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嘘つき女神と0点英雄  作者: 海蛇
11章.ラナニア王国編3-記憶をなくした英雄殿-
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#6.夜街の変異

「最近さあ、妙に規制が厳しくなってると思わない?」

「規制って? ああ、例の『門限』の話? 変な話よねえ。境界しかないのに門限だなんて」

「それもあるけど……お客さんに聞いた話だとさあ、『17歳未満の子を買うと犯罪になる』って法ができちゃったらしいよ?」

「えー、何それ、17歳未満って言ったら、若い子の大半がダメになるじゃん!」

「そうなのよねぇ。今はまだ衛兵とか見回りに来ないけど、どうなるんだろう……」


 深夜、13番街の酒場『シャトルーゼ』にて。

わずかばかりの手持ちで一日の疲れを癒やすべく訪れた酒場で、カオルはこんな話を耳にしていた。

カオルから見ても「お嬢さん」というよりは「お姉さん」といった感じの、見るからの娼婦といった化粧っけの強い女たちが、テーブル席で(はばか)りなく話していたのだ。

その内容は、夜街に関わる国の方針変更によるもの。


「そりゃ、確かに若過ぎる子がするには身の危険もあるし、今までみたいに12歳未満なら仕方ないと思うけどねえ」

「私なんて13で客取ってたし、今客取ってる若い子だってそれくらいからでしょ? 夜街生まれなら13で花売り始めて14で堕胎経験くらい珍しくもないのにねえ」

「まあ、そういうのが身体の負担になるっていうのが名目らしいけどさ……でも、明らかにこれ、ウチらを締め付けに来てるよねえ?」

「やっぱそうよねえ。その内避妊薬まで規制されたりして」

「それはちょっとあからさますぎるわ……そこまでやられたら流石に皆怒るわよ」


この街に慣れてきたカオルにとって、娼婦たちの会話はそれほど衝撃的でもないが……

ただ、それでも「14で堕胎経験って」と、ちょっと呆れても居た。

それくらい、この街では少女の妊娠と堕胎が当たり前の事として扱われているのだろう。

猥談や下世話な話には慣れたとはいえ、聞いていていい気分になる話でもなかったが……それ以上に、娼婦たちの危惧も解らないでもなかった。


(避妊できなくなったら、売春が成り立たないじゃん)


 この街の娼婦たちの多くは、稼ぎの多くを費やして避妊薬を購入し、これによって望まぬ妊娠を避けている。

知識に乏しかったり家族から強要されている花売りや、稼ぎばかりに目がくらんだ素人などは使わずに妊娠し、堕胎する羽目になる事もあるが、多くの場合、避妊薬によってそれは防がれているのだ。


 この避妊薬の利権は、今のところ各街の顔役にある。

発明したのが夜街の住民だった事もあって昼街には出回っておらず、この為、避妊薬だけを求め夜街を訪れる昼の世界の住民もいるほどである。

売春と並んで、『薬』の販売は夜街の専売特許の一つだった。


 これを規制されれば、夜街の住民は売春の度に妊娠のリスクを背負い続けることになる。

当然、商売など成り立たなくなり、娼館などは潰れるか商売を変えなくてはならなくなる。

この酒場のように娼婦や娼館関係者が主な客層になっている店も巻き添えを受けるだろうから、決して他人事ではないだろう。

事実、カウンターの奥でコップを拭いているマスターも、娼婦らの話に難しい顔をしている。


「なあマスター。俺はこの街にきたばかりだから知らないけどさ、『規制』って、定期的に厳しくなったりするのかい?」


 ピリリとした刺激的な味わいのある酒を口にちょいと含みながら、マスターに話を振ってみる。

カウンターには他に誰も居ない。サシ(・・)での会話になるが、マスターはわずかばかり無言で返し……そして、口を開いた。


「規制そのものはたまにあるくらいだな。ただ、大体は『麻薬の取り扱いはするな』とか『違法なマジックアイテムは取り扱うな』とかそんなもんでね……娼婦周りなら、年齢規制が5年前にできたくらいで、それも衛兵に見つからなきゃお咎めなしってもんで」

「衛兵にねえ……見回りに来ることなんてあるの? 今まで一度も見た事ないけど?」

「今まではほとんどなかったよ。たまに来るときは小遣いが欲しい時だから、その街の顔役がちょいと恵んでやればほっこりした顔で娼婦を抱いて帰っていくよ」

「……衛兵にもそういう奴っているんだなあ」

「そりゃいるさ。どこの界隈にだって腐った奴はいるよ。そういう奴がいて、そういう奴がここに来るから、昼街が綺麗な街でいられるんだ」


 俺達は街の自浄作用なのさ、と、ニカリと口元を歪める。

だが、カオルは「うへ」と呆れたように顔を引き、手に持ったコップに口をつけた。

そんなカオルに構わず、マスターは語る。話し始めれば見た目に似合わずお喋りな男だった。


「ただ、ここ数日ばんばん規制がぶちあげられてるとは聞くから、王城の方じゃ何か動きがあったのかもしれねぇなあ」

「王城の方で?」

「ああ。噂じゃ宰相が失踪したって話だし、リース姫が主権握ってるんじゃないかって話もあるぜ? 潔癖なお姫様だから、夜街みたいな汚らしい世界は許せないとか、そんな感じなんじゃないかって」

「ああ、そりゃお姫様から見たらなあ……」

「たまらねぇよな。どぶ川にだって住む虫や魚くらいはいるのにな」


 自分達をどぶに住む生き物と言い切るのもこの街の住民らしいと感じ、カオルは幾分気が軽くなったが……「お姫様」という単語には何か引っかかるようなものを感じ、不思議な気持ちになっていた。


「門限に年齢とくりゃ、どっちも娼婦や男娼に直結した規制だからなあ……今までいつでも自由に売れて買えたもんが特定の時間のみ、特定の年齢以上ってなっちまうと、売れる奴も減るし買う奴も限られちまう」

「年齢は分かるけどさ、時間の影響ってのも結構でかいの?」

「でかいさ。『偽りの花園』みたいに時間を決めてる店は特に影響あるだろ? 営業時間内に規制掛けられたら、変えざるを得ないんだからな」

「あー……確かにそうだよな。それに、買う側も働いてる時間帯にはこれない、か」

「だな。今のところは昼間稼いで夜抱きに来る客がほとんどだが、中には夜稼いで昼間抱きに来る奴もいるし、そういう客層は今後客になりにくくなっちまう訳だ」


 こいつぁ中々に痛いぜ、と、その辺に置かれている酒瓶を開け、自分の近くのコップに注ぐ。

そうかと思えば、カウンターに置いたばかりのカオルのコップにも注いできた。

まだ飲み終わってもいなかったコップが、トクリ、酒で満たされる。


「ありがと」

「ああ……しかしアレだな? お姫様だか誰だかは知らねぇけど、規制かけてる奴らは頭悪いよな。性欲なんて誰だって持ってて発散しないと面倒くさい事になるってのに、わざわざそれを抑制しようなんてよ」

「まあ、発散できないと辛いもんだろうしな。できなくても死にはしないだろうけど」

「死ぬさ。『あーセックスしてーっ』って思ったまま放置してると、その内『犯してでも発散してーっ』ってなるし、犯罪欲求に繋がりかねねぇだろ? この街は騙される奴や殴られる奴が悪いが、娼婦を襲うのは色んな観点で見てやべぇ」

「そんなにヤバいのか」

「物理的に殺されるからな。顔役とその配下に」

「……あー」


 店に所属している女の子に手を出すと袋叩きにされる、というのはマダムから聞かされたが、やはり娼婦を襲うのは、この街においてかなり不味い行為らしい。

そんな認識を抱き、「そりゃそうだよな」と納得もした。


 この街における売春は、街全体を潤す『産業』なのだ。

金を産む鶏を絞め殺す(けだもの)など、誰が飼い続けたいと願うだろうか。

誰であっても、害獣は排除したいと願うはずだ。

だから、殺されるのだ。

夜街には夜街の掟がある。

カオルもその全てを知った訳ではないが、その片鱗を見た気にはなっていた。

マスターもまた、酒をぐびりと一煽り。「ぷは」と、満たされたような顔になりながら続ける。


「昼街なんて、女の子がちょいと『きゃあ』とでも叫べば、その場で衛兵に斬り捨てられても不思議じゃないんだぜ? このコルッセアじゃあな、性欲が暴走したら、人は死ぬんだよ」

「なるほどな……夜街は、必要な訳だ」

「そういうこと! 俺達はこの国の重要な欲求解消機関なんだよ。そんな夜街に規制かけたら、民衆がどんどん不安定になっていくっての。『治安の良いコルッセア』は、『治安の悪い夜街』に全部押し付けてるから綺麗でいられるってのによ」


 言われてみれば、今の国の方針は自浄作用を自らかなぐり捨てていくスタイルであった。

昼の世界では表に出せない汚い部分を全て都合よく夜街に押し付けているからこそ、昼の世界は穢れずにいられるのに。

聞いているカオルも「この国は馬鹿ばっかりだな」と、酒の所為か調子よくのたまってしまう。

すると、マスターも「本当だぜ」と笑うのだ。

自分の憤りを肯定され、気分良くなってしまっていた。


「あーあ、全く、嫌な世の中になっちまったもんだぜ」


 この先を憂う様なマスターの声は、カオルだけでなく、店内でその声を聞いた多くの者に「違いない」と内心で同感を得られる物だった。




「ふー、思ったより飲んじまったな」


 帰り道。一人でふらりと歩くと、花売り娘たちが「こんばんわカオルさん」と声をかけてきたりする。

その度に「よう」と返し、その前を通過し……そんな事を繰り返して店に帰るのだ。

カオルはもう、すっかり夜の街の住民になってしまっていた。


「あっ、カオルの兄貴! 耳寄りな話がっ」


 以前ぶちのめしたマッシュも、今や舎弟のようなものである。

あれ以降顔を合わせる度に「兄貴」と呼びながらすり寄ってくるので、カオルも面倒くさいとは思いながらもその話は聞くことにしていた。


「耳寄りって? 悪いけど『イチ押しのマッチ売り』の話ならもういいよ? 俺熟女は趣味じゃないから――」

「いやいやいや、そんなんじゃないって! 今回はもっと重要な奴! ほら、前に『どうせならもっと街の為になるような事聞かせてくれ』って言ってたじゃん?」

「ああ、言った気がする」


 適当に聞き流すのもしんどかったので適当に返した言葉だったが、マッシュは真剣な顔だった。

鼻はまだ、以前ぶちのめした時に圧し折れたままだったが、マッシュのそんな顔に「こいつも変なところ律儀だな?」と、妙な感心をする。


「それで、話ってなに?」

「ああ、それなんだけど……最近境界の辺りに、見慣れない奴らがうろついてるって聞いて、調べてみたんだ」

「見慣れない奴っていうと? 異国の人とかか?」

「いや、それが……昼間みたら衛兵に守られるように、猫獣人の女の子がこっちを窺ってる事があって……その女の子がなんというか……すげぇ可愛くって!」

「……はあ」


 街で見かけた可愛い子の話、というのはどうなんだと思ったが、その女の子が衛兵に守られているというのは、確かに気になる点ではあった。


「役人か何かなのか?」

「少なくともコルッセアの役人じゃなさそうだけどな。でも衛兵を引き連れてるから、城の方の役人なのかも」

「城の……」

「でも変なんだよなあ? この国って、獣人は上の方にはいけないはずなんだよ。宰相が『純正なるラナニア人のみが公職に就くべき』って法にしたらしくてさ」

「……よく法とか知ってるなお前」

「へへへ……これでも俺、昔は役人になろうとした時期もあったから」


 人は見かけによらぬもの。

こんな街でゴロツキや娼婦をやっている人間も、元はまともに暮らしていた昼の世界の住民だったり、何らか理想を抱いてこのコルッセアに来た移住者だったりする事が多い。

このマッシュも、元々はそんなまっとうな世界の人間だったのだ。

意外ではあったが、「人って変わるもんなんだな」と思えば、なるほどそれほど不思議でもなかった。


「でもさー、その女の子、身なりはその辺の街娘なんだけど……変わった雰囲気があるっていうか……昔見たバルコニーのお姫様みたいな雰囲気感じる事があるんだよなあ」

「なんだそりゃ?」

「はは、いや、ほんとなんでなんだろうな? 近寄りがたい雰囲気があったよ」

「ふぅん……いつもいるのか?」

「解らないけど、聞いた話じゃ今日だけじゃなく他の日もいたらしいから、最近は毎日のように来てるのかもな」

「……昼間、門に、ねえ」


 猫耳の、不思議な雰囲気の女の子。

それはカオルにとって、何かぴくりと来る、胸の内を疼かせるフレーズだった。

だが、なんでそうなるのかは解らない。

それとなく「俺の記憶に関係するのか?」と思いもするが、確信はできなかった。


「それと、それとは別に、最近は衛兵隊がコルッセアに戻ってきて、治安の強化に努めてるって話もあるんだ」

「衛兵隊が……なあ」


 先程酒場で話した内容に直結するもので、カオルも興味を感じたが……だからか、マッシュは得意げに鼻息荒く説明を続ける。

話が長くなりそうなので、と、カオルはその辺の樽の上に腰かけた。


「でもさ、コルッセアって、昼街は犯罪も他の街と比べてめっちゃ少ないし、今までは衛兵隊だって力入れて治安維持なんてしてこなかったんだよな。そんな事しなくても皆ルールは守るから。だからお払い箱にされかけてた訳で」

「ああ、なんか第二王子が拾ったんだっけ? 前何かで聞いた気がする」

「そうそう、そうなんだよ。だから、昼街の住民も『なんで今更衛兵隊が?』って、不思議がってた」


 普段あまり働いていない衛兵隊が、急に働くようになった。

王城から発せられた『規制』の強化といい、何か裏があるように思えて、嫌なものを覚える。

胸がざわめく感覚。どうにも、不味い風が吹き始めているらしい、と。

酔った頭が急激に冷めていくのを感じて、頬に当たる冷たい風に、カオルは眼を細め俯いた。


「なんか、起きそうだな?」

「兄貴もそう思うか? 俺もなんだ……なんか、街全体がそわそわしてるっていうか……落ち着かない感じがして、さ」

「……落ち着かない、か」


 確かに、酒場での会話は規制の話で持ち切りだった。

境界の近くをうろついている輩というのも恐らくはその関係なのだろうが、衛兵隊の活動強化は、何よりもそれを感じさせる出来事のように感じられる。

何かが変わろうとしている。それは、この街の住民も漠然とだが、感じ始めているのだ。


「兄貴はそうでもないかもしれないけど、俺達は、今更昼の世界じゃ暮らせない奴ばっかだからさ。怖いんだよな、変化が」

「……変わらせねぇよ」


 それは、どこからでた言葉だったのか。

自分で呟いてからカオル自身驚いたが……言ってみると「そうだよな」という気分になる。

そう、変わらせなんて、しない。

愛着が、確かに彼の心の中に根付き始めていた。


「兄貴がそう言うなら安心だな」

「ああ」


 マッシュが慕ってくれるからではない。

カオル自身、この街はもう、彼の住処になっていたのだ。

ならば、ここは故郷のようなもので、そして、守らなくてはならない「家族の住む世界」だった。

街の外からの都合で、いいように変えられてたまるものかという怒りが湧き……カオルは、確かな力が拳に宿っているのを感じていた。




 その後も二、三マッシュから話を聞いたが、最初の二つ以外は大したものでもなく、「時間の無駄だな」と感じた辺りで打ち切るようにして歩き出す。

去り際もマッシュは「またな兄貴」と声をかけてくれたが、カオルはその顔を見ずに「ああ」とだけ返し、立ち去った。

このくらいの関係が心地のいい距離感だった。


「やあ、また会ったねえ」

「知らんな」

「あっ、ちょ――」


 そうして、一人で歩いていると遭遇する紳士風の変人も一言でスルーし。

後ろで何事か喚きながらも追いかけてくる様子がないのを確認し、帰路についた。

店の看板が目に入った頃には、安酒の酔いは、すっかり醒めてしまっていた。



「おや、今帰ったのかい」

「マダム……まだ起きてたんですね」

「一度寝た後さ」


 店に戻るや、マダムが安楽椅子に揺れながら、一服していた。

ぷは、と、口から煙を吐きながら、顎で近くの椅子を指し、座るように促す。

逆らう理由もないので、カオルは素直に椅子に腰かけた。


「これから、ちょいとうるさい客がくるって話があってねえ……丁度いいから、あんたも同席しな」

「うるさい客っていうと?」

「軍人だよ。あんたも前に見ただろう? フランに言い寄ってる奴さ」

「ああ、あの……またフランに?」

「そういう事。最近は何かに焦ってるようで、色々声が強くなってきたからねえ……ここらで何かやらかすんじゃないかと」


 面倒だがねえ、と、ぷかぷかとタバコをくゆ(・・)らせ、椅子を揺らす。


「軍人さん相手だと、俺でも勝てないかもしれませんけど」

「ああ、喧嘩なら気にしなくていい。イザベラも裏で控えてるしね」

「イザベラが?」

「娼婦なんてやってるが、イザベラはれっきとした犬獣人だからね。腕っぷしもあんたよりずっと強いだろうよ」

「それはまた……」


 今は姿こそ見られないが、確かにイザベラの負けん気の強さなら、喧嘩が強くても不思議ではないように感じられるから不思議だと、カオルは苦笑いした。


「どちらかというと、その軍人の態度から、何を考えてるのか見て欲しいのさ。あんた、そういうの得意だろう?」

「……得意かどうかは分かりませんが」


 確かに、相手と話していて、相手が何を考えているのかを察するのは得意だった。

あくまでなんとなく、そして何の根拠もないことではあったが、察した事の大半は当たっていて、それによって危機を回避したりもする。

いくつかの『仕事』を任せた後、マダムはカオルのそんな能力に気づき、それからはこうして「面倒ごと」に同席させる事が増えていった。

今回もまた、その類なのだとカオルは認識する。


「なに、いきなり殺しに来ることはないだろうさ。そういう意味じゃ薬中毒の変態よりは扱いやすいさね。ただ……地位のある奴ってのはそれだけ腹芸もしてくるってのが面倒でね」

「馬鹿な方が扱いやすいって事ですね」

「ほんとにね。ま、今回も問題にはなるまいが……保険は欲しい」

「それで俺に、と」


 万一の保険。

そういう考えがあるのなら、確かに自分が居た方がいいに違いない。

場合によっては、命がけででもマダムを守る必要もある。

そういう時、相手の考えをある程度でも先読みできれば、被害を減らせるかもしれないのだ。

家族を守る為なら、それは必要な事だと確信が持てる。


「任せてください。上手くやりますよ」

「頼もしくなったじゃあないか……それじゃ、頼んだよ。とりえず、そこにある服に着替えな」


 顎で近くの棚を指し……カオルがそちらを見ると、棚の上に衣服が置かれていた。


「服……? あ、これ……」

「いつまでもボロくさい服を着せてられないからね。それを着て、店の従業員としてお客に見られても恥ずかしくない佇まいができるようになりな」


 用意されていたのは、白いシャツと黒のごわごわとしたズボン。

色合いは今までと変わらず、それほど目立つものではなかったが。

だが、今まで自分が着ていたぼろい服と違い、新品の輝きを持つ、そんな衣服だった。


――認められた。


 なんとなくそんな気分になり……カオルは、嬉しくなった。

興奮し飛び上がりたい気持ちになったがマダムの手前それは我慢し……緩む頬を抑えきれず、にまにまとしてしまう。


「ありがとうございます」

「だらしのない顔だねえ……服くらいで。ま、とにかく任せたよ」

「任されました!」


 気合は十分だった。

これからくる軍人がどんな相手なのか、直接対峙した事はないので緊張はしていたが……それでも、乗り切れる気になった。



 喜びのまま、着替えるために席を立ち、部屋に戻る。

屋根裏部屋までもう少し、というところで、ハシゴの手前でフランと鉢合わせた。


「あ、カー君、おかえりなさい」

「ただいま。今終わったところか?」

「ううん、今日はお客が付かなくって……マダムから『今日は部屋で休んでな』って言われちゃってね?」

「ふぅん……」


 マダムからそう言われた理由はカオルも察したが、わざわざ「実はこれから例の客が来るからさあ」なんて軽口はつかない。

余計な事は言わず、「ん」と、手に持った服を見せた。

喜びを分かち合いたいのだ。


「あれ? これって……カー君! マダムに認められたの!?」

「やっぱ認められたって事なのかこれ? いや、さっき『これに着替えな』って言われてさ」

「認められてる認められてる! わあ、おめでとーカー君! こんな短期間でマダムに認められるなんてすごいよ!」


 すごいすごい、と、素直にはしゃいでくれるフランに悪い気はせず。

カオルは照れながら「そうか」と、嬉しい気持ちが込み上げてくる。


「早速着替えて見せてよ! 今日はまだ、寝ないんでしょう?」

「ああ、着替える……いや、これから仕事があるからさ」

「お仕事かー……うん。頑張ってね。まずはカー君がそれに着替えた所見たい」

「ちょっと待ってて」



 見せて見せてと満面の笑みでお願いしてくるフランを残し、はしごを駆け上るように昇っていき……そして、すぐに服を脱ぎ捨て、着替えた。


(サイズ、ぴったりだな……)


 事前に寸法を測った訳でもなく、だというのに過不足なく。

今までの服と細部は大差ないはずなのに、どこかシュッとした印象を受け、「これはいいな」と、頬が引き締まる。

そうして、フランを待たせている事を思い出し、すぐにハシゴを飛び降り、下で待つフランの前に立つ。



「ど、どうだ?」

「わあ……いいなあ。うん、格好いいよ! どこに出しても立派な『若いの』って感じ」

「『若いの』?」

「そそ。下働きの人がね、長く務めたりして店主から認められると、『ウチの店の若いのが~』って呼ばれるようになるの。だから『若いの』」

「なるほどな」

「若いのになるとすごいんだよ? お給金だって増えるし、どこに顔を出しても『あの店の若い奴か』って言われて注目されるし……人によっては、店主の名代になったりするんだから」

「それはすごいな」

「えへへ、すごいよねえ。おめでとーカー君! なんだか私まで嬉しくなっちゃったよ~」

「ありがとうなフラン。フランのおかげだよ」


 カオル自身は、彼の思うまま、やれるようになっていただけだった。

だから、今自分が身を立てられるのは、今目の前に立つこのフランのおかげ。

例え自分がこの先出世したとしても、それは自分を拾ってくれた、この少女が居たからなのだ。

その初心を、彼は忘れていなかった。


「そ、そぉ~? なんだかそう言われると照れちゃうなあ……あっ、今度お祝いしようね! 私、美味しい料理作るよ!」

「楽しみにするぜ……んじゃ、俺、戻るわ」

「うん、頑張って!」


 ぐー、と、拳を握って見せながら見送ってくれるフランに「やっぱり可愛いなあ」と、頬が緩むのを感じながら。

カオルは、『面倒くさい客』の対応の為、マダムの元へと急いだ。



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