#14.始まってしまった絶望
その日の夜の事であった。
ひとまずの調査を終え、館に戻ってきたカオルとサララと、フランと共に食事をとっていた。
帰りの遅いゴートを心配しながら。
「ゴートさん、遅いですねえ」
「もしかして、戻らないつもりなのか……? フラン、ゴートさんは、確かにその、レットルマンとか言う奴を監視するって言ってたんだよな?」
「うん。確かにそう言ってたよ? メモにも残したし……間違いないはずなんだけど」
夕食のメニューは夏野菜の冷製スープを中心に、サラダなどの前菜、それからコカトリスの香草ソテーを中心とした主菜。
見た目ばかりは豪華だが、ゴート一人戻らぬ不安で、どうにも味が実感できず、楽しめない。
「カオル様の言っていたように、戻らないつもりなのかも……確かに、レットルマンという人は怪しかったですから」
「呼吸音が聞こえなかったって話だもんな? 普通に考えておかしいよな」
「どれだけ息を止めても三分が限度だもんね……でも、もしそうならその人って、悪魔か……ま、魔人の可能性もあるって事なんでしょ? 心配だよね……」
レットルマンに関しては、元々はサララが持ってきた情報だけに、サララ自身かなり気にしている様子で。
カオルもフランも、その特異性を聞けば「絶対に何かある」と確信を持たずにはいられなかった。
ただ、同時に都合が良すぎるとも、カオルは思えたが。
(なんか、すごく雑に尻尾見せて来たよな……前に戦った悪魔か? 少なくとも、レイアネーテの仕業じゃなさそうだ)
自分の記憶を消したのだという魔人・レイアネーテ。
だが彼女は今後自分に干渉してこないようなので、あてがあるとすれば……一度交戦したこともある『本の悪魔』デルビアくらいしかなかった。
そういえば、と、その時の記憶も手繰り寄せる。
(前の時も、結構雑に情報教えてくれたな……あれ自体が、あいつもブラフの可能性があったのか)
無論それは自分がデルビアを圧倒したからこそ得られた情報なのだろうが。
それにしても、簡単に黒幕についての情報を得られたものだから、最初からそれを罠と警戒すべきだったのかもしれない。
結果として自分は記憶を失い、サララを泣かせることになったのだから。
たとえそれがフランと出会えたきっかけだったとしても、デルビアには一度、話をつける必要があるのかもしれないと、カオルは考えていた。
「……」
「うん?」
考え事で止まっている中、じー、と、サララが視線を向けて来たのに気づき、視線を向ける。
視線がかちあうと、どこか具合が悪そうに、愛想笑いをしていた。
「いえ……なんだか、すごく難しいことを考えてそうなお顔をしていたので」
「まあな。そのレットルマンって奴は怪しいけどさ、それにしても、随分簡単にその怪しい奴が見つかったなあって思って」
「ああ、それは……サララも確かに思いました。ほんとなら一月くらいかけて少しずつ情報を集めていくものと思っていたので。実際、拍子抜けもしましたし、レットルマンが呼吸していないのに気づいた時は怖くなっちゃいましたから」
「じっくり腰を据えるつもりが、一番最初から本命に当たっちゃったようなものだもんねえ。でも、サララちゃんが無事戻ってきてくれたから、その情報が皆に伝わった訳だし、大手柄だよね」
「えへへ~、まあ、それほどでもあるんですけどぉ……でも、確かに怪しいんですよね」
カオルの思う所が伝わったのか、サララはすぐに「レットルマンが怪しい」という情報そのものに疑いの目を向けたが、フランはそれに気づかず、笑顔のままにサララを褒め始める。
褒められて悪い気がしないらしくサララもにこやかあに微笑むが、すぐにキリ、と真面目な顔になり、話を進めた。
「そもそもレットルマンの劇場って、劇場なのにお客さんらしい人もいなかったらしいですし、レットルマン以外の人員がいないっていう話ですし」
「そんな人物が本当にいたのか、というのが気になるよな」
「そうですね……もしレットルマンが悪魔か何かだとして、では、『元貴族』というのは嘘だったんでしょうか? 全部が全部嘘で塗り固めるのは、ちょっと無理がある気もするんですけど……」
仮に、レットルマンが何かしら化け物の類が人の振りをしていただけだとして。
民主主義運動を扇動していたとして。
では、その『|扇動者(デマゴーグ』として生きていたレットルマンという人物の、その経歴は、生い立ちは、果たして本当に全て嘘だったのか。
嘘の可能性もある。だが、その虚飾にまみれた存在に、果たしてどれだけの存在感があったというのか。
「……前に、マダムが教えてくれた事があったんだけど」
話の内容が少しずつ難しい方向にシフトしつつあるのを感じ、場違い感を覚えながらも、フランがおずおずと声を上げる。
カオルもサララも、自分だけでは考えがまとまらない気がしたので、フランに視線を向けた。
ほぼ同じタイミングで自分に視線を向けられ、フランは「あわわ」と焦りそうになるが、二人が無言のまま、静かにフランの声を待ったため、しずしずと、自分の意見をまとめて伝えてゆく。
「詐欺師の人が、獲物を騙す時ってね? 全部が全部嘘を言うと、結構頭から疑ってかかる人が多いらしいの。だけど、ちょっとだけ本当の事を混ぜるとね? 意外と、そういうのに掛かっちゃう人って多いんだって」
「ちょっとの真実を……リアリティのお話でしょうかね? サララも文学のお勉強の時に学んだような。『読み手に実感を持たせるなら、荒唐無稽な話の中に、ほんの少しのリアルに感じる物事を付与するといい』と」
「んー……つまり、それをやると、騙される奴が結構出てくる……?」
「出てくるのかも……だから、そのレットルマンっていう人が、他の人達に伝えている生い立ちとか立場とかも、ちょっとだけ本当のことが混じってるのかもしれないよ」
どこまでかは解らないけど、と自信なさげに眉を下げながらも。
それでも、二人だけでは悩んだままだった事を、ストレートに解に導いていた。
停滞していた空気が爽やかに流れ始めたように感じ、カオルもサララもにこやかにフランを見る。
「では、明日はその辺りを調べてみましょうか? ゴートさんがいつ戻るか解らないですし……戻らないようなら、一度そちらの様子を見てから」
「ああ。それがいいかもしれないな。ゴートさんの方でも何か掴んだかもしれないし……ひとまず、顔を見て安心したいしな」
目先の不安はそれでなんとか解消するとして。
問題の解決点を探る意味でも、レットルマンの調査は外せないものとなっていた。
「それはそうとカオル様? カオル様が持ってきた情報って、まだ聞いてないんですけど」
「ああ。ゴートさんが戻ってきたらって思ったんだが……休む前に、二人にだけでも話しておくか」
次の方針が決まったところで、サララからの指摘もあり、カオルは一端、手に持ったフォークを置く。
じ、と二人の視線が向くのを感じるが、今のカオルはもう、むず痒い程度のものでしかなかった。
「今回の民主主義運動って、すげぇ空虚なんだよな」
「空虚……ですか?」
「ああ。お姫様からの指摘があったから、運動そのものの形もレナスのそれと違うのかなって思って、色々調べてみたんだ。運動してる奴らの活動方針とか、何を考えて運動してるのか、とか」
「それって、レナスでお姫様がやっていた運動とは、違いがあったの?」
「ああ、かなりあった」
話の方向性が大分変わるモノだったので、今まで控えてはいたが。
記憶を取り戻したカオルは、自分が挫折した時の事を念頭に、民衆の気持ちに沿って彼らの活動を今一度整理していたのだ。
そして、レナスでの民衆たちとの相違点を、彼なりに比べてまとめていた。
「まず、レナスでの運動にはお姫様自身が参加していて、前に立ってって言うじゃん? だからか、民衆の中に『王族を排斥しよう』って考えが薄かったんだよな。あくまで、お祭り感覚で、楽しくてやってる感じだった……みたいな」
「ああ、まあ、それは私もですけど、カオル様ご自身で、楽しんでやってらっしゃいましたもんね……覚えてはいないでしょうけど」
「まあな」
カオルはまた、自分が記憶を取り戻した事を、まだサララには隠しておくつもりだった。
意地悪でやっている訳ではない。ただ、今この騒動を片付ける中でのサララとの距離感は、これくらいが適当な様に想えたのだ。
記憶を失っている間、フランという妹分が出来た。
今記憶を取り戻した事をサララに伝えて、サララがいつものようにいちゃついてきたら、フランは孤立してしまうかもしれない。
サララにフランを害するような意図はなくとも、フランはそのように受け取る可能性もあった。
だから、個の問題が解決して、フランが元の居場所に戻れるようになってから、時期を見てサララに「実は」と打ち明けたかったのだ。
ちょっとどころではなく胸が痛むが、それもこれもフランの為、という自身のエゴを感じながら、カオルは見た目ばかりは自信満々に、口元を歪めながら話を続ける。
「だけど、これがコルッセアの運動となると、王族に対しての怒りとか、格差に対しての不満とかが爆発的に跳ね上がるんだ」
「私はレナスの方は知らないけど、そんなに差があるの?」
「確かに、コルッセアの運動はちょっと行き過ぎてる感がありますよね。見てて気持ち悪くなるくらい」
「それはまあ……私も見てて気持ち悪くなるし。その癖、参加してるのは割と恵まれてる昼街の人達だしね」
フランにとっては見慣れた光景。
カオルとサララにとっては確かに比較できるが、ただの運動と言っても、その内容には大きな隔たりがあったのだ。
民衆の意識の違いは、特に顕著な違いと言えた。
「この国って、王都と地方で貧富の差が激しかったり、政策の違いみたいなのがあるんだっていう話だから、本来ならその手の怒りとか不満って、地方の方が激しいはずなんだよな。だけど、何故かこの怒りの声が、王都の方がでかいらしい」
「でも、リーナ姫が先頭に立っていた運動の方も、元々はマリアナで起きていたもので……こちらはかなり大規模なモノになったってお話ですよね? 実際、街はこの運動の人達に制圧されたって……」
「いや、それがな? 街で話を聞いてる限り、どうも違うらしいんだよな」
「……違う?」
サララの言い分はもっともで、カオル自身「実際どうなんだ?」と気になっていた点ではあった。
だから、カオルはその点に関しても調べていた。
あくまでコルッセアで解る範囲内で、だが。
そしてその内実は、最初に自分やサララが想像していたものとも違っていたのだ。
「あの運動って、元々は最初に主導してた奴が居て……記憶を失う前の俺やサララがそいつと接触したって話だろ? でもな、お姫様が参加して、規模こそでかくなったけど……別に、初期の頃から過激な事はしてないし、街を統治してたヨード子爵も、自分からその立場を退いただけ、みたいな感じなんだよな」
「え……統治してた貴族様が、自分から辞めちゃったの……?」
「ああ。運動の高まりを見てるうちに、『それが民意であるなら』と、自分から辞めたらしい。子爵には跡継ぎも居ないらしくてさ、だから後継者が決まらず、政治的な統制を取れなくなって混乱してる……みたいな感じらしくてな?」
あくまで暴力的な革命ではなく、民主的な運動の高まりを見て、権力者が自分から、権力を手放しただけ。
それは一見すると似たようにも見えるが、明らかに今コルッセアで起きている運動とは、形成する要素が異なっていた。
「つまり、少なくともマリアナでは、『民主主義』ってのが成り立ってたんだよ。マリアナの政治的な混乱ってのも、街で次の運営者を決める投票? かなんかが始まってるらしくて、その結果次第で落ち着くかもしれないって」
「民主主義運動の成功例というだけじゃなく、その主義の成り立ちの成功例にもなりつつある、という事です?」
「多分な。そのヨード子爵ってのが自分でそれを確認して納得するなりに、マリアナの人達の運動ってのは平和的で、後を任せるに足ると思えるくらいには、まともな運動だけをしてたって事なんだろうな」
たとえそれが姫君という旗頭を得た結果広がった運動だとしても。
人々は、自らの手で自らを律し、民衆は民衆の手によって統治されるべきと、そう訴えたのだ。
そしてその運動の中、後継者不足という状況があったにしろ、街を統治する子爵が彼らに後を託した。
そういう形に収まりつつあるのだ。
「勿論、過激な事を言う奴もいるにはいるんだろうな。だけど、大半はそうじゃなく、あくまで自分達の手による自治を求めているだけで、特別、国から解放されたいとか、王族を廃したいとか、そんな無茶な事は考えてなかったらしい」
「……コルッセアとは、全然違うんだね」
「だろ? 俺も聞いて驚かされたぜ。やってることから言ってる事から、似てるだけで何もかも違う」
カオル自身、自分の記憶の中を探れば、レナスの街で運動していた人たちの顔がすぐに浮かんだ。
どこか楽しげで、ゴミ拾いをしたり、自分達の掲げるスローガンを口々に唱えながらのんびりと歩くだけ。
それはとても平和的で、人数の多さから驚かれる事はあれど、人々の脅威になる事はなかったはずである。
「ま、民兵とかいるから、そこに関しては『やり過ぎだろ』って思う部分はあるけどな。でもそれだって、『自分の事は自分で守る』っていう自治意識の高まりから出たものらしいからな。別に国に仇成そうとか思ってた訳ではない訳で」
「……本来過激な行動に走りかねない、経済的に恵まれてないはずの地方の方が、のんびりとした運動をしていたって言うのは、気になりますね」
「だろ? つまりそれって、扇動してる奴が過激な事を言ってそれを参加者が真に受けちまってるか……あるいはこのコルッセアの、昼街の奴らがすげぇ身勝手な願望抱いちゃってるって事になるんじゃないかなって思ってな。その、レットルマンについて何か解ったら、その辺りの確認もできるんじゃって思ってたんだよ」
「そこで繋がる訳ですね」
多少長くはなったが、話は繋がっていたのだ。
それを理解して、サララも安心したように「納得です」とはにかむ。
フランなどは内心で「すごいなあ」と思いながらも、驚きで声を上げられなくなっていた。
「ま、この話について話し合おうにも、まずはゴートさんがいないとな」
「確かに、ゴートさん抜きでは話せませんもんね……レットルマンについて、ますます嫌疑が強まったのは確かですが」
「ホントにな……でも、何もない状態からこの辺りまで疑いの眼向けられたのは、やっぱお姫様のアドバイスあっての事だと思うよ。あの人も、何考えてるのか解らない人だけどさ」
結果的にレットルマンという、疑うしかないようなほど怪しい人物にたどり着けたのだ。
姫君の真意はともかく、その的確さから、何か裏があるのではないかとすら思えてしまった。
カオルの中では、リーナ王女は考えの読めない、ミステリアスな存在となっていた。
ただ、姫君は何と語っていたか。
それを今一度思い出し、道筋のようなものを見つける事は、できる。
『人の心には、多かれ少なかれ傷があるものです。悪魔となった者は、その傷の侵食に耐え切れず壊れてしまった者。では、何故その悪魔がそのような事をするのでしょうか? 悪魔は言います、『契約するならば誰にでも従う』と。でも、本当にそうなのでしょうか?』
『悪魔だって元人間ですわ。本当に心から嫌っている事を、望んでいない事をするものでしょうか? 私はこう考えます。「どうせなら、自分が楽しめる方法を選ぶ」と』
「自分が楽しめる方法を、選ぶ」
「……はい?」
「ああいや、あのお姫様が言ってた事、思い出してな」
嫌な予感がした。
この騒動、この問題を起こしたのが誰であるのか、それはまだ解らない。
だが、ここから起きる問題を、想像し得る最悪を考えた場合、それを心から望み楽しめるような存在とは、どれほど歪んだモノなのか。
心底怖気が走るような、そんな歪んだ生き物が、この国のどこかに巣食っているかもしれない。
それは、人の心の闇という、カオルにとっても恐ろしいものに違いなかった。
心に傷を負ったものが、それによって狂ってしまった者が、常人が望む幸せなど望むとは思えなかったのだ。
それこそ、狂った時のベラドンナのように、他者の幸福を挫いてでも、自らの幸福を優先するに違いなかった。
(……この街の運動に参加してる奴らが、ちょうどそんな感じだよな)
周りを顧みず、ただ自分の望む道ばかりを願い、他者の没落を望む。
この街で運動を扇動しているのだというレットルマンは、あるいはそのように、歪んだ願いを抱えた化け物なのかもしれないと、そう思えた。
「――カオルさんっ、サララさんっ、大変ですっ」
そんな時だった。
少しずつ嫌な空気が流れ始めたのを感じていた三人だったが、不意に現れた四人目に、否応なしに意識を奪われる。
その四人目は……ゴートだった。
「ゴートさん、無事だったんですね。良かったです」
「中々戻らないから心配したぜ。とりあえず、今飯食ってたんだけど……大変な事って?」
ひとまずはその顔に安堵しながら。
しかし、尋常ではない様子で戻ってきたゴートに、一同真剣な眼つきになっていく。
それに応えるようにゴートもまた、膝に手を当て荒い息を整えながら、三人を見渡すように話を続けた。
「――王城で、海軍によるクーデターが発生しました」