偽りの花園、その店の前で、座り込んだままのマダムと、それを囲う様に店の女達が立っていた。
イザベラを筆頭に、店の女たちはマダムを連れ一緒に逃げようとしていたが、マダムはそれを拒んでいる。
「あんたら……まだ逃げてなかったのか」
「えっ?」
「あっ、カー君……どうしてここに?」
見捨てられなかった。
フランだけじゃない。
店の人達は、記憶を失っていた彼にとって家族も同然の存在だったから。
大切な人達だからこそ、無視できるはずがなかった。
驚く女たちの中、マダムはじ、と、カオルの胸に抱かれたままのフランを見つめる。
「カオル……フランは……」
「……すまねぇマダム。それに皆」
抱き抱えていたフランもまた、彼女たちにとって家族のような存在だった。
だからこそ、報せなくてはならなかった。
誤魔化す事などできない。はっきり、伝えなくてはならなかった。
「フランは、死んじまった。事情は後で話す。だけど今は、知って欲しいんだ」
話の流れから、マダムが逃げるのを躊躇っていたのは察せた。
だから、カオルはそれを変えなくてはならないと思った。
同時に、最も早くサララの元に戻れる方法も考えながら。
「フランの仇は、あのでけぇドラゴンだ」
「――っ」
「あの、化け物が……」
「フランちゃんを……殺したの?」
女たちはざわついたが。
マダムはじ、とカオルを見て……そして「そうかい」とだけ呟く。
涙一つ流さない。だが、ふる、と、その身体が小さく震えたのは、カオルにも解った。
「それで、お前は何をしてるんだい?」
「フランを安全なところに運んで……それから、あのドラゴンを討つ」
「できるのかい? お前に、それが」
「やるさ。今、あの化け物は俺の仲間が足止めしてくれてる。でも、その仲間も俺の大切な人なんだ。だから、急いで戻らないといけない」
「……そうか」
やれやれ、と、ため息をつきながら、マダムはドラゴンのいる方へと視線を向け……そして、イザベラへと視線を向けた。
「イザベラ、手を貸してやりな」
「でも、マダム……」
「フランの仇を討つんだよ。他の子はフランを運びな。さっさと安全な場所に逃げるよ」
仕方なし、といった様子だったが、その眼は先ほどまでの諦観を受け入れていた眼と違い、明らかに光が灯っていた。
哀しみの色が色濃かったが……それでも、その場で死ぬ気はなくなったのか、てきぱきと指示を下していく。
それまでテコでも動かったマダムが動き出した事で、フランの死にショックを受けていた娼婦たちも「はい」と、言われるままにカオルからフランを受けとり、二人がかりでなんとか運ぼうとしていた。
「全く、人が大人しく死ぬ気でいたら、娘を弔ってやらなきゃならんとは、酷い世の中だよ」
「フランを、頼みます」
「事情は後で聞かせてもらうよ。フランの事はお前に任せたんだ。なのにそれを失っちまった。お前は、最低な男だよ」
「……ああ」
「だけど、それは私らも同じさ。こんな事になるなんて、誰にだってわからなかっただろう。だからねカオル、よく理解しな。『人生なんてそんなもん』だ。ただ楽しいばかりじゃない。幸せなばかりじゃない。辛い事、苦しい事もあっての人生さね」
「……痛感した」
「忘れるんじゃないよ。だけど、生きて帰りな。店に男手が居ないのは不便で仕方ない」
「ははっ……マダムも生きててくれよ。戻る店がないんじゃ復興もできねぇ」
「減らず口ばかりは一人前になったようだ……行ってきな! 必ずフランの仇を討つんだよ!!」
「ああ!」
必ず、必ずあの化け物を倒して見せる。
そう胸に誓いながら、しかし自分の隣に立つイザベラに視線を向けた。
「……イザベラ、本当にいいのか? こっちで」
「仕方ないじゃん。マダムが手伝えって言うんだからさ。安心して。あの古代竜相手なら、あたしは役に立つはずだから」
「そっか……そんじゃ、頼むぜ」
「ええ、見てなさいよ……犬獣人の偉大さを見せてやる!!」
勝気に歯を見せ意気込むイザベラに、カオルは心底心強さを覚えていた。
サララと自分とでなんとかするつもりだったが、猫獣人がドラゴン相手で強化されるのだ。
犬獣人もそうなのかもしれないと思えば、不安など微塵もなかった。
――直後、街が焼き払われる。