#17.三つの兵力
立ち話のまま説明するのも、という事なので、部屋奥に並ぶソファにかけたカオル達だったが、伯爵はカオル達の前に立ったまま、暖炉前のテーブルの水差しを手に取り、置かれていたコップに水を注ぐ。
「君達は?」
「あ、いえ、大丈夫です」
「私も結構です」
「そうか」
カオル達にも聞くだけの気遣いを見せながらも、視線をゴートに向け、彼が首を横に振ったのを見て、自分の分の水を飲み干す。
「ふぅ……ではまず、我が領が置かれている現状を知ってもらいたいと思う」
「レナスが今、どうなってるのか、か」
「うむ。君達が戦ったオーガ。アレは元々この辺りに生息していた訳ではないようなのだ」
「近くに居た訳ではない……? という事は、どこかから移動してきた、という事ですか?」
「その可能性もあるが、それにしても、この辺りに現れたのが突然すぎる」
サララの指摘を否定するまではいかずとも、何かしら別の疑念があるらしく、伯爵は難しい表情で窓の外を見やる。
そこから見えるのは、街と館とを遮断するかのように植えられた林。
「街の付近の林や森は、このレナスの騎士団が定期的に巡廻し、脅威が存在しないかを調べているはずなのだ。オーガのような化け物がうろついているのが解れば、すぐにそれと知れよう」
「それが、見つからなかったって事か」
「うむ。少なくとも二日前の段階ではいなかった。確かに昨日今日になってよそから到着した、という可能性も否定はできんがね」
口調の上ではサララにも気を遣っているが、やはり伯爵としては、サララの意見には同意しかねる、というものらしい。
サララもさほど気にした様子もなく「そうでしたか」と素直に受け入れる。
「だとしたら、ほんとに突然現れた可能性があるのか……今は、探索はしてないの?」
「オーガがこの付近に現れたと知ったのは今日になってからだ。それと気づいてすぐに私も討伐隊を編成しようとしたが、何分近すぎる。このままでは民や街に訪れようとした者に被害が出かねなかった」
「……オーガと戦っていた騎士の人達は、やっぱり戦う為というより、別の目的であそこに居たんですね」
「本来はオーガの注意を逸らし、街から少しでも引き離すのが目的だったのだが……どうやら何がしか、良くないことが起きたらしいな。詳しいことは彼らの説明を受けなければ解らんが、戦わせるつもりで出撃させた訳ではないのは確かだ」
サララの見立て通り、彼らはあくまで先遣隊的な役割で出向いた部隊だったのだ。
これでは勝てるはずもない。
カオルもやるせなさを感じながら、死んでいった女騎士の姿を思い出して嫌な気分になっていた。
「突然現れたって言ってたけどさ、どこかから送られてきた、とか、そういう可能性もあるのかな?」
「というと?」
「俺の……知り合いにさ、悪魔と契約した人が居て。その人が言うには、悪魔って言うのは机があれば自由に街と街とを行き来したりできるらしいんだよね。もしかして、魔物もそんな感じで、あっちからこっちへ行き来できる装置みたいなのを持ってたりして」
「ほう……悪魔の、なあ。悪魔についてはよく知らんが、確かにそれなら、オーガが突然現れたように見えた状況も、ある程度納得が行くかもしれぬ」
「あくまで思い付きだけどさ」
ベラドンナが使っていた『机ワープ』を思い出しながら、なんとなく口にしてみた可能性ではあったが。
事実そういった魔法が存在するのなら、魔物だって何かしらの手段でそれと似た様な事をしている事もあるのではないか、と、そんな事を考えると幾分、真実味があるように思えたのだ。
伯爵も同意してくれる辺り、その可能性を少しは考えたのではないだろうか。
「オーガに関しては、森への探索をメインに据えて原因などを探りたいと思っていたのだが……その可能性を考えるなら、相応の戦力を整える必要があるかも知れんな」
「ああ。もし余所から送られてきたっていうなら、オーガが一体だけなんて保証はどこにもないもんな」
誰がどんな目的でそんな事をしたのかは解らないが、一体現れただけで兵が死ぬような化け物を何体も呼ばれれば、街にだって甚大な被害が発生してしまうかもしれない。
難しい問題に発展しそうなのもあって、伯爵も「その通りだ」と、カオルの指摘を肯定する。
「街の周囲の警戒は厳にしておく必要がありそうだな……厄介なことは重なるものだ」
「重なる? もしかして、何か他にも面倒ごとが起きているのかい?」
「そういう事だ。君達は、街の外で構えていた部隊を見ていたと思うのだが」
「ああ、確かにいたな……騎士の人達と、衛兵っぽい人達と」
「門衛の人もいましたよね。あんまり統一感がなかったっていうか……」
伯爵に言われ思い出してみれば、外で武器を手に構えていた者達の姿がすぐに浮かんでいた。
だが、サララの言う通り、オーガと戦っていた騎士達と同じ格好をした騎士も居れば、明らかにそれとは異なる衛兵らしき者もいて、更にその衛兵らしき者とも違う出で立ちの門衛がいて、と、いずれも異なる装備、武器の構え方すら違う有様で、ちぐはぐなように感じてしまう。
今更ながら「ちょっと変だな?」と、カオルは思った。
そしてそんなカオルの顔を見て、伯爵は満足げに「そうなのだ」と頷く。
「今、このレナスの街には三つの兵力が存在している。一つは元々このレナスの守護の為、私が長い年月をかけ集め、鍛えていったレナス騎士団」
「オーガと戦った人達とか、同じ格好の人達か」
「うむ。これは私の私兵なので、私が思った通りに自在に動かすことができる。オーガ討伐の為戦力の大半が準備中だった為、街の外に配備できた数は少なかったがな……いずれも優秀な者ばかりだ」
「少数でオーガの足止めを敢行したその判断力を見れば、それを疑う者はおりますまい」
先ほどまで黙っていたゴートではあったが、想うところあってか、ようやく口を開く。
そしてそれは、カオル達にも肯定できるものだった。
「あんな化け物相手に戦える勇気は本物だよな」
「そうですね」
「……すまんな。君達にそう言ってもらえると、いくらか心が晴れる」
死者が出た事自体は伝わっているらしく、伯爵も苦い顔をしてはいたが。
ゴートに始まり、カオルもサララもそのように言ってくれて安堵したのか、引き締めていた頬を幾分、緩めていた。
「話を続けようか。エルセリアと同じように、我が国にも各街や集落を防衛するための兵力として、『衛兵隊』が存在する。ただし、これを統括するのは軍の中枢――つまり、王族が指揮系統に関係している」
「エルセリアの衛兵隊は衛兵隊本部が中心だったけど、この国だと軍が直接指示を出してるのか」
「その通りだ。だから、衛兵隊は基本的に、その土地の領主ではなく、国の意向に従う。正確には、その隊を率いている衛兵隊長が、軍の意図を汲んだ指揮を執るのだが……」
国からの直接の指揮。
私兵集団と違う指揮系統の部隊が存在する事に、カオルはなんとなく嫌な予感を感じ始めていた。
軍隊とは、それぞれが一本の指揮系統でまとまっているからこそ統率が取れるものである。
例え味方であったとしても、全く異なる指揮系統の部隊は、それはもはや別の軍隊が二つ存在するようなものなのだ。
カオルはそこまで詳しくは理解していなかったが、それでもうっすら、その状況がろくなことにならないのを感じ取っていた。
「門衛は、衛兵隊の所属なのかい?」
「いや、門衛は我が騎士団の所属だな。街の防衛に関しては、基本的に騎士団が中心に動いていると考えていい」
「あれ? それじゃ、なんで衛兵隊がそんなに沢山……」
「……そこで問題になってくるのが、三つ目の兵力の存在なのだ」
「ああ、そういえば三つあるんだっけ。それって?」
「民兵だよ。民間人が武装し、独自に組織だって街の治安を維持する。そういった動きが近年俄かに増してきてね」
そこまででも謎が多かった中で、更に追加の謎要素。
カオルの頭は混乱しかけていたが、サララは「それって」と、核心を理解したかのように口を開く。
「もしかして、民衆が勝手に動いているのを警戒して、国が衛兵隊を派遣したとか、そういう――」
「――聡明だな君は。うむ、まさしくその通りなのだ」
「国民を抑えるために、軍が動いたって事?」
「名目上はこのレナスの防衛のためという話だがな……その割にはオーガが現れても積極的に討伐に動こうとはせん。街の外には立っていても、その配置はあくまで騎士団の後ろ――まともに戦う気がないのはありありと解る」
呆れたようにため息を漏らす伯爵。
カオルもサララも「これは面倒ごとだなあ」と、互いの顔を見て苦笑いしていた。
一つの街に三つの兵力。勝手に動く民兵と、それを牽制しようとする衛兵隊。
これだけでもう、ロクでもないのが確定したようなものである。
「本来、軍とは国土と民衆を守る為に存在するものだ。それが、国民の警戒のために配備される――我が国が異常な状況に陥っているのは、もう気づいておろうな?」
「ああ、さっきからなんとなく嫌な気配はしてたけど。やっぱ、国の方が問題になる訳か」
「うむ……ここからはもう少し、大きな問題になる。少し、休憩を挟もうか」
ぱちり、伯爵が指を鳴らすと、それに合わせて「失礼します」という声が聞こえ、ドアが開く。
ドアの前に立っていたのは三人のメイド。
それぞれティーセットやらお菓子やらを持っていて、カオル達の前に丁寧に置き、ぺこりとお辞儀をして部屋を出ていった。
伯爵もまた「それでは」と部屋を後にしてしまう。
「えーっと……」
「これは……?」
自然、カオルとサララは沈黙の中、どうしたらいいのか解らず呆けてしまっていた。
「お二人とも。ラナニアでは、長話になる際などに、このようにティータイムを設けるのです。寛ぎましょう」
「あ、そういう事か……いただきます」
「今日はここまでっていう事なのかと思っちゃいました。あの、いただきますね」
何事かと思っていたカオル達だったが、ゴートからの説明を聞き「なるほど」と、姿勢を崩して寛ぎ始める。
国も違えば習慣も違う。
それを身に染みて感じる瞬間であった。