#2.森は遠かった
急ぎ足で自宅へと戻ったカオルは、まず、ベッド近くに置いてあった村近くの地図を広げた。
この地図は村で暮らす事になってから「どうせなら村の周辺地形も知っておいた方がいいだろう」と、兵隊さんに貰ったものなのだが。
ぱっと見てそれきりだったものをこうして広げたのは、訳があった。
「んー……と、村の入り口がここで、俺の家がここだから……北は、上、東は右――うん、こんな感じか」
くるくると地図を回しながら、まず方角を合わせ、地形を読み取ってゆく。
「村の西の方はなんにもない平原……原っぱだよな。北の方は山になってて、山菜取りにいいらしいけど。南は街道。商人の人たちが来るのもこっちか。東は……東は、樹ばっかりなんだな。森になってるのかな?」
これまでの期間、村を回って記憶に焼き付けた村の地形を思い出しながら、カオルは指で少しずつなぞってゆく。
「盗賊っていうのは、あんまり原っぱとかにいるイメージないよなあ。街道も、商人の人たちが行き来してるんだから平和だろうし。山か森って感じだけど、山は結構村の女の子とかも普通に入ったりしてるし、そんなに危険はないんだろうな……森か」
盗賊がいるとしたら、森。
そうアタリをつけて、地図をまた丸める。
そうしてベッド横に転がしたままの例の棒切れを手に取り、おもむろに素振りした。
「むんっ」
ぶん、と、それなりに威力がありそうな音がする棒切れカリバー。
気分は竹刀を持った剣道部員か、はたまたバットを手にした野球部員か。
なんとなしにかっこいい気がしたカオルは、ちょっとだけにやつく口元をそのままに、家を後にした。
「おやカオル。家にいたんだね」
家から出ると、丁度兵隊さんが詰め所から出たところだった。
顔を合わせ、にや、と、笑うカオル。
「ちょっと、盗賊倒しに行ってくる」
「うん……? いや、今の時期は盗賊はいないと思うが」
「あれ? そうなの?」
いきなり出鼻をくじかれ、カオルは切ない気持ちになった。
折角のやる気だったのに、いきなり空振りである。若干涙目になっていた。
「うむ。前回討伐したのが一月前だしな。奴らも、さすがにそうそう勢力を取り戻すものじゃないから、次に現れるのも半年くらい先じゃないかな?」
それまでは平和なものだ、と、目を伏せながらに満足げに頷く兵隊さん。
村の治安を預かる身としては、平和が何よりらしい。
それ自体はカオルも悪い気はしなかったのだが。
だが、やはり折角やる気を出したのだから、このまま引き下がるのは格好悪い気がしてしまう。
「でも、それって大元を潰したわけじゃないんだよな? 頭とかがいるんだろ?」
それなら、と、カオルが兵隊さんを見つめる。
全滅させたわけではないのなら、またいずれ来るかもしれない。
そのいずれがいつになるのか解らないのだから、警戒するに越したことはないんじゃあないか、と思うのだ。
「そいつがいる限り、いつかはまた、村が危険に晒されたりするんじゃないのか? 今までは問題なかったんだろうけど、これからも大丈夫っていうの、なんかおかしくない?」
ただ引っ込みがつかなくなって言い出したことながら、話しながらに「それってどうなの?」と首を傾げる。
確かに今は平和かもしれないが、だからとその平和が長く続くとも限らない。
今まで容易に撃退できていたかもしれないが、次に来る盗賊が本当に弱いままかどうかなんて解らないのだ。
そんな哲学的な事を考えていた訳ではないが、学生として暮らしていた日々の中突然訪れた死というものは、カオルに一種の『日常に対しての疑念』のようなものを芽吹かせていた。
まだカオル自身、自覚するには至っていないものではあったが。
確かに、村の今の態勢に対しての危機感として、疑問となっていたのだ。
「……ほう。言われてみれば、確かにそうだな」
そうして、カオルにとって幸いなことに、その芽は摘み取られる事なく、受け入れられていた。
出会ってそう経たない、なんとか余所者ではなくなった程度の新参者のカオルを、この兵隊さんという青年は、決して疎んじたりはしなかったのだ。
その言葉、その顔を見つめ、目を見て、そうして笑った。
「私も、村の者達も、いくらか油断があったのかもしれない」
私もまだまだだな、と、笑いながらも何かに満足するように頷き、腰の剣の柄に手をやり、握りしめる。
そうかと思えば、緊張気味に歯を噛むカオルの肩をぽん、と叩いて見せた。
「君の言う通り、賊の頭を放っておくのは危険かもしれないな……だがカオル、私は君にも、あまり無理はしてほしくない。もし何か異変や賊そのものを見かけたら、すぐに私のところまで戻って、それを教えてほしいな」
それだけで十分だから、と、じ、と、カオルを見つめる。男の眼だった。
カオルを男と見て、その上でカオルにもできそうな範囲で引き下がる様、諭したのだ。
「ああ、もし見かけたらそうするよ。でも、俺一人で盗賊を倒せるようなら倒しちゃうけどな!」
こいつでな、と、勇ましく棒切れカリバーを見せてニカリと笑う。
それが可笑しかったのか、兵隊さんは「無理はしないでくれよ」と苦笑していたが。
カオルは、兵隊さんが自分を馬鹿にしなかっただけで、もうそれだけで満足だった。
自分なんかの言葉を、馬鹿にせず聞いてくれたのだ。「なんていい人なんだ」と、感激しそうになっていた。
「それじゃ、行ってくる!!」
だが、照れた顔を見せるのが恥ずかしくて、カオルは逃げるように走りだした。
それから勢いのまま村を走り抜けたカオルは、村の近くにあるのだという森へと向かったのだが……
「……結構、遠いのな……」
地図の縮尺がおかしいのか、それとも適当な物だったのか。
勢いづいて走っていたカオルは、その体力が尽きるまでに森に到着する事が出来ずにいた。
方角は大体、村の建物や入り口なんかから解っていたものの。
道すがら途中にある橋のない川だの、森とも思えないような小さな林だのが続き。
村から出て小一時間して、ようやくそれらしい木々の集まりを見つけ、向かったものの……また森の前に、大き目の川がカオルの前に立ちはだかっていた。
「うぇぇ……」
悠々と流れる川の流れは、決して速くはなかったが。
膝上まで浸かる程度には深く、カオルは辟易としていた。
(またか、またぐっしょりか……)
既に途中の川を超える時点で靴がぐしょ濡れになってしまっていたが、ここにきて更にズボンまでビタビタになってしまうのだ。
これにはカオルもたまらず、いっそ引き返してしまおうかとも思ったものだが。
「……ええーいっ!!」
それでは何も始まらないとばかりに一念。カオルは川へと飛び込んだ。
爽やかな水音。冷涼な水玉が顔にまで跳ねて、川魚が逃げ回る。
「ははっ……水浴びだ水浴びっ! 気持ちいいっ」
まだ寒いと感じるほどでもない季節だったのが幸いだった。
最初こそひやっとしたものの、慣れればむしろ心地よい水温であり。
カオルはズボンと靴とをぐしょぐしょに濡らしながら、一時、疲れを癒やさんとばかりに、川浴びに耽った。




