#22.記憶の連結
それは、カオルにとって初めて見る世界だった。
明晰夢ならば、女神様と話すだけの空間などが思い当ったものだが、今回はそれとは著しく趣が異なり。
カオルが今立つその世界は、陰惨で、絶望に満ちたものだった。
「――そんなっ、起きてっ、起きてください、ヘータイさん!! こんなところで――」
城のような場所だった。
大広間と、それに繋がるようないくつもの回廊が重なる、巨大な開かれた扉の前。
まず最初にカオルの目に入ったのは、血だまりの中伏したまま動かない兵隊さん。
そしてそんな彼を必死に助け起こそうしていたのは、アイネだった。
なんとかして意識を取り戻させようと揺さぶろうとして、しかし、それを三人目――見知らぬ少女に止められる。
「無理だよアイネさん。ヘイタさん、すごく頑張っていたんだ。もう眠らせてあげよう?」
「嫌よっ、こんな事でっ、こんなところでもう会えなくなるなんてっ! そんなのっ、そんなの認められないっ!!」
「アイネさん……」
「こんなの、受け入れられない……ヘータイさんはっ、この人はこんなところで死ぬ為にここに来たんじゃないのにっ! 皆の為にっ、沢山の人を助ける為に来たはずでしょう!? こんなところで死んでる場合じゃないのよ!!」
アイネよりは冷静なその少女に諭され、それでも尚受け入れきれず、取り乱したままにヘータイさんを抱きしめるアイネ。
もはや呼吸も、鼓動すら止まっているその身体を、それでも尚生前の笑顔を忘れられず、アイネは涙する。
そんな彼女の姿に、少女もそれ以上口を出す事もできず……ただ、なるがまま、見ている事しかできなかった。
(……なんだ、これ?)
意味が解らない光景だった。
兵隊さんが死んでいる。
カルナスに居るはずのアイネが何故かその兵隊さんの死体を抱きしめて悲しみに震えている。
これだけでも困惑するようなものなのに、更に見知らぬ少女の存在が謎過ぎた。
アイネと兵隊さんの知り合いらしいこの少女。
腰には剣を下げていて、薄着ながら戦う為の格好をしているらしいのは、カオルにも解ったが。
……この少女とアイネと兵隊さんと、一体何と戦って、何をしていたのだろうか、と。
だが、カオルの困惑はこれに限られた訳ではなかった。
これが夢として、まだ終わらないのなら、当然その意味不明な光景には続きがあるのだ。
「――ああ、イワゴーリさんはダメだったんですね……でも、勇者様とアイネさんは生きてる。これで、三人、よかった、私だけじゃなくって」
まだ生きている二人とは別の方角から、カオルも見慣れた猫耳少女が現れたのだ。
(サララっ!? なんでこんな……すげぇ傷じゃねえかっ)
――満身創痍だった。
片耳が千切れていたし、片目は潰れていた。
左腕は血だらけで、まともに動かないらしく右腕が辛うじてその傷口を抑えるばかり。
スカート下から膝にかけても浅くない傷が見え隠れし、辛うじて生きている、という風に見えてしまう。
自分にとって大切な少女の、見た事もないほどに傷ついた有様に動悸が強くなっていく。
それでも、そんな彼女を見て、勇者と呼ばれた少女は安堵に頬をほころばせていた。
「生きていたのねシャリエラスティエ。ええ、これで三人目――後は、アロエとプリシラと……ヘイゲンさんも生きてると良いんだけど」
「今まで集団で挑んでなんとか撃退していた魔人と一対一ですからね……私も、相性のおかげでなんとか勝てたようなもので……魔人ヘグル=ベギラス、手ごわい相手でした」
「あの竜魔人が相手だったか……ほんと、あんたじゃなかったら勝てなかったかもしれないわね」
「本当に……ですが、正直、くたびれてしまいました。私ももう、戦力外っぽいです」
もう無理、と、その場でへたってしまい、座り込むサララ。
少女は表情こそ崩さなかったが、サララが崩れ落ちた瞬間びくりと肩を震わせていた。
顔には出さなくとも、動揺しているのが見て取れた。
「でも、勇者様がここにいるという事は……?」
「……ええ、魔王は、倒したわ。ヘイタさんが命がけで盾になってくれたから」
傷一つない身体のまま。
しかし誇らしげでもなく、嬉しそうでもなく、かといって使命を果たして安堵した、という様子もなく。
皮肉にも、勇者と呼ばれた少女の、少女らしい苦悩の表情がそこにはあったのだ。
「倒したけど……納得いかないわね」
「納得、行かない?」
「ええ。私は魔王を倒せた。けれど……私が倒したのは、魔王の力を押し付けられた、可哀想なだけの人だった」
「……は?」
少女の悲痛な言葉に、しかし、サララは理解できないといった様子で目を丸くしていた。
自身の負傷など気にもしないかのように、まずはそこに意識を向けてしまっていたのだ。
「あれは……本当に魔王だったのかしら? 間違いなく私達を何回も苦しめて、沢山の国を滅ぼした許せない奴だった。だけど……だけど、あんな風になっちゃった奴を、私は――」
そこに居たのは、ただの少女だった。
魔王を殺すという使命から解放された、女神に召喚されただけの、ただの少女。
使命のままに自身を勇者と思い込んでいたから被り続けていられた虚勢が、自身の内に溢れ出た疑惑の中で剥がれ落ちてしまっていた。
「――こんなの、納得いかない……納得いかないよ!!」
ぎゅっと眼を瞑り、自身の中に湧き出てしまった疑惑を押さえつけきれず。
勇者となった少女は、ただ叫ぶ事しかできずにいた。
(……夢、だよな?)
勇者以外の人物は、全員カオルの顔見知り。
それも、親しい人ばかりで、そして、いずれもカオルにとって意味不明な役回りだった。
魔王という単語も、全く聞いた事がない訳ではないにしろあまりにも遠すぎる存在で、カオルにとっては「なんでこの人達が魔王倒してるんだ?」という疑問も湧いてしまう。
普通に考えれば、取り留めのない夢。
現実と明らかに違う、どう考えてもおかしいものなのだから、夢としか言いようがなかった。
(なんだろう……すげぇ嫌な気分だ)
尊敬する兵隊さんが死んでいた。
ちょっと憧れていた、恋を応援していた可愛いお姉さんがその最愛の人の死に涙していた。
最愛の少女が酷く傷ついていた。
そして……面識もない、名前すら知らない少女が自身の中の何かに押しつぶされそうになっていたのもまた、カオルをなんともいえない、辛い気持ちにさせた。
総じて、良いと思える部分が何もない。
ただただ自分が嫌な気分になって、登場人物全員が悲嘆に暮れているというろくでもない話。
加えて言うなら、そこで映像が止まるかのように全員が身動き一つ取らなくなっているのも、気持ち悪かった。
嫌なシーンでも、すぐに別の何かに切り替わればいいのに、それが延々続いているような感覚が終わってくれないのだ。
(でも、それだけじゃないよな……)
ただ嫌な気分になった、というものでもなく。
背筋に走る嫌な感覚、嫌な気配に「これはただの夢じゃないな」という直感めいた感覚を覚えてしまっていたのも、カオルにとっては嫌なモノだった。
こんな嫌なシーンが何の脈絡もなく夢として現れ、それを何かの兆候か、あるいは警笛なのか、いずれにしても意味のあるものかもしれないと考えてしまった事が、辛い。
無意味な夢ならそれでよかったのに、意味があるかのように思えればそれほどに、その内容が陰鬱過ぎて嫌だったのだ。
(くそ……なんでこんな時に限って俺はいないんだ……?)
夢の中では、一貫してカオルは現れなかった。
かといって夢の中の彼らがカオルについて何かを語るという事もなく、まるで最初からそんな存在は無かったのだとでも言わんばかりに、誰もが自分の目の前に起きた事ばかり気にしている。
自分が居れば、居さえすれば、もしかしたら彼らの、何かしらの役には立てたかもしれないのに、と。
おこがましいとは自分では思っていても、そこに干渉できない自分に、酷い無力感を覚えていたのだ。
悔しかった。
それが夢だとしても。それが例え取り留めのない映像だったのだとしても。
自分が何もできない世界が、こんなにも歯がゆい物なのかと、そんな風に思ってしまったのだ。
何もできない世界。ただ見ているだけの世界。
女神様と二人でバカなことを話している方がよほど気分よく過ごせるのに、何故か気になって仕方がない。
仕方がないのに、進まなかったのだ。
意味が解らない。意味が解らないままに、夢は終わる。
それが誰の夢だったのかを考えもせず。
カオルは、それを自分の夢だったのだと、思い込んでいた。