#19.封印の聖女
――魔王という存在をご存知でしょうか?
一度誕生すればあらゆる生命に……とりわけ人間に災厄をもたらすとされている存在です。
この魔王は、元々は悪しき神々によって生み出された存在で――今は主神アロエ様によってこの神々は討伐されたらしいのですが――存在する限り、世界のいたるところで暴れ回り、悪しき力をばら撒き続けるのだと言われています。
現代においては封印されて久しい魔王ですが、この魔王と唯一対等に戦う事が出来るのが『勇者』と呼ばれる存在。
今でも勇者を自称する者は至る所で見かけますが、魔王復活や魔人の暴虐など、人類にとって多大な危機が迫ると、アロエ様の選別により神の力を得た『本物の勇者』が現れ、これを討伐するとされています。
しかし、魔王も魔人も討伐する事が出来ても、殺すことができない。
そうして、生きている限りはそうかからずに力を取り戻し、また暴れ出してしまう。
これに対してのカウンターシステムとしてアロエ様の手によって生み出されたのが、『聖女・聖人』という存在。つまり私達ですわ。
生まれ持って強い『聖なる気』を持つ者が選ばれる聖女・聖人は、厳しい修練と精神鍛錬によって魔人を封印する術法を扱う事ができるようになります。
通常の神父やシスターと違い、私達は生まれついて、魔人を封印し、その為にこの身この命この生涯の全てを捧げる事を、宿命づけられているのです。
そうして……魔王をも封印することができるのが、その時代において一人しか生まれないとされる『封印の聖女』。
つまり貴方の事なのです、アイネさん。
貴方は、魔王が復活した際に、勇者と共に魔王を討伐し、封印する為に必要な方。
あの魔人――ゲルべドスが貴方の前に屈したのも、恐らくは貴方の力の影響を受け、その身を支配されてしまったからなのでしょうね。
封印の聖女の力は破格ですわ。
私のような聖女でも、魔人が弱っていればなんとか封印する事は出来ますが、そうでなければ無理な話。
ですが、貴方は恐らくそれが可能なのです。並の魔人相手ならば、一方的に黙らせ、従える事が出来るかもしれません。
貴方は、世界にとっての希望であり、そして魔王や魔人達にとっての脅威となるはずです。
発見が遅れればそれだけ世界が絶望的な状況に陥っていくのだと思えば、未だ世界が平和と思えている今の段階で貴方という存在に気づけたことは僥倖ですらあると私は思います。
ですが、全てが嬉しい事ばかりでもありません。
貴方が生まれ、こうして私の前にいるという事実は……同時に『本物の勇者』が存在しているという事、そして魔王の復活が近いという状況を示唆しています。
今はまだ平和に見えますが……世界は、確実に悪しき方向に向かいつつある、という事です。
貴方の驚きは解ります。
私だって、このような形で封印の聖女と対面する事になるなんて思いもしませんでしたから。
ですが、これは全て事実。そして貴方の宿命でもあります。
受け入れようと受け入れまいと、時代がそのように変わっていけば、否応なしに貴方は自身の運命に従わされる。
アロエ様のお力を受けしその身体は、その時がくれば、自ずとそのように動いてしまうはずです。
歴代の封印の聖女の中には、貴方のように市井の中生まれ育ち、何の自覚もないままにある日突然力に目覚める方も少なからずいたのだと聞いております。
当然、『お前は適格者だから魔王と戦え』などと言われても、受け入れられるものではないでしょう。
ですが、恐らくは逃げられないでしょうし、受け入れずともそのようになってしまうものなのです。
貴方がどのような目的でこの街、この聖堂を訪れたのかは解りません。
ですが、私はできれば、貴方には受け入れて欲しい。
どのような形であれ、封印の聖女と出会えたのは私にとって運命を感じてなりません。
貴方にとっては不本意な部分もあるかも知れませんが……どうか、人々の為、生きてみようとは思いませんか?
「なんだかすごいことになっちゃった感じですねえ」
シリアスに説明をしていた聖女様の予想とは裏腹に、アイネは「いいのかしらこれ」と、ちょっと困ったような顔をしていた。
てっきり突然の事に驚愕してしまったり、思いつめてしまったりするものと思っていたので、聖女様にとっても「なんだか思っていたのと違う」という困惑が心の底に生まれ始めていた。
ある意味大物というか、天然過ぎるというか。
アイネは大体そんな感じで、村娘の身には過大過ぎる宿命を、マイペースに受け入れてしまっていた。
「あの……話しておいてなんですが、もうちょっとこう……『本当にそうなんですか』とか『そんなの信じられません』とか言ってくださっても……」
「あ、いえ、大丈夫ですよ? お話、理解できてますし。大切な事なんでしょう? ならやりますよ」
まるで困った人に親切するかのような軽い様子で――いや、壮大ではあるが困った人を助けるのには違いないのだが――とにかくアイネは気にした様子もなく「封印の聖女様かー」と目を爛々と輝かせていた。
「聖女様……封印の聖女というのは、その、こういう感じなのですか?」
「こういう感じではないと思っていたのですが……こういう感じみたいですわね」
あんまりにもアイネがあっさり受け入れてしまうので、ベラドンナと二人して「どうしよう」と途方に暮れてしまう。
もうちょっと切なかったり重苦しかったりするシーンになるかと思っていたのに、思いのほかのんびりとしてしまっていた。
「えーっと、それで私は何をすればいいんですか?」
変な雰囲気のままどうしたものかと途方に暮れそうになっていた聖女様に、アイネが問う。
自分が『封印の聖女』なんて大層なモノになってしまったものだから、これからの人生の大転換に胸がいっぱいになっていたのだ。
希望に溢れたキラキラとした瞳が、聖女様を圧倒する。
「あ、その……失礼しました」
困惑を仕舞い込み、こほん、と、一咳。
再び正面からアイネを見つめた聖女様は、「よろしいですか?」と説明を始める。
アイネも改めて背筋を伸ばし「どうぞ」と眼元をキリリと引き締めた。
「まず、貴方には正式に封印の聖女としての認定を受けていただきます。この国の国王と謁見し、国からの支援を受けてリーヒ・プルテンの大聖堂へと旅立つことになりますわ」
「リーヒ・プルテンっていうと……えっと、聖地ですよね? 聖堂教会の」
「はい。アロエ様を信仰する私共の宗教が体系化された始まりの土地……リーヒ・プルテンこそが、封印の聖女の、力の使い方を学ぶのに最適な場所であると言われています。ただし、立ち入る為にはいずれかの国の王の許しが必要ですので――」
「なるほど、それで王様に会う必要が……」
最初は「なんで王様と会うの?」という疑問が出そうになっていたが、聖女様の説明を聞いて納得である。
どんどん壮大になっていく話に、アイネの期待は増すばかりであった。
「つまり、聖地にいけるってことですか? 私、この国を出て、聖地巡礼ができるんですね!?」
「え、ええ、そういう事になります……が」
「わあ! すごい、私カルナスに来ただけでテンション上がっちゃって大変だったのに、聖地にまでいけちゃうなんて……どうしよう、パパに話す土産話がたくさんできちゃいそう!」
「そ、そうですか……えーっと、まだお話がありますから、ちゃんと最後まで聞いてくださいね……?」
「あ、はい。ごめんなさい。どうぞ続けてくださいな」
いけないいけない、と、はしゃいでしまっていたのをちょっと恥ずかしく思いながらも、聖女様の言葉を待つアイネ。
やはりどこか想像いたのと違う展開で、聖女様は心底やり難さを感じてしまっていた。
真面目にやろうとしているのに、なんだか事あるごとに雰囲気が崩れていくというか……緩くなっていくのだ。
それ自体が封印の聖女の力と関係あるとは聖女様も考えてはいなかったが、つまりは単純な人柄だけでそういったシリアスな話を覆していく類の人なのだろう、と、そう認識し始めていた。
「リーヒ・プルテンに向かうまでの道程では、危険なことも多いかと思われます。ご存知ないかもしれませんが、現在リーヒ・プルテンの周辺地域は、魔物が数多く生息する危険区域に指定されておりまして……たどり着きさえすれば結界によって隔てられているのですが、生身ではそこまで行きつくことがまず容易ではありません」
「簡単にはいけないって事ですか?」
「そういう事ですわ。ですので、国王より多くの護衛をつけてもらわねばなりません。聖地に入る許可をもらうだけでなく、そこにたどり着くまでの安全を保障して貰うため、謁見は必要な事なのです」
「なるほど……結構大事になっちゃうんですね」
それはすごいわ、と、うんうん頷きながら勝手に納得するアイネ。
ここにきて、聖女様はもう「悲劇的に受け取られないならこちらの方がいいかしら」と開き直ろうとしていた。
シリアスにはならないけれど、話した事は理解してくれるしきちんと飲み込んでくれている。
こういった話を切り出すと、覚悟の定まっていない市井の娘などは取り乱し泣き出したり叫び散らしたりする事すらあるというのだから、落ち着いて話を聞いてくれるアイネは大分マシなパターンなのではないかと思えてきたのだ。
「うーん、すごいことになっちゃったなあ。カオル君が英雄になっちゃったし、私は聖女様になっちゃうしで、オルレアン村がすごいことに……」
「……確かに、驚くべき比率ですわね、オルレアン村は」
「何かそういう特別なものがあるのかもしれませんね、カオル様が活躍したお話を聞けば、様々な大事件が起きていたようですし……」
「特異点的な何かが、でしょうか」
先ほどまで黙っていた二人も混ざり、話は広がっていく。
特に、リリナの口から出た難しい単語には他の三人も首を傾げながら「それは一体」といったような視線を向ける。
「以前読んだ本に出てきた造語なのですが……つまり、通常とは異なる何かが起きたりする中心点となる人や場所の事ですわ。オルレアン村という特異点が存在する事によって、そこに住まうカオル様やアイネさんのように、住民の方々から希少な才能を持った方が輩出され易くなる、とか」
「へえ、そういう言葉があるんだねえ。リリナさん、物知りね」
「中々に面白い話だと思いますわ。造語という事はそのお話そのものはフィクションか何かなのでしょうか、現実にも当てはめられるというのは中々に奥深い……」
「私もベラドンナも本は読む方ですが、そのような単語が出る本も出回っているのですね。初めて知りました」
リリナの説明から、各々の感想に至るまで。
なんだかほんわかとしてしまった懺悔室は、さながら女子会のようになっていき。
「本って言えば、この間村に来てた行商人の人から『アンシスブルー』の新巻を買っちゃいまして――」
「おおっ、アンシスブルーとは希少な!? ど、どうなんですか新巻は!? ミズリーとボブの恋愛模様は一体……!?」
「アンシスブルー……ベラドンナ、ご存知?」
「アンシスブルーと言えば、近代リリ本を広めた一人とも言われた名作家ですわ。『ドラゴンと恋した娘』や『イスカンドルの果てに』などが有名作ですね」
「聞いた事があるようなない様な……」
緊張感の薄れた世界において、彼女らの会話は、やはり雑談の流れに向いてしまうものであった。
この場にいる四人ともが本好きという事もあって、話はどんどん脱線していってしまう。
自然、封印の聖女がどうとか、地下で這いつくばったまま放置されている魔人だのは忘れ去られていた。
この世界は、まだまだ平和であった。