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嘘つき女神と0点英雄  作者: 海蛇
11章.ラナニア王国編3-記憶をなくした英雄殿-
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#8.フランシーヌの恋

「ごめんな、なさい……私の事で、問題になってる、みたいで……」

「フラン? なんでここに……」


 二階への階段前、丁度カオルとマダムの背後となる場所に、フランが立っていた。

普段と違った、怯えた表情で。

だけれど必死に声を絞り出しながら、軍人アージェスの顔を見る。


 マダムもカオルも、そしてイザベラにとっても想定外だったが、アージェスにとっても予想外だったらしく、とても驚いた顔をしていた。

ただ、その驚きの表情は、次第に喜びへと変わってゆく。

怒りに眉をひそめていた顔は、いつしか満面の笑みを見せていた。


「おお……フランシーヌ嬢! 会いたかったよ、ずっと、ずっと君だけを想って、今まで――」

「何で前に出て来たんだい……上で隠れてればよかったものを」


 歓喜極まり涙すら流すアージェスとは裏腹に、マダムは深いため息をつきながらフランを(たしな)める。

フランも「ごめんなさい」と謝りながらマダムの後ろに隠れた。

アージェスの視線が、直に自分に注がれないように。


「あの、他の店の子が、『こじれてるみたい』って話してるの聞いて……私の事でそんなことになってるって、我慢できなくて」

「だからってあんたが居て解決する問題でもないよ。ここは私らに任せて、あんたは下がってな」

「いいやマダム、折角フランシーヌ嬢が自分から出てくれたのだ。直接話をさせてもらおう!」


 マダムはなんとかしてフランを下がらせようとしたのだが、アージェスはそれを良しとせず、フランに近寄ろうとする。

だが、それをカオルがなんとかとどめようと手を前に出し……そうして、出した腕を掴まれた。


「――おぉっ?」

「邪魔だ」


 直後、カオルの身体がぐるり、大きく捻られ――肩口から、床へと叩きつけられる。


「ぐぇっ」

「カー君っ!?」

「……暴力に出る気かい?」

「フランシーヌ嬢との間に立つ邪魔な男をどかしたまでだ……怪我をしたなら、後で慰謝料くらいは払ってやるさ。こんなところで働く以上の大金をな」


 床に転がったカオルには一瞥もくれず、アージェスはフランへと近づく。

男が自分しか見ていないのが解り、「ひっ」と小さく悲鳴を上げてしまうフラン。

すぐにイザベラが駆けた。


「あんた――うちの従業員に――」

「――いつかの犬耳娘か。君には悪いが――」


 とびかかってきたイザベラを器用に足先の動きでかわし、そのまま身を低くして肩口からイザベラへと襲い掛かる。

着地し、次の攻撃に移ろうとしたイザベラは、みぞおちにそのタックルを受け、吹き飛ばされながらなんとか着地するも、腹を抱え「うぐ」と、小さく呻いた。

急所への一撃は犬獣人であっても堪えられるものではないらしく、すぐに立っている事も出来なくなり、膝をついてしまった。


「イザベラ……酷い、なんでこんな事――」

「悲しまないでくれフランシーヌ嬢……君が悪いのだ。君がいつまでも私に靡いてくれないから、こんな事に――」

「馬鹿お言いでないよ! フランが何したっていうのさ! あんたが身勝手に恋して、身勝手に乱暴して、身勝手に嫌われただけじゃあないか! 勝手に純愛気取ってるんじゃないよこのロマンチストが!!」


 あまりの事に落涙するフランだったが、アージェスはむしろより一層気持ち悪くなるばかりで、更に近づいてくる。

そんな時、マダムが怒声が浴びせた。

ぴた、と、アージェスの足が止まる。

夢から急に引き戻されたような、そんな冷めた顔がそこにあった。


「……マダム。私は貴方を尊敬しているのだ。貴方はこの王都から生み出される小汚い者達を、少しでも救えるようにと尽力したのでしょう? その結果がこの夜街だ。だからこの街で貴方に逆らう者はいない」

「……」

「だが、その夜街ももう終わる。この街の住民はそう掛からず、また元の汚物として扱われるようになる。夜街が生まれる前にそうだったように、身体を売る者はそうでない者から差別され、罵倒され、暴力や搾取の対象になる」

「私の眼が青い内は、そんな事にはさせたくないねえ。何度でも、何度でも繰り返すさ」

「それも無理でしょうな。考えてみてくださいマダム。貴方ほど賢い方ならよく解るはずだ――それをやらせるという事は、国そのものが、貴方がた(・・・・)を排斥したがっている、という事なのですよ」


 投げつけられた際の痛みから脱し、立ち上がったカオルが、二人のその会話で止まってしまっていた。

今すぐにでもアージェスの背中に喰らいつけば、止める事だってできるかもしれないのに。

あるいはまた投げられるとしても、その瞬間だけでも時間が稼げるだろうに。

彼は、アージェスの話が気になってしまったのだ。


「……私がかつての立場を捨ててまで居場所を作った者達を何が何でも排除する、その理由はなんだい?」

「国は弱者など必要ないのです。強い者だけが生き残ればいいのでしょう。そう、まさに王室の後継者争いのように、必要のない者、役に立たない者から排除したいという風に考えているのでは?」

「なら尚の事、一番に排除されるべきはあんたたち軍人じゃないのかい? 平和になった今の世界に、軍人なんていたって仕方ないじゃあないか」

「貴方のようなインテリ層はそう考えるようですな? 『軍などがあるから戦争になるのだ』と。ですが、貴方がたの世界はともかく、この世界における平和など、飴細工のように脆いものだと思いますが? この間だって、魔人がこの街に襲来したという話ではありませんか」


 どこに軍人の要らない世界があるのですか? と、アージェスは皮肉げにマダムの顔を見やる。

その顔は、先程までの熱に浮かされた様なロマンチスト成分なども微塵も残さず、冷酷な軍人の顔をしていた。

そうして、マダムもそれに関して強く言い返す事も出来ず、悔しそうな顔になってしまう。

魔人の襲撃。確かにこの街の外壁は、未だ魔人襲撃の際の被害を修復しきれず、その爪痕を残していた。


 だが、そのフレーズにカオルは何か引っかかるようなものを感じ「うん?」と、首をかしげてしまう。


「所詮、昼街と夜街というくくりも貴方が勝手に作ったようなものですし。当時の王が貴方の貢献にいたく感謝していたのもあり許容されていただけで、今代の王がそれを反故にしたところで何の問題がありますかな?」

「……王の一存で人権がないがしろにされるのは、問題としては大きすぎるよ」

「そうかもしれませんな」


 ようやくの反論だったが、アージェスはそれを意外にも素直に受け入れ、顎に手をやりながら「ですが」と小さく息をつく。


「我が国は君主制国家ですから、王の命令は絶対なのです」


 たったそれだけの一言。

だが、マダムはそれで何かを悟ったのか、それまで睨みつけていた眼を閉じ……深く深いため息をついた。


「……そういう事かい。どうもおかしいと思ってたよ」

「くくく……ま、貴方がそれを理解したところで、この流れはもう止まりません。ささ、フランシーヌ嬢、私が用があるのは貴方だけだ」

「あ……」

「待てよ」


 ずっと止まっていたカオルを突き動かしたのは、その時のフランの表情だった。

アージェスの前に立ってからずっと怯えていたが、その華奢な身体がびく、と震え、大粒の涙が零れ落ちたのが見えた。

そんなものを見て、止まっていられる訳もなく。

カオルは、アージェスへと駆け寄る。


「ちっ……また床とキスをしたいのか?」

「あんたと付き合うつもりはねぇよっ」


 この場にフランがいるから問題になる。

自分達では、このアージェスを止めることはできない。

なら、彼が考える事は一つだった。

幸い、イザベラはふらつきながらも立ち上がり、こちらを見ていた。


「イザベラぁっ、扉を開けてくれっ!!」

「えっ? あっ、おっけー!」

「な――貴様ぁっ」

「いくぞフランっ!!」

「ふわっ!? えっ、えっ……えぇぇぇぇぇぇっ!?」


 自分を投げ飛ばそうと掴みかかってきたアージェスをかわし、フランの右腕をつかんで、アージェスの脇を駆け抜けてゆく。

突然の事に驚きながらも、アージェスはフランの腕をつかむが……直後ぴん、と、フランの身体が双方から引っ張られ「痛っ」という小さなうめき声に咄嗟に手を放してしまった。

愛故に、少女が痛がるのを許容できなかったが故に。

そうしてそれは、逃げる二人にとって大きな隙になっていた。


「後の事は気にしなくていいからっ!」

「頼んだっ」

「ごっ、ごめんなさい皆っ!!」


 エールを送るイザベラの前を通り過ぎながら、二人して店の外へと駆け出す。

着の身着のまま、向かう先など考え無しに。

その様はまるで駆け落ちのようで、店の外を歩く者達が「何事か」と目を向けざわつくほどであった。


「――やってくれたな。下郎が……っ!!」

「ふふ……ふふふふっ、見たかいあんた、あのフランの顔。あんたが近づこうとしたら顔を青ざめさせて泣いてたのに、あの男に腕を掴まれた瞬間……もう、あんたの恋は実らないねえ?」

「黙れぇっ! くだらないことを……従業員が娼婦を寝取るなど許される事ではないぞぉ!!」

「うるさいよレイプ魔。金に飽かせて女身請けしようなんて考えてる奴が偉そうなこと言わないでよね……気持ち悪い」


 フランをかっさらわれただけでも腹立たしいのに、マダムとイザベラの二人から嘲笑され、アージェスは顔を真っ赤にして怒り狂ったが……直後、人が変わったように冷静になる。


「ふん……どこに逃げたところで、この夜街はもう終わりだ。逃げ場などない」

「……なんだって?」

「言っただろう? 『時間がない』のだ。今夜、夜街は終わる」







「はぁっ、はぁっ……か、カー君、ごめ、も、むり……」

「はーっ……はぁ、すまねえ、急に走り出したから」

「う、ううん……わたしに、体力が、ないだけ、だから……はぁ……っ、はぁ……」


 店からしばらく、二人は、ほどなく昼街との境界近くまでたどり着いた。

後ろからアージェスが追いかけてくる様子もなくひとまずは安心、といったところだったが。

ただ、フランはそわそわとして、カオルに視線を向けられずにいた。


「あの、大変なことに、なっちゃったね……」

「ああ。だけど、なんとか逃げられてよかった」

「……うん」


 繋がったままの手が熱い。

男の人の手がこんなに熱いのが、フランには驚きだった。

今まで触れた男の手は皆冷たくて、まるで人間ではないかのようだったのに。

今の彼の手はとても温かくて、血の通った人間のように感じられたから。


(そっか……お兄ちゃん、みたいだったんだなあ)


 そんな人が、フランにもいた。

とても優しくて自分を大切にしてくれる、とっても大好きな兄だった。

だけれど、彼女と兄はとても不幸で、貧乏で、そして村の人たちからもないがしろにされていた。

生きているだけで辛い日々。それはフランが成長していくにしたがって、より酷くなって。


「……」


 負けてばかりの人生だった。

生まれた時からの負け犬人生。

誰からも酷く扱われ、搾取され、泣いているのが当たり前の毎日。

そんな日々から脱却したくて、村を出た。

大好きな兄とならどこでだって暮らせるからと、そう勇気を振り絞って、兄の手を取ったのだ。


「……ぐすっ」


 走っている間に止まっていた涙が、また零れ落ちた。

思い出してしまったから。

忘れたかった辛い過去を、過去にしたかった事を、いつまでも忘れられないから。

そうして今この時、別の男の人と手を繋いでいるのが、その時の状況とリンクしてしまって。

胸が、強く締めあげられたかのように、苦しかった。


「フラン? 辛いのか?」

「ううん、なんでもないよ……なんでもない」

「まあ、辛いこともあったしな。少し休もう。あいつが来たら、また逃げればいい」

「……うん」


 その優しい言葉が、本当に優しく感じられて。

フランはそんな事で「生きててよかった」と思えてしまう。

大好きだった兄と同じ温かみのある人と、今自分は手を繋げているのだから。




 座るように促され、路地裏の樽の上に腰かける。

それは花売り娘が客を相手にする時によくとるような姿勢で、そのおかげもあってか、追っ手を隠すカムフラージュにもなるとカオルには考えられた。

上がっていた息も戻り、涙もじきに引いたが、フランが落ち着くのには少しかかってしまった。

その間、カオルは一言も発さず、ただ、じ、と、心配するようにフランを見つめていた。


「――あの人ね、私の事が好きみたいなの」

「そうらしいな」


 ようやく落ち着いたらしく、フランがぽつり、声をあげる。

カオルもすぐにそれに反応した。

視線はまだ、背けられたままなのを感じながら。


「私はただ、お話を聞いていただけなんだけど……軍人として、辛いことがあったりして、家柄もあってなかなか周囲から認められなかったり、出世した時には一番知らせたかった人が他界してしまってたり……色々、辛い目にあってきたらしくって」

「苦労人だったんだな」

「だけど、いつかは自分がトップに立ってこの国を変えるんだって言ってた。悪い人じゃ、ないと思うの」

「……そうかもな」


 自分に乱暴した男にそんな事を言えるフランに、カオルは驚きを隠せずにいたが。

それでも、フランが求めている反応は否定ではなく肯定なのだろうと思い、内心では苦々しく思いながらも肯定して見せた。

これも、彼が――誰かと長く一緒に暮らす間に身に着いたものである。


「――娼婦が乱暴されるのって、そんなに珍しいことじゃなくってね?」


 それは本来、フランにとってとても恥辱的な、屈辱的な事のはずだった。

それすらも、フランは何でもない事のように話そうとする。


「だから、慣れなくちゃいけないって、そういうお客と当たったら諦めるしかないって、そう思ってたの……だって、娼婦って、娼婦だし」

「……ああ」

「身体を売るって、そういう事だもんね。相手が悪かったら傷つくことも、最悪殺されちゃうことだってある。花売りの子がお客に絞殺されるなんて、一時期すごく多かったし……」

「……怖いな、それ」

「うん。すごく怖かった。だけど、そうなったらそうなったで、諦めるしかないのかなって、そう思ってたの」


 所在なさげに浮いた足をばたつかせながら。

樽にこつん、とかかとが当たり、その動きが止まり。

笑えなくなったフランは、何でもない事のようにまた、語り始める。


「私ね。大好きだったお兄ちゃんが居たの」

「うん……お兄ちゃん?」

「うん。お母さんは違うんだけど、二人で生まれ育った村から逃げてきたの。ロクに準備もないままで、草とか川の水とか飲みながら、なんとかして近くの森まできて……コルッセアの外壁が見えた時ね、私、すごく感動しちゃったの」


 ちら、と、視線を上へ向け。

カオルも同じように視線を向けると、路地裏からでも見える、コルッセアの巨大な外壁が眼に入った。

夜街をも内包する、コルッセアの重厚な外壁。

一部壊れてしまっていたが、それでもその存在は雄大に感じられた。

冷たい雄大さ。


「だけど……当たり前の話なんだけど、街の近くの森って結構悪い人がうろついててね? 私達もそういう人達に取り囲まれて……お兄ちゃんは、悪い人に、殺されちゃったの」


 大好きな家族の突然の死。

それがどれだけ少女にとって辛かったのか、カオルはそれを想像しようとして……しかし、できなかった。

辛い事くらいは分かる。だけれど、彼にはその喪失感を、味わった経験がないのだ。

だから、頷けなかった。「大変だったな」とも言えず、ただ黙って聞いていることしかできなかったのだ。


「私も、その人達に襲われたわ。たまたま気づいた衛兵の人が助けてくれるまで、酷いこと、沢山された。私が男の人が駄目なのは、そういう、冷たい人達に酷いことをされたから。別に、バージン失くしたのは村にいたころだからね、犯されたことそのものは、なんてことないんだよ?」


 今だってきっと、と、口にしようとして。

カオルは、それ以上言わせたくなかった。

だから、その肩をぎゅ、と、掴んでしまった。


「痛っ……カー君、痛いよ……」

「俺はな、そんな事はしないから」

「うん、解ってるよ」

「辛いことは、辛いって言っていい」

「解ってる」

「無理に笑おうとしなくていいんだ」

「……っ、解ってる、けど」


――そうやって笑ってる間は皆が可愛がってくれるさ。


 ずっと、笑っていないといけないと思っていた。

とことんまで追いつめられ、大切な人まで失った少女にとって、もう、笑い続けるくらいしか生きる術がなかった。

学もなく特技もない少女にとって娼婦になるくらいしか生きる道はなかったし、夜街で生きる為には皆に可愛いと言われる笑顔は何より重要なものだと、彼女自身理解していた。

最大の武器を活かさないのは馬鹿のする事。

マダムから教えられ、そればかりは誰よりもしっかりできるようにしようと努力し、ようやく得られた強みだった。

そういう面では、彼女にとって笑い続ける事は、笑い続けられる事は、美点であり、唯一の成功体験であり、ただ一つの、自信だった。

だが、同時にそれは呪いでもあり、彼女の心を強く縛り付ける。

笑顔に依存させ、笑い続けないといけない強迫観念にとらわれ、辛くとも苦しくとも、笑っていなければいけない気になってしまう。


 ひくつく口元が無理に笑顔を作ろうとして、歪んでしまう。

止め処なくあふれる涙に、熱を感じられる。

ようやく、解き放たれた気がした。

辛かった気持ちが、辛いという気持ちをやっと表現できるようになっていた。

それが、嬉しかった。

そんな温かみのある人が、自分の前に居てくれるのが、彼女にはどうしようもなく嬉しかったのだ。


「ありがと……ありがとねカー君。私、わたし、ずっと、笑い続けないといけないって……」

「そんな訳あるか。泣いたっていいし、愚痴ったっていいんだ。マダムだってイザベラだって、そういうのはちゃんと聞いてくれるだろ?」

「……うん、うんっ」


 正面から自分を見つめてくれるこの男の人が、とても心強くて。

ようやく自分を救ってくれる人がいたように思えて、フランはしばらく、感情のままに泣いたり、呻いたりしていた。

訳の分からない事を口走ったりもしていたが、それでもカオルは構わず聞いてくれて、相槌を打ってくれた。

それだけでも嬉しかったのである。




「なんか、ごめんね、すごく……すごく恥ずかしいところ、見せちゃったというかっ」

「いや、いいけど……」

「話の内容もアレだったし……その、忘れてね! カー君が私の事情知ったところで、何か意味がある訳でもないし……あっ、もしかしてマダムとかから聞いてたかな? うわ、恥ずかしいなあ……」


 しばらくして二人が路地裏から出た時には、フランはいつもの調子に戻っていた。

明るい笑顔。しかし憑き物が落ちたように晴れがましい、愛らしい笑顔だった。

そんな少女がテレテレと照れたりはにかんだりしているのを見て、カオルも「可愛いなあ」と、ようやくにしていつものフランが戻ってきたことに安堵していた。


「とりあえず、これからどうする? お店に戻る訳にもいかないだろうし……」

「手持ちもそんなにないから、酒場に行くってのもアレだしな……こんな事になるなら飲みにいくんじゃなかったな」


 そうして二人、途方に暮れていた。

カオルは当然としてフランも着の身着のままで金など持っているはずもなく、なんとかして夜を過ごさなくてはならない。

路地裏で時間を潰すという手もあるが、一度出てきた手前「また路地裏に戻るか」とも言い辛く、しばらく二人して視線をうろうろさせていた。


「……公園、行く?」

「公園?」

「うん。昼街の方にね、とっても綺麗な公園があるの。ベンチもあるから、こっちに居るよりは時間を潰しやすいはず……」

「そうか、じゃあ行ってみるか」


 丁度この辺りは境界近く。何を狙って走った訳でもないが、たまたまでも昼街に出られるのは好都合と考え、カオルも賛同した。

二人、歩き始め……そうして、また足が止まる。


「なんだ、ありゃ」

「え……えっ?」


 希望を抱いて歩きだした二人の前に、絶望が壁となっていた。

それまで何もなかった境界に、幾人もの兵士が集い、検問を敷いていた。

夜と昼とを隔てる概念が、明確に警戒線となって形を成していたのだ。


「これ……どういう……」


 このくらいの時間帯ならば、むしろ昼街から夜街への往来は増えるはずだというのに、検問周りには街人一人居らず。

門に立つ兵士がカオル達に気づき、じろ、と、強張った視線を向けていた。


「あの、さ」


 それを恐れず、カオルは兵士に近づく。

兵士もいぶかしむように見るが、「何か」と、一応は答えてくれた。

問答無用で叩きだす、ということはないらしいと解り、フランもいくらかは安堵する。


「これ、何かな? 昨日まではなかったよね?」

「見ての通り検問だが?」

「……通れるよね?」

「国からの通行証があるならな。あるいは、外国人であるなら通行手形を見せてくれれば通しても良い決まりになっている」

「通行証……? そんなの、いつ発行されたんだい? 初めて聞いたんだけど」

「夜街の住民には発行されないからな。王の許可が必要となる。もういいかね?」

「あ、いや……」


 初耳のオンパレードだった。

何が起きたのか全く分からない。だけれど、このままではまずいと思い、カオルは食い下がろうとした。


「悪いが、要件を満たせないなら通行はできない。あまり騒ぐようなら逮捕も辞さない。最悪斬り捨てて構わぬと言われている。まだ何か?」

「俺達、なんとかして昼街に行きたいんだ。なんとか通してくれないかな」

「情に訴える気かね? くどい。あまりしつこいようなら――」


 食い下がれば食い下がるほど、兵は警戒心を強めてしまう。

しまいには他の兵士らも集まり、武器を手に威嚇し始める有様で――これはもうどうにもならないと、カオルも諦めかけていた所だった。




「あの~、ちょっといいですか~?」


 そんな時である。

不意に、検問の向こう側から、若い女の声が聞こえた。

見ると、そこには黒猫耳黒尻尾の猫獣人の少女が一人。


(あ、あの子――)


 フランにとっては、いつぞやか、公園で話をした事のある少女だった。

なんでこんなところに、と思いながらもフランは少女を見たが、目が合った時、ニコリと微笑みを向けられた気がして、ちょっと恥ずかしくなってしまう。

とても可愛らしい笑顔なのだ。相変わらず、何かを隠したような笑顔だったが。


「……君は?」

「私、レナス伯カリツの遣いの者でして……そちらの方に、ちょっと用事があるんですよ。あ、これ、私の身分証です」

「おお……カリツ伯爵の」

「用事があるというのは、この男にですかな?」

「ええ、そちらの。ちょっと通ってもいいですか?」

「しかし、通行証なく通すのは……」

「それなら私、持ってますよ。ほら、二人分。それにその男性の手形も持ってます」

「なに? 手形も持っているのか?」

「はい。ですから渡したいのです。問題ありませんよね?」


 矢継ぎ早に繰り出され、屈強な兵士諸君も困惑した表情のままに「そういう事なら」と猫耳少女の通行を許してしまう。

そうして難なく夜街側に来ると、カオルの前に立って「やっと会えました」と、華やかに微笑んだ。

それは、フランをしてどきりとしてしまうほど可愛らしく……そうして、愛情のこもった、偽りを感じさせないもののように見えた。

カオルもまた、どこか懐かしさを覚えながら、「この子は一体?」と、混乱しそうになっていた。


「カオル様、とりあえずはこの子、付けていてくださいね? もう落としたらだめですよ?」

「ああ……ありがと……様?」


 手渡された布製のお守りの紐を首にかけながら、違和感に首を傾げる。

だが、猫耳少女は気にせず話を続けてしまう。


「それで……見た感じ、その子と街の外に出たい感じです?」

「そうなんだけど……あれ? 出られるの?」

「出られますよー? それじゃ、サララと一緒に行きましょう」


 何が起きたのか全く分からない二人をよそに、「ささ」と、カオルの空いた方の手を掴み、そのまま引っ張ってゆく。

それまで通行ができないと思っていた検問が、容易く突破できてしまった。

通り抜け際、兵士たちも何か言いたげだったが、少女が素知らぬ顔で通り過ぎてしまったため、何も言えないまま悔しげな表情である。


「それじゃ、とりあえず近くの公園にでも行きましょうかね。それでいいですよね、フランさん?」

「あ、う、うんっ、丁度そこに行きたいと思ってたから……」

「それは好都合……ふふっ、念のため通行証を発行してもらってよかったですねえ。ゴートさん英断でした」


 にこやかあに微笑みながら先導する少女になんとも言えぬ感覚を覚えながら、二人はその後についていった。

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