#7.軍人アージェスとの対峙にて
最果ての地、魔王城の謁見の間にて。
城に帰還した魔人レイアネーテは、先日の偽レイアネーテ騒ぎの一件の説明の為、主である魔王アルムスルトと、魔人筆頭バゼルバイトの前にて跪いていた。
「――つまり、先日の一件は、先代魔王の下に属していた魔人によるものだった、と?」
「はい! 実際に現地でベリアと名乗る魔人と交戦し、これを撃破しましたので……」
「……バゼルバイト」
威勢よく説明を続けるレイアネーテに「ちょっと待て」とばかりに手を前に出し、魔王は傍に控えるバゼルバイトに確認するように、その顔を見つめた。
「存じておりますわ。魔人ベリアは、先代魔王グラチヌスの配下にあった魔人です。確か……異世界から女神に呼び寄せられた、技師か何かだったと思いました」
「先代魔王の配下、なあ……そのグラチヌス某というのは、どのような魔王だったのだ?」
「一言でいえば『異例』という言葉が相応しい、そんな魔王でした」
「……異例、か」
既に話はレイアネーテの思考のはるか先に飛んでいて、報告していた本人は唖然と二人の会話を聞くばかりになっていたが。
この元勇者、忠義を誓った飼い主には忠実で、余計な事をのたまったりはせず、じ、と、何か言われるまで待つつもりのようだった。
「そもそも魔王に覚醒するまでは、相応に時間が必要なはずでしたから……魔王グラチヌスは覚醒に至るまでの時間が極端に短く、また、覚醒したと言ってもそれほど強大な力は持たない、半覚醒状態のまま活動を始めたようでして」
「今の私と大差ない状態で世界に覇を唱えた、という事か?」
「恐らくは……ただ、その所為もあって最後まで理性のほとんどを失うことなく、人の王として君臨し続けられたようですが」
「まあ、覚醒しなければそうだろうな……人の世においてなら、半覚醒程度の魔王でも十分に強者足りうるだろうし」
魔族である彼もまた、現時点で十分すぎるほどに強大な力を持っていた。
勇者と封印の聖女でもなければ、後は女神自身を除けば対抗できる存在などないと言えるほどに、魔王アルムスルトは強い。
それを自覚しているからこそ、アルムスルトは、半覚醒の魔王の脅威度を正確に理解できていた。
「だが、目立てばそれだけ勇者や女神殿の眼に着きやすくなる」
「はい。結局魔王グラチヌスは、覇王となった事で女神にその存在を認知され、派遣された時の勇者によって撃破されました」
「まあ、魔王であるという点を除けばどれだけ強かろうが人間だしな。その特性を相殺できる勇者が居てはどうにもなるまい」
魔王の魔王としての力は、勇者の勇者としての力によって相殺できる。
これによって、互いの力は互いの力によって打ち消され、純粋な身体能力のみでの戦闘になるのだ。
これがあるから、魔王は配下の魔人を用意する。
魔人によって勇者の仲間なり配下なりを無くすことが出来れば、後は勇者との一対一の戦いになり、身体能力に優れる魔王の方が優位となる。
それができなければ、敗北は必至となる訳だ。
「しかし妙だな? そんな魔王の配下の魔人が、何故我々の邪魔をしようというのか……いや、そもそもレイアネーテの存在を認知させることに、何かメリットがあるとは思えんが?」
「私も不思議に思いますが……ただ、実際にレイアネーテとその魔人が交戦したのはこちらでも確認できましたので……」
「あ、はいっ、私としてもそこは分からずじまいでしたっ」
唐突に話が戻り、レイアネーテは目を白黒させながら、あせあせと会話に混ざろうとする。
だが、魔王の視線はバゼルバイトに向いたままで、バゼルバイトもまた、レイアネーテではなく主を見つめたままであった。
「世界に覇を唱えた魔王グラチヌス。それは、自ら目立とうという自殺行為にしか見えなかったが……実際問題、どの程度栄える事が出来たのだ?」
「配下の魔人から得た知識を糧に、急激に国家を発達させ、世界最強と言われたラナニアと伍する程度の地力をつける程度には繁栄したようですが……」
「ならば、人間の配下も大量にいた、という事だな?」
「はい。近代的かつ強大な軍を持っていましたが……その代わりに、魔人自身の力を使って、という事はあまり考えない魔王だったようですね」
魔人が魔人として使われなかった魔王軍。
これほどおかしな話もないとばかりに、魔王は呆れたように鼻で笑ってしまう。
「適材適所を見誤ったか? それとも、自身が魔王だという自覚すらなかったのか……?」
「どちらも可能性はありますが、この魔王が最も異例なのは、配下のはずの魔人に手を噛まれた事でしょうか……これが原因で勇者との決戦に敗れた節があります」
「魔人に裏切られた……? 魔王が?」
「それも、恐らく私と同じポジションの実力者が。その為、終期のグラチヌスは国から逃げ出す船団が数多く発生したとかで……海軍の大半が、そういった逃げ出した民衆を守る為の護衛船団となっていたとか」
「……意味が解らぬな」
魔王と魔人という存在の関係上、本来魔人が魔王を裏切ることなどありえない。
魔王自身が魔人に「私を裏切れ」と命じでもしない限り、魔人は本来、絶対に主を裏切ったりしないはずなのだ。
特に何か命じてそうなった訳ではなく、魔人というのは魔王に絶対服従の存在のはずで、例え半覚醒状態であったとしても、どれだけ野心の強い魔人であっても裏切る事など考えもしない。
それが、この世界の主神によって運命づけられた、魔人という存在の在り方のはず。
だからこそ、魔王を裏切った魔人が居た事、そして、魔人の裏切りによって勇者に敗れた魔王の存在に、アルムスルトは呆れを通り越して、感嘆すら抱いてしまっていた。
「私の前に、そんな魔王がいたとはなあ。私も前に倒された時に過去の歴史を学んだりはしたがしかし……そんな末路を迎える魔王がいるというのは驚きだ」
「女神にとっても想定外の存在だったようですわ。ですから、急遽陛下が」
「……そしてその業は私にまで影響する訳か。なんとも迷惑な」
結果として、その魔王が短命に、さほど脅威となる前に終わった所為で、前回より難しい状況で自分が魔王となってしまった。
その因果を聞かされ、今代の魔王殿は深い深いため息をついた。
「ちょっといいですかね?」
二人だけの会話が終わり、「さてレイアネーテをどうするか」という方向で話が進もうとしたところで、白衣の男が謁見の間に現れた。
「クロッカス……今はレイアネーテに話を聞いている最中だが?」
「その話に関係すると思しき状況の変異について、ご相談に来たんですがね」
「状況の変異……クロッカス、続けなさい」
白衣の魔人クロッカスは、魔王の面前であっても跪く事なく、バゼルバイトに先を促されると、眼鏡を弄りながらほくそ笑んだ。
そうして腕を組み、説明を始める。
「今までラナニアの各地を調査していたメロウドの話を聞いたんですが……どうもあの国、一つの『奇妙な現象』が発生してるんですよねぇ。それがだんだん国全体を覆い込むように、国中に影響が増していっているというか……」
「相変わらず焦らすような言い回しを……何が言いたいんだ?」
「ふふふ、すみません。これが私の癖なもので……その奇妙な現象というのはですね、民衆をはじめとする、人間達の感情が高揚し続ける……そんな現象なのです」
「……ほう?」
迂遠な言い回しを好むこの魔人に、魔王も苦笑いしながら先を促すが……その話は、魔王やバゼルバイトも興味を向けるような、そんなものであった。
「メロウドには特に注意して確認してもらったのですが、その現象が発生した地域に住む住民は、次第に些細な事が気になり、興奮しやすくなり……そして、その内に段々と、わずかな事で怒り始めるのです」
「怒りを増幅させる……という事か?」
「どちらかと言えば、感情そのものを増幅させる、という方が正しいでしょうかね? ただ、日常においては良いことよりは悪いことの方が多いでしょうから? それだけ、怒りを覚える者も増えるでしょうねえ」
「つまり、それによって何がしか、利を得る者がいる、という事か」
そうでもなければ、そんな事をする意味が解らない。
だが、現実としてそうなっているのであれば、何かが起きる兆候と言えるのではないか。
魔王は顎に手を当てるように「ううむ」と呻り、バゼルバイトもまた、そんな主を見て「続けなさい」と、クロッカスに促す。
「問題なのは、その現象が民衆だけじゃなく、兵士や貴族など、様々な階級の人間に広がっている事なんですよねえ。それどころか、王族までその影響を受けているようにも思えます」
「そういえば、私が対峙した魔人ベリアも、やたら怒り狂ってたというか……後、すごく性欲方面に弾けてたように見えたわ」
「それは中々興味深いねえ。そのベリアというのがどんな奴なのか私にはわからないが、魔人ですら影響下に置かれる、というのは中々に恐ろしい! 一体誰がこんな事をしているのやら」
ようやく話に混ざれて嬉しそうにするレイアネーテを見下ろしながら、クロッカスは尚も眼鏡を弄り、ほくそ笑んだ。
「そのベリアというのがその現象を発生させた、とは考えられんのか?」
「勿論その可能性も0ではありませんよ? でも、もしそうだとしたら、自分で発生させた現象に自分が巻き込まれるっていう、とんでもないおバカさんになってしまいますねえ?」
「まあ、実際戦ってみたらパワー馬鹿みたいな奴だったし、案外本当に馬鹿だったのかも……」
「君がそう言うなら違いない! くくく……」
「……」
「……」
会った事も話したこともない、配下ですらない魔人ではあったが。
レイアネーテにまで馬鹿と言われるベリアを想い、魔王と腹心は若干の憐れみを覚えた。
「まあ、話は分かった。レイアネーテ、お前はもう下がっていい。ベギラスとの事は……自分できちんと話し合うのだぞ?」
「あ、はい……では失礼いたしますっ」
レイアネーテからはこれ以上聞けることもないだろうと判断し、下がらせることにしたが。
クロッカスには目配せし、魔王は佇まいを直す。
レイアネーテが元気に去っていった後、三者はわずかながら沈黙し……やがて、クロッカスが「さて」と、話を再開した。
「レイアネーテをわざわざ下がらせたのは、話の核心を知りたかったから、ですよね? 邪魔されたくなかったと」
「言わずとも解っているならわざわざ言ってくれるな。私とて、不用意にレイアネーテを傷つけたいとは思っていないのだ」
「あの娘はアレですが、駄犬のような妙な愛らしさがありますからねえ。解りますよ、陛下のお気持ち」
先程までと違い、びし、と直立したクロッカスは、しかし口調ばかりはそんなに変わらず不遜なままであった。
だが、バゼルバイトも咎めず、じ、とその瞳を凝視する。
「あの地域には、どこか強烈な憎悪のような感情が膨れ上がっている、と、メロウドが言っていました」
「ただの怒りではなく、か? そんなに憎悪するほど、住民は何かに怒っていると?」
「いいえ、これは……どちらかというと、特定個人の持つ憎悪の感情が爆発的に跳ね上がっている、と言えます」
「わざわざ特定するほどなのだから、特筆すべき人物という事か」
「ええ。特に王族にこれが顕著に……ですが、それ以外にも例の民主主義運動の活動家や海軍将校、それに『民主主義』の元になった者達とでも言いますか……こういった面々に関係があるようですね」
なんとも恐ろしいことで、と、眼鏡をはずし、白衣のポケットから取り出した布で拭き始める。
その瞳は黒くよどんでいて、さほどの色をなしていなかったが……バゼルバイトを見つめていた。
「バゼルバイト様? 魔人ベリアとかいうのは、どんな経歴の奴なんでしたっけ?」
「……私が知っている限りでは、異世界の技師で、そしてかつて民主主義をこの世界に広めようとした者と同郷だった、という程度だな。同郷というのも同じ世界だったくらいの話で、そこまで解っている訳ではないわ」
「なるほどなるほど……つまり、ベリアもまた、民主主義に関係していた、という事で」
「憎悪の意思を膨らませている者の多くが、民主主義関係者、という事か」
「この調子だと海軍の奴らもその関係者になりそうですねえ。ま、あくまで私の説が正しければ、ですがね」
あくまで推測ですよ、と保険を利かせながら、クロッカスはポケットに手を突っ込み、正面から魔王を見据える。
直立すると背が高く、距離が離れていたとはいえ、自然、魔王を見下ろすようになっていた。
「ですがこの憎悪、放置しておけば相応に我々にとってもプラスに働く事態です。強国であったラナニアが混乱し、場合によってはそれでまた、戦争が始まる事も有り得ます」
「わざわざ私に報告しに来たという事は、『余計な事はしない方が得策』とでも忠言するつもりだったか?」
「流石我が主。聡明でいらっしゃる。そう、私はそれだけ言いたかったのです」
「それだけでもあるまい。クロッカス……お前、この現象を研究する為のサンプルが欲しいのでしょう?」
「……はははっ、バゼルバイト様。鋭いですなあ」
自分の考えなど容易く見透かすこの腹心。
こればかりは勝てる気がしないと、クロッカスは眼元を抑え、笑いが腹の内から溢れていた。
「ま、研究が進めば魔王軍にとって有意なものとできるかもしれません。予算もそんなに必要ではありませんし、実行の許可がいただければ幸いかなあと」
「構わぬ。好きにしろ。ただ、お前は少し調子に乗り過ぎるきらいがあるからな……定期的に、報告に来るのだぞ?」
「陛下の寛大なご配慮に感謝を。それでは早速、研究に専念したいと思います」
それでは、と、用が済めば長居は不要とばかりに、クロッカスは玉座の間を去っていく。
魔王と腹心も、「あいつは相変わらずだな」と、その研究熱を苦笑いしながら見送った。
所変わって王都コルッセアの夜街にて。
娼館『偽りの花園』受付では、以前店に訪れた軍人とカオル、マダムとが対峙していた。
「では、どうしてもフランシーヌ嬢を抱けない、と?」
「まあ、肝心のフランが無理だって言ってるからね。店の方針としては、娼婦に無理はさせられないねえ」
対峙している、とは言っても、実際には話をしているのは椅子に掛けたままのマダムとこの軍人とで、カオルは傍らでそれを見守っているだけだった。
マダムからも「余計な事は言わなくてもいい」と言われていたためだが、カオルとしても、口を挟みにくい空気を感じていたのだ。
「彼女の男嫌いは確かに私も解っている……私自身、彼女に無体をした結果、今の状況があるのは分かっているんだ」
マダムの返答に、一瞬睨む様な眼光を見せていた軍人だったが。
ため息混じりにカオルの方を見やり、そうして、今度はカオルを見て「だが」と話を続ける。
「そんな状態なのに男の従業員を入れるというのは矛盾してはいないか? 店としても男手が必要なのは解るが」
「ま、フランの為だけに不自由し続ける訳にもいかんからねえ。実際役に立っているし、そのおかげでウチの娘たちも楽が出来ている」
「同じ店に居て大丈夫な程度なら、私とだって――」
「お話だけで終わる保証がないからねえ」
カオルを指して「彼がいるなら」と話を進めようとした感があるが。
マダムはそれを先んじて潰し、皮肉めいた口調で軍人を見上げた。
これには軍人も苦虫を噛み潰したような顔になり、マダムをきっ、と睨みつける。
「私自身、反省はしているのだ。何故それを解ってくれない?」
「解ってはいるさ。だけどそれ以上に、男の欲望って奴がどこで噴き出すか解らないのも、私ゃよく解ってる」
伊達に娼館の主はやってないからねえ、と、口元をにやつかせながら。
マダムは、軍人の反論を許さなかった。
「だから……話だけって言いながらフランを犯したあんたを、反省したってだけで受け入れられる訳もないねぇ。勿論、その反省したいって気持ちは本当だろうし、フランに対しての申し訳ないという気持ちもあるんだろうけど……それ以上に、あの娘への執着が見えるからねえ」
「惚れた女性に対して執着する事の何がおかしい!」
「おかしくはないさ。むしろ今時珍しいくらいだよ、あんたみたいに純真な男はねえ」
突然声を大にした軍人に、カオルは前に出てマダムを守ろうとしたが……マダムは右手を横にそれを制止し、煽るように軍人を見上げ続ける。
「だけど、純真ならそれで許されるのかい? 軍人さんにとっちゃ娼婦なんてただの性欲のはけ口、それで結構だよ。だけど娼婦にだって人権はある。犯されて顔を見るのも辛い相手に、商売だからって会わなきゃいけないのはおかしいだろう?」
「……それは」
「あんた自身にだって自制できなかったほど、それは大きな出来事だったんだろう。だけど、それによって起きた結末は、フランにとってだってとても大きなショックになったんだ。フランはね、今でもあんたの事で苦しみ続けてるんだよ」
解るかい、と、眼を細めながら。
それ以上の反論が出来なくなった軍人を追いつめるのをやめ、カオルの方を見やった。
「ま、そうは言ったって、恋愛感情は理屈じゃないのも解るさね。ただ、あの娘の事を真剣に考えてるなら尚更の事、もう少しあの娘の身になって考えて欲しいんだがねえ」
「……」
「ささ、それが解ったら、今日のところはもう……」
「もう、時間がないのだ」
このままいつもの流れにしたかったのだろう。
マダムが追い立てるように彼を帰らせようとした時、軍人は身を震わせ……そして、ぽつり、そう呟いたのだ。
「私は今日、彼女を連れていくことにしていた」
「……連れていく?」
「フランシーヌ嬢を、身請けしたい」
「身請けって――」
何を言い出すのかと見ていたカオルが、思わず疑問を口に出してしまった。
身請け。つまり、娼婦を自分の妻や愛人にしたいから、引き取ろうと言い出したのだ。
これにはマダムも驚いたのか、眼を見開き軍人を見やっていた。
しかし、軍人はマダムを見たまま、き、と、毅然とした表情で話を続ける。
「金ならいくらでも払おう。いくらだ?」
「正気で言ってるのかい? 娼婦にだって人権があるって、さっき言ったよね?」
先ほどまでのような煽るような口調とは違う、明確に怒気が混じった口調で問うマダムに、軍人は微塵も揺るがず「ああ」と返す。
揺るがぬ何かが、そこにはあった。
「その人権が、もうすぐ揺らぐことになるから言っているのだ。今までならばここがフランシーヌ嬢の拠り所になれていたのだろう。だが、これからは違う」
「時間がないって言っていたね? 何か……政治関係で変異が起きると、そういう事かい?」
「……」
その沈黙が、マダムの問いを肯定する。
カオルが息を呑む中、マダムは尚も軍人に問いかけた。
「その変異の所為で、私達が……夜街が、崩壊するとでも言うのかい?」
「その通りだ。だから私はそうなる前にフランシーヌ嬢を手元に置きたい。勿論、彼女が振り向いてくれるまで手を出すつもりはない。ただ、彼女の安全と私の安息の為にも……万一があっては困るから、手元に置きたいのだ」
それが本当かウソか。
マダムにはそれが図りかね、カオルを見やった。
カオルも、それに合わせるように頷く。
「この人が言ってる事は、本当だと思いますよ」
「……そうかい」
「でも」
本心から話しているのは、カオルにもよく解った。
この男は本心からフランを愛していて、そしてその安全のために最も安全な場所に置いておきたいのだろう、と。
ただ、それはそれとして、カオルには彼の言葉に肯定しがたいものを感じていた。
「それを選ぶのはフランだ。そして、フランが会うのを拒絶している以上、あんたがフランを手元に置くのは、やっぱり無理な話だと思うよ」
「……ま、そうだね」
「なんだとっ!」
マダムの話ならまだ我慢できたのだろうが、カオルに言われたのは納得いかないのか、軍人は目に見えて眉をひそめ、声を荒げる。
今度こそカオルが前に出て、マダムの安全を図った。
マダムも、二度止めはしなかった。
「私が……私がこれだけ彼女の事を愛しているのにっ!! 私がずっとずっと彼女に懸想しているのを知っていて、何故君達はそんなにまで……そんなにまで、邪魔をするのだっ!!」
「邪魔って……」
「アージェスさん。悪いけど、あんたの想いは報われないよ。せめて会うのが後二年か三年か後なら、フランだって男嫌いが治せることもあったかもしれないが……今のフランに愛を求めても、返ってくるのは拒絶ばかりさね。そんなんじゃ、お互いが辛いだろう?」
それを解っておくれな、と、マダムは諭すように伝えるのだが、軍人アージェスは「そんなの納得がいくか」と、ますます怒りを表に出す。
「フランシーヌ嬢をっ! フランシーヌ嬢をここに連れてきてくれ! 彼女の言葉なら聞こう。最早、君達に話を聞いても埒が明かない!!」
「そんな無茶な事を言われてもねえ……」
そもそも、会いたくないから拒絶されている訳で。
その理屈を無視してフランと会わせろと叫ぶ彼には、最早説得の余地もないとばかりに、マダムもため息をつき。
そうして、彼の後ろ、柱の陰に隠れていたイザベラに目配せしていた。
事前にマダムに目配せされたら「叩きだせ」と指示されていたイザベラが、アージェスの後ろに立とうとして――
「――あ、あのっ」
――そうして、その場の全員にとって、想定外が起きた。