#4.初勝利、それから
「はぁっ、はぁっ――ぁっ、ぐっ……うぁっ!」
――平地であった。
豊かに緑生い茂っていたはずの森は、短時間のうちにその姿を大分変化させ。
カオルの居た辺りを中心に、半径100mほどが跡形もなく消し飛び、まっさらの荒地と化していた。
空すら呑み込まれ消滅した空間。
それらがじわじわと謎の音を立てながら、やがて修復されていくかのように元の形に戻るころ、カオルはようやく、自我を取り戻した。
「くぅっ、うぅっ、うぐっ――はぁっ」
というより、取り戻させられた。
盗賊に向けて突き刺した棒切れカリバーは、正しく女神様の仰ったとおりの威力を発揮したのだ。
盗賊は愚か、空間ごと灰燼と成したのだ。
当然、カオル諸共。
だが、カオルは死ななかった。死ねなかった。
この世界に来る際に獲得した特典、女神様の呪……加護が発動していた。
廃絶された空間に吸い込まれ、四肢を引きちぎられるような激痛を味わった後、今度は麻痺した感覚が無理矢理に再生され、引き戻されていくのだ。
当然、その時点で失っていた痛覚までもが再生した。
激痛は、まるで逆送りにしたかのように繰り返された。
そんな中、精神がおかしくならない訳がなかったが、それすらも修復されていく。
そうして完治するのだが、完治しても空間は断ち切られたままだったので、カオルは再び飲み込まれ、同じように気狂いするほどの激痛と完治とが繰り返されていった。
地獄のような苦しみ。いや、地獄ですらもう少しマシなんじゃないかとカオルが感じたほどに、その時間は凄惨なものであった。
そんな拷問のような時間が30分ほど続いたのち、ようやくカオルは息を整え終え、ぺたり、その場に座り込む。
目の前には100mほどの平地。そして、その先にある、妙に飛び出た崖。
先程までは見えてすらいなかった、森の奥の丘だったものである。
変わり果てた景色を見ながら呆然とし、やがて「ふぅ」と息をつき、なんとか立ち上がる。
涙は、とうに枯れ果てていた。もう出るモノも出ない。
「ちくしょう。痛いじゃねぇか。女神様め」
想像以上に痛くて愚痴る。「こんなもの誰が二度と使うかよ」と、棒切れを投げ捨ててしまおうかとも思ったが、それによってまた同じことが発生したらそれこそたまらないので、投げようとするモーションだけでやめて、再び腰に戻した。
(でも……確かに死なないんだな、俺)
改めて考える。
以前女神様に言われた通り、本当に死なない身体になっているようだった。
あれだけ刃物で刺されたり、爆ぜた空間に飲み込まれたりしてもなんだかんだ修復されたのだ。
その工程こそ狂気の沙汰を感じさせたが、確かにカオルは今、生きていた。
棒切れカリバーの威力だって偽りはなかった。
自分ごと巻き込まれるのだけはカオル的に嘘であってほしかったが、そんなところまで本当であった。
嘘つき女神様の癖に、偽りではなかったのだ。
それともう一つ……不思議な事に、衣服はそのままであった。
どうやらカオルの身体同様に吹き飛び千切れた後に再生したらしく、盗賊相手にブチ切れて棒切れを突き刺す、その直前のままの状態だったのだ。
(……うへぇ)
当然、股間は濡れたままである。スースーしていた。
風が吹き、その冷たさに震えてしまう。
(川に戻ろう……うん、そうしよう)
虚しさばかりが募る。
せめて、盗賊の遺品でも残ってれば討伐の証にできたのだろうが、そんなもの、このまっさらな大地の上に残っているはずもなく。
妙に冷静な心持ちのまま、カオルは崖に背を向け、立ち去ろうとした。
(……でも、俺)
ゆっくりと歩きだしながら、カオルは少しずつ、考えを巡らせていく。
ようやく、頭に血が通い始めてきたのだ。
感じたのは、拳に残る、武器を持った時の感触。
(勝ったんだよな。敵に)
初めての戦闘。初めての勝利。
どう見ても格好の良いモノではなく、失禁までしてしまい、そして得られるものも何もなかったが。
確かに、悪党相手に戦い、勝ったのだ。
それが例え、女神様からもらった強力な武器によるものだとしても。
例え、女神様からもらった特典によるものだったとしても。
(ああ、勝ったんだ、俺)
その勝利の余韻は、勝利の感覚は、カオルに少しずつ、だがじんわりと、達成感を伝えていく。
ほんのりと熱くなる頬。
少しずつ早くなる鼓動が、ようやくにして、彼に勝利の昂揚を、生還できた喜びを、味わわせていたのだ。
ひ弱だったあの自分が、屈強な盗賊団を、壊滅させてやったんだ、と。
「……ははっ」
つい、嬉しくなって笑ってしまった。
カオルという少年にとって、実感できるほどの勝利なんてものは、人生においてそう多くはなく。
だからこそ、命がけで戦い、勝利したという成功体験は、それが例え血なまぐさいものの上にあったのだとしても、強い喜びとなっていた。
ただ努力していただけの彼が、明確にそれまでと違ったところと言えば、それくらいであった。
だが、その違いが、これからの人生全部を変えるほどの大きな転換期にもなりうるのだ。
『――ふはははははっ!!! よくぞワシの可愛い手下どもをやってくれたなぁ!!!』
満足しながら川へと向かおうとした、そんなカオルの足を止めさせたのは、背後にある崖の上からの、大きな声であった。