#15.オーガ討伐その後
オーガの討伐を終え、軍馬車はレナスへと入ってゆく。
門は閉じられ、門前にはオーガの侵入を警戒してか幾人もの騎士や衛兵らしき出で立ちの男達が構えていたが、ゴートが騎士らを支援し、オーガの討伐を終えた事、この街に訪れた理由を門衛に伝えるや、門は速やかに開かれた。
「う、う……ぐ……」
「しっかりしろライナー! お前まで逝っては、流石に辛すぎる……!」
街へ入る軍馬車の中、戦慣れしているらしい中年騎士が、呻きながら苦しむ青年騎士に手当てを施す。
幾ばくも余裕がないのは見て取れたが、それでも諦める訳にはいかぬ。
激昂しそうなのを抑えながら、歯を食いしばりながらに、手先を動かすことにのみ集中していた。
「うっ、うう……っ、カルラさん……こんな、ことになるなんて……」
対して、女性騎士を助けようとしていた新人騎士は、うつむいたままその手を握り、嗚咽を漏らしていた。
彼女は、助からなかったのだ。当たり所が悪すぎた。
「……」
「……」
同僚の死、というのは騎士達にとって多大な精神ダメージだったらしく、馬車内のムードも酷いことになっていたが。
それでもカオル達は、慰めの言葉を掛ける事すらできなかった。
見ず知らずの相手である。
形としてはカオル達が助けに入って、そのおかげで二人、いや三人生き残れた。
一人死んだとしても、全滅よりははるかにマシなはずだ。
それでも、初対面でそんな場面に出くわしたからと、思ったままの言葉を口に出す事ははばかられたのだ。
(解っちゃいたけど……普通に人が死ぬ世界なんだよなあ)
当たりさえすれば圧倒的な威力の武器と、決して死なない身体。
この二つを持つカオルにはもう、死というものに対しての実感が薄れ始めてしまっていた。
人は死ぬもの。だけど、死そのものを直接目にした回数は、まだそんなには多くなかった。
女性騎士が新人を助けようとして逃げ切れずオーガから攻撃を受けた瞬間は、カオルにも見えていたのだ。
見えていても、助けられなかった。
だが、助けられないからとそれを自分の責任と思えるほど、カオルは身勝手ではなかった。
それが身勝手な事なのだと、今の彼には解るのだ。
戦いというのは、そんなに甘いものではなく、そして、時として誰かが死ぬ事もある。
今までは自分に敵対した相手が死んだが、今回はそうではなかった。
それだけなのだから。
隣で、同じように騎士達から少し離れた場所に腰かけ、じっと黙っているサララをちら、と見る。
サララも同じタイミングでカオルを見ようとしたらしく、視線が重なった。
「どうかしましたか?」
「いや……なんていうか、こういう時、困るよなって」
「ああ……そうですね。はい」
サララも困ったように眉を下げながら、仲間の死を嘆く若者の姿、そして懸命に死にそうな仲間の命を取り留めようとしている中年の姿をじ、と見つめていた。
別段、大怪我をすぐに癒やせるような傷薬を持っている訳でもない。
そういった、ファンタジー世界にありがちなものは、少なくともエルセリアの街では売られていなかったのだ。
ほどなくして、軍馬車は医療施設のある騎士団本部へと到着する。
ここで騎士達は全員降り、カオル達は後片付けもそこそこに、カリツ伯爵の屋敷へと向かう事になった。
「なあサララ。ああいう時ってさ……傷が癒やせる魔法とか、そういうのがあるといいと思わないか?」
「はい?」
馬車の中。
初めてのラナニアの街の景色を見る気にもなれず、カオルはサララと横並びになりながら、馬車の壁を背に口を開いた。
傷を瞬時に癒やす薬がある訳でもなく、医術の心得がある訳でもない二人は、応急処置の仕方すらろくに解らず、見ている事しかできなかった。
カオルには助けられなかった事よりも、その時に何もできなかった事の方が、どちらかといえば辛く感じられたのだ。
ただ見ているだけ。そして、死ぬか生きるかは本人次第という行き当たりばったりさ。
せめて、何がしか手伝えれば違うというのに、それができないのだ。
サララも小さく首を傾げたものの、「そうですねえ」と、声を小さく、呟くように応える。
「無い事は無いですが、誰にでも使えるものではありませんね。例えばカルナスの聖女様くらいに徳の高い聖人なら、魔法ではなく奇跡として扱えたんでしょうけど……」
「あの聖女様、そんなにすごい人だったのか」
「聖女と呼ばれるだけの方ですから、すごくないはずがないんですよねえ」
サララ的にはもうあの聖女様は十分すごい人認定らしかった。
それがカオルには今一しっくりこないのだが、人を癒やす事の出来る奇跡を扱えるというなら確かにすごいのかもしれないと、頭の中で納得してゆく。
「後は祈祷という形で自然界の王に祈りを捧げて治癒を司る祈祷師や巫女といった人もいますね。こちらは奇跡ではなく自然界の王の力を祈った者に疑似的に貸し出すという形のようですが」
「巫女っていうと、リームダルテさんみたいな?」
「そうですね。海の王はそういった力を持たないでしょうが、他の自然界の王にはそういう祈祷ができる方もいるようです」
どちらにしても拠点を構えているのでそこに移動しないと無理なのですが、と呟きながら目を閉じる。やるせない。
カオルも「なるほど」と頷きはするものの、やはりそういった「都合良く現地で回復できる人」の存在はないらしいと、若干都合の悪さを感じていた。
彼の知るゲームの中のファンタジー世界なら、その手の回復の遣い手は常に戦闘の後衛だとかにいて、即座に傷を負った戦士たちを癒やしているものだから、そういった人材がいないこの世界は、彼なりにカルチャーショックだったのだ。
「戦ってる最中に回復、とかは流石に難しいのかなあ」
「聖者が在任している教会が襲撃されるか、移動中の聖者が攻撃でもされない限りはそういう状況は少ないでしょうね。戦地で、というならバトルドクターの人がそういった役目を負う事が多いんでしょうけど、あの人達は魔法や奇跡ではなく医療の側の人達ですし」
「あー……医者の人はいるよな。戦闘に立つこともあるの?」
「戦時中は当たり前のように従軍してたっていうお話です。今の時代はどうかは解りませんが、元軍人のお医者さんだとか、医療の心得のある傭兵の方だとかはいるようですから、討伐の際にはそういった人が現地の応急救護を担うんでしょうね」
戦う医者はあくまで軍についているもの、という感じらしいと解釈し、カオルも「やっぱりそうなるか」と小さくため息をつく。
やはり、彼のイメージするような、『戦う聖職者』のような感じに回復を担当するような人は少ないのだ。
これでは、今のように戦闘中に負傷した人は助ける事が出来ない。
応急処置の心得があれば延命くらいはできるかもしれないが、やはり生きるには本人の生命力依存になってしまう。
それが、どこか切なく感じられた。
「傷を癒やすというなら、ヒールポーションといった錬金術関係の薬品の方が効果は高いんでしょうけど……これもまた高額ですからねえ。野良ドラゴンだとかサイクロプスみたいな大物を討伐する際には使われる事もあるらしいですけど」
「そういう薬もあるのか……でも、軍の人達でも簡単に使えないくらい高いのか?」
「材料費が途方もなくかかるそうですよ? それこそ要人や、『この人達が死んだら国が崩壊しちゃう』ってくらいの重要戦力なら緊急時には使うんでしょうけど、このくらいの街の規模の騎士団ではちょっと厳しいかなあ」
あくまで予算次第なんでしょうけど、と現実的な問題を突き付けられ、カオルもぐんにゃりしてしまう。
先程までと比べ話していていくらかマシな気分になってきたのか、サララは苦笑いしていたが。
どうにもままならない、という現実は、カオルに「異世界っていってもそこまで便利じゃないな」という嫌な実感を与えていた。
「でも、オーガ相手だと騎士の人達、死にそうになってたよな」
「ええ、まあ……魔物討伐では、少なからず死人が出ると思います。それでも近年では対策をまとめたり、情報を精査したりしてなるべく死人を出さないように工夫しているはずなんですが」
工夫をしていても、死ぬときは死ぬ。
そういう現実がある事に、サララもなんともいえない表情のまま、眉を下げていた。
「街の近くに出てくる事って、そんなに多いのかな」
「そんな事そうそうないはずなんですけどねえ。いくらオーガが強いっていったって、衛兵隊や騎士団が徒党を組んできたら為す術もなく倒される程度の存在ですから……さっきのオーガだって、多分二十人以上の集団でこられたらひとたまりもないと思うんです」
被害はいくらか出るでしょうけど、と、目を細めながら。
こればかりはやはり仕方ないらしく、カオルも「そればかりは避けられないか」と頬をぽりぽり、視線を窓の外へと向けた。
馬車の窓から見える街並みは、エルセリアの街と比べても大きな差はなさそうだった。
規模の差くらいはあるだろうし、建物の材質からして違いはあるが、建築物の間隔はそこまで開いておらず、高さも変わらず。
歩いている人を見ても、それなりに栄えている街らしいのはよく解った。
「これだけ栄えてるなら、街を守るにもそれなりの規模の戦力が必要になるよな、多分」
カルナスの衛兵隊は、本部だけで百人程度の衛兵が詰めていた。
その他にも、各村や町を防衛する為の衛兵がいる。
オルレアン村には兵隊さん一人しかいなかったが、このくらいの街の規模なら、相当の衛兵なり騎士なりが詰めているはず、と、カオルも考えていた。
「そんなに被害が出る相手なら、もっと最初から人数出せばよかったのにな」
死人も出た中でそんな事を本人達の聞こえる場では言えなかったが、カオルとしてはそこも疑問に思えていた。
騎士団本部は街の入り口からほどなくの場所にある。
オーガが現れてすぐに飛び出したとはいえ、街の周りを守っていた人数がそのままオーガ討伐に向かっていれば、カオル達が手を出さずとも討伐はできたのではないか。
そう思うと、たった四人で挑んで壊滅しかけていたあの人達が、どこか向こう見ずだったように思えたのだ。
「よほど自信があったか、そうしなくてはいけない理由があったんじゃないですか? オーガの出現が本当に唐突だったとか」
「まあ、そういうのはあるかもしれないか」
サララの言い分にある程度は納得ができるのだが、それでもカオルは「ちょっと無茶だよなあ」と、視線を馬車の床へと向ける。
仕方ない状況だったのかもしれないが、もうちょっとなんとかならなかったのだろうか、と。
サララもそんなカオルを見て、黒髪をさわ、と手で弄りながら「んー」と口を開く。
「ただまあ……カオル様の言い分も解りますよ。もしかしたらあの人達は、オーガを直接攻撃するのではなく、あくまでけん制する為に出ただけの、先遣隊とかだったのかも」
「先遣隊って?」
「本隊が動く前に、足の速い人達とか、とにかくすぐに動ける人達を行く先に回しておくんですよ。そうやって、現場の状況をあらかじめ見極めさせたり、敵の足止めをしたりするんです」
「直接戦ってたのは、あの人達にとっても想定外だったかもしれないって事?」
「その可能性もある、っていうだけの話ですけどね。確認した訳でもないですし……これから、そういったお話も聞けるかもですけど」
そう言いながら、御者席のゴートの方を向いて、またカオルの方に向き直る。
これから向かう先は、この街を治めるカリツ伯爵の館。
ならば、騎士団がなぜそのような行動を取ったのかも、なんとなく解るのではないか。
サララの言葉からそんな可能性を感じて、カオルも「そうかもしれないな」と、はっきりと頷く。
とにかく、状況が把握できなかった。
今後もまたこんな事になるようなら、ラナニア国内を動くのにも支障が出かねない。
情報が圧倒的に不足している今、動く為にはやはり、カリツ伯爵から話を聞かねばならない。
それを痛感し、カオルもサララもこれからの展開に、想像力を働かせることにした。