#14.姫君の真意
少し間を置き、姫君はまた、エドラスを見つめる。
カオルらも視線をそちらに向け、僅かな沈黙。
「――彼は、彼なりに自分の正義を広めようとしたに過ぎません。彼にとっての正義は、この国の上層――王族が全てを握り動かす、この国の根幹ともいえるものを変えること」
「王制を無くそうとしていた、という事ですか?」
「恐らくは。でも、それが自分だけでは難しいというのは解っていたようです。だから同志を募った。仲間が少しずつ、増えていき、地道ではあるものの、確かに成果として広がりつつあったのです。芽吹いてはいたのに……」
表情こそは変わらないものの、声のトーンは徐々に小さく、どこか辛そうに聞こえていた。
そっと目を閉じ、視線をカオル達に向け、姫君は続ける。
「……ゆっくりと時間をかけていけばいつかは報われたものを、なぜか彼は焦ってしまった。今のままだっていつかは民衆に受け入れられたかもしれないのに、彼は自らの宿願よりも、目先の成果を求めてしまったのです」
「……なあリーナ姫。貴方にとって、王族による支配って、どうなってもいいものなのか?」
姫君の言葉の端々からは、エドラスに対しての同情や悲しみといったものが透けて見えていた。
自身に刃を向けた、ともすれば自分を殺したかもしれない相手に。
それが感じられたからこそ、カオルは疑問に思ったのだ。
――このお姫様は、王制を望んでいないのではないか、と。
姫君はわずかばかりハッとしたように口を開いたが……すぐに閉じ、そしてニコリと微笑む。
それがどんな意味を成すのか、何を思ってのものなのかカオルには解らず、困惑しそうになったが。
「どうなってもいいものではありませんが、必要ならば必要でしょうし、不要ならば不要なものとも思っています」
「不要なら?」
「今はまだ、民衆の心や覚悟が育ち切っていませんから。今エドラスの主張するように民主主義を始めれば、恐らくそう掛からず理想は堕落し、人々の心は今以上に荒んでしまう事でしょう」
「そうならないように民衆が成長したら、王制を無くすことも問題ないって思ってるって事?」
「少なくとも私はそう思いますわ。何もないところから出た荒唐無稽な意見ならともかく、実際エドラスの先祖の方はそれを体験したのでしょうから、人はそうなれるという事でしょうし」
それが良い結末に進むかはまだ解りませんが、と、続けながら、姫君は噛み締めるように目を瞑る。
先程とは別の、話しているのが楽しいというのが伝わる雰囲気を纏わせながら。
「王族としては問題かもしれませんが、私自身は王制にはそれほど拘りもありません。仮に今王制が覆ったとしても、のんびりと辺境で学者でもして過ごしますわ」
「地位にこだわりがないってすごいな……」
「兄様姉様方はそれどころではないでしょうから、全力で潰すでしょうけどね。私としては、そんな兄弟姉妹に囲まれていたので、生きるためにも権力への拘りは捨てざるを得なかったのです」
拘ったら殺されていたでしょうから、と笑顔のまま続ける姫君に、カオルもサララも「うわあ」と、辛いものを感じてしまっていた。
姫君でありながら継承者として扱われず。
だというのに血を分けた家族から命を狙われかねない立場。
それを想像すると、このような場所でニコニコ笑顔になっている姫君が、どうしても可哀想に思えてしまったのだ。
そこには、ステラ王女という、恵まれた環境で育った姫君を知っているというのも勿論大いに影響があった。
城内で争いがあったとはいえ、王女と王子は、そして家族間では仲の良かったエルセリア王家と違い、ラナニア王家は兄弟姉妹で直接の危機が迫りかねない状態にあるのだ。
日々、生き延びるために頭を使わねばならないなど、庶民の身には想像を絶する日常である。
「なんか……お姫様も大変なんだな。兄さん姉さんに殺されかねないって……そんなに仲が悪いなんてな」
兄弟姉妹が自分の命を狙ってくるなど、居心地が悪いどころの話ではない。
嫌になって旅行をしていたのさえ生存率を上げるためと考えれば、途方もない心労が日々かかっているのではないか。
そう思ったカオルは同情もあって声をかけるが、当のリーナ姫は「はい?」と首をかしげてしまっていた。
これに、カオルは不安になる。
「ああ、命を狙われているから、互いに嫌い合っているとお思いなのですね」
「……違うの?」
「違いますわ。兄様姉様がたは、妾腹の私の事も妹として見てくれていましたし……幼い頃は、一緒に遊んでもくれました。兄弟仲はそれほど悪くないと思いますわ」
「いやでも、命を狙われてるんだろ?」
「それは王族に生まれた者の宿命ですから。実際、誰が玉座に座ることになり、誰が命を落としたとしても恨みっこなしで、というのが事前に協定として成り立っていますので」
その点はご安心を、にっこり笑顔で語るが、カオルは愚か、同じ元お姫様のはずのサララですら「ええぇ」と、全力で引いてしまっていた。
仲良し兄弟だけど殺し合いはしますというのは、それだけ外野視点では理解しがたかったのだ。
「あの……他の国では、そんな事はないと思うんですけど……?」
「貴方の国では違うのですか? 確かにエルセリアは違うらしいとは聞きましたが……でも、ラナニアはそういう国ですので。大国を束ねる者が、血を分けた者の死で躓く訳にはいかない、というのが根幹にありますの」
「それ自体はすごくいい教えだと思いますけど……でも、それでもお兄さんやお姉さんから命を狙われるのは、ちょっと……辛くないですか?」
「確かに殺されてしまうかもしれないのは怖いですが、要は殺される様な隙を見せなければいいのです。私もたまに王宮に戻りますが、その際には普通に姉様兄様と雑談をしますのよ?」
「胆力が違いますねえ……」
「ふふ、誉め言葉として取っておきましょう」
サララなりに思う事あっての質問だったのだろうが、それを受け入れる事が当然であるかのように割り切っている姫君の言には返す言葉もなく、苦笑いするしかできなくなってしまっていた。
サララでさえそうなのだから、庶民出のカオルには理解などできるはずもなく。
ただ「これは他の国の王族から見てもとんでもな事なんだろうな」という認識だけして諦めていた。
「それはそうと姫様、エドラスの処分、いかがなさいますか?」
あんまりな話の流れに、カオルもサララも「どうするのこれ」といった空気になってしまっていたが。
都合よくエレノアがエドラスを指さしながらその処遇を問うてくれたおかげで、話は元の方向性に戻る事が決定された。
姫君も「そうねえ」と唇に指を当てて考える素振りをし、しかしすぐに結論を出す。
「――不問で」
「……えっ」
「不問よ。だって、被害者の貴方が『大したことない』って言ってるんだもの。それじゃ、大した問題にはならないでしょう?」
「いやっ、それは流石にっ!? 王族の方に刃を向けたのですよ!?」
「刃を向けられたのは貴方でしょう? 私は傍でそれを見ていただけだわ」
何か問題があって? と、すまし顔でそっぽを向いてしまう。
しかし、エレノアもそれでは誤魔化されないのか、必死である。
「問題大ありです! このような事を見逃して、今度こそ姫様に何かあったら――」
「そう思うなら、そんな事にはならないように原因を調べる事が大切でなくて?」
「それは……もちろんそうですがっ! しかし原因と言われても――」
「彼が何故こんな凶行に及んだのか。なぜここまで追いつめられてしまったのか。そこは気になるわよね?」
そうでしょう? とばかりにカオルを見やり、またニコリと微笑む。
まるで、そう、「ここから先は解るわよね?」とでも言わんが如く。
そしてそれを見て、カオルもサララも小さく頷いた。
「凶行の原因、調べればお姫様も納得するって事だろう?」
「私もエレノアも、ね。お願いできますか?」
「俺らは別に構わないぜ。なあサララ?」
「勿論です。今回のような事がそう何度も起きられては困りますし」
問題の解決に関して、カオル達には何の異論もなかった。
エドラスを捕らえたとて、この問題は根本解決したとは限らないのだから。
それよりもより大きな問題になるのを、カオル達は防ぎたかった。
その為にも、原因の究明は必要不可欠である。
「――それでは、正式にお願いしますわ。エドラスをこのような状況に追い込んだ誰かが、裏に居るかもしれません。それを見つけ出し、私に報告してくださいな」
「その間は、エドラスはここに?」
「ええ、都合よく運動は休止状態ですから、今ならそれほど混乱もないでしょう。そしてここに拘束している間、私から彼を説得してみますわ」
「お姫様的には、こいつはまだ救いようがある奴だっていう認識なのか?」
「救いようというか……彼は、私と似ている部分がありましたから。助けたいという気持ちもあるのです」
「似ている……?」
「内緒ですわ」
それまでスラスラとレスポンスしてくれたのに最後だけにっこりやんわりと拒絶され、なんとも歯がゆい気持ちになったが。
次にやることが決まり、カオル達は腰を上げた。
「とりあえず、こいつの潜伏してたボロ家に行ってみるよ。何かわかるかもしれない」
「お願いします。それから、解っているかもしれませんが、私どもの正体は貴方がた以外には……」
「ああ、伏せとくよ。皆エレノアさんがお姫様だって思ってるし、混乱させちゃうもんな」
「折を見て打ち明けたいとは思いますが、今はその時ではありませんから……」
それ以上は特に語る事もなく。
ただにっこりと自分達を見ているだけになったので、カオル達も「それじゃ」と場を後にした。
カオル達が去ったすぐ後。
座ったままの姫君に、ドレス姿の女騎士は、傅きながらも疑問を呈する。
「姫様、本当によろしかったのですか?」
「あの民家の事? いいのではなくて? 彼らの実力を見るには丁度いいわ」
「ですが、民衆に広められでもしたら……」
「できないでしょうね。彼らはどちらかというとコスモス寄りよ? カオスは望まないでしょう」
「……そうだといいのですが」
女騎士の不安げな一言に、しかし姫君は思わせぶりに微笑む。
そうかと思えば思案顔になり、またエドラスへと視線を向けた。
未だピクリとも動かない、かつての同志。
「しかし……彼を私にけしかけてくるなんて。随分思い切った事をしてくれたわね」
「私と入れ替わっていてよかったです。もし姫様が襲われていたらと思うと……」
「もし私だったなら、ひとたまりもなく殺されていたでしょうね。本当、何事も無くてよかったわ」
先程まで見せなかった慈愛の籠った瞳を向けながら。
視線の先に居る彼が、これ以上の苦しみを背負わずに済むのだと、心からそう思いながら。
姫君は安堵したようにほう、と、静かに息をついた。
「姫様……」
「彼は、大切な先祖の遺したものを認めて欲しかっただけ。その気持ちは解るわ……私も、母様の事を認めて欲しかったから……認めて、貰えなかったから……」
「姫様、それ以上は――」
「王族なんて地位はどうでもよかった。私はただ、母様を皆に認めて欲しかったのに……それだけ得られるなら、継承権も今の地位も、何もかも要らなかったのに、陛下達は……」
「なりません姫様っ! どこに耳があるか……っ」
「……エレノア。私にとっては、こんな国の王族などより、ただ一人の母様の方が、ずっと大事だったのよ? ずっと……」
それだけなの、と、寂しげに俯き。
それきり黙りこくってしまった主に、女騎士はためらいがちに手を向け……そっと、その髪を撫でた。
しかし、そんな気遣いすら、姫君の心を打つことはない。
「――王制なんて、早く終わってしまえばいいのに」
静かな吐露だった。
他人には見せない心の闇が、そこにこそあった。
親しい者以外には見せない確かな憎しみが、その一言にどこまでも強く籠められていた。
そしてだからこそ、認められたかった大事な人を認めてもらいたいというエドラスに、心の底から共感した。
姫君が名もなき活動家に肩入れした理由など、たったそれだけである。
「……」
その一言にかけられた重みに、エレノアもそれ以上は声を掛けられず。
ただただ黙して主の顔を見つめ、そして、悲しげなその瞳を見て心を痛める事しかできなかった。
「その為にも、彼にはこんなところで死んでもらっては困るのよ。正しく人々を導ける、そんな素晴らしい指導者になってもらわなくちゃいけない。折角見つけた逸材を、こんな馬鹿らしい事で処刑なんてしてられないわ」
彼にはまだ利用価値がある。
そもそも、その役を果たしてすらいないのだ。
こんなところで馬鹿みたいに消えてもらっては意味がない。
見出した以上は、役立ってもらわなくては困る。
共感や同情、憐憫と共に、彼女は彼に対し「いずれ役に立つ人材」という見方もしていた。
彼の演説の上手さ、方向性さえ正しければ多くの者が耳を傾けるであろうひたむきさは、民衆の中にあって得難い稀有な才能。
それをこのような事で散らすつもりはないのだと、姫君は強く確信をもって先々を考える。
「私の邪魔をしようとした者が誰であるかは解らないわ。でも――」
そんなエドラスを利用した者がいた。
自分を殺そうとして、彼の全てを奪おうとした者。
自分の理想をどこまでも遠のかせる愚行を、彼に行わせようとした者。
それが、許せなかった。
彼女が憎しみの眼を向けているのはエドラスではない。その裏に居る『誰か』であった。
「――私達の『理想』の邪魔をするなら、痛い目を見せてあげなくちゃ」
そのための『英雄』であった。
隣国エルセリアの危機を救ったという若者。
魔人を倒したという彼ならば、あるいは今の閉塞感に満ちた状況すら変えてくれるのではないか。
彼女はそれを期待した。
事実、彼らは自らが危機に陥らんという時には駆けつけ、そして今、自分達の為に駆け出してくれていた。
状況が英雄を突き動かす。
必要ならば、自身の邪魔者すら蹴散らしてくれるはず。
そう願いながら、半ばそう確信しながら、姫君はソファの背もたれへとその小柄な背を預ける。
(例え魔人であっても、その英雄様は、容赦しないわよ?)
にやけそうになる口元を隠しもせず、姫君は歪んだ笑みを湛えていた。