#12.崩壊までのカウントダウン
「それじゃ、行ってきますね。ゴートさんもカオル様も、こんな状況ですのでお気をつけて」
「ああ、サララもな」
「それではお二人とも、また後ほど」
カオル達の、コルッセアでの活動が開始された。
まずは地道な情報収集から。三人ともがばらけて各方面で集める。
短期間で様々な変化が起きた中、当初こそ手探りで得た情報を精査して……といった手順を踏まなければならなかったが、幸いにしてその辺りの問題は今朝がた、リーナ姫から得られた情報によって大分改善されていた。
全方位に調べなければならなかったことに、ある程度の道筋がついたのだ。
「えっ? この活動の本隊? 前まではマリアナが発端だって言われてたけどねぇ。最近は違うみたいだよ?」
「リーナ姫様を中心にやってた活動が知名度高いけど、本家は我々! 昔からコルッセアで活動してた正真正銘の本隊だからね!」
サララが調べたのは、コルッセアで活動している民主活動家たちについて。
これは、元々はリーナ姫がセレナで活動していた者達とは全く別軸の活動家達で、リーナ姫の意向などとは完全に異なる形で活動していた。
これに関してはサララ達と話す前に、ゴートが姫君との会話で聞いたものらしく、これによって「誰がこの活動を扇動しているのか」という問題が明らかになった。
「その、昔から活動していた貴方達のリーダーって、どんな人なんです? 私、ちょっと気になってて。『きっとすごい人なんだろうなあ』って」
「そりゃ、すごい人だよ。元々は貴族出身の方らしいんだけどさ、とにかく演説が上手くって! 俺、聞いてるだけで心奪われちゃったし!」
「レットルマンさんは、昔は貴族様だったけど今は役者か何かなんじゃなかった? 『リッパー劇場』で何かやってるって聞いたわよ?」
「へえ、役者さんなんですか。それにしても、元貴族っていうのは珍しい経歴ですね?」
「私もそんな貴族様がいたなんて驚きだけど、物腰とか品のある出で立ちとか見てると、『確かにそうかも』って思わされるから。多分知ってる人は誰も疑ってないんじゃないかしら?」
どうやら有名人らしいその元貴族の役人の情報が早々に聞けて、サララは「意外とすんなり解っちゃいましたね」と、若干拍子抜けしそうになっていた。
エドラスについて調べた時はかなり手間取らされたものだが、今回は本人が有名人だからか、すぐにその関係先まで割れたのだ。
これだけで十分成果と言えよう。
サララは話を聞いた人達に「ありがとうございました」とぺこりと頭を下げお礼を言うと、そそくさと別館へと戻った。
「あれ? サララちゃん? さっき出たばかりじゃ……」
「思った以上に早く収穫がありまして。あの、とりあえず途中経過としてお伝えしますね――」
館で掃除の手伝いをしていたフランに一連の情報を伝え、「今の情報を確認してきますので」とだけ言い残し、また館を出る。
そのまま直行したい気持ちもあったが、これらの情報はきちんと伝わらなければ意味がないのだ。
昨今の情勢が危険域に到達しつつあるのもある。
自分に万一が起きた時に、その経緯を誰も知らなければ、ふりだしからリスタートすることになってしまうのだ。
それを避けるためにも、フランに情報を伝えておくことはとても重要だった。
こうしてフランに必要な情報を伝え、すぐに『リッパー劇場』に向かったサララだったが、劇場の周囲は閑散としていて、客らしい客の姿は見られなかった。
それでも催しが開かれているのか、入り口には係員が立っていたが。
この人物がまた、うさんくさい仮面をつけた、妙な人物だった。
「おや可愛らしい猫獣人のお嬢さんだ。我がリッパー劇場に御用ですかな?」
「あ、ええ……こちらに、レットルマンさんという方がいらっしゃると聞いたので」
「レットルマンでしたら私ですよ、お嬢さん。私がこのリッパー劇場支配人兼主演兼副演兼雑用係のレットルマンです」
よしなに、と、仮面のままに券売カウンターの中で貴族流の挨拶をする。
なるほど、確かに変な仮面をつけていなければ、様になっていそうな仕草だった。
それはサララも感じられたので「皆これに騙されたんですねえ」と、ますます疑いの目を向ける。
ただ、それはそれとして表向きは可愛らしい笑顔になりながら「はじめまして」と、庶民風の挨拶するのだが。
「私、サララというのですが、レットルマンさんが街の人たちがやってる運動の主催の方なんだって聞きまして……よろしければ、私も何かお手伝い出来たらなあって思ったんです」
「なるほど! 私のファンという訳ではないようですね。ちょっと残念。まあこの劇場は趣味でやってるだけだから、客なんてほとんど来ないんですが……それはそうと、活動のお手伝いですか」
ふむ、と、顎に手をやりながら、サララの上から下までをじ、と見つめる。
眼つきにいやらしいところは感じなかったのでサララは特に言及しなかったが、どこかぞわぞわとした、気持ちの悪い感覚を覚え、「なんなんだろうこれ」と、内心で若干の戸惑いを覚えていた。
そうこうしているうちに「残念ですが」と、幾分申し訳なさそうにトーンダウンさせながら、レットルマンは仮面の頬をさする。
「活動のお手伝いをする、というには、サララさんは少々お若すぎるように見受けられますな」
「若すぎ……ますか?」
「ええ。政治を語るには若すぎるように思えます。貴方の意思が生半可だと言っている訳ではないのです。ただ、貴方はまだまだ色々な見聞を広める機会がありそうですし、一つの思想に凝り固まった考えを持つには、早すぎるように思えたのです」
てっきりセレナの時のように「ありがとうございます!」と全力で歓迎されるのかと思っていたのだが。
サララはこの辺り、想定外の反応が返ってきて驚いていた。
街では賛同者や参加者を歓迎しているようだったのに、このレットルマンは、見た目から来る年齢でサララをはじいたのだから。
「ですが、街で活動している方々は、賛同者を募っていて、誰でもOKのように感じられたんですけど……違ったんです?」
「いやそれは……賛同していただけるのは誰であっても大歓迎ですよ? もちろんそう言った意味では、貴方の参加はとても喜ばしいのですが」
「それなら」
「ですが、お手伝いするとなると、ご本人の意向以上に、『この思想の影響を受けさせても平気か』という……まあ、ちょっとした心配ですかね? こういったものも関わってくるのです。実際、運動の要員として私の傍で活動している方は、皆が成人した方のみになっています」
これはあまり言わないのですが、と、さすっていた手を止め、また顎に手をやる。
これがこの男の癖なのか、レットルマンはしみじみ語りを続けた。
「獣人の方というのは人間視点で見るとかなり解り難いですが……それでも私は過去、猫獣人の女性と会って話した事があります。彼女は猫獣人としては成熟した大人であると言っていましたから……少なくとも今の貴方は、まだ子供という事なんでしょうね」
「……猫獣人は、現時点でかなり希少な存在になっているはずですが?」
「そうですねえ。何せ猫獣人たちの国が大変なことになっているという話ですしね。だから少々驚いても居るのです。そんな希少な猫獣人のお嬢さんが、なんでまた、こんな街でこんな運動に参加したがっているのか、とね」
奇妙な話です、と、わざとらしく首を傾げながら、レットルマンはまじまじとサララの顔を見つめる。
それは、好奇の入り混じった疑念。
嫌悪は孕んでいないが、対応次第では恐ろしい事にもなりうる、危険な視線だった。
それを肌で感じ「まだ大丈夫」と唾を飲み下し、にこりと微笑んで見せた。
「私は、国が大変なことになっていると聞き……何もできない自分をいつも責めているのです」
「ほう?」
「ですが、この国の……少しでも自分の安息の為に頑張っている方々を見て、私は感銘を受けたんです。『こんなにも自分の為に働ける人達がいる。なら私もやってみたい』と」
「なるほど。貴方はこの運動の本質をよく理解してらっしゃるようですね。そう、ただの偽善ではなく、独善でもなく。この運動は真に『国民が自分自身を幸せにする為の活動』なのですから」
感心したように仮面の中の目を見開き、レットルマンはうんうんと大仰に頷いて見せた。
腰に手をやり、さも満足したように笑いながら。
そして、自分に向けていた疑念は消え去り、本心から語っているように……サララには見えた。
「いや失礼。貴方がもし何か嘘の一つでもついているようなら追求してやろうかと、少々意地悪心が湧いていました。ですが貴方は、どうやら本心からそれを想っていたらしい」
「それはそうですけど……それでも、ダメなんです?」
「ははは、本来なら貴方を同志として迎え入れたい気持ちもあるのですが、やはりダメですね。そうだとしても、貴方はやはり、まだ若すぎる!」
もったいないですがねえ、と、再び頬に手を当てながら、レットルマンは「申し訳ない」と、さほど申し訳なさそうでもなく謝罪する。
こうなってはもうこれ以上この路線では食い込めそうにないと判断するしかなく、サララは「そうですか~」と、大層残念そうに眉を下げ、引き下がった。
「それじゃ、残念ですが、私が大人になったら参加させてくださいね。絶対ですからね!」
「その時を心待ちにしていますよ。聡明なお嬢さん」
またのお越しを、と、一歩引いて手を前に出し、レットルマンは別れの挨拶をする。
サララも「それでは」とぺこりと頭を下げ、その場を立ち去った。
無論、それだけで諦めるはずもなく、サララは近くの建物の陰に入り込み、様子を窺った。
幸いにして街の中に合って、この区域はあまり人が居らず、隠れた状態でも、耳をすませばレットルマンの呼吸音まで含めて聞き取れそうだった。
(……あれ?)
しかし、その呼吸音が全く聞こえない。
そろそろとバレないように建物の影から顔を出して確認する。
レットルマンは、まだ受付に立っていた。
(おかしいなあ……あの人、全然呼吸してない……?)
仮面の所為で聞きにくいのかもしれないと思ったが、顔が動けば仮面と肌とがこすれる音が聞こえてきたため、それはないと断言できた。
つまり、レットルマンは呼吸をしていない。
(……怪しい)
人間である以上、呼吸をしなければいつかは死ぬ。
では、レットルマンは何故呼吸をしないのか。
その疑問もあったが、まずは何秒その状態が続くのか、その確認が先だった。
結論から言って、レットルマンは一切呼吸しなかった。
会話している時はそうでもなかったのに、サララが離れた途端、そうなっていたのだ。
つまり、全く呼吸が必要ない可能性があった。
そんなものは人間ではない。
随分とあっさり重要な情報を持ち帰れたもの、と、かえって不安になりながらも、サララは背後に気を付けながら別館に戻り、またその情報をフランに伝えた後……一休み入れることにした。
レットルマンに話を聞くにしても、少なくとも今の状態の自分にはそれはできない。
ただ、レットルマンにはただならぬ何かがある。
それが解るからこそ、これ以上単独でできることはないと判断したのだ。
「はい、どうぞ。ミルクティー……だって。それとお茶請けのお菓子もあるよ」
「わあ♪ ありがとうございますフランさん。ちょっと疲れてたので嬉しいですねえ」
「甘いお菓子は疲れを癒してくれるもんねえ。ゆっくり休んでね」
「えへへ、そうさせてもらいますねぇ」
お皿の上のチョコレートクッキーに目を輝かせながら、サララはゆったりとした気分で休息モードに入った。
フランも正面の椅子に掛けて、のんびりと頬杖をついてその様子を眺める。
「……はぁ、サララちゃん見てると癒やされるなあ」
「うに? そうですか?」
「そうだよぉ。今日が初日だから私、緊張しまくりでさぁ。そんな中でサララちゃんの顔を見てると癒やされるっていうか」
「それなら、存分に癒されてください」
眺めるだけならタダですから、と、気前よくそれを良しとし、サララはクッキーを頬張る。
「おいしー♪」
「美味しそうだよねえ。私も食べていい?」
「どうぞどうぞ。フランさんも休んでいいんですよ? くたくたになるまで働く事なんてないんです」
適度な休憩は重要ですから、と、クッキーに手を向け、フランに勧める。
その対応もあってか「わぁ♪」と嬉しそうに笑顔になりながらフランもクッキーを食べ始めた。
「実はクッキー焼くお手伝いしてたんだけど、この匂いがすごくよくってさー。もう、つまみ食い我慢するのが辛くて辛くて」
「ああ、わかる気がします。サララもカオル様がお料理してる時、つまみ食いしないように堪えるの大変でしたし」
「カー君料理とかできたの? すごい、初耳だよ」
「カオル様、とっても料理上手なんですよぉ? 特に私がお魚好きなのもあってか、よく魚料理を作ってくれました」
アレは良かったなあ、と、その日々を想い馳せる。
「マツナガの塩焼き、ヒゴノカミのミルク煮込み、ジブショウショウのミルクミルフィーユ煮込み……ああ、また食べたいなあ、お魚料理」
「私の知らないお魚が一杯だね……私、最後にお魚食べたのいつだろう……」
「この街だと、あんまりお魚料理ってないんですよね。レストランとか見てもお肉とお野菜ばっかりで」
「そうなんだよねえ。近くにおっきな川があるけど王城の付近になっちゃうから釣りとか禁止されてるし。港の方から買い付けると高くつくから、あんまり魚料理は作れないんだよね」
高級になっちゃうの、と、残念そうにため息。
そしてクッキーをポリポリ。
甘くておいしくて食べていると幸せになれるが、そんなささやかな幸せ以上に辛い現実だった。
「私の故郷の村は、なんにもないつまんないところだったけど……近くに川があって、小魚だけは取れたんだよね。アカザとかワキサカとか雑魚ばっかり。まとめて甘辛く煮て食べてたなあ」
「ああ、お砂糖入れて小魚を甘辛く煮るのはよくありますよね。サララの故郷にもありましたよ、そういう食べ方」
辺境には辺境の過ごし方というものがある。
フランの故郷もきっと、自分の故郷と同じ、何もない辺鄙な場所なのだろう、とちょっとした共感を覚えながら、サララも同じように頬杖をついた。
自然、顔を突き合わせたようになる。
フランは赤面した。
「さ、サララちゃんの故郷も、なんにもない場所なの?」
「そうですねえ。一応鉱山とかありましたけど、基本的には野があり川があり、山の中の辺境といえるような場所でしたから……」
「そうなんだ……なんか、私とサララちゃんって変なところ似てるよね。いろいろ違うはずなのに」
「違って当たり前なんですけどね。だけど、そういうところで共感が持てるのは、きっと共感が持てる人同士で惹き合うからなんだと思いますよ?」
「惹き合う……似た人同士で?」
「そういうことです。『類は友を呼ぶ』とか、そんな感じの異世界の言葉がありますよね。あれがぴったり当てはまると思うんです」
人と人との出会いにはいくつかの偶然があるが、これは必然の内なんだろうと、サララは考えていた。
近い人同士は惹き合う。だから、自分とこの女の子とで仲良くできているのだろう、と。
「そう考えると、なんだか不思議だね。人間にはそういう変な力が備わってるのかな?」
「そうかもしれません。何にもないって考えるより、その方がロマンがあっていいと思いますけど」
「ロマンかあ……確かにそうかも」
話は脱線してしまったが、綺麗にまとめられたようにも感じられて、不思議とフランには抵抗が無かった。
そうして、納得してから「じゃあ私とカー君にも、似たようなところがあるのかな?」と、考えてしまう。
結論は出なかったが、きっと何かしら近い部分があるのだろうと、そう思い。
フランの胸の奥が、ちょっとだけ温かな感覚で満たされていった。
「それじゃ、また情報収集に向かいますね。最初は東だったので、今度は西側で、何か変わった事は無いか調べてみるつもりです」
「うん。気を付けてね。暗くなる前に帰ってきてね」
「うふふ、そうします。それでは」
「いってらっしゃ~い」
フランに館の前まで送られて、にこやかに送り出されて。
それがなんだか家族みたいで、サララは「お姉さんが居たらこんな感じなのかな」と、ちょっとだけ楽しくなってきていた。
そうして、門前でゴートと鉢合わせる。
「お、サララさん、一度戻られてましたか」
「訳あって二度戻ってました。情報はフランさんに伝えてますから……これから西側を調べるつもりです」
「なるほど。お疲れ様です。私も成果が上がったのでこれから……どうぞお気をつけて」
「はい。ではまた~」
どんな成果が上がったのか、それを楽しみに感じながら、サララは西へと向かっていった。
そうしてサララと入れ違いで館に戻ったゴートだったが、館に入ってすぐフランが「おかえりなさい」とあせあせとしながら出迎えてくれたので「ただいま戻りました」と、礼儀正しく挨拶しながら一歩下がる。
近すぎたのだ。他の人と話すには適切な距離でも、フランにとっては不安がらせるような距離のように感じ、ゴートは敢えて距離を取った。
そのおかげもあってか、フランもいくらかは落ち着いた様子で、手に取ったメモ紙を見ながら話す。
「あの、さっきサララちゃんが戻ってきて、大切な情報を聞かされました。まずは聞きますか?」
「そうしていただけると助かります」
カオル以外の男性が極度に苦手なのだというこの少女を怯えさせぬよう、細心の注意を払って落ち着いた口調で返答する。
普段よりもゆったりとした、気弱にすら聞こえるトーンだったので、フランも必要以上に怯えることなく、言われた通りにメモを読み始めた。
「――というのが、サララちゃんが得た情報です。その、レットルマンという人が怪しいみたいです……」
「なるほど。確かに呼吸をしない人間というのはあり得ないですからね。何かしら問題の人物である可能性は高そうですね。あるいは、魔人か……」
「ま、魔人……魔人がこの街に……!?」
「ああ、落ち着いてください。実際この街の近くで、カオル殿が魔人と戦った可能性がありますし……倒しきれなければ、どこかにいるとは思っていましたから」
魔人と聞けば、この街の住民にとっては直近で忘れられない出来事があった。
魔人を自称する男が外壁を攻撃し始め、破壊して回っていたのだ。
これにコルッセアの民は大いに混乱し、夜街にも少なからぬ衝撃が広がった。
住民の一部は「もう駄目だ」「おしまいだ」と悲嘆に暮れながら、「どうせ死ぬなら」と、夜街に足を運び最期の快楽を得ようとしたのだ。
結果的に魔人の襲撃は大した被害にならず、肩透かしに終わったが、魔人が攻撃を開始してから軍が到着するまでの間、昼街も夜街も動揺した人々であふれかえっていた。
当然、フランもその混乱していた一人である。
魔人と聞けば脅威としか思えない。
ただ、今はいくらか事情が違っていた。
コルッセアを襲撃した『魔人』はカオルが自称していただけで、その時のそれはブラフでしかなかったのだとはっきりしたのだから。
ただ、それとは別に釣るつもりだった『本物の魔人』が現れた可能性があり、そこは無視できない問題となっていた。
フランも勿論それは危惧したが、ゴートはかなり落ち着いた口調で、そのおかげもあってかフランの動揺は早々に薄れる。
「あるいは魔人でなくとも、悪魔や魔族の類の可能性もある訳で。人外というのは、意外と色んな者が人の社会に紛れ込んでいたりするものですよ」
「そ、そうなんだ……私、そんなの知らなかった……です」
「一般にはあまり知らされないでしょうからね。ですがご安心を。それを解決するのが我々の今回の任務ですから」
怪しい者がいたなら調査しなくてはならない。
そしてそれは、サララでは継続困難だと判断されたのだ。
だからサララは別の方面を調べることにした。
ゴートはそう判断し、その調査を引き継ぐことにした。
「それでは私がその仕事を請け負いましょう。レットルマンという仮面の男……しばらくの間、監視したいと思います」
「わ、解りました……何か、他の人に伝えておくことはありますか?」
「ええ、私の方もいくらか成果があるので……それとなく、この街の役人に話を聞いてみたんですが、どうやら大分前から機能不全に陥っていたらしくて」
「機能不全に……? えっ、役所が?」
「政治的に大きな動乱があったようで、上からの命令がどんどん無茶苦茶なものになっているようです。例えば、この街の夜街の封鎖などはそれの典型らしいですね」
この辺り少し難しい問題なのですが、と、難解になり過ぎないように注意しながら、フランがメモ書きできるまで一旦拍子を取る。
フランも焦ってメモ書きを続けるが、合間合間で「大丈夫ですよ」と、落ち着かせるようにフォローを入れながら。
そうして「どうぞ」とフランが言ってくるまで待ち、また話を再開した。
「完全な封鎖をしてしまえば、当然民衆は役所に非難の声を上げるでしょう。ですから、国に掛け合ってなんとか『通行証』を発行する事で、これを持った者に関しては出入りが可能になるようにしたらしいのですが……本来は完全に封鎖するつもりだったらしいんですよね」
「そんな事したら……夜街が干上がっちゃう」
「そのつもりだったんでしょうね。その為だけに、王城は街の役所を介さず憲兵隊を組織し、これを夜街の閉鎖要員として利用しているようですから」
「酷い……憲兵隊とか、意味解らない。なんでそんな事を……」
「つまりこの問題を起こした張本人は、それだけ自由に扱える手駒が欲しかったのではないか、と考えられます」
自分達の手元に、遠隔地に対しての支配力を行使できるだけの手駒がいないから、組織する。
それはつまり、軍も衛兵隊も、自在に動かせる状態ではないという事。
「この国では、軍は第一王子の、そして衛兵隊は第二王子の管轄に在ると聞きます。そして政治的に影響力の強かった第一王女は囚われの身、宰相は行方知れずであるとするなら……これを動かしているのは」
「……王様だけ、なのかな?」
「あるいは、王を裏で操っている者がいるのかもしれませんが。権力的に、それができる人間は限られますから、グラント王は何かしらの形で関与しているのでしょうね」
思いもよらぬ深刻さです、と、こめかみを抑えるようにしながら語り、フランのメモ書きを待つ。
会話しながらなので今回はいくらか遅れているらしく、確認するように合間合間、手が止まってしまっていた。
「ここまでで、解らない事はありますか?」
「あ……ごめんなさい。つまり、『夜街を閉鎖したのは王様か、その黒幕かもしれない』ってまとめていいんでしょうか?」
「大体はそんな感じです。ああ、無理にまとめなくても、今の話をそのまま聞かせてくれるだけでも十分ですので、やりやすいようにどうぞ」
「だ、大丈夫です……今まで頭なんて使わずに生きてたけど、なんとか、ついていけてます……」
多少混乱しそうになりながらも、フランは辛うじて、ゴートの説明を理解できていた。
ゴートとしても心配していたが……素人相手でも解りやすく噛み砕いてこれだけ理解できるなら、十分すぎるほどだった。
その上で独自に解りやすくまとめてくれようとしている。気遣いも良くできる大したつなぎである。
(娼婦と聞き、学はあまりないように思えたが……文字も書けるし、存外地頭はよさそうだな。サララさんの目利きもあるし……何より誠実そうだ。安心して任せられそうだな)
ゴートはゴートなりにこのフランという少女がどんなものなのか見極めようとしていたが、これ以上は不要だった。
この少女になら、このくらいの仕事は問題なく任せられる。
無論、自分に対し苦手意識を持たれているのはあるが、それを差し引いても「使いやすい人材だ」という認識が持てていた。
この辺り、サララのように感情を含ませずに、あくまでその人材が実用に至っているか、用が足りるのかという冷めた見方がされていたが、フランは十分そのラインを満たせていたのだから、問題があろうはずもない。
「あの、お話が終わりでしたら、少し休憩を挟んでも……」
「私もそのつもりでしたが……ですが、サララさんの報告を聞いて気が変わりました。一刻も早く、そのレットルマンとやらを追跡・監視したいと思います」
「それなら、せめて何か食べ物を……あの、ちょっと待っててくださいねっ」
そのまま必要な事だけ告げて立ち去るつもりだったが、フランに足止めされ……そうして、また考えを巡らせる。
(ただの元村娘にしては、随分と頭が回る様だ。普段から物事を考える癖があるのか……カオル殿も話していた『マダム』とやらが、それだけ賢い人だったという事なのだろうか。何かしら影響はあるのかもしれんな)
一般に、ラナニアの村落出身者は学に乏しく、大人でも文字すらまともに書けない者が多い。
そういった中で、一応はメモ書きが出来る程度に扱う事が出来る若い女性、というのは村落出身者ではかなり珍しかった。
それだけ学が無いのが当たり前の世界なので、当然都会に出ても仕事にならない。
都会では文字が読み書きできなければ話にもならないので、これがそのまま、この国の経済格差に繋がる。
故郷を捨て都会に出てきた村落出身者がまず最初にぶち当たるのがこの壁で、大半の者はこの壁を乗り越えられないまま落ちぶれ。野垂れ死ぬか夜街の住民となる。
聞いた話では、フランもその類のはずなのだが。
そうして、まだ若いうちから娼婦になったという生い立ちの割には、随分と頭が回るように思えていた。
そこで思い当るのが、彼女の雇い主であるマダムという女性。
(これに関しても後々調べる必要があるかも知れんな……犬獣人も、その店に居たというし。その店というのも、表向き以外の顔を持ってそうだ)
ゴートが知る限り、犬獣人とは清廉潔白を是とする聖堂教会の上層部にしか存在を確認できない少数種族である。
そんな犬獣人の女性が娼婦をやっているというのは、それ自体に違和感があった。
封鎖された今となっては夜街に入るのも容易ではないし、その為だけに店に入り込むのも危険な気もしたが……色々調べなくてはならない事は多かった。
ただ、それはあくまでゴートが役目上気にしている事であって、今起きている問題を解決する為の糸口ではない。
彼には彼の役目があり、それを秘密裏にこなす必要があった。
それとは別に、彼がラナニアの問題に取り組んでいるのは、あくまで感情的な部分である。
――親しみのあるラナニアという国が、少しでも悲しいことにならないように何かしらできたら。
ただそれだけであった。
その後、戻ってきたフランに「シェフの人にお願いしたら作ってくれました」と包み紙を渡され、それまでの考えは一旦仕舞い込み、「ありがとうございます」と礼を告げ、館を後にした。