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嘘つき女神と0点英雄  作者: 海蛇
10章.ラナニア王国編2-『民主主義』を止めよ-
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#19.怪獣大決戦


(あー……いってぇ……)


 全身に走る激痛。

身もだえる様な苦痛の中、カオルは身体がピクリとも動かないのを感じていた。

四肢は既に損壊していたが、痛みばかりがありもしない指先やつま先から伝わり。

その痛みが、今のカオルを辛うじて正気にとどめる。


「ふん……この姿になった以上、しばらくの間は食欲と性欲が抑えきれん……魔人に襲撃されたことにして、どこぞへと身を隠して……」


 魔人ベリアはといえば、ボロ雑巾になったカオルの身体を離し、何事かぶつぶつと呟いていたが、既に機能の大半を失ったカオルの耳には、何を言っているのかが理解できなかった。

ただ、カオルの事は完全に死んだと思い込んだらしく、背を向け、尖った犬耳をぴくぴくとさせている。


(……猫耳がこっちに向いてる時は、こっちに意識を向けてる証拠、なんだっけか)


 犬耳の時はどうなるかは解らないが、などと、相棒の猫耳少女の時と照らし合わせ、まだベリアの意識が完全に自分から逸れた訳ではないと判断。

そのまま死んだフリを続ける。

恐らくは、そうしている間は意識を向けこそすれ、わざわざ確認したりもしないだろうと。

少しでも回復の時間が欲しかった。

手足が修復するまで。できれば全快するまで。

このまま、自分に勝ったと思い込んだままどこぞへと去ってくれれば、回復した後に追いかけられる。

姿が変わる前の顔も見ている。どこぞへ潜んでも、いつかは見つけられる自信があった。


「あああああああっ! いかん、欲望が抑えられん! まずはその辺の村娘でもさらって、それから巣ごもりをして……くそっ、こんな身体にさえならなければ、理性的に生きる事だってできたはずなのに……!!」


 やがて頭をブンブンと振り、手で押さえ。

苦悩するように何事かのたまい、そして足早に去ろうとした。


 そんな時である。



「――待ちなさい!!」


 女の声がした。

絶大なインパクトの末クレーターだらけになったかつての森の中。

コルッセアの方角から背を向けたベリアが、ぴたり、足を止める。


「うん……?」


 声の方角に立っていたのは、異国じみた出で立ちの乙女だった。

金髪の、整った顔立ちの年頃の娘。

鎧などはまとっていなかったが、赤いタウンドレスの上に防具のようにベルトが巻き付けられ、腰のベルトから垂らされている鞘にはショートソードらしき剣が納められていた。


(冒険者か? まあいい。都合がいいな……身体つきも、それほど悪くは)


 自分に対峙する向こう見ずな娘を前に、下卑た事を考えていたベリアであったが。

その金髪の娘は、何故か怒ったような表情で、すう、と大きく息を吐き――


「――貴方が私の名前を名乗って暴れ回ってた魔人ね!? 貴方の所為で迷惑してたんだから! 責任取りなさいよ!!」


――そんな事をのたまった。


「お前、何を言っている?」


 あまりにも突拍子もないこと過ぎて、ベリアは一瞬、唖然としてしまったが。

呆れたようにそう返すと、娘は「はぐらかさないで」と尚も強気な口調で問い詰める。


「この魔人レイアネーテの名を騙って好き放題してる魔人って貴方でしょ!?」

「……レイアネーテ、だと?」


 その名には聞き覚えがあった。

今しがた殺したはずの若造の名である。

魔人らしくしぶとかったが、自分の剛腕の前には敵ですらなかった。

そう思っていたが……「そうか」と、ベリアは口元を歪めた。


 改めて上から下まで相手を舐め回すように見ていた。

容姿はやや幼くも見えるが悪くない。胸がやや成長が足りていないが、腰回りから下は十分に女として扱えるだけ育っている。

何より魔人である。人間と違いとても頑強で、乱暴に扱っても簡単には壊れたり死んだりしない。

――これからしばしの間理性が消える私には、都合の良い玩具ではないか。


 そんな部分をまず確認してしまう、理性の消えかけた自分に呆れながら。

ベリアは、熱のこもったため息混じりに、醜く裂けた口元を歪める。


「お前が、本物か」


 それならそれで都合がいいと。理性と欲望とが交わりあい。

先程殺した若造の正体など追求する気にもなれず、目の前の女魔人を見やった。

怯えた様子などなく、勝気に自分に指さす小娘を。


「貴方! あれでしょ!? スライムっ」

「うん?」

「私の妨害する為に、レナスにスライム放ったでしょ!」

「何を言っている……?」

「隠しても無駄よ! きっとそうだと思ったのよ、何かおかしいって!!」


 早口でまくしたてる為困惑したが、よくよく考えればそれは彼にも思い当る所があり。

やがて、彼の心の中に怒りが戻りつつあった。

そう、自分の邪魔をしたのは、レイアネーテ……つまり、この女魔人なのだった、と。


「そうか、お前がレナスにいらん混乱を引き起こした元凶かっ! どうりでおかしいと思っていたのだ! あの近辺にオーガが居るなどっ!!」

「やっぱりそうだったのね! 許せない! 貴方の所為で私はベギラスから三日三晩お説教され続けたんだからね! 今日だって怒られたし!」

「黙れっ! 私の邪魔をしおってっ! 私のっ、私達の理想をっ、私達の民主主義を邪魔しおってぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

「何勘違いしてるのよ! 貴方が私のラナニア侵攻の邪魔したんじゃない! 逆切れするのやめてくれる? みっともないんですけど!?」


 互いに互いの主張は食い違っていたが。

互いに互いの事を敵と認識し、新旧魔人は互いに構えた。


 ベギラスは消えゆく理性をそのままに。

口元から涎を垂らしながら、眼が赤く充血していくのを感じながら。

ぼこり、ぼこりとまた身体が大きくなってゆく。


「――躾けてやる! 貴様を倒しボコボコにしてやった後! 私の巣で、その生意気な顔が快楽に堕落するまで辱めてやるわぁっ!!」


 3メートルほどあった身体が、やがて5メートルほどになり。

全身が青い毛で覆われた狼男が、そこに君臨していた。

長い舌をしきりにべちゃべちゃと振り回し涎をまき散らしながら、レイアネーテの身長よりも巨大な尾をビタンビタンと地べたに叩き付けながら。

身を低くした狼男は――歪に縦に歪んだ眼を獲物に向けていた。


「……うわ」


 そんな化け物を前に、レイアネーテは呆れ果てたように幾度も「うわあ」と小さく呟く。

自分に向け性的な視線を向けるのも当然ながら。

わざわざ自分を『躾ける』などと公言し、欲望全開で襲い掛かろうとしているその様に、心の底から侮蔑したような視線を向けていた。


「最低。多分『前回』の魔王の部下だったんでしょうけど、部下がこれだとご主人様の品位が知れるわねぇ」

「ふんっ! あんな奴は主などではないわっ! 無力化した今、私が取って代わってくれるっ! お前はその前菜よぉっ!!」

「しかもなり替わり希望とか、ほんと笑っちゃうくらい品性の欠片もない奴ねぇ」


 ベリアが語れば語るほどにレイアネーテの瞳の嘲笑の色は深まり。

やがて「それなら」と、鞘から剣を取り出し、口元を緩めた。

――笑っていた。

自分を獲物扱いする、恐らく性奴隷扱いするつもりの犬畜生に、本気を出す気になっていた。


「――手加減の必要もないわねっ」

「グルルルルルルルゥゥゥゥゥァァァァァァァァッ!!!!」


 蒼身の狼男が飛びかかるのに合わせ、レイアネーテは前進する。

繰り出された左の剛腕を正面から剣で受けるべく、一気にどん、と一歩、深く踏み込んで、強く息を吐いた。


「ウラァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!」

「グォゥゥゥゥッ!? グォォォァァァァッ!!!!」


 ぶち当たり、衝撃がベリアの腕を揺るがす。

一瞬面食らったベリアは、しかしすぐに右の拳で殴りつける。

顔面に向けて放たれた強烈な一撃。

そしてそれに合わせ剣から離した左腕からも変則的な一撃が胴体に叩き込まれる。

自身の編み出した『必殺技』などではないが、それでも余裕で相手の首を圧し折り、胴体を粉砕するくらいの威力があると思っていた。


「……何? そんなもの(・・・・・)なの?」

「グ……?」


 ベリアの中に、強い困惑が広がっていた。

渾身の一撃を叩きつけたはずの女の顔が、わずかとも凹まず、微塵も歪んでいない。

真横から叩き付けたはずの拳の一撃が、小娘の身体をぴくりとも押し込めていない事に。

そうして、自分を見やる女魔人の、その勝ち誇ったような表情に。


「まさか、それが全力じゃないでしょうねぇ? これだけの事しでかして、『我は魔人でござい』なんてのたまって、こんな程度の力しか出せないんじゃないでしょうねぇっ!?」

「グォォォォッ、舐めるぁっ! ウゴォァァァッ!!」


 再度振るわれた剣に、一気に押し込まれる。

その小柄な身体のどこにそんな力が備わっているのか。

驚愕しながらに距離を開けようとし……しかし、ベリアはそのまま勢いに押され、後じさってしまう。

その間にも放たれる剣撃を鋭利な爪で弾き返そうとして。

しかし、その爪がすぱりと神速の刃によって切り落とされたのに気づき、また驚愕する。


「馬鹿なっ、バカなぁぁぁぁぁぁっ!!」

「散々強者ぶっといて、それはないでしょうがぁっ!」


 どん、と、真っ正面からの一撃が胴体に叩き込まれる。

両手で防いだはずのその一撃が、腕を貫通して胴に衝撃を伝え、内臓を斬り裂く。


「ぐぼぉっ……」


――殺される。


 そんな漠然とした恐怖が、自らの欲に直結した自身の身体を突き動かす。

生存欲が、今の彼に「なりふり構わず攻勢せよ」と命ずる。

ストッパーなどない。ただただ、命令のまま動くのみ。


「うあっ――っ?」


 攻勢一手だったレイアネーテは、真横からの拳に「また同じ攻撃か」とそのまま無視して追撃するつもりでいたが。

実際にはその拳は大きく広がり、華奢なレイアネーテはあっさりと掴まれてしまう。


「ぐぅぅぅ……殺してやる。殺して、しゃぶりついて、食って、犯して……グルルルゥ、ウオァァァァァァァァァァァァァッ!!!」

「くぅっ、力が増した……? こいつ、また大きくなって――」


 今度はレイアネーテが驚く番であった。

余裕で勝てると思っていたが、この魔人、ますます巨大になり、そしてその力を増していく。

自身を握りしめる拳の圧が明確に強くなった事に気づき、抜け出そうと手足に力を籠めるが……ベリアは最早、彼女の()に固執していなかった。


「グヘヒャヒャヒャヒャァッ! しねぇっ、死んで死んで死んで死んで、壊れろぉぉぉぉっ!!」


 ばこん、と、巨大な拳がレイアネーテの顔面へと叩き込まれる。

それでも一度では終わらないと考え、二度、三度、幾度も叩きつけ、身体を握りしめる拳にもどんどん力を入れ、握りつぶしてゆく。

それでも中々潰れない。握った際の感触は若い娘らしく心地よかったが、その後の、虫が潰れる様な感触は中々味わえない。


「こんな、もので――」


 ぎり、と、歯を噛むレイアネーテだったが。

やがて、すう、と全身から力を抜き、眼を閉じる。


「――我らが主アルムスルト様。我らが長バゼルバイト様――どうかお許しを」

「諦めたかっ! ふははははぁぁぁっ」


 その静かな一言が、気弱な最期の言葉に聞こえたからか。

ベリアはニタリ、口元を歪めながら、大きく飛び立つ。

垂直に飛び、遥か高み。

雲すら突き抜けるほどに高く舞った巨躯の魔人がその手に握りしめた哀れな女魔人の首へと膝をあてがい――そのまま落下した。


「――死ねぇっ!! エネミー……バスタァァァァァァァァァァァァァァッッッッ!!!」


 レイアネーテの頭から落下し、強烈な衝撃と共に首へとベリアの重心がのしかかり――がくん、と、その身体を断ち切るかのように叩き付ける。

握りしめられた拳諸共地べたに叩き付けられ、これまで以上の重圧が華奢な身体を押しつぶさんと襲い掛かった。

魔人ベリアの、最強最悪の『必殺技』であった。


「っはぁっ! 『ステイツ』に栄光あれっ! 我らの理想の邪魔者は、ここで消え去ったぁっ!!!」


 生死を確認する必要すらないとばかりに、ベリアは立ち上がりレイアネーテの身体を投げ捨ててサムズアップした。

興奮が収まらない。まるで子供のように「やったぁ」「私の勝ちだ」とはしゃぎながら何度も飛びあがり、自らの勝利を喜んだ。

――また勝った。勝てたのだ。やはり自分は強いのだ。祖国に栄光あれ。

そんな事を確認するように何度も高笑いした後、がらり、足元の地面から聞こえた音に我に返る。


「……開放するわ」


――死んでいなかった。

血の一滴も流れていない。

ただ、多少汚れていて、髪がよれよれになっているだけ。

服すら、破れていなかった。

そうして、ゆらりと立ち上がりながら、手に持った剣を前に、何節か呟く。


「――魔人殺し、発動」


 ぶん、と、剣が光り。

そうして、レイアネーテは後ろ手に剣を構えた。


「貴様っ……貴様ぁっ、我が必殺技を受けて、傷一つ――」

「消え去れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」


 問答などする気もなかった。

驚愕に怯えを見せる雑魚になど、最早興味もなかった。

ただただ、目の前の邪魔な犬畜生を、滅ぼしたいと願ったのだ。

金色に光る瞳が眩く伸びる刃を映し。

1メートル程度しかないはずの刃が、何倍にも伸び――ヒュパ、と、空間を斬り捨てた。


「あ……ぇ……?」


 逃げようとしていたその巨躯は一瞬止まり。

決着は、そこで着いた。


「悪いわね。私『勇者』なの。はるか昔女神アロエ様に頼まれて、この世界に来た異世界の勇者。貴方も似たような境遇なんでしょ? 魔人なんてやってるんだから、それくらい解るわ」

「ああっ……ゆ、ゆう、しゃ……? お前、が……?」


 時間遅れでズレ落ちてゆく胴体を、必死に抑えようとしながら。

その腕すらいつの間にか切断され、崩れ落ちて。

即座に肉体が再生しようとしているのに、断面がジュウジュウと焼き焦げ、細胞が復活しない。

だらだらと血が流れ落ち、やがてそれすら熱に固まり。

ずだん、と、上半身が地べたへ転げ落ちる。

だが、そんな事はどうでもよく。

ただただ、急速に頭と身体が冷えていくのを感じ、理性が取り戻される。


「なん、で……ゆ……しゃが、魔人を……?」

「――信じられなくなったからよ、女神様が。あの人は、私達(・・)を使って罪のない人を殺そうとした。それは本当に正しい事なのか、この世界の為になる事なのか、私にはそれが信じられなくなったの」

「……おなじ、か」

「ええ、多分、同じね」


 理性の戻った顔は、先ほどまでと違い、どこか知性的でもあり。

狼男の眼に、深い後悔の念を抱かせる。


「でも、私達と貴方はやっぱり違うわ。主と定めた者になり替わろうとするなんて、ゲスいにもほどがある」

「く、くくく……お前にはそう思えるのかもしれんがなあ……私とて、世界の為に、人々の為に、生きてきた、末に――」

「貴方、よく喋るわね……」

「民主主義の、何がいけないのだ……私の世界では、そのおかげで人々がまとまり、我が国は強大な、世界のけい、さつに……なれた、のに……」

「知らないわよ。貴方の国ではそうでも、この世界ではそうじゃなかったってだけでしょ。受け入れなさいよ」

「受け入れられる、ものかよぉ……」


 次第にその瞳からは力が無くなっていったが。

レイアネーテは最後まで、その話に付き合ってやることにしていた。

トドメを刺そうと思えば一瞬で済む。

だが、死を懇願するでもなく、語ろうとしている相手なのだ。

殺してしまうのは無粋。それこそ「ゲスな」真似だから、と。


「一緒に来た、仲間は……皆、みんな死んでしまった……世界をより良くしようと、この世界の為に骨をうずめるつもりで、せいぎを、じゆうを、広めたかったのに……なんで、なんで、だれも、わたし達の努力を……」

「……」

「ただ、祖国のすばらしさを、愛した友たちの、ただしさを――うぉぁっ……」


 流れた涙は一筋ばかり。

しかし、最後まで告げる事すらできぬのが無念とばかりに、最後の最期は苦痛に呻くようにして事切れた。

ぱさり、砂になってゆく巨躯を見やり、レイアネーテは剣を静かに振り、鞘へと納める。


「――方法が間違ってたら、正義なんて悪でしかないわ。どんな主義も思想もね」


 はっきりと、その行いは間違いだったと斬り捨て。

サラサラと風に溶けてゆく灰に胸のざわつく嫌な感覚を覚えながら、小さく息をついた。




(……すっげぇ)


 本物が居た。

本物のレイアネーテが現れ、ベリアと名乗った魔人を蹴散らした。

それだけでもすごかったが……その立ち姿、静かに鞘に剣を収める姿が、まるでゲームの中のヒーローのように見えて。

自分の中の「英雄志望」が、途方もなく軽く感じてしまっていた。

本物だったのだ。本物の勇者が、そこにいた。

魔人ではあったが。魔人となってしまっていたが。

そして、その強さは圧倒的だった。あれほどのベリアの猛攻の中、傷一つついていなかった。

なるほど女神様の仰っていた事は本当だったらしい、と感嘆の息を漏らしながら。

未だ激痛が続く身体を、ぴくりとも動かない身体を残念に思いながら、その姿を目に焼き付けていた。


 そうして、レイアネーテの足が、こちらに向いている事にも。


(あいつだけでもやばかったけど……レイアネーテはほんと、勝てる気が全くしねぇ、な)


 棒切れカリバーを数度耐えたベリアを一瞬で切り刻んだのだ。

瞬く間に回復していった身体を、自然治癒ごと無効にしながら。

そんな相手に自分が勝てるわけがないと、そう思ってしまった。

英雄志望と本物の勇者の実力の差。

戦うまでもなくそれを理解してしまい、最早彼には、戦意などなくなっていた。


「――なんか、巻き込まれてる人がいるのよねえ。さっきから気づいてたけど」


 眼を瞑って死んだ振りを継続していたが、それでもかまわずカオルの前で跪いたレイアネーテは、その顔を覗き込みながら、指を(まぶた)に這わせる。


「はい、生きてますよねー? 死んだ振りしてたわよねー?」

「う……」


 その温かな指先で、瞼を無理やり開かれ。

無理矢理に目と目が合わせられ、カオルはうめき声を上げた。

殺意も何もない、ただ見ているだけの眼。

先程までの圧倒的過ぎる戦闘を見せられ、もし身体が万全ならきっと失禁してしまっていたと思う程に、その存在は圧倒的で。

そして……可愛らしかった。


「呼吸音、心臓の音、脈動。それに生気も感じられるし。そんなんで誤魔化せると思うなんて甘い甘い」

「やっぱ、バレちゃった?」

「バレバレよ。でもまあ、変に逃げ出そうとしないのは感心したわ。よくぞ見届けた、といったところね」


 大した胆力だわ、と、感心するように頬を緩めながら、カオルの額に人指し指を当てる。

釣られて笑うカオルに「良い笑顔ね」とにっこり微笑みながら。

その笑顔に、ぞわ、と、良くないものを感じ、身を起こそうとしたが……額に当てられた指の所為で、身体が全く動かない。


「でもごめんねぇ。多分貴方は巻き込まれたただの通りすがりの異世界人さんか人外さんなんでしょうけど、今起きた事を人間達に知られるのはちょっと困っちゃうの。だから――」

「あ……」

「――ちょっと、記憶を失っててね」


 ぴし、と、何かが注がれたように感じて。

カオルはその瞬間、意識が吹き飛んでいったのを感じていた。

どこか遠く、そう、自分の身体が、どこか知らない所に飛んでいくような、そんな感覚の中。


(あ、れ……?)


 やがて視点がブラックアウトし。

何も考えられなくなり。

何も、解らなくなる。


「そのまま寝てれば、ラナニアの軍隊がここに来るはずだから。なんたってコルッセアの近くだしね。『騒ぎの元凶』を探してここに来るはず」


 それまでの辛抱だからね、と、魔人の癖に善人のような笑顔のまま聞かせ。

金髪の魔人はどこぞへと去っていった。

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