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嘘つき女神と0点英雄  作者: 海蛇
11章.ラナニア王国編3-記憶をなくした英雄殿-
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#1.夜街の下働き・カオル


「……うん?」


 目が覚めると、そこは見知らぬ場所だった。

目の前はクレーター状の大地。

顔を上げ見渡すと、不自然にその周囲だけが凹んでいて、周りは緑豊かな森が囲む。


「なんだ、これ……痛っ」


 立ち上がろうとして、全身に強い痛みが走る。

何が起きているのか解らず顔をしかめ……やがて、自分の視界が狭まったり明滅したり……とにかくおかしいことに気づく。


(意味解んねぇ……なんで、こんな)


 痛みはなおも走る。

激痛と鈍痛。

じわじわと迫りくる、気が狂いそうなほどの痛みに……しかし、彼は妙な慣れを覚え、なんとか立ち上がる事が出来た。


(とりあえず……どこか、いかないと)


 こんなところに居ても仕方ないのは解っていた。

寝ころんでいれば助かるならそうしたかったが、そんな場所で倒れていても、そのまま行き倒れて死ぬのが関の山だろうと。

そう思ったから、彼はなんとか歩き出す。

左足が棒のように動かず、引きずるようにして歩いた。

歩いているうちに段々足が元に戻って来たのか、自然に歩けるようになっていた。

そうしていると、次第に身体の痛みが薄れてきて……「くー」と、腹の音が鳴る。


(ああ、腹、減ったな……)


 こんなに腹が減ったのだから、自分はきっと、さっきまで行き倒れていたのだろうと。

空腹のあまり意識を失うか何かして、気絶していたに違いない。

だから、あんな変な夢を見たのだろう、と。

そんな事を考えながら、遠くの方に見える城壁へと向かおうとしていた。


 だが、そんな時、近くから「あそこだ!」「急げ!」と、物々しい集団の声が聞こえ……彼は、思わず隠れるように、茂みの中へと入り込む。


(なんだ……? 誰か、来たのか?)


 誰が来たのでもいいのだが。

ただ、自分がそこに居るのはまずい様な気がして、そこに現れたのが何者なのかは確認せず、気のままに走り出した。走れた。




(……むう)


 そして、行き倒れた。

空腹過ぎて訳が分からない。

なんとか街の近くまで来れたようだが、それ以上先に進む事が出来ず、倒れ込んでいた。

間抜けすぎる有様だった。


(ここまでか? まあ、人生なんてそんなもんかもしれんな)


 なんで自分がこんなところに居るのかも解らないが、そこまで生にこだわりはなかった。

――死ぬなら死ぬでいい。生きるなら生きたいが、無理なら別にいい。

それくらいの感覚。ただぼんやりとする意識の中、誰かの顔を思い出しそうになって……意識がそちらに向く。


(ああ、誰だろうなこれ……耳が。猫耳? 猫耳の……かわいい子だ、な)


 どこかで見かけた娘さんだろうか?

街か何かで見て、気になって意識に残ったのか。

それとも、故郷か何かに残してきた幼馴染だろうか?

もしかしたら恋人かも知れないなんて思いながら……やがて、「いやそれだけはないな」と、変に真顔になってしまう。


(俺なんかがあんな可愛い娘、彼女にできる訳ないじゃん)


 不意に笑えて来た。

人は死に直面すると、自分の気持ちに素直になるものである。


(でも……ほんと、だれ、なんだろう、な……)


 重たくなる(まぶた)

意識はどんどんと遠くなり。

やがて音すら聞こえなくなり。


 うっすら、「ああ、これが死ぬって事か」と、観念し。

彼は――カオルは、そのまま意識を失った。





「――だからぁ、こんな()拾ってきても、何もいいことないって言ってるしょー? ただでさえ生活苦しいってのに」

「そんな事言ったって……見捨てられなかったんだもん。仕方ないじゃない!」


 どこかで声がした。

遠いところから聞こえていた声が、だんだんと近くなってきたように感じ。

そうして、意識がはっきりしてくる。


「……お、目覚ました」

「ほんとだ……よかったぁ!」


 またもや知らない景色だった。

意識を失う前までの、森の中とは違う光景。

かび臭くて、夏場だというのに妙に寒々しい、隙間風の入るボロ木を組んだような部屋だった。

部屋ではないようなものを無理やり部屋にしたような、そんな感じの。

そうして声の方を見ると、女の子とお姉さんが自分を見ている事に気づく。


「ここは?」

「夜街の『偽りの花園』だよ?」


 気だるさの中、とりあえずで質問してみたのだが、女の子から解らない単語で返されて困惑してしまう。

カオルには、それがどんな意味を指すのか解らなかった。


「えっと……夜街って?」

「えっ、夜街は夜街よ? 知らないの?」


 そして続いての質問も困ってしまう返しで。

なんとか半身を起き上がらせながら、「どうしたらいいんだこれ」と、ためらいがちにもう片方のお姉さんを見る。

犬のような耳を頭につけた、気の強そうな釣り目のお姉さんである。

ため息をつきながら「あのさあ」と、少女をたしなめるようにそのおでこを指でつついていた。


「あいたっ……もう、何するのっ」

「夜街って言われて混乱してるんだよ? 夜街の意味を知らないに決まってるしょー? 余所者なんて、自分の町や村にそういうの(・・・・・)がない人だって多いんだよぉ?」

「あ、そ、そうだったの? ごめんなさいイザベラ。私、そういうの知らなくって……」

「まあ、そうでしょうけど」


 つっつかれて食ってかかろうとしたのに、説明を受けるやすぐに「ごめんごめん」と、申し訳なさそうに頭をかきながらぺこぺこ謝る少女を見て、カオルはすぐに「このイザベラって人の方が話しやすそうだな」と感じ取った。

少なくとも彼女の方が年長だし、この子よりは物知りなのかもしれないと思えたのだ。

そんな彼の視線を感じてか、イザベラと呼ばれた犬耳お姉さんも見つめてくる。


「夜街っていうのはさ、大人の男や女が、自分の性欲を満たす為に来る場所さ。男が女を買ったり、女が男を買ったり。まあ、別に男が男を買ってもいいし、女が女を買う事もあるけど、さ」


 そういう場所な訳、と、ウィンクしながら説明してくれたので、カオルもすぐに「なるほど」と理解できた。

性欲を満たす。相手を、買う。

記憶を失った彼だって、それくらいはっきり言葉が重なれば解るというもの。


「エロい事する為の場所か」

「そういう事。んで、あんたは街の外で行き倒れてたのを、この娘が拾ったんだけどさ」

「あっ、フランシーヌっていうの。フランって呼んでね!」

「そういう事だったのか……ありがとうな、フラン」

「いえいえ、どういたしまして!」


 はっきりと事情を説明されて、ようやく自分の立ち位置を理解する。

自分は行き倒れ。そして、彼女達に救われたのだ。


「偽りの花園っていうのは、店の名前?」

「そうよ。私は見習いなんだけど……イザベラは、お店で一番の人気者なの!」

「へえ、そうなのか……あ、俺は……カオルっていうんだ。名前以外思い出せないが」


 助けてもらった恩人に、名前の一つも名乗らないのは流石にどうかと思えたのだが。

名前の後に続けようとした自己紹介が、何一つ思い出せず、苦笑いと共に素直に白状した。

それを聞いて顔を見合わせていた二人だったが、イザベラは「ふん」と鼻で笑いながらカオルの鼻先に指を当てる。


「……そんな事言って、『寄る術もないから養ってしてくれ』なんて言われたって、あたしらそんな余裕ないからね?」

「いや、そんなつもりはないんだが」

「どーだか? よく居るんだよね、貧乏暮らしが嫌になって都会に出てきてさ、心優しい都会娘の良心に付け込んで、楽していい眼見ようって()がさ!」


 これだから男は、と、勝手に憤慨し勝手に興奮し始めるイザベラに、カオルも「参ったな」と、頬をぽりぽり。

本当に記憶がないのだが、確かにそれを見ず知らずの人に証明する手立てなどなかった。

何者を証明するのは、とても大変なのだ。


 ただ、幸いか、フランは彼に対し疑いの目を向けてはいなかった。

というより、イザベラに対して「ちょっと言い過ぎよ」と、抗議めいた視線を向けていた。

それを受けて、イザベラもひとまず落ち着く。


「ごめんなさいねカー君。イザベラって昔悪い男の人に騙されたことがあって……記憶がないとか、不幸な事があったとか聞くと、つい……ね?」

「ああ、そういう事か……いや、確かに俺自身、胡散臭いかなとは思ったんだが……カー君?」


 この娘は自分の味方になってくれそうで助かると思った反面、奇妙な違和感を覚え、自分の呼び名に気づく。

イザベラはというと、バツが悪そうにそっぽを向いてしまっていた。

ただ、そっぽは向きながらも、犬耳はカオルの方に向いていた。

まるっきり、気にしていない訳ではないらしい。


「うん! 私ね、あだ名付けるの好きなの! イザベラも、本当の名前はレイジェルオール――なんとかっていうすごく変な名前だからイザベラって呼んでるんだけどー」

「人の名前を指して変って呼ばないの! 由緒正しき名前なんだからね!」

「由緒正しき人はこんなところで娼婦なんてやってませんーっ」

「そ、そんな事……! と、とにかく! 人の名前で遊ぶ癖、いい加減やめなさいっ」

「えーっ、別に遊んでないし! 実際呼びやすくなるんだから良いじゃない! ね? カー君もその方が親しみがあっていいと思わない? 私は良いと思うなー……だめ?」


 コントのようなやりとりの後、真顔になって顔を近づけ上目遣いで見てくるこの少女に……カオルはつい、気恥ずかしくなってしまった。

だから、顔を背けながら「まあ、そういう事なら」と、なんとか返す。

すると、フランは華のように笑いながら「やたっ」と、小さな拳をぐっと握った。


「いいって? ほら、カー君それでいいって言ってくれたよ? だからいいよねー?」

「ああもう、人の名前の事になるとほんとうざいわねあんたは……別に、本人がそれでいいならいいんじゃない?」


 面倒くさいわねえ、と、若干のイラつきも交えながら、イザベラはヤケクソ気味に頷いて見せた。

それを以て、フランの勝利が決まったのだ。


「えへへー、勝利勝利。勝利っていい響きだよねー。カー君もそう思わない?」

「まあ、そうだな」

「私好きだなー。憧れるなー。勝つと明るくなれるし!」

「まあなあ」


 勝てればそれは嬉しいだろうな、程度の考えで頷いて見せるが、イザベラはと言えば……難しそうな顔をしていた。

腕を組み、じ、と、フランの顔を見つめながら。


「――それまでにしとこ。んで、カー君? あんた、どうするつもりよ? ヒモになる気がないなら、下働きでもするの? それとも男娼(だんしょう)にでもなる?」

「下働きって?」

「んー、まあ、大した給金もないだろうけどさ、働く気があるなら、『マダム』に口を利いてやらない事もないけどぉ?」


 男娼という単語は本能的にスルーしたが、下働きという単語にはぴく、と眉が動いてしまっていた。

それを見てか、イザベラも「そんな気があるのか知らないけどね」と、わざとらしくカオルを上から下まで値踏みするように見て……小さく息をついた。


「ま、行き倒れに今すぐどうしろって言っても酷か。お腹空いてるでしょ? 一食くらいなら食べさせてやるわよ」


 待ってなさい、と言いながら背を向け、そのまま出て行ってしまう。

後に残されたフランを見ると、「ごめんねえ」と、愛想のいい笑顔を向けてくれたため、カオルはちょっとだけ安心できた。

何も解らない環境。しかし、この少女の存在は癒しのように思えたのだ。




「イザベラってね、あんなだけど、すごく優しいのよ? 私もここにきてまだ三年くらいだけど、男の人を相手にするのって怖くて仕方なかったから……そんな私に、いつも『男なんて大したことないから』って元気づけてくれてたの」

「まあ、言葉の端々からいい人だろうなあという気はしたよ」


 初対面だし、本心でどんな事を考えているかは解らなかったが、見ず知らずの自分の話を聞いた上で、食事までとらせてくれるのだ。

これが本当に最初から拒否する気なら、話も聞かずに追いだしていたに違いない。

そう思っていたから、カオルもフランのフォローには頷いていた。

それが嬉しくて、フランは顔をほころばせる。


「えへへ、ありがとう解ってくれて……家族を解ってもらえるのって、嬉しいよね」

「家族? イザベラとは家族なのか?」

「うん! そうよ、ここのお店の人は皆家族! だって、ここに来る人は皆、それまでの自分を捨てた人ばかりだから……」

「それまでの、自分を……」

「私もそうだし、イザベラもそうらしいし……マダムも、そうなんだって話してたの聞いた事あるわ! 夜街で働く人はね、皆、心に傷を持つ、忘れたい何かから逃げてここに来た人なの。カー君は違うかもしれないけど……でも」


 それでも、と、顔を近づけながらにじ、と見つめられる。

先程よりも近く。鼻と鼻とがぶつかってしまうほど近く。

カオルは、思わず赤面してしまった。

濃い飴色の瞳が、自分の瞳を覗き込んできたのだ。

それが何故か、懐かしく。

自分の心を強く打つのを、感じずにはいられなかった。


「――でも、カー君も、家族になってくれたら嬉しいなあ」


 そうなれたらきっと楽しいから、と。

純粋な好意が、そこにあったように思えたのだ。

自分も知っている、そんなものを。




「――へえ、あんたがねえ」

「やれることはなんでもやります」


 その日の夜。

カオルは、イザベラやフランに連れられ、店主である『マダム』の前に立っていた。

食事を運んできたイザベラに「ここで働きたいので口利きをお願いします」と頭を下げ、こうして紹介してもらったのだ。

皺の多い顔立ちに高そうな扇子を持った、『マダム』の名に恥じない品のある老婦人だった。

その眼は歳の功を感じさせるだけの威厳があり、じろ、と睨まれ、カオルは緊張を覚える。

だが、怖くはない。これくらいなら、怖くもなんともなかった。


 その自信を感じてか、マダムは「ふぅん」と、感心したように掛けていた椅子の背もたれにもたれかかる。


「悪くない面構えだねえ。男娼にしたら売れっ子になるかも」

「あ、すみませんそっちは」

「当り前さ、ウチは女娼(めしょう)専門だよ。しかしいいのかい?」


 ちら、と、イザベラとフランに目を向け、またカオルを見やる。


「ウチの店は店の娘に手出しするような下働きは問答無用で袋叩きにしてゴミ捨て場行きだよ? イザベラかフランか……どっちか目当てなら、余所で働いた方が良いと思うがねえ?」

「別にどっちか目当てでもないからそれでもいいですよ」

「どうだかねえ……ま、そういう事なら働かせてあげようか。住み込みだろう? 食事くらいは出してやるよ。だけど、給金は『スズメの涙』だよ?」

「あ……」


 別にそれで全く不満もなく、とりあえず住む場所と食事が得られるなら、それで十分だと答えようと思ったのだが。

だがカオルは、マダムの言葉がどこか懐かしく思えて……つい、変な声を上げてしまった。

何故そんな言葉に懐かしさを覚えたのかも意味不明で、自分でも困惑していたが。


「うん? どうかしたね? やっぱり納得いかないかぇ?」

「あ、いえ。それでいいです。なんか、マダムの言葉、どっかで聞いた事があった気がして」

「……言葉?」

「スズメの涙って」

「ふぅん……これはねえ、私の故郷の言葉さ。あんたがご同郷でもない限りは、どこぞの街かで誰かから聞いたんじゃないのかい?」

「多分そうだと思います」


 マダムの故郷がどこかは解らないが、それ以上に自分の故郷すら思い出せないのだ。

何故そんな気持ちになったのかも解らなかったし、すぐにそんな気持ちも薄れてしまった。


「あんたがどこの生まれかとか、過去に何をやってたかとかはわざわざ聞くつもりもない。犯罪者だったとしても気にしないさ。この店に、この夜街に迷惑が掛からないなら、そんなものは意味のないものだからね」

「何も覚えてないですけど、流石にそこまで大層な過去なんてないだろうから、助かります」

「とりあえず、あんたの仕事は遣い走りに風呂掃除とゴミ片付け、それと『仕事』が終わった後の部屋の掃除係だよ。今夜はいいから、明日から仕事に入ってもらう。部屋は――」

「あ、私が案内するねっ。ついてきて」


 マダムが伝えきる前に、フランが先んじてカオルを案内する。

どうやら口利きしてくれた時にどこの部屋に住まわせるかは決まっていたらしく、マダムも「仕方ないねえ」と、フランの去っていった後を見やっていた。


「ま、フランについていけばいい。さっきも言ったけど、店の娘に手を出すのは厳禁だよ」

「あ、ええ……はい」

「大丈夫よマダム。もしあの娘に何かしようとしてたら、あたしが股間を食いちぎってやるから」


 この牙で、と、鋭い犬歯を見せながらにや、と笑うイザベラを見て……マダムは「その牙は見せないで頂戴」と、苦笑いした。

実際問題、カオルにも顔だちの整っているイザベラが、そこだけが恐ろしげというか、歪に見えていた。

マダムに諭されてか「はーい」とつまらなさそうに牙を隠し、だらん、と腕を下げる。

雇用主と従業員というよりも近しい関係が、そのやりとりからうかがえた。


「あともう一つ――うちの店に入ったら、そいつはもう『家族(ファミリア)』だよ」

「家族……」

「そうさ。だから、家族の喜びは共に分け合い、家族の悲しみは皆で分かち合い、家族の苦しみは皆で解決する。例え下働きだって同じさ。その重みを、忘れないで頂戴な」


 解ったかえ? と、眼を細めながら見つめてくるマダムに……カオルは「ええ」と、力強く頷いて見せた。

それは、彼にもよく解る概念だったから。

全く何も知らない環境ではあったが、そこだけは同じだったから、素直に受け入れられた。

その迷いなき返答に、マダムも満足そうに頷き、フランの去った先を指で示す。


「あんたの部屋は屋根裏だよ。二階へ行きな。フランが待ってるよ」

「解りました」


 こんなに敬語を使うのは久しぶりだな、と、妙な事を考えながら。

言われたままにフランを追いかけ、階段を上っていった。



 カオル達が去った後。

わずかな沈黙の後、マダムがまた、口を開く。


「――フランが怖がらなかったって?」

「怖がるどころか、自分で拾ってきましたからねえ」

「あたしゃてっきりあんたがまたダメ男にでも騙されたのかと思ったよ。フランをダシにしてここに連れて来たって」

「そんな訳――! わ、私、もう騙されませんし!!」


 からかいながらに視線はそのまま、カオル達の去った方を見つめ。

すう、と、眼を線のように細めながら、マダムは「どうだろうねえ」と呟く。


「カオルと言ったか……どうにも奇妙な感覚を覚えるねえ……果たして、この夜街に居ていい者なのかどうか」

「マダムを前にして微動だにしなかったもんねえ。その辺の男なら前に立つだけでガタガタ震えちゃうのに」

「その辺にいていい様な男じゃないのは確かだねえ。肝も据わってる、だけじゃない。ありゃ相当の修羅場を踏んでるねえ。そんな『眼』だよ」

「『スズメの涙』も解るもんね? マダムとご同郷?」

「さあ、どうだか……もしそうだとしても、記憶を失ってちゃ話も盛り上がらないだろうしねえ」

「……私は、その記憶喪失設定、信じてないんだけどね」

「別にそれでもいいさ。この街は、どんな者だって受け入れるよ。あたしも、家族さえ傷つけられないなら、何だっていい」


 くたびれたようにスローなペースで話し始め……自然、イザベラはマダムの椅子の後ろに回り込み、ずり下がっていたひざ掛けを掛け直す。


「おや、悪いねえ」

「まあ、これくらいは……でもマダム? なんで彼だけ大丈夫なのかしら? 見た感じ、ちょっと鍛えてる程度の男でしょ? 優男って訳でもない」

「そんじゃ、外見じゃなく中身の方で見てるって事じゃないかい?」

「……中身って」


 それはちょっとロマンティック過ぎないかしら? と、不満そうに眉を(しか)めるイザベラであったが。

マダムは目を瞑りながら、小さくこくりと頷いて見せる。


「いいじゃないかい。あの娘はあの娘の直感を自分で信じただけだろう? あんただってほら、どこぞの優男に丸め込まれて『これが真実の愛なのよ』なんて言ってたじゃあないか」

「そ、そそそそれは! だ、大体それじゃ、フランも悪い男に騙されてるって事になっちゃうじゃない!」

「さーて、それはどうだかねえ……あんたよりフランの方が男を見る眼はあるかもしれないし」

「そんなはず……私だって沢山の男を見て来たし……今までは、きっと……そう、私の魅力で狂ってしまっただけよ!」

「……ま、そういう事にしとくかねえ」

 

 そんな訳あるかと心の中でツッコミを入れながら。

マダムはゆったりと力を抜き……それきり、静かな寝息が聞こえてきた為、イザベラは静かにカオル達の後を追いかけた。




「――ここが、これからの貴方の部屋よ! 自由に使ってね!」


 フランから案内された屋根裏部屋は、半分以上が謎の箱で埋め尽くされた物置だった。

ベッドらしいものもなく、辛うじて埃を被った破れたソファーが一つ、ポンと置いてあるだけ。


「中々に個性的な物件だな」

「う……?」

「あ、いや、まずは掃除からしないとなってな」

「うん、そうだね! まずはお掃除から……私も手伝うから、安心してね!」


 お掃除には自信があるから、と、妙な自信を見せるフランに、カオルもつい「変わった子だよな」と変な笑いが出そうになる。

だが、確かに掃除から始める必要があった。


「まあ、手伝うにしても、あたしたちはこれからお仕事だから、とりあえず今夜は、このまま我慢してほしいかなあ、なんて」

「そういえば、さっき俺が寝てた部屋って?」

「ああ、あれは私の部屋! マダムにも相談せずに勝手に連れ込んでたから……ごめんね、ちゃんとしたベッドとかは、娼婦にしか与えられないんだって」


 この屋根裏部屋とは明確な差があったが、「それも仕方ないな」と、すぐに受け入れられた。

見習いとはいえ、彼女はこの店で身体を売っているのだろう。

それがこの店の儲けに繋がるのだから、扱いは相応に良いに違いない。

そして、下働きは特に金を産むわけではない。

それどころか、今日まではいなくてもよかったものを雇ってもらうのだ。

だから、多少の不遇は我慢するつもりだった。


「いや、むしろありがたいくらいだぜ」


 感謝しないといけない。

そう思うからこそ、カオルは素直に笑っていた。

笑いながら、胸を張って。

これからの生活を、頑張るつもりになっていた。

記憶を失っても、彼は彼のままだった。



(……ふぅん)


 そんなカオルを、遠目で見つめながら。

イザベラは、どこまでが本気なのか解らないながらも、いくらか謙虚な姿勢を見せる彼に「確かに他の男とは違うようねえ」と、先程までよりはマシな心境になっていた。

疑いばかりだったが、もしかしたらいくらか見るべき部分もあるかも知れない。

そう思いながら、埃まみれのソファに埋もれて見せる青年とそれを見て笑う妹分に、癒やされる自分を感じていた。


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