#6.戦利品は黒猫
変なおっさんを倒したカオルは、いそいそと途中にあった川へと戻った。
そろそろ日も暮れようという頃合いだったが、とにかく一度水に浸かり、汚れを落としたかったのだ。
股間は未だにびっしょりと濡れていたし、こんな状態で村に戻ったらいい笑いものになるしで、それだけはカオル的に避けたかった。
(最近ようやく認められ始めたのに、『おもらし少年』とか呼ばれるようになっちゃたまんないもんな……)
今までの苦労を全部台無しにしかねない醜態である。
盗賊相手に派手に漏らしたなど、絶対に知られてはならなかった。
「――うぅ、冷てぇなぁ」
川に到着するや、靴を脱ぎ捨て、足先からそーっと、川へと入ってゆく。
季節的に風邪をひくことはないだろうが、陽が落ち始めた頃合いともなると、川の水もそれなりに冷たく。
ひゃっとした感覚に背筋がぞくぞくとし、思わず震えてしまっていた。
《にゃー》
そんな中、カオルの後ろから小さな鳴き声。
振り向いてみると、変なおっさんと一緒に居た黒猫であった。
川岸でカオルを見つめ、にゃーにゃーとしきりに鳴いていた。
「なんだよ、ついてきちゃったのか」
飼い主が生き埋めになったままなのだが、なんでカオルの方についてきたのかが、カオルには思い当らなかった。
《にゃー》
「にゃー?」
なんとなく気が向いたので、と、カオルが鳴き声を真似てみると、猫も首を傾げてカオルを見つめていた。
赤いくりくりとした瞳と、視線が交わる。
《にゃー》
「にゃにゃにゃ?」
《にゃにゃにゃにゃ》
「にゃにゃー」
《にゃにゃにゃっ!? にゃにゃにゃーっ》
「……何やってんだ俺」
人類初の猫語を用いての対話に臨んでみたカオルであったが、やがて虚しさに負けてその場に座り込んでしまった。
ひんやりとする尻。川底は、冷たかった。
(ま、猫は水苦手らしいし、こっちには来ないかな)
ここから先も、川を越えなくてはいけない箇所が複数ある。
猫を飼っている余裕なんてカオルにはないので、ついてこられる心配もないだろう、と構わずそのまま水に浸かる。
そうして、一通りズボンを濡らしたら、一気に脱いで全裸になった。
「うひー……」
ぶる、と震えながら、今度は脱いだズボンとシャツとを水に通してわしゃわしゃとゆすぐ。
すぐに乾くようなモノでもないが、適当に絞ってしまえば後は風の吹くまま、である。
《……にゃー》
「おいおいおい、流石にそれはやばいだろ」
見れば、猫もそろそろと足先から、川に入ろうとしているではないか。
いくら川の流れが穏やかといっても、カオルの膝ほどまでの水位である。
当然、猫には深すぎる。
そのまま見過ごして溺れてしまうのもかわいそうだからと、ひょい、とカオルが猫を掴みあげた。
《にゃ?》
どうしてそんなことするの? と、困ったように首を傾げている黒猫。
「危ないだろ。水に浸かりたいなんて、変な猫だぜ」
変わってるなあ、と思いながら、カオルは猫を川岸に戻す。
そうして、十分に絞ったズボンを川岸に投げると、シャツで体を拭き、岸に上がろうとする。
《にゃーっ》
再び、猫、川へ飛び込む。
「なっ、おいっ――」
これには不意を打たれたカオル。
今度は猫を止められず、飛び込むに任せてしまった。
《ばっしゃーん》
小柄な身体にも拘らず、派手な水音。
カオルは「ああ、やっちまったよ」と呆れながらも「溺れてしまうかもしれないから」と、黒猫の姿を探す。
「……おぉ?」
猫、居ない。「川底にいないし、どこかに流れたのか?」と水面を見るも、それらしいものはなく。
「あれ、どこに……?」
ただ、誰かの足らしいものが見えて、カオルは視線を上へ上へと向けてゆく。そう、上へ。
「……うん?」
「……はい?」
目と目が合った。赤い、気の強そうな瞳である。
一歩引いてみる。女の子である。
(ああ、女の子の、裸、か――)
なぜそこにいたのか解らない。
それが誰なのかも解らない。
だが、なんとなく、次の反応は想像ができてしまっていた。
「――っきゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!!」
まさにカオルの予想通りの、そしてこの世界初の、少女の悲鳴らしい悲鳴であった。
絶叫と言ってもいいかもしれない。キンキンと響く高音に、カオルは一瞬、耳が遠のいた。
「いや……叫びたいのは俺の方なんですよ?」
何故か敬語になってしまうカオル。
無理もない。全裸の少女の前に、自身も全裸で立っていたのだ。
少女の方はそれでも隠すべき場所を咄嗟に手で隠せていたが、カオルは意表を突かれたせいで全く隠せずにいた。モロだった。
年頃の少年としては、ご褒美であると同時に、あまりにショックの大きすぎる出来事であった。
村の女の子で少し慣れていなければパニックに陥っていたかもしれない。
「なんでっ!? なんで私裸なの!?」
「そんなの俺が聞きたいぞ!?」
気がついたら全裸の女の子が自分の前に立ってました、なんてカオルにも意味が解らなかった。
(なんなんだこれ。異世界ってこういう事普通に起きるの!?)
辛うじて混乱はしていなかったが、少女ほどではないにしろ、カオルも困惑してしまっていた。
それと、若干手遅れではあったが、隠すのに必死であった。
「ていうか呪いが解けてる!?」
「マジかよよかったじゃないか」
よく解らないがめでたかったのでカオルは祝ってあげた。
「や、やったー!! よくわかんないけどやっと元に戻れた!!」
少女、大はしゃぎ。折角隠していた部分も丸出しにして、両手を上に喜んでいた。
流石にこれにはカオルも面食らったが、「こういう時に指摘するのは可哀想だよなあ」と、じっくり見て脳裏に焼き付けてからそっぽを向いた。
「うぅ、長かった、長かったよぅ……」
全裸になったまま泣き出してしまう女の子。
裸を見られて悲しいとか悔しいとかではないのはカオルにもなんとなくわかったが、居たたまれなくなったのでその間にズボンを履いていった。
「ふぅ……はー」
ひとしきり泣いた後、少女は大きく深呼吸し、落ち着き始めた。
「落ち着いたか?」
「えぇ、まあ」
泣き顔を見られたのが恥ずかしかったのか、少女は若干照れたように頬を掻きながら、へにゃりと笑った。
「お恥ずかしいところを」
「いえいえ」
こちらこそ、とカオルは言いたかったが、とりあえず最低限ズボンは履けたので、カオルも一安心である。
落ち着いた状態で自分が下半身露出してるところなんて見られたらそれこそ露出狂扱いされかねない。
女の子が泣いているのはカオル的には胸に辛かったが、それでも助かったのだ。
「それはそうと……あの、さ」
「はい?」
そうして、カオルはそっぽを向いたまま、話を続ける。
「服、着ないのか?」
流石に裸のままなのはどうなんだ、と、カオル的には遠回しに「言うなら今だろう」と言ってみたつもりだったのだが。
「……」
少女は、しばし沈黙していた。
いいや、沈黙ではない。うろたえていた。
うろたえたままくりくりとした赤い瞳を左右に揺らし――そうして、その場にしゃがみ込む。
「あっ、あの、ご相談がっ――」
そうして、顔を真っ赤にしたまま消え入りそうな声で懇願していた。
「……まあ、長引かないなら」
そろそろ暗くなるなあ、と、空の移り変わりを眺めながら。
カオルはため息混じりに川岸の岩場に腰かけ、少女の話を聞くことにした。