#14.オーガ怖い……怖くない?
アイネらの一行が賊を退治しながら進む一方、カオルらは、カリツ伯爵の治めるレナスまで、あとわずかというところまで来ていた。
街道の上も脅威らしい脅威はなく、道行く人ものんびりとした様子で歩いていた。
そのように人が多く歩く道なので、軍馬車もまた、速度は出さずに普通の馬車と大差ない速度で進む。
「もうすぐレナスですけど、カリツ伯爵と会う、というお話でしたっけ?」
国境から引き続き手綱を握るゴートに、サララが荷台の中から頭を出して確認する。
ゴートも、サララが顔を出してきたのに気づき、視線はそのままに、小さく頷いて見せた。
「ええ、まずはカリツ伯爵と会って、ラナニアの現状について細かく説明を聞いていただきたいのです。我々が聞いた情報と現状とで、何かしらズレがあるかもしれませんから」
「タイムラグが発生してるかもしれないって事か?」
そのままサララのお尻を眺めているのもなんだからと、カオルもサララの横に並んで顔を出す。
あまりやらないことながら、こうやって前を見ていると御者席に居る時よりも低い視点で地面が見えて、カオルはちょっと酔ってしまいそうになっていた。
「まあ、そういう事ですね。何せ陛下がカリツ伯爵よりラナニアの国内事情を聞いてから、かなり経つようですから――場合によっては、より深刻な状況に陥っている可能性もあるのです」
「王様がその人から話を聞いて、今回の事に繋がった訳か」
「陛下もすぐさまラナニアに干渉を、とは考えておられなかったようですが……事態が悪化するにつれ、看過できなくなったと判断されたようです」
「まあ、自分の国にまで飛び火するかもしれないって思ったらそれも仕方ないですよねえ」
政治的な判断は、カオルにはまだよく解らなかったが。
自分以上に賢く、政治にもある程度明るいらしいサララがそう言うのだから、と、異論は唱えずにいた。
本当は、そう言う部分こそ王様からちゃんと聞かせて欲しかったのだが、やはりあの王様はそういったところは隠したがる性質のようで、カオル的にはそこが残念に思えた。
まだまだ、腹を割って話せるような関係にはなれていないのだ。
(友人っていっても色々あるだろうしなあ。まあ、今はまだこれでも仕方ないよな)
王様が自分の願いを聞き入れて友人になってくれただけでも奇跡のような出来事のはずである。
カオルもそれが解っているから、この件に関してはあまり深く考えないようにした。
あの王様の事、自分の知らない様な『裏の事情』をいくつも抱えているのだろうから、と。
そんな感じに少しずつ、レナスについてからの行動などをゴートと確認していたカオル達だったが、少し進んだ辺りでポチが『ブルルッ』と耳をピン、と立てて足を止めた。
まるで「何かあったようだぞご主人」と伝えたいかのようで、カオルの顔をちら、と見て、また前方を向いていた。
「何かあったのかな?」
「んー……ちょっと待ってくださいね」
丁度丘の手前の道で、坂道になっているせいで先が見通せないのだ。
サララが耳に手を当て、「しー」と指を口元に当てる。
しばし、耳を傾けるサララを見つめるカオルとゴート。
「んん……戦ってる」
「戦ってる? 賊でも出たのか?」
「いえ、それにしては数が……それに音も派手というか――あっ、一人吹き飛ばされたっ」
「避ける道もありますが……」
サララの分析を聞き、ゴートは即座に逃げを判断できるようにカオルに伝えるが……カオルは「いいや」と首を横に振った。
見つめるは前方。
まだ見えていない坂の向こう側である。
「このまま進もう。何かがいるのかもしれない」
「いいのですか? その……いらぬことに首を突っ込めば、どのようなことになるか……」
「だとしても、放っておくのは後味が悪いからさ」
頼むよ、と、手を合わせながらお願いするカオルに、ゴートは小さくため息をつき「解りました」と、軍馬車を動かす。
彼としては、目的第一でまずカリツ伯爵の元にカオル達を届けたかったのだろうが、カオルの性質上、無視はできなかったのだ。
(まあ、この方ならそのように判断するか……でなくては、数々の武勲も挙げられぬ)
それとなくマシューからカオル達の性格や好ましい事を聞かされていたゴートは、呆れというよりは納得の面持ちで、その性質を評価する。
まだ彼らが英雄と呼ばれる程の武勲を挙げているところは見ていないが、彼なりに、それに見合ったところを探そうとしていた。
「お、おいっ、それ以上行くと危ないぞっ」
そのまま進み、坂の上に到達しようかというところで、行商らしき若い男が現れ、カオル達に話しかけてきた。
頬に汗を流し、血相を変えたただならぬ様子。
「何か起きたのかい?」
サララと顔を見合わせ、カオルはホロから飛び出し男の前に立つ。
ちょっと驚きはしていたが、男も「ああ」とカオルの顔をまじまじと見ながら口を開いた。
「オーガだよ。街の向こう側の森から、突然こっちの方に現れたって――今、街の騎士団が応戦してるみたいだ」
「オーガか。それはまた……けが人とかは? あんたは大丈夫なの?」
「ああ、俺は街に行こうとしてただけだから……でも、騎士の人達はヤバいかもしれないぞ。何せオーガだ。いくら騎士でも、犠牲無しで勝てるかどうか……」
歯ぎしりしながらも細かく説明してくれるこの若い行商に感謝しながら、「分かった」と、カオルはまた馬車に戻る。
それを合図に、そのまま進む馬車。
「お、おいっ、まだオーガがいるはずだぞ! それに騎士団の戦いの邪魔になっちまうよ!」
「手伝うなら問題ないんだろ?」
「はっ? えっ!?」
「我々はエルセリアからの役人だ。ある程度戦う力はある。カリツ伯爵に用があってきたのだ」
「え、エルセリアのっ……あ、ああ、そういう――そっか、軍馬車か、これ」
ゴートの説明を聞き、馬車横に象られたエルセリア王国の象徴・フレースベルグの紋章を見て、行商も納得した様子だった。
「それじゃああの、気を付けて……俺も、少し落ち着いたら行くことにするよ」
「ああ、ありがとうな」
「お気を付けて」
どうにも人がいいらしいこの行商、幾分顔色が良くなったのか、ぎこちないながらも笑顔を見せ、手など振っていた。
カオル達もその様子に微笑ましさを感じ、ひと時の癒しを覚える。
……それが戦う前の、わずかな癒しとなった。
《ドゴォンッ》
巨大な石柱が、黒鎧に身を固めた男に容赦なく叩き付けられた。
「ふぐぉっ――はがぁっ」
まるで紙切れのように宙を弾け飛び――地面と激突し、呻く。
即死こそしなかったものの重傷なのは見ただけで解るほどで、四肢が痙攣している事からただちに手当てが必要なのは、その場の誰もが解っていたであろう。
「くっ、ライナーさんっ」
「駄目よマズコフ! 今貴方まで戦列を離れたら、オーガに突き崩される!!」
「解ってるけど……でもっ、このままじゃライナーさんがっ!!」
「落ち着かんかマズコフ。辛いかも知れんが、今は捨て置けぃ」
まだ息がある騎士を見捨てられぬ若い騎士が、他の騎士らに制され、激する。
だが、戦況思わしくない今、迂闊に隊列を崩せばどうなるか。
彼らは、カリツ伯爵麾下の騎士団員。
オーガの出没を察知し、即座に街から飛び出し対処しようとしたのだが――平地の上真正面からの対峙とあっては、彼らにはいささか重い相手であった。
『グゴゴゴゴゴゴ! 弱い、弱すぎるわぁっ!!』
対面するオーガは余裕の表情で投げつけた石柱を掴み、片腕で肩の高さまで持ち上げた。
人の身の丈三人分ほどの巨体。
オーガとしてもやや巨漢で、頭から首元にかけての体毛も濃い、変わった個体であった。
『ワシを倒したくば、この十倍は連れてこい!! ウルルルルルォォォァァァァァァッ!!!!!』
「来るわっ」
「回避しろマズコフっ!!」
「ううっ、うわあああっ!!」
前列に二名、後列に一名といった隊列で対抗しようとしていた騎士達は、オーガの突進を回避せんと跳び退いたが。
『グゴゴゴァッ! それが浅はかと言うておる!!』
「あぁっ!?」
その勢いを僅か数歩で殺しきり、石柱をその場でぐるりと回し、狙いをつける。
オーガが見ていたのは――マズコフと呼ばれた若い騎士を後ろから引っ張り離れようとした、女性騎士だった。
「――生きてっ!」
「カルラさんっ!?」
「カルラっ!」
刹那、女騎士は若い騎士を突き飛ばし、自らの回避を捨てた。
《ガボンッ》
石柱は、女性騎士に直撃。
胴にまともに受け、一瞬で意識を持っていかれた女騎士は、地面から突き出た岩に頭から激突し、そのまま物言わぬ身体となった。
「おのれぇっ、おのれ化け物がぁぁぁぁぁっ!!!」
「いかんっ、マズコフっ、下がれぃっ!!」
暴走し剣を片手に特攻を仕掛けようとした若い騎士に、熟練の騎士がなんとか静止させようと試みるも、すでに遅く。
『グゴゴゴゴゴッ!! ばぁかめぇぇぇ』
既に、二打目が振るわれていた。
《ブォンッ》
「ああああぁぁぁぁぁっ!!!」
マズコフと呼ばれた騎士も、それ自体には気づいていた。
だが、理性以上に暴れ狂う身体が「そんなこと知るか」と「せめて一撃喰らわせてやる」と、彼に静止を命じなかったのだ。
止まらない。オーガの攻撃も、彼の足も。
熟練の騎士は、思わず目を背けた。
死を見慣れた彼であっても、あまりにもむごたらしく、やるせない死が、そこに生まれてしまう。
『……オ?』
――だが。
オーガの石柱は、果たしてどこにあったか。
そのままであればマズコフの頭を粉々に砕いたはずの石柱は――粉々に砕けていた。
「――命中っ!」
石柱の代わりにあったのは、なんともみすぼらしい棒切れ。
エルセリアを救った英雄の武器が、そこにあった。
『なっ、なっ、なぁっ!?』
突然の事に驚愕したのはオーガである。
自らの得物を破壊され、殺せたはずの相手を殺せなかった。
それだけではなく、突如現れた軍馬にも驚きを隠せずにいた。
「サララっ、ゴートさんっ、そこの倒れてる人達を馬車にっ! 手当とか頼むっ!!」
「解りましたっ!」
「レナスの騎士よっ! 無事な者は負傷者を馬車に入れるのだ!! 我らはエルセリアの者だ!!」
名乗りもなく現れた謎の集団に、生き残った騎士達も困惑を隠せずにいたが。
カオル達に敵意が無さそうな事とゴートの名乗りによって、自分達の元に現れた救援なのだと気づき、我に返る。
「マズコフっ! 救援だっ! ライナーとカルラを馬車に乗せるぞっ!!」
「あっ……は、はいっ!!」
オーガの正面に立っていたマズコフも、離れた場所に居た熟練の騎士の指示にいくばくか冷静になり、すぐにオーガの前から離れた。
幸い、追撃らしいものはない。
既にオーガは、目の前の弱卒などではなく、自分の武器を破壊したカオルを凝視していたのだ。
『貴様か、ワシの武器を破壊したのはぁ……』
「ああ、上手いもんだろ?」
騎士ですら面と向かえば恐怖を覚える凶悪面を前に、カオルはにやり、軽妙に笑って見せた。
そこには微塵の恐れもなく。余裕に溢れた力強さまである。
オーガは、憤慨した。
『……魔術師か。だが、武器は壊せてもワシは殺せんぞぉぉぉぉぉっ!!!』
カオルを知らない者にとって、彼の攻撃は魔法の類と誤認されやすい。
そしてカオルを見て、その風貌から魔術師であると勝手に判断する。
だが、オーガは知らなかった。
彼の武器は、女神より授かった神器。
彼は……魔人をも屠る正真正銘の英雄である。
『ゴルルルルルルァァァァァァァァッ!!!!』
一睨みした後のオーガの突進は、先ほど騎士達に繰り出されたものよりはるかに速く、勢いも激しかった。
巨大な岩山を思わせる巨体が、たった一人の青年に向け叩き込まれようとしていたのだ。
「いかんっ、逃げろぉっ!」
「ああっ、そんなっ――」
「……へっ」
他の騎士を救助しようとしていた騎士達も、これを見てカオルの死を予感したのかもしれない。
無理もない。自分達ですら回避に精一杯になるほどの速度である。
オーガにしても、この個体は幾分、動きが洗練されていた。
「遅いんだよぉっ!」
『ふごっ――ごがぁぁぁっ!!!』
だが、カオルには当たらない。
すれ違い際の回避は的確に、かつ瞬間的でフェイントを許さない。
更にカウンターとばかりに棒切れカリバーを、走り去るオーガへ投げつける。
《グァンッ》
『グギャァォァァァァァァァッ!?』
圧し折れる鋼の右足。
いいタイミングだったからと投げつけただけだったが、これが右のふくらはぎにクリーンヒットし、膝から下が圧し折れた。
『アギィッ!!! ヒギッ、ヒグゥゥゥゥッ!!!』
激痛に、そのまま倒れ込み転げまわるオーガ。
カオルは……油断せず、その正面に立つ。
笑ったりしない。恐れもしない。
ただ……平然と人を殺すこのオーガという生き物が、どうしようもない存在に見えていた。
かつて自分を平然と殺そうとしたあの賊達と同じ、同情の余地もない様な存在のように。
「……もう終わりかい? なんなら立ち上がってきてもいいんだぜ?」
『ヒッ、グッ、グゥゥゥゥッ!? な、なんなんだお前はっ、なんでっ、なんであんな動きを――!?』
「さあて、なんでだろうな……それをお前が知る必要なんてないだろ? 立ち上がれないなら、ここでもう、終わりだよ」
『ウ、ウググ……ヒィィィィィィィィィッ!!!!!』
暴威を以て騎士達を壊滅させようとしていたオーガはしかし、それ以上の圧倒的な相手に、絶叫を以て逃避するしかできなかった。
まるで子供のように涙と涎を垂らし、小水を盛大に漏らしながら残った手足で逃げ回ろうとする。
だが、カオルは既に構えたまま、狙いを定めていた。
「お前の攻撃はドラゴンに比べりゃ迫力もないし――ベラドンナに比べりゃ、お前なんて――止まって見えるよ!!!」
『ひぎゃぁぁっ、タスケッ、タスケテクダサイ、レイアネーテサマァァァァァァァァッ!!!』
最後の言葉が他人頼みというなんとも惨めな有様で。
オーガは、カオルの投擲した棒切れカリバーを頭に受け、倒れ伏した。
強靭を誇った鋼の肉体も、女神の神器の前には敵ではなかった。
というより、オルレアン村で生き、ベラドンナ戦を経験したカオルにとって、オーガの動きは本当に鈍く見えたのだ。
「やっぱりスライムより怖くなかったな」
ぱんぱん、と、手や服についた汚れをはたきながらオーガへと近づく。
ここで不意打ち狙いで飛び掛かってくるようなら、至近距離から棒切れを投げつけてやるつもりで。
ただ、頭を踏みつけるとぐにゃ、と嫌な感触が靴の裏に伝わったので「ああ、これ無理だわ」と察してすぐにその場を離れた。
オーガの討伐、完了である。