#4.旅立ちの支度
「衣類、大丈夫かな?」
「えーっと、こっちが普段着でこちらの棚が寝間着でこれが肌着で……念のためにドレスとかも用意してありますね! オッケーです!」
カオル達がカルナスに戻って二日後、朝の事。
家の前に馬車を置き、カオルとサララ、そしてリリナの三人は積み荷の確認をしていた。
「旦那様、二週間分の食料と水、調理器具はこちらの箱に。色別に分け、子細はこのメモに記してあります」
「ありがとうリリナ。必要な書類も用意してあるし、農具、釣り具、ボードゲーム……薪もいくらか必要か」
「ちゃんと用意してありますよぉ」
「おー、やるなサララ」
「えへへ~、サララはこう見えて旅支度のプロですからねぇ♪」
既に馬車の中のチェストや樽、木箱などには予定よりやや多めの量の物資が積み込まれており、大量の物資や人員の運搬を主な役割とする軍馬車の荷台も、普段と異なりいくらかはそれらしく見えるようになっていた。
「ポチの分の飼葉も用意してあるし……よし、大体揃ったな。もし忘れてるのがあっても、国境までに途中の村とかで買い足しもできるだろうし……」
「思ったより早く出立の準備が終わってしまいましたねぇ」
しみじみ馬車の中を見渡し、満足げに息をつくカオルとサララ。
今回準備がつつがなく進んだのは、リリナの協力によるところが大きい。
予めある程度の滞在が決まっていたので、街に戻ってからのカオルとサララの行動は迅速だったが、これにリリナが加わり、長旅向けの飲食品の買い付けと衣類の準備を手伝ってくれたおかげで、四日ほどかかる予定の準備が二日で済んでしまっていた。
各所への挨拶にはこれから向かう予定なので実際に旅に出るのは明日になるだろうが、その気になればいつでも出立が出来てしまえる状態が出来上がっていたのだ。
「リリナさんのおかげですね」
「ほんとにな」
雇っててよかった、と、二人ともがリリナを見てにっこり笑う。
当のメイドはというと……相変わらず無表情ながら、楚々と会釈し「ありがとうございます」と、静かに告げる。
カオルなどは年下に見えるこのメイド少女の瀟洒な様に、「プロは違うなあ」と謎の感動を覚えてしまっていた。
「家もちゃんと綺麗なまま守ってくれてましたし、不在の間に起きた問題もきちんと対応してくれていたみたいですし……私の目に狂いはありませんでしたね!」
「サララの目のおかげかはともかく、リリナは頑張ってくれてたみたいだからな。アイネさんと会えないのはちょっと残念だったが」
「王城に向かう前に立ち寄ってくだされば、会う事も出来たかもしれませんが……」
「まさかまた入れ違ってたとは思いもしなかったぜ」
行きは急ぎでカルナスをスルーして王城に直接向かったのだが、これが見事に仇となり、アイネと会う事は叶わなかった。
リリナからの話で、アイネが大変なことになっているというのは聞いていたので、これから向かう教会で詳しい話を聞くつもりだったのだが、それにしてもよくすれ違う村娘である。
カオルもこれには運命のいたずらのようなものを感じずにはいられなかった。
「またしばらくの間家を空ける事になるとは思うんですが……何か、お土産の希望とかあります? 余裕があったらですけど、用事が済んだら買って帰るつもりですから」
「あらあら、私の様なメイドにまでそのような……」
「遠慮しなくていいぜ。一人で家を守ってもらうんだから、これくらいはな」
「それでしたら……本を」
最初こそ遠慮がちに頬に手を当てたりもしていたリリナだったが、カオルの一押しで口に出したリクエストは、やはり本であった。
相変わらずの本の虫。
カオルもサララも顔を見合わせたが、リリナは先ほどまでよりも真面目な表情である。
「ラナニアにはライトノベルや漫画など、余所ではなかなかお目にかかれない書物が大衆にも広く取り扱われております。私も、是非ともあれらの書物を手に取ってみたいと思っておりまして……」
「ああ、解ったよ。それ系の本は俺も気になる所だしな。沢山買って帰るから楽しみにしててくれ」
「沢山……留守の守りはどうぞお任せを! このリリナ、命に代えても!!」
カオルの返答を聞くや、途端に目を輝かせキリっと頬を引き締める有様である。
どうやらリリナの本好きは筋金入りらしい、と、二人は笑いながらも「買いこめるだけ買ってきてあげよう」と考えていた。
昼からは、カルナスを散策しながらも、以前世話になった所に顔を出して、再び出立する事を伝える時間になっていた。
「まあまあ、久しぶりに会う事が出来たと思いましたのに、また旅立ってしまわれるとは……残念ですわ」
まず二人が向かったのは教会。
以前は聖女様が立っていた壇上にはベラドンナが立っていて、二人をにこやかあに出迎えてくれた。
「やっぱり、聖女様はいないんだな」
ちら、と周囲を見渡しても、それらしい姿は見つからない。
いつ教会に行っても見る事のできた、この教会のシンボルの様な人だったので、いないと教会に漂う空気すら変わってしまったように感じて、違和感がぬぐえなかった。
これにはベラドンナも思うところあるのか「ええ」と、眉を下げながらに応じる。
「あの方は現在、アイネさんと二人で王城へ向かっておりますので……カオル様がたとは入れ違った形になりますわね」
「そうらしいですね。リリナさんから聞きましたけど、まさかアイネさんが『封印の聖女』だったとは」
「ええ、私も驚かされましたわ」
この辺りの事情はカオルには今一解らないながら、どうやらアイネが『封印の聖女』という特別な存在らしい事と、それによってアイネがカルナスから旅立たなくてはならなくなったらしい事は理解していた。
ただ、解らないままでは話題に混ざれない。
それはそれで面白くないので、これについても訪ねることにした。
ここに訪れた、もう一つの目的である。
「なあベラドンナ、その、封印の聖女っていうのは、今までここにいた聖女様と何か違うの?」
なんとなしに口に出した疑問ではあったが、しかしベラドンナは若干の困惑を見せ、豊かな胸元に手を当てながら「その事なのですが」と申し訳なさそうに口を開く。
「私も、あまり詳しくは……聖女様がおっしゃるには、『聖人や聖女、各国の王族や要人にしか伝わっていない事』なのだそうで……」
「なるほど、サララ?」
「勿論、知ってますよ」
こういう時に頼りになるのはサララであった。
名前を呼ばれぴょこんと耳を立てながら、ドヤ顔で胸を張る。
「封印の聖女というのは、魔王を封印する為に生まれた、特別な力を持った方の事を指します。必ず女性で、同じく魔王を倒す運命にある勇者と共にこの世界に一人だけ存在する為、『封印の聖女』と呼ばれているのです」
「普通の聖女様とは違う感じなのか」
「そうですね。この教会にいらした聖女様は、各地の教会を統括する聖人という信仰上のカリスマ的な側面と、魔人に対抗する為の力を持った対魔人の抑止力的な存在としての面を持っていますけど」
普通の聖女様でも十分すごいんですけどね、と、補足説明しながら、指を立て、説明を続ける。
「封印の聖女の力はそれはそれはすごいらしくって、並の魔人なんかは余裕で封印しちゃうくらいにトンでもな事になってるようですよ?」
「確かに、地下のゲルべドスを支配していましたから、サララさんの言うように魔人の封印くらいなら余裕なのかもしれませんね……」
「もしかしてアイネさんがいればこの街の問題も簡単に片付いた可能性が……?」
「無い、とは言い切れないのが悲しいところですね」
恋する男でもばっさりと切り捨てていくスタイルである。
説明口調の時のサララは容赦がなかった。
これにはカオルもシュンとしてしまう。
「でも、聖女様がアイネさんと一緒に旅立っちゃったって事は、地下のゲル……なんとかは?」
「そのゲルべドスなのですが……『護衛』としてお二人の旅に同行を」
「なんだって!?」
「それじゃ、魔人を封印から解いてしまった形に……?」
流石にそれはどうなんだとカオルもサララも驚きを隠せないが、ベラドンナ自身も心配なのか、長身を縮こまらせ「私もそれはどうかと思ったのですが」と、声を詰まらせてしまう。
別にベラドンナには非が無いので二人もそれ以上は強くは言わないが、苦労して倒して封印した魔人をこうも容易く解き放たれては心中穏やかではなかった。
「聖女様が言うには、『封印の聖女の前にはこの程度の魔人は無力』との事で……特別何か命じたりしなければ勝手なことはできなくなってるらしいのです」
「それじゃ、一応は安全って事か?」
「恐らくは……私も反対したのですが、聖女様が『大丈夫だから』と仰るので……」
「そのキーがアイネさんか……すげぇことになってるなあ」
魔人解放というフレーズに思わず汗が噴き出てしまったが、うまく制御できていれば確かに役立つには違いない。
ただ、それを制御する為のキーがアイネというのが、なんとなく心配の種になってしまっていたのだ。
不安であった。今はもう、祈る事しかできないのが解っているのが辛いのだ。
「とにかく、何事も起きない事を祈りましょうね」
「そうですね……私も、カオル様がたの旅の無事を祈ると共に、聖女様がたの無事を祈る日々になりそうですわ」
「苦労を掛けるなあベラドンナ。でも、すごく立派だぜ」
「悪魔っぽい部分を見なければ聖女様みたいですもんね」
「そ、そんな、私などは試練に抗えなかった浅はかな女ですので……とても聖女様だなどと……」
褒められると嬉しいのか、尻尾をパタパタさせながら照れ照れと頬を掻くベラドンナ。
長身なお姉さんという出で立ちなのにこれなのだ。
カオルをして「可愛いお姉さんだなあ」と癒やされるものを感じていた。
「衛兵隊、随分それっぽくなってきましたね。新しい隊長さん達も頑張ってるようで」
「ああ、兵隊さんが抜けてどうなるかと思ったけど、あの人達は根性あるよな、やっぱ」
「街も子供が元気に育ってきてますし……はあ、とっても平和ですね。平和、大好き」
「旅籠の女将さん達も元気にしてたし、いや、村に戻る前はここにいたから、そんなに久しぶりってほどでもないんだけどさ」
旅立った後の連絡などをベラドンナに頼んだ後は、衛兵隊本部や以前世話になった『ぱえりお亭』などにも顔を出しながら、のんびりと散策をしていた。
王様の呼び出しがあってから忙しなかったが、一息入れるタイミングというのは重要で、ただ歩くだけでも二人にとっては大切な時間ではあったが。
「カオルさんカオルさん、ラナニアに旅立つって噂で聞いたけど、ほんとなの?」
そんな中、衛兵隊の兵舎近くにあるパン屋の看板娘・ミスティーが声をかけてきた。
いつものカウンター越しではなく、わざわざカウンターから出てきて、カオル達を捕まえるように話しかけてきたのだ。
「ミスティーさん、どうかなさいましたか?」
真っ先に反応したのはサララ。
とても自然にカオルに腕を絡ませながら、ニッコリとスマイルで対応した。
相変わらず年頃の娘さん相手だと警戒心がマックスになるらしく、カオルからは尻尾がぶわっと逆立っているのが見えた。
「いやあ、皆が噂してたから。もしラナニアに行くなら、向こうのパン屋さんがどんなパンを売ってるのか、とか覚えてきてもらえたら嬉しいなーって思っちゃったりして」
「なるほどな、解ったよミスティー」
「それくらいなら。国が違えばパンも違いますもんねえ」
「そうなのそうなの。この街もパン屋が多いからねえ。ちょっとでも他のお店に勝る何かが無いと、競争で負けちゃうから」
パン屋も必死なのです、ととても愛らしい笑顔になりながら語るパン屋の看板娘。
あまり必死には見えないし、この看板娘がいる限りは店は安泰なんじゃないかと思いもするが、カオルは「任せとけ」と笑って見せる。
サララもこれくらいなら怒る様子もなかった。
「それはそうと、新作のクロックマッシュルームなるパンが焼きたてなんだけど、ご試食いかが?」
「おー、新作の試食とは新しいですねえ」
「丁度腹が減ってたんだ」
「えへへー、お礼の前払いって訳じゃないけどね。それじゃ、お店にどぞ~♪」
こんな綺麗な娘さんにどうぞなんて言われたら、その辺の男なら鼻の下を伸ばしてついていってしまうに違いない。
そんな事を思いながら、カオルはどちらかといえば腹の音が鳴りそうな自分の空腹具合のように意識を向けながら、あくまで腕を離さないサララと歩調を合わせて看板娘についていった。
クロックマッシュルームは絶品であった。