#17.魔人の声を聞きし乙女
それからベラドンナと意気投合したアイネは、「お祈りをしたいから」というのもあり、聖堂へと案内してもらう事になった。
といっても、中に入って女神像に対面するだけで、それ自体は村の教会とそんなに違いはないはずなのだが。
ただ、村のそれと違い、カルナス程の規模の教会ともなれば、聖堂の規模や女神像のサイズも大分異なり、ガラス細工の造りの細かさなども、アイネにとっては新鮮そのもの。
ただ聖堂を見るだけでも、目移りする事ばかりであった。
「はー、おー、す、すごいわねぇ。あの、この聖堂って、祝明のミサの時なんかは街の人でいっぱいになるんですよね……?」
「ええ。さすがに一度に全員は入りきれないので、年明け前から並んでいただいて、年明けの直後から何度も入れ替えて女神様のお言葉を聞く事にしていましたが」
「すごいなあ……村の教会と比べて全然大きいのに、それでも入りきらないんだ……都会ってすごい」
それだけ人がいっぱいいるのね、と、感嘆したようにもう一度教会を眺め……そして、女神像を見つめた。
「そ、それじゃ、早速お祈りさせてもらってもいいですか?」
「ええ、もちろんですわ。どうぞ」
いつもの女神像より大きなそれに、少し緊張気味に。
だけれど、ベラドンナの微笑みを受け、小さく頷いて女神像の前に立つ。
そのまま跪いてお祈りを始めたアイネを見やりながら、リリナはちら、と、ベラドンナを見やり、首を傾げる。
「今日は聖女様はいらっしゃらないのですね? いつも聖堂に来ると迎えてくださるのに」
「聖女様は少しお疲れの様子でしたから……年末からずっと働き詰めでしたので、休んでいただいているのです」
「なるほど、そういう事でしたか……聖女様というのも大変なのですね」
「この街での、宗教的な意味でのシンボルですしね。それに今は、それ以上に重要な役割も担ってらっしゃって――」
このカルナスという街は、エルセリア西部における要衝という意味合いだけでなく、この地域一帯の宗教的な拠点としても重要な意味を成している。
大国でも数名しかいない『聖女』と呼ばれる乙女。
これは、悪魔の撃滅や魔人の封印など、軍事力だけではどうにもならぬ国家国民の脅威に対応する事の出来る数少ない存在であった。
国民の中から生まれ持って強い『聖なる気』を持ち合わせる女性が選抜され、厳しい精神修行と制約の日々を乗り越え、初めて国から認められる地位である。
そして、カルナスにはその聖女の一人が常駐している。
聖女の存在は、その周辺地域すべてに対し強力な女神の加護の力を授け、魔物や悪魔の力などが大いに弱まる。
ただそこにいるだけで、聖女は重要な宗教的シンボル足り得るのだ。
「……それにしても、随分熱心に祈ってらっしゃいますわ」
「そうですわね。馬車旅でお祈りが出来なかったと言っていましたし、その分もお祈りしてらっしゃるのでは……?」
雑談に意識が向いてしまったが、ずっとお祈りの姿勢のまま微動だにしないアイネに、二人は「敬虔な方なのですね」と感心していた。
していたのだが……それにしても全く動く様子がなく、どちらともなく「何かおかしいわね?」と首を傾げ。
「アイネさん……?」
なんとなく、そのまま見ているのが辛くなり、リリナが声を掛けると、反応してか、アイネはすく、と立ち上がる。
そうして、背を向けたままに呟くのだ。
「――呼んでいるわ」
たったそれだけ。それだけ呟き、歩き出してしまう。
向かう先は、聖堂の奥。
「あっ、アイネさん!?」
「お待ちくださいアイネさん、その先は信徒の方であってもおいそれとは――」
あわててその後を追いかけようとした二人だったが、アイネはぴ、と腕を水平に、「解ってるから」とばかりに足を止める。
けれど、やはり振り向きもせず。
「誰かが、私を呼んでるの。『助けてくれ』って。苦しそうな声で助けを求めてるのよ」
「えっ? そ、そんな声、どこからも――」
「――アイネさん。それは、その声は……もしや、男性のものですか? しわがれた、年老いたような」
「ええ、そんな感じの声だったわ。なんだか、放っておけなくて――こっちから聞こえたの」
言いながらに、駆け出してしまうアイネ。
教会の内部構造なんて知りもしないはずの外部の人間が、しかし、まるでよく見知った道であるかのように、聖堂の奥へと入り込んでいくのだ。
「待ってくださいっ! アイネさんっ、その声はっ、その声を聞いてはいけませんっ!!」
「でも、だって、助けてくれって言われてるのよ? 助けてあげないと――可哀想じゃない」
誰のものとも知れぬ声を聞き、しかし、アイネは妙な使命感に駆られてしまっていた。
自分に助けを求めるその声が、どうしても無視できなかったのだ。
ベラドンナがなんで自分を止めようとするのかも解らない。
けれど、そんなものよりもまず、この声の主を助けたいと、そう思ってしまったのだ。
《さあ、その階段を降りれば、ワシはすぐそこだ……早く、早くワシを助けてくれぇ》
「階段の……先ねっ」
「いけませんっ、アイネさんっ!!」
その声の主に確信を抱いたベラドンナは、なんとかしてアイネに追いつき止めようとしたのだが。
その腕をつかむ一瞬が遅れ、するりと、すり抜けられてしまう。
狭い室内に置いて、速さに自信ありのベラドンナは、その動きを大きく制約されてしまっていたのだ。
それが致命的過ぎた。
そこは祈りの為の祭壇。
呪いを防ぐための人形が数多く並び、その周囲は清めの為の聖水によって大きく囲われている。
教会の地下フロアを丸々使用した魔人封印の為の聖域。
この中心に、短剣が突き刺さっていた。
「これが、ここが、『貴方』の封印されているところなのね……?」
『然様。無実の罪に囚われ、苦しみの日々を送っているのだ……頼む、助けてくれぇ。ワシは、ワシは今一度、友に会いたいだけなのだぁっ!』
「お友達に……解ったわ」
友達に会いたいのに会えないのは辛いもの。
ただそれだけの浅い同情で、アイネは中心部の短剣に躊躇いなく手を触れる。
『ふぉっ、や、やはりそうか! 娘よ、そなたには強力な聖なる力を感じる。ワシの封印を解けるのは、そなただけだっ』
「この短剣を、引き抜けばいいのね?」
『そうだとも、さあ、はやく、はやくっ』
「アイネさんっ、それだけは――」
ベラドンナにとって、それはいかほど絶望的な瞬間だったか。
自身を貶め、悪魔として使役し、人々を苦しめぬく、その罪悪の原点ともいえる存在が今、折角封印したはずの魔人が今、解き放たれようとしている。
すぐに止めに入らないといけない。だというのに、彼女は今、悪魔であるがゆえに、その中に入る事が出来ない。
「ベラドンナさん……一体、何が……」
ついてきてしまったリリナが、困惑したようにベラドンナと、そして短剣を握るアイネとを交互に見つめる。
本来なら、この封印の為のフロアは聖女様以外立ち入ることを禁じられていたはずだった。
だが、今この状況下では、選択肢など望むべくもなく。
「リリナさんっ、今すぐアイネさんをっ、アイネさんを止めてくださいっ!」
「えっ!? あっ、は、はい、解りましたわっ」
本来、魔人ゲルべドスに施された封印は、封印を施した張本人を除けば、それ以上に力のある聖女にしか解くことはできないはずだった。
だから、アイネが何をしようとそれは無駄に終わるはずだったのだ。
だが、何故かベラドンナにはそんな楽観が出来ないような気がしてしまい、怖気走った背筋は、がたがたと震えが止まらなくなってしまっていた。
せめて、せめてリリナが止める事が出来れば。間に合ってくれれば。
そんな事を考えながら、彼女にはその場に立ち尽くす事しかできない。
もう、アイネは短剣を握ってしまっていたのだ。
リリナもあわてて駆け出していたが、アイネにそれが可能ならばもう、間に合う事はない。
「――今助けてあげるから、ええいっ」
「ああっ!?」
「な、なんてことを――」
実に容易かった。
聖女にしか引き抜けぬはずの短剣が、いとも容易く引き抜かれ。
かくして、短剣をキーとして魔人を封印していた聖域は、その機能の全てを失う。
刃の先端からは、赤が零れ落ちていた。
ひたすらに封印し続ける為に捧げ続けた、聖女様の力が具現化したその赤が、滴り落ち、やがて消えていった。
『くっ――ははははははぁっ!! まさか、まさかまさかこんな簡単に解除できるとはなあっ! 娘よ、よくやってくれた、よくぞ、ワシを解放してくれたなあっ!』
一仕事終えたかのようなアイネと、唖然とする二人。
それ以外の高笑いの声が、フロア全体に響き渡った。