#5.盗賊の頭と猫
『ふはははははっ、よくぞワシの可愛い手下をやってくれたなぁ!!』
一度背後から声が聞こえたのだが、それで振り向いたカオルに、崖の上の誰かはもう一度、同じセリフを叫んでいた。
そう、叫び声だったのだ。
崖の上からの、途方もなく大きな声が、かつて森だった平地に響く。
「……うん? なんだ? 何やってんだあの人? モヒカン?」
だが、カオルにはそれが誰だったかよく解らなかったし、声こそ聞こえてはいたものの、何を話しているのかまではよく聞き取れていなかった。
近づきながらに手を額に当てて目を凝らしてみると、黒い小さな毛玉を手に何やら喚いているモヒカン頭の中年親父が一人。
『小僧! さてはこの子を狙ってワシを討伐しにきた宮廷の魔術師か何かであろう!? 何せ幸運の黒猫ちゃんだからな!!』
「なんであのおっさん崖の上から話すんだろうな……降りてくればもっとよく聞こえるのに」
中年親父の方は勝手にカオルの事を自分を狙う刺客と勘違いしていたが、当のカオルはというと、「変なおっさんだなあ」位にしか思っていなかったのだ。
さきほどの盗賊らと比べると、その仕草と言い無駄に大きな声と言い、陰険さが感じられず、どこか道化じみているようにしか見えたのだから、それは仕方ないと言えるのだが。
ともあれ、カオルが黙っていると、中年親父は「ふんっ」と鼻息荒く笑いながら、手に抱いた毛玉を頭に乗せる。
そのまま、黙って見ているカオルに向け、今一度睨みを利かせた。
『応える気もないというのか? まあいい、貴様がどのように足掻こうと、この猫ちゃんはワシの物なのだからなぁ!!! ふはははははっ!!!』
「……猫? 猫かな、あれ。ああ、やっぱ猫だ!」
遠目ながら、ようやくカオルは、その中年親父の頭に載っていた毛玉が黒い猫であると気付く。
そう、猫である。現実世界ではよく見かけた、当たり前の猫。
(あのおっさん、あのナリで猫好きなのかぁ……)
別に猫好きを差別するつもりもないのだが、モヒカン頭で猫好き、という見た目に似合わぬ嗜好に、カオルはつい、噴き出しそうになってしまった。
『だが、このワシの姿を見ても竦みあがらん度胸は褒めてやる。その余裕、この奥義を見ても保っていられるかぁっ!! 喰らえぇぇぇぃっ!!』
親父、舞う。
崖の上から気合一閃、猫諸共跳躍したのだ。
その予想外過ぎる行動に「マジかよすげぇ」と驚き半分に感心したカオルであったが、さらに驚くべきことに、親父は空中で一瞬静止し、妙なポーズのようなものを取っていた。
『城兵拳法奥義!! ラオパン・ガジャァァァァァルッ!!!!』
《みぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!》
空中で静止した後、蹴りの姿勢のまま、足先からカオルへ向け斜めに落下してくる中年親父。
当然、猫も涙目になりながら必死に親父のモヒカンにしがみついていた。
崖上からカオルまでの距離、約80m。高さ、20mほど。
その距離を跳躍のみで埋め、親父が今、落下してくる。
「……うげ、なんかこっちくるじゃん」
カオルは、自分目掛けて落下してくる謎の親父に戦慄した。
戦闘素人のカオルにだって解るのだ。「あれを喰らったらやばい」と。
何せ、落下してくる親父は足先から謎の赤いエフェクトめいたものを発生させ、いかにもな「一撃必殺です」みたいなオーラを出していたのだ。
なので、冷静に考えてまともに受けるのは避けようと、カオルは横に跳び退いた。
「んなっ、ちょっ――」
焦ったのは親父の方である。
もう獲物に直撃する一秒前というタイミングで、いきなり相手が位置をずらしたのだ。
当然落下の勢いがついたモノをいきなり方向転換する訳にもいかず、親父はそのまま落ちるしかなくなる。
強烈な蹴りの軌道は、空中を切り裂きながら鋭利に地面へと襲い掛かる事となった。
「――のぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
親父、驚愕の表情のまま突き刺さる。
蹴りの威力はまさしく一撃必殺だったらしく、接地するや轟音と共に地面を盛大に抉りぬき、親父自身の身体のほとんどを大地に埋もれさせていた。
その余波で周囲の地形にひびが入るほどで、カオルをして「危なかった」と危機感を抱くほどには、凶悪な一撃だった。
(なんか……こういうゲームあったよな……黒ひげ?)
そうして、親父は首から上だけが地面から出ているという、なんとも間抜けな状況に陥っていた。
その姿に既視感があったカオルは、噴き出しそうになるのを我慢しながら、親父の出方を窺う。
一応、腰の棒切れに手を伸ばしながら。
「く、くそっ! 王城の御前試合ではあのトーマスですら驚愕させた我が奥義であったが……こんな弱点があったとは!!」
悔しげに歯を噛みながら謎の名前を出す親父。
(誰だよトーマス)
全く知らない名前だったのでカオル的にも「そんな事俺に言われてもなあ」という気持ちになってしまう。
「だ、だがこれで勝ったと思うなよ!? 勝負はここからだ――ちょ、ちょっと待ってろよ! まずはここから抜け出して――」
もぞもぞと何やら奇妙な動きをしようとしていたので、カオルは棒切れを構えた。
《にゃーっ》
そうして、5mほど距離を置くと、ちょうど猫が飛び降りて自分の方に寄ってきたので、「都合がいいや」とばかりに棒切れカリバーをフルスイングで投げつける。
「エブシッ!?」
クリティカルヒット。
顔面に直撃し、親父、昏倒。
カオルの勝利だった。
「……なんて虚しい勝利だ」
よく解らない変な中年親父が突如空から飛び降り、それに対して応戦しただけ。
結局カオルはこの親父が何者なのか解らないまま、その場を後にすることにした。
先ほどからスースーする股間に、いい加減耐えがたいものを感じていたのだ。