#9.リュース河を眺めながら
「これはゴート殿」
「お待ちしておりました」
翌日、国境の町アンカリにて。
日の出と共に宿を発ったカオル一行は、町を抜けた先にある巨大な橋の入り口にて一旦、足を止める事になる。
橋の入り口には簡易的な検問があり、出入国管理の兵が二名、カオルらを待っていたのだ。
こちらはゴートが馬車を操馬する事で余計な手間もなく、歓迎されているのが解る程度には朗らかな様子である。
「ラナニア側の様子はどうか?」
「ラナニア軍の動きに変化はありませんな」
「少なくともこちらに強襲してくる事はなさそうです」
「それは結構」
国境を流れる大河『リュース河』を眺めながら、ゴートは小さくため息をつき、またきり、と頬を引き締めた。
「我々はこれより任務に入る。最悪の場合即時撤退を考慮する事もあるかも知れない。常にラナニア側の動向には注意を払ってくれ」
「承知しました」
「どうぞお気をつけて」
必要なことは話した、という事で、ゴートが手綱を揺らし、馬車を動かす。
兵達も手に持った槍を大きく顔の前に立て、道を譲る。
ポチもまた、空気を読んで猛ダッシュしたりはせず、ゆったりと普通の馬の速度で馬車を引っ張っていった。
こうして一行は、エルセリアを出国した。
「ラナニアって、今は一応友好国なんだよな? だけど、警戒してるの?」
ホロから顔を出し、カオルは先ほどの会話で感じた疑問をゴートに問うてみた。
一応、今までの経緯でカオルもラナニアの状況が混迷の中にあるのは想像がついていたが、それにしてもエルセリア側の防備は厳重という他ない。
出入国管理の兵だけではない。
アンカリから国境に至るまで、今までと比較にならないほどの野営陣地や砦が構えられていたのを、馬車の窓から見ていたのだ。
その中には、カオル達の乗る軍馬車と同型のものもいくつも見られ、エルセリアの軍事力の高さを垣間見れた。
そして今、橋の上から見えるリュース河沿いのエルセリア側――こちらにも、大多数のエルセリア軍と思しき集団が見えていたのだ。
こういった光景を見慣れていないカオルは「これ戦争直前なんじゃ」と、嫌な汗が頬を伝うのを感じずにはいられなかった。
だが、ゴートは「ああ、それですか」とさほど気にした様子もなしに説明を始める。
「アレはポーズですよ。そういう風に見せないと、国の東側の民衆や国境付近に領土を持つ貴族が不安がるんです。何せラナニアとは五十年前まではとても険悪な関係にありましたし……国交をまともに築けるようになったのだって、ここ二十年ほどの事ですから」
「って事は、別に戦う気があって兵隊さんを置いてる訳じゃないって事かい?」
「そういう事ですね。もし何かあってあちらが攻めてきた場合はその限りではありませんが、少なくとも現状、我々からラナニアを攻撃する理由も、メリットもありませんしね」
時代は変わったんですから、と、おどけたように軽く付け足すゴート。
カオルは「役人っていっても、ただお堅いだけじゃないんだなあ」と、初対面の堅そうな印象を修正することにした。
「それを聞いて安心したぜ。あの王様の事だから、何かあったら攻め込んだりする気なんじゃ、とか思っちゃったよ」
「陛下はあんな感じの方ですが、それなりに国の平和を重視する方ですので……手段は択びませんが」
「確かに手段は択ばない人だよな、割と」
「ええ、私もそうですが、臣下の者は色々気苦労が絶えません」
何せカオル達もいいように振り回されたくらいである。
日常的に付き合ってる臣下の者にとって、あれほどやりにくい相手はないだろうな、とはカオルも容易に想像がつき、ちょっとだけゴートに同情していた。
間違いなく名君なんだろうけど、もうちょっと手段は選んでほしいとも。
そんな事を話していると、カオルの横からちょこん、とサララが顔を出す。
ちょっと眠そうで線目になっていたが、会話に混ざりたかったらしい。
「どんな手段を選択しようと、結果としてそれで国が栄えれば国王としては正しいはずですよお」
普段はそんな事毛玉ほどにも感じさせないのに、時たまこうして重みのある発言をしてくるのが、サララという少女であった。
これにはカオルもゴートも顔を見合わせ、小さく頷いてしまう。
「サララが言うと変な説得力があるな」
「王族の方が言うからこその重みというものですね」
この場において、サララのみが持つ王族としての血筋。
それだけでもう、一般人とは明らかに違う、そんな何かを持っているのだ。
それを感じて、二人は納得してしまっていた。
「まあでも、どこもかしこもそんなに上手く行く国ばかりじゃないんですよ。王族だってきっと、色々考えて、ままならない何かを抱えていたりするんです」
「サララもそうだったのか?」
「サララは毎日楽しく生きてるだけで幸せでしたよ? たまにお魚が食べられればすごい幸せでした」
「毎日食べてるじゃん」
「エスティアという国は国土の割にあんまり川が流れてませんので……お魚はとっても貴重品だったのです」
カオル的にはちょっと踏み込んだつもりの問いかけだったのだが、サララはそれを全く別の話題へと変えてしまう。
嘘をついている訳ではないのだろうが、なんとなくカオルには納得がいかなかった。
だが、この場でそれを追求する気にもなれない。
「……そうか。じゃあ、今魚食べられてるのは幸せなんだな」
「ええ、私、すごい幸せですよ♪」
満面の笑みである。
疑いようもない。むしろこれが演技だったら困る、と、カオルはちょっとだけ安心していた。
祖国の事を想ってか、時たまサララがシリアスな表情をする事は、カオルも知っていた。
そんな時のサララがどんな気持ちなのかを知りたくて問う事もあるが、大体は今のように流されてしまう。
明確に、踏み込んでいいラインではないのだと、そう報せるかのように。
「……もうすぐ国境だろ? どんな料理があるんだろうな」
折角話が食に向いたので、そのまま変えてしまうことにした。
確かに、これからの旅を考えるにあたって、サララの事に踏み込むのは無茶な気もしたのだ。
これは今更のように思った事ではあったが、カオル的に、「そんな事より今は旅を楽しめるような話題を出そう」と思い立ったのだ。
行く先でどんな状況が待ち受けているのかは解らないが、それでもせめて、行けるところまでは楽しく行きたいのだ。
そんなカオルの願いを解ってか、サララも「そうですねえ」と、考えを巡らせるように視線を上ずらせる。
「ラナニアには大陸各地から沢山の物資が集まると言いますから、きっと色んな地方の料理が楽しめるんでしょうねえ」
「ラナニアと言えば酒ですが、お二人にはまだお早いですかな?」
「酒はちょっとなあ。飲めば飲めるけど、酔っぱらうとよくないみたいだから」
「カオル様は悪酔いしちゃうタイプですもんねえ。まだお酒を飲むには早いですよ」
「それは惜しいですなあ。ラナニアに入って、まず真っ先に向かう『レナス』の街なんかは、上物の葡萄酒が飲める事で有名なんですが」
酒の話を持ち出しては、キラン、と光らせるゴート。
勿論そんな彼の表情は後ろにいる二人からでは見えなかったが、それでも「何か変なエンジン掛かっちゃったな?」とカオルが気づく程度には、ゴートは饒舌になっていた。
「葡萄酒って、やっぱ苦い?」
「モノによりますなあ。レナス産の葡萄酒は、ほろ苦い中にもなんとも甘美な味わいが隠れていて――」
だが、カオル自身が振った話題である。
酒の事などほとんどわからないカオル達であったが、どうやら酒好きらしいゴートの酒トークは、中々に暇をつぶせるものなのではないか、と、考え方を変えて付き合う方向で行くことにした。
ラナニア国境到着までの短い間である。
ゴートの酒トークは、延々尽きる事はなかった。