#3.国王からの依頼
「折角村で平穏な日々を送っていた所、呼び出してすまんのう」
エルセリア城・謁見の間にて。
カオルとサララはこの日、国王に呼び出され、城を訪れていた。
村でのんびりと過ごしていた中での突然の呼び出し。「急遽にて」との使者の言葉からただ事ではないモノを感じ、二人はできる限り急いだのだが、さしものスレイプニルを用いても二日を要し、今ようやくにして、国王と謁見が相成った状況であった。
「友達が急いでるって聞けば、そりゃ駆けつけるさ」
面倒ごとの気配を感じながらも、カオルは表向き、ニヤリと笑って見せる。
そう、友達の言う事である。無視はできない。
王様ではなく友達だから、という返しに、国王もまた、口元を歪め笑う。
「ははは、嬉しいものじゃな、友というのを持つのは。だが、容易な話ではないぞ?」
「覚悟くらいは決めてるさ」
「頼もしい! ならば、話を聞いてもらうとしようかのう……マシュー」
「……は」
その場にいたのは国王とカオルとサララ、それと護衛の兵のみだったが、国王の声に応じ、文官マシューが奥の控えから現れる。
そのまま国王の横に並び立ち、黒縁の眼鏡をくい、と直しながら口を開いた。
「実はここ二月ほどの内に、隣国ラナニアにて不穏な動きが見られまして。恐らくご存じないカオル殿の為に説明しますと、ラナニアは現在、我が国とは友好関係にあるのですが、王族が数名、民衆によって囚われの身になる、という事件が起きた様なのです」
「ラナニアって……えーっと、ああ、そうだ、東にある国だよな。このお城の、ずっと離れた場所にある」
「そうですね。国境を挟んで、このエルセリアと同じくらいに広大な国土を持つ大国です」
以前見た地図を思い浮かべながら、マシューの話をそれに合わせるように噛み砕いていく。
カオルなりに、相手の話を聞く時に覚えやすくするコツのようなものだった。
「王族が囚われるって、ただごとじゃないな。何か問題が起きたの?」
勉学に乏しいカオルでも、王族が囚われたなんて聞けば生半可な問題ではないのは簡単に飲み込める。
ましてそれが友好国ともなれば、エルセリアも他人事ではないのではないか、と、考えるのだが。
マシューは首を横に振り「私の方からは何とも」と目を伏せていた。
「詳しい事情は分からぬが、王族が囚われの身になるというだけでもう、ラナニアの政情が不安定な状況に置かれていて、放置したならば我が国にも何らか害が及ぶ恐れがある、と、ワシは考えたのじゃ」
「つまり、王様はこの問題をなんとか解決したいって事かい?」
「まあ、そんな感じじゃな」
さらに砕くように国王が説明してくれたので、カオルにもなんとなく自分が呼ばれた事情のようなものが分かってきていた。
そして、自分は何なのかも。国王の友であり、英雄である。
村人に戻っていた彼の瞳は、少しずつ、また輝きの様なものを宿し始めていた。
「カオルよ、またこの国の、ワシの役に立ってくれるかのう?」
「それは、友達としての頼みかい?」
「友として、そして国王としての頼みじゃな。何が起きるか解らぬ故、現状、ワシから打てる手はこれくらいしかない」
「国としてはまだ動けない状態なのです。友好国とはいえ、迂闊に手を出せば国際問題……最悪、戦争の再発に発展しかねない、危うい関係ですので」
中々の重荷である。
だが、そんなに大切な問題なら国が動けばいいんじゃないかと思った矢先にマシューがそれを封じるように補足し、カオルは「これは叶わねぇな」と首後ろを掻く。
「それじゃ、俺にやってほしい事を教えてくれ。ラナニアって国がどんな状態なのかも解らないし、何をしたらいいのかも、まだ解らないからな」
「受けてくれるのか?」
「勿論。この国の為になるっていうなら喜んでやるさ。それが、友達の、王様の頼み事なら尚更な」
「ふふっ、善い奴じゃのうお前は」
噛みしめる様に呟く国王の声はどこか哀愁が混じっていたのだが、カオルはこれには気づかず、ニカリと、いい笑顔を見せていた。
隣に立ったままのサララも特には何も言わず、すまし顔のまま、カオルのやりたいようにやらせている。
国王は満足げに頷きながら、マシューに視線を向けた。
主の視線を受け、マシューはカオル達の元へ歩み寄る。
「では、カオル殿がたにお願いする、その細かい説明をさせていただきます――」
細かい事情の説明。
これを今まではなさなかったのは、「聞いた以上は断れないぞ」という暗黙の了解も含めてものである。
カオルもそれはなんとなく悟っていて、少し神妙な気持ちになりながらも、真面目な顔でその話に耳を傾けていた。
「――今度はラナニアか。とうとうこの国を出る事になるとはなあ」
カルナスへの道すがら。
馬車で揺れながら、ホロの中にいるサララと二人、城での話を思い出しながらに語る。
「どうにもきな臭いモノを感じますけどね?」
「まあ、あの王様だからなあ」
城内では余計な事を言わずにいたサララだったが、二人になるや、国王よりの依頼の胡散臭さを躊躇いなく口にする。
カオルもまた、「言葉通りの依頼じゃないよな」と苦笑いしていた。
カオルの友達、とは言うが、あの国王、中々老獪な人物である。
城での事件の時だって、カオル達にその腹の内を全く気付かせる事なく城内の不穏分子を一掃した手腕を見せつけられ、驚かされたくらいである。
そんな人の『頼み事』が、額面通りの意味だけではなさそうな事は、カオルにだって察しがついていた。
「戦争中に敵対国とかに捕まる、とかならまあ聞く話だけどさ、今は戦争、やってないんだろ? ラナニア。どうやって王族が民衆に囚われたんだろうな」
「平和な今の世の中で王族が捕まるなんて、普通に考えたらありえないですよ。だってそれ、内乱が発生してるってことじゃないですか」
割とシャレになってないです、と、ホロの後ろから遠くなっていく王城を見つめ、小さくため息をつく。
そう、ラナニアは今、とても不安定な状況下にあると推測できた。
政情が不安定らしい、というのは以前ニーニャで姫君が語っていたのを聞いてはいたのだが、王族が囚われるほどの状況ともなると、生半可なものではない。
そのような状態で、友好国とはいえ他国が解決に乗り出そうとするなど、普通ではありえない話だった。
それが解る程度には、カオルも勉強が足りて来ていた。
この世界に来たばかりのカオルだったなら何の疑いもなく「そうなんだ」と受け入れてしまったかもしれないが、今ではその違いが判るのだ。
「気を引き締めていかないとな。王族の救出か」
「囚われの身になってるのは第二王女のリーナ姫と、その近親の方々だそうですが……」
「サララは知ってる人かい?」
「名前くらいは。でも会った事はありませんね。ラナニアって、エスティアとは全く繋がりも関係もない国でしたから」
「なるほど」
いつものようにサララが知っているなら、それを参考にする事もできたのだろうが。
生憎と、ここから先はサララにとっても未知の領域である。
こうなった以上、手探りで始めるしかない。
手間はかかるが、だが、カオルは面倒だとは思わなかった。
むしろ「それくらいじゃなきゃな」と、どこか愉しげな、悪戯めいた笑顔を見せていたのだ。
サララからは見えなかったが、手綱を握る手に力が入ってるのを見て、主がやる気になっているのを感じ、御者席の背もたれに腕を置く。
「カオル様は、魔物と戦うのは怖くないです?」
「うん? まあ、怖いと思う事は減ったかもな。少なくとも、ドラゴンよりでかいのがでてこなきゃビビる事はないんじゃないかと思うぜ?」
「なるほどなるほど……」
意味深な質問に、カオルもサララの方をちらりと見やりながら答える。
目を閉じながらも噛みしめる様に聞き入れ、そしてまた、切れ目の美しい瞳を見せながら口を開く。
「それでは、人と戦うのは?」
「人と? まあ、盗賊くらいならどうにでもなるかなあ」
「それが民衆なら?」
「えっ?」
「罪のない民衆なら、カオル様は、戦えます?」
何を言い出すんだ、と思いながら、ちょっと見るだけのつもりだった顔を、まじまじと見つめる。
そこにあったのは、試すように目を細めた猫娘の顔。
どこかニンマリとしていて、いやらしくも見えてしまう、そんな顔だった。
「――場合によっては、ラナニアの、何も悪いことをしてない民衆が敵に回る事もあると思うんです」
一拍子置いて、続くサララの声に、カオルはハッとさせられる。
その声色は、おどけたものではなく、真面目な話をするときにサララが聞かせるもの。
自分にとっても重要な、そんな話を聞かせているのだと気づき、カオルは手綱を引き、ポチの足を止めさせる。
――無音。
風だけが音を響かせ、わずかな時間の流れが妙に長く感じてしまう、そんな瞬間。
迷いにも似た感情が湧いてきたのを感じ、カオルは首を横に振りながら「そうだな」と、サララの言を肯定する。
王族を捕らえているのは、何も悪人とは限らない。
場合によってはラナニアにとって、王族こそが悪の可能性すらある。
国一つ違えば政治構造だって全く異なる。
このエルセリアがとても平和で、王族が民から人気があり、尊敬を集める存在であるから自然と『王族とはそういうもの』という思い込みがあったが、何も王族=好かれている という構造がどこの国でも当てはまる訳ではない。
いや、自分のいた世界を思い出し、平和な世の中ですら王族を『ロクに働きもしないのに税金を使っていい生活してる奴ら』と揶揄する輩がいるのを、カオルは知っていた。
そして民衆は、些細なことでそれを信じ込み、その『何の苦労もなしに良い生活をしてる奴ら』を疎んじるようになる。
きっと政権の転覆というのは、このような事が元で発生するのだと、カオルはうっすら、そんな事を思った。
つまり、本来なら平穏に暮らしてるだけの民衆が、突然王族に対して牙を剥く事がある。
そしてそういったケースだったなら、今回カオル達が敵対するかもしれない相手は、そういった本来なら何の罪もない民衆になるかもしれないのだ。
勿論、過激な行動を扇動する輩もいるのかもしれないし、そういった解りやすい手合いが敵対者ならカオルも迷いなく攻撃できるだろうが、そうでなかったとしたら。
サララの問いかけは、そんな迷いにその時になって気付く事のないように、予防として聞かせているように、カオルには思えた。
「その時になって迷わないように、色々調べて、考えなきゃいけないんだろうな、自分達で」
「そうですね。サララもそう思います。カオル様なら大丈夫だと思いますけど、これって言われるままにしていい案件じゃないですよね、多分」
「場合によっては、王様の頼みを無視する事になっちゃうかもしれないし、な」
それは友達としてどうなんだと思いもするが、王様だって腹にいくつか隠していたものを晒さずに依頼してきたのだから、それくらいは許して欲しいものである。
裁量をこちらに任せたのだから、結果さえ良ければそれでいいのではないかとすら思えた。
あの賢い王様の事、あるいは、それすら想定して自分達に放り投げたのかもしれないし、と、口元を歪めながらまた手綱を操る。
走り出すポチ。馬車はまた、高速で移動を始める。
「まずはカルナスだ。一度家に戻って、準備を整えないとな」
「長旅になりそうですしね。村を発つ時に村長さん達に後を頼んでよかったですね?」
「ほんとだよ。『もしかしたらしばらく戻れないかもしれないから』って言っといたけど、まさかほんとにしばらく戻れなくなるとはなあ」
しみじみ語りながら、想い馳せるのは故郷の村。
カルナスからならすぐに戻れる村ではあるが、流石に異国ともなると容易に戻る訳にもいかないだろう、と、そのままにしてしまった村を残念に思う。
村はこれから忙しくなるというのに、自分はまた、村男から英雄に戻らなくてはならないのだ。
それは嬉しくもある反面、やはり寂しさも多分にあって、複雑なものであった。
村で暮らし満足していたカオルは、もういない。今いるのは色んな事情の中立っている、精悍な青年である。
「そういえば、街の方にアイネさんがいるかもしれないんだよな。カルナスを発つ前にリリナに話を聞いておかないと」
「すれ違っちゃいましたもんね。リリナさんが上手く取り計らってくれてると良いんですが……」
会う事の出来ない兵隊さんに会いにカルナスへと向かったアイネも、心配ではあった。
できれば会いたい。会って積もる話の一つも、と、まだ遠いカルナスの空を見やる。
忙しないな、と思いながらも、カオルはこれから起こるであろう波乱の日々を想い、手綱を強く握りしめた。