#10.ハウスキーパー、そして猫
「ハウスキーパーを雇いましょう」
ようやく気温が温かな日が増えてきた初春の頃の事だった。
サララが突然、こんな事を言ってきたのだ。
朝食の時間、前日の作り置きのコンソメスープなんかを皿によそっていた時だったので、カオルはレードルを手に、「またなんかサララが言い出したな」と苦笑いしていた。
サララがこうした思い付きを口にするのは別に今に始まった事ではなく、例えば先日などは「今のうちに夏の必需品を買っておきましょう」とか言い出したりした。
因みにその時に買ったのは浮き輪である。サララはかなづちだった。
そんな訳で、すぐには返答せず、他の料理をきちんと皿によそり、食事の準備が万端となったところでカオルもサララの対面に腰掛け、「いただきます」とお祈りして。
そこまでいってから、食事には手を付けずに会話を始めるのだ。
この一呼吸を置くのが大事なのだ。
カオルにとっては時間が空いた分どんな事を言われてもいいような覚悟が決まるし、サララも言いたいことがきっちりまとまる。
お互いにとって必要な間であった。
「そんで、ハウスキーパーって?」
「平たく言えばメイドです。家事を代行したり、主人やその家族が家を留守にしている間の管理なんか担当する人ですね」
本当はもうちょっと細かく色々あるんですが、と端折るが、どうせ詳しく説明されてもカオルにはよく解らないので「メイド」という解りやすい一言で表してくれたのはとてもありがたかった。
つまり、家事を代行してくれて家の留守を守ってくれる。そういう人という認識である。
「家の留守って……ああ、そうか、もうすぐ村に戻るんだもんな」
「そうそう、最近はベラドンナさんも忙しいみたいですし、『任せきりにするのもなー』って言ってたでしょう? ですから、いっその事人を雇ってしまった方がいいんじゃないかなあって思いまして」
これ、すごく大事です、と、人差し指を立てながらに力説する。
元々、この家の管理は、カオルがいる間はカオルが自分で見て、不在の間はベラドンナに頼む、という形にしていたのだ。
ベラドンナはそれを快諾してくれたし、カオル達にとってもベラドンナは信頼の置ける人だった為安心していたのだが、確かに最近、ベラドンナは多忙を極めている。
年末の忙しい時期に沢山の相談を受けていた事がきっかけになり、教会では最近『恋愛相談所』として本格的に懺悔室とは別の窓口が設けられることとなった。
おかげでベラドンナは若者を中心に、更に人々から受け入れられるようになっていったのだが……元々教会住み込みのシスターという扱いだったのもあり、この家の管理をするのは難しくなってしまったのでは、というのがサララの意見である。
ベラドンナは人が善いので、それでも無理にやってくれるかもしれないが、カオルとしてもこれは捨て置けない問題だった。
「良い案だと思うぜ。いくら使い魔っつったって、ベラドンナにはベラドンナの生活がある訳だしなー。必要な時に助けてくれるだけでも十分ありがたいし」
ただでさえ、年末年始、ベラドンナのおかげで助けられたのもある。
この上頼ってばかりでは、いくら『労使の関係』にあるとはいえ気後れしてしまう。
このような経緯から、カオルとしても、サララの提案は素直に頷けるものだった。
「でも、その、ハウスキーパーってさ、どうやって雇うんだ? 募集の張り紙とか書くのかい?」
「んー、それでもいいですけど。とりあえず、ご飯食べたら出かけませんか?」
「うん? 出かけるのか? いいけど」
何かツテでもあるのかな、と、適当に了承する。
暖かくなってからサララが活発になってきたので、それは別としても一緒に出掛けられるのは楽しみでもあったのだ。
「それじゃそういう事で。食べちゃいましょう」
「そうだな」
今日の予定が決まり、まずは目の前の食事を片付けることが優先となる。
今日の朝食はカボイモスープとカツラの煮物、それから柔らかな白パンである。
「ん~! パンが柔らかいこの幸せ♪ やっぱりパンは柔らかくないと!」
「そだなー、パン、すげぇ柔らかいよなあ」
村から離れて大分経つが、二人はもう、カルナスで食べられる白パンが当たり前になりつつあった。
柔らかい。とにかく柔らかい。そしてほのかな甘みもある。
もっちりとした食感。これはミスティーのパン屋で購入した逸品で、本人曰く「特別な製法で焼かれたパン」である。
オルレアン村のバンと違いあまり日持ちしないのがネックだが、資金に余裕のある今のカオルなら毎日でも食べられた。
そして毎日食べていた。
ニーニャでも白パンは食べられたが、二人にとって一番美味しい白パンは、と言われれば、まずはミスティーの店のパンが浮かぶ程度には、できた逸品なのだ。
「何にでも合うのがいいよな。バンだと甘い味付けの肉料理には合うんだけど、浸せるだけのスープが無いと食えないし」
「お野菜に合わないのがネックなんですよねえバンは。まあ、そうじゃなくても堅すぎるのでサララはこちらの方がいいですが」
「歯がちょっとな」
「折れるのはすごく困ります。猫獣人って、四回くらいしか歯が生え変わらないんですよ」
貴重な一回がバンで奪われるところでした、と割と本気で困ったようにしてみせるサララだが、カオルは「四回も生え変われば十分じゃないか?」と突っ込みそうになったのを我慢していた。
長生きとはいえ、四回も生え変わりが必要なほど何かがあるのだろうか、と。
そんな中、ふとした疑問が湧き上がる。
「獣人って、皆そうなのか?」
「うに?」
聞かれたことの意味が解らないのか、不思議そうに首を傾げるサララ。
何気ないものだがちょっと可愛い仕草だった。カオル的には高ポイント。
「いや、猫獣人はーって言ってたけど、他の獣人っていうのはどうなのかなって」
「ああ、そういう事ですか。歯の生え変わりは種族によって違いますね。犬獣人なんかは意地汚いのかしょっちゅう虫歯になるので十回くらい生え変わったりするらしいです」
「十回……十回も代えが効くのか……」
ちょっと羨ましくなる瞬間であった。
人間なんかは乳歯から生え変われば後は虫歯だのふとした不幸だので失ったらそれきりだというのに。
そもそも歯医者の類が存在する世界なのかもカオルには解らなかったが、種族の違いでこの差が生まれるのはなんなんだろう、と。
ちょっと神様を恨みたくなってしまうのだ。その差が。その違いが。
「他の獣人種族は軒並み五回から七回っていう感じでしょうか。あと、獣人じゃないですけどリザードとかは折れた先から生え変わるっていいますね」
「リザード?」
「トカゲとかワニとかの人型種ですよ。獣人以前にも、女神様は色々な種族を作ってみたりしてたらしいので……」
結構色々いたりします、と、視線をやや上に向けながら思い出すように語る。
「まあ、大陸でも辺境とか、局地的な場所に生息してるんですけどね。見た目は怖いですけど、結構いい人が多かったりします」
「いい人が多いのか……っていうか言葉通じるのか」
「……? 言葉は、それは通じますよ。多少なまりとか国による差異はありますけど、文字じゃないんですから」
何か変な事言いました? と不思議そうに見つめてくる。
カオルにとっては人種どころか国が違えば全く違う言語が出てくるのが当たり前だったが、この世界では違うのだ。
当たり前のように色んな文字を読めていたり話せているのは女神様からの特典だと思っていたのだが、実際には違ったのだと、最初からそういう世界なのだと、カオルはようやく気付くことができた。
「そうだったのか……いや、俺のいた世界って、ちょっと住む地域とか国が違うと全然違う言葉話したりするから、さ。こっちではそんなことないんだなって」
「それ、すごく不便じゃないです?」
「すごく不便だぜ。俺なんて外国語苦手だったから、自分の国以外じゃ暮らせないだろうなって思ってた」
彼にとって一番苦手だったのもこの外国語で、だからこそ、言葉の通じない世界にきても仕方ない、と最初は女神様の言葉をロクに聞きもしなかったものだが。
ちょっと興味が惹かれたのか、サララはじ、と、カオルの瞳を覗き込むように見つめてきた。
ちょっと照れてしまうので、カオルは視線を逸らしていたが。
「世界によっていろいろ違うんですねえ。でもまあ、この世界の人間も動物の言葉が解らなくなって久しいですから、それと同じ感じなんでしょうかね」
同じ人間同士でそれはちょっと寂しすぎますが、と、眉を下げながらに寂しい微笑みを見せる。
だが、カオルはそれよりも、その前の言葉が気になってしまう。
「動物の言葉、って? 昔は、話せたのか?」
「そうですよ? カオル様のところは違うかもしれませんけど、この世界は昔は、人間も動物も、当たり前のように言葉を使って意思疎通していたんです。動物だって、言葉は話せますから」
「動物が?」
「そうですよ? 猫なら『にゃーにゃー』って鳴くし、犬なら『ばうわう』って吠えるでしょう? あれって、その動物の言葉です」
知らなかったです? と、また見つめてくる。
今日は何やら、知らない新事実ばかり聞かされる日だったらしい。
カオルも「確かに鳴くけどさ」と、ちょっと胡散臭く感じてしまう。
これが話しているのがサララではなく女神様だったら、多分嘘だと思い込んでいたところである。
「元々は、あれでどんな事を話しているのか通じていたはずなんですよ。だから、動物達は人間と意思疎通ができたんです。だけど、人間はある時から自分の事を『動物ではない、人間という生き物』って思い込むようになって……自分達だけの言葉を創り出して、動物達と話す事をやめてしまったんです」
「それで、話せなくなったってこと?」
「そうらしいですよ? 流石にサララが生まれるずーっとずーっと昔の事なので、あくまで言い伝えレベルのお話ですけど。でも、『猫語』というのがちゃんと現代にも残ってて、私達猫獣人は使えたりします」
にゃーにゃーと猫真似してみせる猫娘。
いや、サララの言う通りならそれは『猫語』という猫の言葉なのだろうが。
カオルには何を言ってるのか解らないので、てきとーに「にゃにゃー」と返してみた。
「――っ!?」
そしてこの表情である。
ひどく驚いたような顔で口元を抑え、そして真っ赤になっていた。
「どうしたんだ?」
「いえあの……カオル様って、猫語は話せないですよね? 解らないんですよね?」
「話せないぜ。今のも適当だ」
「……そうですよね。うん、ならいいんです。ああびっくりした」
耳まで赤く染めながら、胸に手を当て若干俯いてしまう。
何が起きたのか解らないカオルは、ただただ不思議そうに首を傾げるばかりだが。
(カオル様にはしばらく猫語は教えないでおこう)
解らないままのカオルから最高の言葉を聞いたサララは、「しばらくの間これを利用して遊ぼう」と、良からぬことを考えたのであった。