#15.偽者なんかはすぐに見破る
海軍によるクーデター発生。
ゴートの持ち帰った報は、カオル達に確かな衝撃を与えた。
それまで「問題が大きくなる前にできる事」を探していたカオル達にとって、更に状況を悪化させるであろうこのクーデターは、間違いなく喫緊の事態である。
何を置いても対処しなければならない問題のはずだった。
……しかし。
「クーデター、なあ」
「思ったより早く起きた感じですねえ」
カオルもサララも、外面上、さほど困惑した様子もなく。
フランは大いに驚いていたが、あまりに問題が大きすぎて声を発する事も出来ず、固まってしまっている中、カオルとサララは互いに顔を見合わせ「まあそうなるか」と、落ち着き払っていた。
「え、あの……お二人とも?」
「それはそうとゴートさん、レットルマンはどうだったの?」
「今さっきゴートさんの事を話してて、今日中に戻らなかったら様子を見に行こうと思ってたんですよ~、結局どうだったんです?」
二人の意識はすぐに、目先のレットルマンの正体へと戻ってしまっていた。
これには、ゴートも困惑を隠せない。
「お、お二人とも!」
「はい?」
「どうかしたのかゴートさん?」
戸惑いのままに声を上げるゴートだったが……しかしカオルもサララも「何事?」とばかりに、目を白黒させるばかりである。
これではまるで、事態の重さに気が付いていないかのようで……ゴートはこめかみを抑えながら「いやいや」と、頭を振る。
「お二人とも、ショックなのは解りますが、現実を見ませんか?」
「現実って?」
「ですから! 王城でクーデターが起きたのですよ!? 海軍によって!」
「ああ、それは勿論そうなんだろうけど……それって、今話す必要あるのか?」
国全体で考えれば激震とも言える出来事のはずだった。
だが、カオルは気にした様子もなく首を傾げる。
「そりゃ、国の体制が変わるってなればでかい問題には違いないよ。でも、クーデターってアレだろ? 軍が王様を討つとかそういうの目的で蜂起したって事だろ?」
「そ、そうですよ。ですから我々も――」
「そんなの、私達には関係ありませんよねぇ?」
「なあ?」
「なっ――」
大ニュースになるはずであった。
皆が困惑し、混乱の中「一体どうすればいいんだ」と頭を抱えるはずだった。
しかし、この場の誰もが、そんな顔を見せていない。
当初困惑に固まっていたフランですら、カオル達の様子を見て「そうなのかな……そうかも」と、落ち着きを取り戻し始めていた。
こんな事は、彼にとって想定外だった。
「いや、待ってくださいよ!? 国が覆る状況ですよ!?」
「そうかもしれないけど、ゴートさん何を熱くなってるんだ?」
「カオルさんこそ、なんでそんなに軽く扱っているのですか!? こんな問題、見過ごしていい訳が――」
「……ゴートさん」
予測不可能な事態をなんとか既定路線に戻すべく、ゴートは必死になって弁を立てようとする。
しかし、今度はサララがそれを制するように口を挟む。
その顔は……いつものような可愛らしい仔猫のような顔ではなく、シリアスな、凛とした少女のそれであった。
余り見せない表情に、ゴートもつい、黙りこくってしまう。
「私達は、確かに民主主義運動周りについての問題に関わる都合上、国政についても調べたりしていますが……それって、あくまでこの国の状況をよくするためのものですよね?」
「そ、それは勿論です。ですから、海軍の暴走でクーデターなんて起きたら、それまでの努力が全て水泡に帰してしまうかもしれないではないですか!」
「海軍が暴走っていうの、どこまでが本当の話なんです?」
「……えっ」
「ですから、どこまでが本当なんです? ゴートさん、誰からその話を聞いたんですか?」
眼を細め、じ、と見つめてくる。
その瞳、決して揺らぎなく。
こういった場面に場慣れしているはずのカオルをして「この眼で見られるの辛いんだよなあ」と、苦笑いを浮かべていた。
見つめられているゴート自身、抗えぬものを感じ……視線を避けようと、目を閉じる。
「それは……っ、もちろん、聞き込みをしていた役人の方からですよ。レットルマンについて調べている内に、わざわざ知らせてくださったのです」
「そうなんですか。では、その役人の人、どんな方なのか教えてくださいね。明日サララも聞きに行きますから」
「そ、その人の何が気になったので?」
「まだ気づかないんです? ゴートさんらしくもない」
疑いの目を更に細めて。
サララは、ピン、と耳をゴートの方に向けながら、ちら、とだけカオルの顔を見た。
まるで「解ってますよね」とでも言わんばかりの顔に、カオルも「ああ」と頷き、口を開く。
「突然始まったクーデターの情報を、なんで役人が今知ってるんだって事だよな?」
「……あっ」
「そういう事です。ゴートさんにその情報を伝えた人が善意で教えてくれたとして、じゃあ、なんでその人はその情報をその時点で知ってたのか、怪しすぎるじゃないですか? クーデター起こした側の人なんです?」
「ついでに、そんな情報を教えてくれた奴が、なんで本当のことを言ってるとゴートさんが思ったのかも気になるぜ」
海軍によるクーデター。
確かにそれはセンセーショナルではあるが、誰が聞いても「それは本当なのか?」とまず疑いを抱くだろう。
民衆からは不満が吹きあがり、各地で問題が発生してはいるが……それでも、まだこの国は平和なはずなのだ。
唐突に起きたクーデターの話など、普通なら眉唾と思うか、せめて情報の出所を探ろうとするはずである。
そして、ゴートという男は本来、そのような情報は出所を探ったり、正誤の確認をきちんとする性分のはずであった。
「いや、それ、は……」
「それが事実として、それだけ大きな問題なら、わざわざ私達に教えてくれなくたって明日の朝には噂になって私達の耳に入るはずですし。レットルマンの監視を解いてまでする必要があるんでしょうか?」
「……いえ、必要だと、思ったから……」
「ゴートさん、酒でも飲んでるんじゃないのか?」
段々と声が小さくなってくるゴートに、カオルはからかい半分で、そんな事をのたまった。
(さ、酒……? 酒、そうか――)
それは、彼にどのように聞こえただろうか?
なんでもないただのからかい文句ではあったが……同時に、彼は救いを感じたのだ。
(ゴートとかいう男……確か無類の酒好きのはず)
――その手があった!
そう思いながら、表面上申し訳なさそうに取り繕い……ゴートは口をもごもごさせながら、なんとか言葉を選んで表に出す。
「申し訳ありません……実は、カオルさんの言う通り、少し、酒を――ちょっと、重すぎる情報に気が遠くなっていたもので……」
「ああ、やっぱそうだったのか! ゴートさん、酒好きだもんなぁ!」
「は、ははは……つい、我慢できなくなりまして。いや、お恥ずかしい」
「いいっていいって! それじゃ明日にでもそれが本当かどうか確認しようぜ。ゴートさんも飯を食いなよ」
ゴートの返答に一瞬神妙な顔をしていたカオルだったが、すぐにサララと顔を見合わせ、にっこりと笑って近くの席に座るように促す。
「お疲れでしょうから、ちゃんと食べた方がいいですよぉ? お酒も勿論飲みますよね?」
「あ、ああ、ありがとうございます。実はちょっと飲み足りなくて……」
「それじゃ、すぐに用意してもらってくるね。待ってて!」
ゴートが席に着くや入れ替わりでフランが席を立ち、足早に部屋を出ていく。
ほっとした様子のゴートを見ながら、カオルもサララも表面上は歓迎したように笑って見せ、その場は静かな食卓となった。
「あれは偽者ですね」
「ふぇっ?」
食後、ゴートが風呂に入っている時間を利用し、カオルとサララ、そしてフランは、ゴートについて話し合っていた。
まず真っ先に出た発言にフランは驚いていたが、カオルは神妙な顔のまま頷く。
「やっぱそうか。なんか呼び方が変わってたし、ゴートさんにしては雑な報告だったしで、気になってたんだ」
「几帳面な方ですもんねえ。あの人の報告は、いつも『誰と話したのか』から始まりますし」
「確かに、一度戻ってきた時には、『役人に話を聞いてみたのですが』って話してた……二人とも、よく解ってるんだねえ」
目を白黒させながら感心するフランに、二人とも照れながら頭を掻いたり頬をさすったりしていたが、サララの小さな咳と共に、話はすぐに本筋に戻る。
「何よりサララは、ゴートさんがお酒を飲んだって言うのが信じられませんでした」
「酒を飲まない誓い……だっけか? 俺は忘れてるけど、そういうのがあったっていうのは俺も聞いたぜ。ゴートさん自身から」
「えっと……でも、あの場でゴートさん、お酒を飲んでたよね。だから二人は怪しんだの?」
「ゴートさんがお酒を断っているのは知っていましたから……この問題が解決するまで、お酒は我慢するって」
「ま、あれだけ真面目な人が酒絶ちしてるのに、『ついうっかり』でそれを破るとは思えないしな……酒臭さもなかったし」
酒を飲めば酒の臭いがする。
酒場に出向けば、飲まずとも酒の臭いが衣服につくはずである。
それに、サララが気づかないはずがなかった。
「カオル様やフランさんがそれに気づかなくても、サララの嗅覚は誤魔化せませんよ。あの人、お酒の臭いなんて全然しませんでした。お酒を飲んだの自体が嘘なんですよ。つまり……」
「あの場で、わざわざ酒を飲んだって誤魔化す必要があった」
「そういう事です。まあ、実際にはカオル様のアシストがあったから、それに乗せられた感じでしたが~」
ナイスアシストです、と、にっこり笑ってみせる。
これに関しては、獣人の知識を持っていなければ解らない事ではあるが。
ゴートがそれについて全くの無知、想定をしていなかったというのも、それはそれで奇妙な事だと、カオル達には思えた。
「でも、匂いそのものはゴートさんのもの、なんだよね? うちのお店に犬獣人の人がいるんだけど、その人は、お店からある程度離れてても匂いで常連客が来るかどうか解るって言ってたの。猫獣人も、同じ感じなんだよね?」
「ええ。匂いは同じでしたね……っていっても、男性の体臭をわざわざ意図的に記憶する事なんてないですから、流石にうろ覚えの中から違うかどうか感じる程度ですけど……」
うら若き乙女にとって、男の体臭を記憶するのは相応に恥ずかしい事らしく。
頬を染めながらそっぽを向き「そういうのはサララはしてませんから」と、カオルに聞こえるように呟く。
「つまり、あの偽者は、少なくとも外見的にはかなり正確にゴートさんに化けてるって事か。顔や体格だけじゃなく、匂いまで」
「そうなりますね。実際、話し始めて違和感を覚えるまでは普通にゴートさんだと思ってましたし……だから、クーデターの話そのものは結構衝撃でしたね」
「まあ、そりゃな。俺だって驚くよ」
「えっ、二人ともちゃんと驚いてたの!? 私、二人とも全然動じてなかったように見えたんだけど……」
「いや、驚くは驚いたよ」
「びっくりですよねえ」
当然、二人とも驚いてはいた。
だが、それ以上にゴートに対して奇妙に感じた部分が大きく、驚いてばかりもいられなかったのだ。
これが仮に、レットルマンについての情報を先に伝えた後にでもクーデターの報が知らされていたなら、気づけなかった可能性すらあった。
「ま、あれが偽者だっていうなら、クーデターの情報自体嘘か、本当だとしても何かありそうだよな」
「ええ、本当だとしたら……私達に何か、クーデターに介入させたかったんでしょうね。問題解決狙いとか? あるいは、問題をよりややこしくする為かもしれませんが」
「流石にそれはやばすぎるだろ。俺だってそれくらいわかるぜ。問題がでかすぎる」
ただ街に居て情報を調べるのとは訳が違う。
クーデターへの介入は、ともすれば国政への介入にもなりかねず。
場合によっては、それがそのままエルセリアとラナニアの国際問題に発展しかねない、重要かつ非常に難儀な問題である。
政治素人のカオルですら、それが不味いことである事くらいは想像がついた。
意味も解らず他国の問題に首を突っ込んで、戦争でも起きられれば、それこそエルセリア王に斬り捨てられかねない。
それは、それだけは避けなければならないと、カオルは苦笑いする。
「でも、そういう風に誘導しようとするのって、なんだか怖いね……これから、私達はどうすればいいんだろう?」
「ひとまずは騙された振りをして、クーデターが本当かどうかを調べるべきでしょうね。レットルマンについては継続して調べながら」
「それがいいな。クーデターの情報自体は調べといて損はないだろうし。俺達に関わりがあるか無いかはともかく、知っといた方が後々役に立ちそうだ」
それによって何が得られるか、はともかくとして。
クーデター周りの情報は、目下重要なきっかけの一つだろう、というのは、カオルもサララも同意見だった。
ただ、レットルマン関係も無視できない為、それも並行して進める、という方向で。
後は、偽ゴート問題である。
「あの偽ゴートさんは、どうするの?」
「うーん……今すぐ縛り付けて問い詰めてもいいんだが、何を以てあいつが本物の振りしてるのかが気になるし。仮にあいつが何かやばい……魔人とか悪魔とかだったら、今の俺達には対抗手段、ないんだよな」
ちら、と、サララとフランの顔を見て、カオルは考えを巡らせる。
(棒切れカリバー、手元にないんだよなあ。素手で魔人とか悪魔とか、絶対倒せないだろうし。そうなると……今はまだ、戦えないか)
自分自身は不死身である。
だが、サララやフランが狙われたらひとたまりもないし、街中で化け物と戦うとなると、被害も覚悟しなければならなくなる。
それは避けたいと思えばこそ、いますぐに偽者をどうこうという方向には持っていきたくなかった。
「ちょっと俺、これから外出してくるよ」
「ふぇっ? こんな時間に……? 流石にもう、遅くない?」
「偽ゴートが何をしてくるのか解らないですし……できれば、カオル様には傍にいて欲しいんですが……」
「いや、昼間になるとあの偽者にバレるかもしれないし。できれば今のうちに……俺は先に寝たって事にしといてくれ」
突然の申し出に、サララもフランも困ったような顔になったが……真顔で「頼むわ」と言われ、二人して小さなため息をついて頷いた。
「必要な事なんですよね?」
「もちろん」
「その……危ないから、あんまり無理しないでね?」
「気を付けるぜ」
何をするのかは伝えないまま。
そもそも、この二人に記憶を戻った事すら教えず、思いついた事を実行してしまう。
この、「自分の思い付き最優先」な思考が記憶喪失という失敗に繋がった事は解っていながら、それでもカオルは、止められなかった。
偽ゴートが、何を考えているのか解らない以上、最悪の事態に対処できる何かが必要だった。
今すぐにでも行動しなければ、手遅れになるかも知れない。
そう考えればこそ、朝になるのを待つなんてできなかったのだ。
心配そうに見つめてくる二人をよそに、カオルは部屋を出ていく。
それ以上は何も言ってこなかったが、それが余計に心にずしりときて……申し訳ない気持ちになってしまっていた。
(ごめんな二人とも。できるだけ、急ぐから)
残された時間は、あまりない。
今夜これから動けばすぐに見つかるなんて保証もない。
だが、見つけなければならなかった。
女神様から賜った、使い勝手が今一な神器を。
館から出たカオルは、夜の街を駆け出した。
向かう先は、自分の記憶の途切れる前の最後の地点――魔人の振りをして走り回った、あの森だった。