#19.カリツ伯爵の依頼
場が凍り付くというのは、このような事を言うのではなかろうか。
カリツ伯爵の一言は、それだけその場にいた三人の表情を硬くさせる重さがあった。
「王女様が、認めてるって?」
辛うじてカオルが声を絞り出し、ようやく時が流れた様な、そんな空気の重さ。
サララもゴートも、頬に流れる汗を気にする事も出来ぬほど、事態の重さを理解してしまっていた。
「それってつまり、公的に認められた運動って事ですよね? 民衆の反政府行動を、国自身が容認してしまっているとか、そういう……」
「常識的に考えて、異常この上ないですな」
カオル以上にこの世界を知る二人をして、その状況がいかに異常であるか、はっきり解ってしまっていたのだ。
国が傾きかねない状況を、国を運営しているはずの王族が認めてしまっているのだから無理もない。
そんな状況、本来ならありえないはずであった。
カリツ伯爵もまた、苦々しい顔のままに小さく頷く。
「その通り。異常という他ない。だが、事実として姫様は民衆の運動を支持し、民衆と行動を共にしている。さっき話したヨード子爵も、最初こそ民衆の行動を抑制しようと私兵を動かそうとしたのだがな……姫様が前に立っているとあっては、止める事も叶わず」
「そりゃ、自分の国のお姫様が前に立ってたら何もできないよな……」
カオルは、既に王族のカリスマというものを目のあたりにし、その影響力というものを知っていた。
圧倒的過ぎる、一般人からしたら明らかに強すぎる力が、そこに働いていたのだ。
貴族視点でもやはり、その強力なカリスマ性は如何ともしがたいらしい。
そしてこの国では、それが悪い方向に働いてしまっているのではないか、と、カオルは考えた訳だ。
そして、そこまで考えて「あれ?」と違和感を覚えた。
民衆の行動を認めているのは第二王女リーナ姫。
つまり――
「リーナ姫って、囚われの身になってるんじゃなかったの?」
本来カオル一行がこの国に来た理由の人物なのだ。
その『囚われの身になっているはずの人物』が、自分を捕らえた民衆の行動を支持しているという、よく解らない状況になっていた。
「君達はそのように言われてきたのかね? 私はそのような事は……ゴート殿?」
「い、いえ、私は……陛下はそのようにおっしゃっていましたので、てっきりそのような状況なのかと」
驚き、訝しむ様な顔で見やる伯爵に、見つめられたゴートもまた、焦ったような表情になっていた。
本当に何も知らなかったのだ。彼は、ただの役人であった。
「全く……相変わらずあの国王陛下は言葉遊びがお好きなようだ……」
「じゃあ、お姫様は別に民衆に囚われたとか、そういう事じゃないんだな? 王族が人質になってるとか、そういうのは……」
「少なくとも今の時点で、姫君や王族の方が何かしら不自由をしている様子はない。そも、そんな事になれば国軍が即刻出動し、運動に参加した民衆は皆殺しになっているはずだ」
「皆殺し……ためらいは、ないんですね」
ぴく、と耳が反応し、サララが俯きながら呟く。
王族なりに思うところがあるのだろう、とカオルは感じたが、特に言及はせず。
今は状況の確認が大切とばかりに、伯爵の顔をじ、と見る。
「――それで伯爵。俺達はどうすればいいんだい? 俺はてっきり姫様の救出を依頼されると思ってたんだけど、違うんなら何をすればいいのか、教えて欲しいんだ」
彼は、人助けの為にここに来たのだ。
あの国王の事、何かしら言われた以外の物が待っている事は、既にわかっていた。
だから、それに対し不平を口にする事は無く。
ただ、何をすればいいのかを、この場で最も状況が解っている伯爵に問うたのだ。
伯爵もまた、彼の覚悟が伝わり、小さく息を吐く。
それから「うむ」と頷いて見せ、三人を見やった。
「君達にはまず、現状の脅威を排斥してもらいたい。先のオーガ騒ぎもそうだが、まだこのレナスの周辺が安全になっているとはいいがたい」
「街の中の問題やお姫様の事は置いといて、まずは街の安全を確保したいんだな?」
「ああ。油断できない状況ではあるが、幸いまだ街中で軍と民衆が激突する、という事態には発展しないように思える。今のうちに、街の脅威そのものを排斥したいのだ」
伯爵の依頼は、いくらか遠回りな気もしたが、それはそれで有益な事なのだとも気づき、カオルは「解った」と素直に頷いた。
サララも特に口を挟もうともしていない。
カオルにとって、この判断は間違いではないのだと思えていた。
「街の周りが安全になれば、軍が居座る表向きの理由はなくなるもんな」
「そういう事だ。それが確認できねば軍に退去を勧告する事もできん。騎士団は……緩衝させる為に街に置いておきたいのだ」
街中の問題が悪化しない為にも、騎士団がレナスに留まり続ける事は重要であった。
これに関してはまだ説明もされていなかったが、伯爵の言葉でカオルもサララも「ああ」と、それとなく察する。
「分かった。それじゃ、とりあえず街の周囲を見る事にするよ。早速動いた方が良いよな?」
「そうしてもらえると助かるが……いいのかね? 少しくらい休んでいった方が、旅の疲れを癒やした方が良いのではないかと思うが……」
すぐに席を立ち、出発しようとするカオルを見て、今度は伯爵が驚かされる番となっていた。
わざわざ自分の元にきてくれただけでなく、こうまで前のめりに協力してくれる彼の事が、解らなかったのだ。
旅の疲れもあるものと思っていたからというのもあるが、それ以上に、異国の地で自分にここまで協力してくれるとは思っても居なかった。
「ああ、俺はその為に来たからな。いいんだよな? ゴートさん?」
「もちろんですよ。貴方のやりやすいようにやっていただいて結構です」
ゴートはゴートで、あくまで自分の役割はここまでカオルを連れてくる事、と割り切っているらしく、カオルのする事に口を挟む気もないらしかった。
サララに至っては言わずもがな。確認を取るまでもなく既に席を立っていたのだ。
伯爵もここにきて「これは驚いたな」と、目を丸くし、そして口元を緩めていた。
「――なるほど、あちらの陛下が遣わしただけはある。期待させていただくとしよう! レナスに滞在の間は我が屋敷を自由に使ってくれて構わん」
「それは助かるぜ」
「お金が掛からない拠点があるのはありがたいですねえ」
これに関しては元々伯爵も考えていた事だろうが、レナスでの活動の為にこの館が拠点となるのは、カオル達には大変ありがたいことだった。
異国の地である。カオルの英雄という呼び名は何の役にも立たず、この地で何をするにも、伯爵の名の方が重くなる。
宿屋で暮らすより、馬車で暮らすより、伯爵の館から出てくる方が誰だって注目するだろう。
そういう意味もあって、これは大きい(・・・)違いなのだ。
「君達にはまず、街の直近にある森の探索に当たって欲しい。先ほども話したが、別のオーガがいる恐れもある。無理にとは言わんが、もし余裕があれば討伐も頼みたい。無論、報酬も用意しよう」
「ああ、解ったよ。任せてくれ」
「森での探索なら、サララの鼻の良さが役に立ちそうですねえ」
カオルにしても、そういう解りやすい依頼の方がはるかにやりやすかった。
政治的な問題が複雑に入り組んだ問題の解決など頭がこんがらがって意味が解らないが、何かを探せ、何かを倒せという依頼なら、自分達程それに向いた人材はいないと思ったのだ。
だから、自信満々だった。つまりいつも通りである。
「心強いな……道案内に一人、騎士団から回そう。まとまった戦力を回せずに悪いが、これで何とかしてやってほしい」
「至れり尽くせりだぜ。道案内の人が居るのはすごく助かるよ。ありがとう伯爵」
「……礼を言いたいのはこちらの方さ。わざわざ異国の地からここまで来て、危険な依頼をこなしてくれるのだからな」
眼を閉じながらに背を向き、伯爵が何を想ったのか。
だが、小さくため息をつき、またカオル達の方に向き直った彼は、爽やかな面持ちであった。