#11.異国入国ラナニア突入
しばらくの間、立往生は続いたものの。
リュース河を泳ぐ魚や鳥をサララと一緒に眺めている間に、ようやく馬車が動き始める。
――大体一時間くらいか?
日の傾きからカオルがそんな事を考えていると、また《ギギ》と、車輪が止まる音。
僅かな揺れと共に、馬車が再び停止した。
「入国目的は?」
「エルセリア王国、王宮よりの遣いです。レナスにてカリツ伯爵との定例会談がありますので、それに」
「ふむ……」
正面を見てみれば、エルセリアとは異なる異装の兵隊二人が、ゴートと話している最中だった。
黒いコートと革鎧、黒兜、それに銀色の槍。
エルセリアではあまり見ない、寒冷地で着るかのような装備である。
これがラナニア国境兵の制式装備であった。
サララも同じようにカオルの隣でじ、と、息をひそめ、成り行きを見守る。
「人数は?」
「私を含め三名。三名とも王国の役人です」
「一応馬車を検めさせてもらっても?」
「構いませんよ。どうぞ」
ゴートが許可するのと、兵隊が馬車の扉を開くのはほぼ同じタイミングだった。
答え等聞くつもりもなかったのか、それとも返答が解りきっていたからタイミングを見計らっていただけだったのか。
いずれにしても、話の流れから来ると解っていたので、カオルもサララも驚いたりはせず、神妙な面持ちで兵隊を見やっていた。
手に手配書を持った兵隊が、まず最初に目を向けたのは……やはり、一番目立つサララであった。
座ったままのサララを前に、腰をかがめながらその頭についた猫耳を凝視する。
「猫獣人の娘か……エルセリアは、獣人でも役人になれるのか?」
「我がエルセリアはエスティアとも友好関係にありますので。そのツテで優秀な人材が登用される事もあるのです」
「なるほどな……まだ幼いが、確かに賢そうな顔をしている。エルセリアは人材を優秀さで選ぶのか」
こちらを窺うように向いていたゴートの説明を聞き、感心したように腕を組み、しきりに頷きながら馬車を見渡す。
カオルへも視線を向けたが、さほど興味も湧かないのか、すぐに逸らしてしまった。
「……うむ。特に問題はないようだ。手間を取らせて申し訳ない」
しばし馬車の中を眺めた後、満足したように「に」と頬を緩め、人の好さそうな顔で笑って見せる。
存外、人当たりの良い兵隊のようだった。
もしサララに変に色目を使ってきたり、逆に若いからと馬鹿にしてくるようならどうしたものかと考えていたカオルだったが、これにはほっと一安心である。
「通過しても?」
「ああ、問題ない。ただ、気を付けて欲しいことがある」
「はい、なんでしょう?」
「我が国は今、民衆の間に妙な信仰が広まろうとしている。悪いことは言わないから、用事が終わったら観光などは考えず、すぐに帰るとよろしかろう」
口調こそ尊大ではあったが、その顔を見れば、これから国内に入ろうとする者に対して、身の安全のための警告をしてくれているのだというのは、後ろから聞いているカオル達にもよく伝わっていた。
「妙な信仰とは?」
「……詳しくは我々の口からは言えん。だが、そうだな……多くの者が、『ありもしないもの』にすがり、熱狂的な空気に包まれている街もあると聞く。そのような者達の前で不用意な発言をすれば、どのようなことになるのかも予測がつかない」
思いもしない所で、ラナニアの現状に関する情報が転がっていた。
恐らくは入った後、様々なところに聞き込みを行って得る情報を、その国に入る前に聞くことができたのだ。
これは、収穫としてはとても大きい。
そして、ここから先に進む事の覚悟を決めるにも、十分すぎる情報だった。
カオルは、緊張気味にサララの顔を見やった。
視線が合い、小さく頷くサララ。
カオルもまた、笑いかけるように頷いて見せた。
――互いに、既に覚悟は決まっていた。
「まさかそんな事になっているとは……」
「少し前まではこれを伝える事すら禁じられていたのだがな。現状のままでは国内に入った者が、いたずらに民衆を刺激しかねん。それを避けるため、こうして通る者には余すことなく警告するよう、エルゼンリッター子爵より指示が降りたのだ」
「それでは、我々の前に入ろうとしていた人達は……」
「ああ、あれはキャラバンの一行だよ。商売の都合上、『市民と接触するのを避けろとは何事だ』と騒ぎだしてね。今は検問で事情の説明と、しばしの行商の停止を申し付けられているはずだ」
「なるほど……」
「貴方がたも、くれぐれも、民衆の前に立つ時には気を払っていただきたい」
「分かりました。ご忠告、感謝しますよ」
「うむ。どうか使者殿が良き旅をされる事を」
一通りの忠告が済むや、それ以上の足止めはなく、《がしゃ》と、手に持った銀色の槍を肩に立てかけ、兵隊二人が道を譲った。
馬車がまた、ゆったりと進む。
兵隊二人の視線はそこから動かないままだったが、カオル達が扉の後ろから見ると、先ほど入ってきた兵隊が「に」と、笑いかけているのが見えた。
手こそ振らないが、どこか好感が持てる、そんな笑顔だった。
「――おつかれさまでしたー! いやー、すみませんねえ長くお待たせしちゃって!」
そうして、その先にある検問。
こちらで本格的な入国審査をするらしいのだが、ここの入国管理官は、妙にテンションの高い女性だった。
丸眼鏡にニキビ、長い茶髪の、黒い外套を羽織った軍人風の女性である。
そんな女性が、ボードを手に、馬車を降りたカオル達の前に立っていた。
「エルセリアからの使者の方ですよね? カリエ伯爵との面会にいらっしゃった!」
「カリツ伯爵ですね~」
「……あらやだ失礼。私としたことが~」
些細な間違いではあったが、サララは見逃さず、はっきり指摘する。
幸いというか、それで和やかなムードが崩れたりすることはなく、管理官はニコニコ笑顔で対応していた。
「それでは早速、『通行手配書』を見せていただけますか~?」
「『通行手形』ですよね?」
「はい?」
「『通行手形』ですよね?」
「……うふふっ、そうですねっ」
再度、妙な事を口走る管理官。
やはりサララがはっきりと否定すると、口元を抑え「よかった」と目を細める。
先程までのにこやかな表情はどこへやら。
毅然とした、気の強そうな釣り目が、カオル達を見つめていた。
「失礼しました。使者を偽る賊もたまにいるもので。気を悪くなさらないでくださいね?」
「あ、そっか、試されてたのか」
ここにきてようやくカオルも管理官がわざと間違えていたのに気づき、試されていたのだと理解する。
ここでもし、言われるままに『カリエ伯爵』や『通行手配書』と言われて頷いてしまったり動揺してしまえば、そこから追及を受ける事もあったのかもしれないのだ。
(なるほどなあ。確かに、怪しい奴をあぶりだすのには誘導尋問が有効なんだなあ)
納得しながらも、これに似たような事を、カオルは思い出していた。
そう、オルレアン村での、ネクロマンサー騒動の時である。
あの時はカオル達が誘導尋問する側だったが、今回はされる側になったのだ。
される側になって、カオルはようやくその恐ろしさに気づけた。
恐らくサララが傍に居なければ、うっかりこの管理官に言われるまま頷いてしまったのではないか。
ゴートがいる以上そんな間違いは起こらないかもしれないが、それでもちょっとしたひやひやモノである。
普段自分がどれだけこの賢い猫娘に助けられているのか、というのを理解するに十分な一件であると言えよう。
「……んに? どうしました?」
「いや、ちょっと背が伸びたかなあって」
「えっ? ほんとですか? やたっ、ちゃんと伸びるんだ~」
えへへえ、と子供っぽい笑顔を見せるサララにちょっと癒やされながらも、カオルは自分がその時感じたサララ依存を、一旦は仕舞い込むことにした。
今考えても、今の状況には合わないのだから。
「それでは早速、通行手形の確認をさせていただきますね。まずは貴方から」
そうこうしている内に、ちゃんとした確認作業が始まった。
まずはサララが提出を求められ、手形を管理官に渡す。
「離してみますねー」
管理官が手に持ったままぐ、と、離れようとすると、手形がぶわ、と、一斉に足を出し、ばたつかせ始めた。
「うわ」
「うふふ、暴れてる暴れてる。可愛いなあ」
やはりというか、この光景はまだ見慣れていないカオルとしてはぞわ、と背筋が痒くなる瞬間ではあったが。
サララは逆に、そのうぞうぞと動く小動物の様に癒しを感じるらしく、ほう、と脱力気味にため息をついていた。
「はい。確かに貴方の手形のようですね、それでは、次はそちらのお兄さんの手形を見せてくださいな」
「ああ、解った」
言われて渡そうとするが、首から紐を外し、管理官の手に渡そうとした瞬間、手形が暴れ始めた。
「うおっ、お、俺の手の中で暴れるなっ、こらっ」
「あらあら……アンカリからここまでそんなに長い時間一緒に居たんですか? ここまで手形が懐くなんて珍しいですねえ」
「本当、何をやったらここまで懐かれるんですかねえ? 興味深いです」
管理官と二人して「不思議ですねえ」と首を傾げるサララ。
しかし、そんな二人を余所に手の中でこしょこしょと足を動かし続ける手形に、カオルはどうしたらいいか解らなくなっていた。
手放すと落ちてしまいそうだし、かといって管理官に投げ渡す訳にもいかない。
足の一部が袖に引っ掛かり、離れようとしないのも困ったところである。
「これだけ懐かれてるなら、まあ、違法取得品や窃盗品という事はなさそうですね。合格です」
「えっ? 見なくていいの?」
どうするんだこれ、と途方に暮れていたカオルだったが、管理官からの意外な一言に、思わず力が抜けてしまった。
どうにかしなくてはいけないと思っていたのに、何の問題もなかったのだ。
管理官も別にふざけた様子もなく、腕を組みながらカオルの手先で今なお暴れ続ける手形を見やる。
「必要ないですねえ。これだけ手形が離れたがらないという事は、よほど貴方は善人か、手形にすら感じさせないくらいに心を押さえつけられる人って事でしょうし。後者だった場合でも私達には立証できないでしょうから、手形を使っての人格判断は無理そうです」
「じ、人格判断とかできるんだ……」
「ラナニア式では人格判断をするところまでが入国審査ですからね。そちらの猫獣人のお嬢さんは可もなく不可もなくって感じでしたが」
「それくらいが一番なんですよ」
にっこりと笑うサララ。
これはもう、「可もなく不可もなく」と言われたのを気にしている証拠である。
カオルにこれ以上突っ込まれたくないから気にしてないアピールで先手を打ったのだ。
カオルもそれが解っているので、敢えて言及はしないが、思わず苦笑いしてしまっていた。
(俺なんかじゃ解らない事でもすぐに気づいたりするけど……やっぱサララはサララだよなあ)
どれだけ賢かろうと、やはりサララは、自分の知る女の子なのだ。
それがどこか安心できて、カオルには嬉しかった。
手形をそっと自分の近くに寄せれば、それまで暴れていた足を引っ込め、ぴた、と動かなくなる。
どうやら主人の近くに在る事で安堵する生き物らしいと理解し、カオルは「こいつも考えようによっては可愛いかもしれないな」と思うようになった。
なんとなく、サララに似てるような気がしてしまったのだ。
あくまでなんとなくそう思っただけで、それらしい根拠なんてどこにもないのだが。
その後ゴートも審査に受かり、めでたく三人は、正式にラナニア国内に入国する事に成功した。