#8.年明けのサララ
年明けの鐘が鳴るカルナスの街。
祝明のミサが締めを飾り、明けの陽の出が迎えられた頃、カオルは、自宅の窓辺でじ、と、賑わう街の様子を眺めていた。
「カオル様……?」
元々はリビングのはずの部屋であった。
暖炉があり、くつろぎの為にソファと安楽椅子が置かれて……そして今は、ベッドがその中心に置かれていた。
そのベッドの主が、窓辺のカオルを視線で探していたのだ。
「ああ、こっちだぜ」
「うに……? ああ、居ましたね」
声でそれを誘導し、視線が交わる。
一瞬呆けたような顔をしていたサララだったが、それだけで笑顔になる。
頬の赤さは大分薄れていた。峠は越えたらしい。
「おはようございます、カオル様。今は……?」
「ああ、年が明けたみたいだな。俺、この世界の年明けって初めてだけど――」
「年明けっ!? もうそんな時間なんです!?」
それまで穏やかな微笑みを湛えていたサララだったが、カオルの口から出た『年明け』という言葉には敏感に反応し、がばり、身を起こす。
当然、カオルは驚きである。「何が起きたんだ」と困惑していたが、サララは構わず窓まで走り寄り、そして明るい外を見て「あちゃー」と目元を覆った。
「ど、どうしたんだよ……?」
「年明け……はー……祝明のミサ、終わってしまったんですね」
「ああ、まあな。夕べの事だし」
年末の最終日。かねてより体調を崩していたサララは、よりひどい容態になり、特に深夜などは意識も朦朧としてしまっていた。
早い時間にベラドンナが来てくれて休めたからカオルもしのげたが、一時は本当に新年を祝うどころではなく、サララの無事ばかり祈っていたほどだ。
「うぅ、祝明のミサで願った事は女神様に直接届くというお話だったので、今年こそは色々お願いしようと思ってたのに……残念です」
「へぇ、そんな事があったのか。俺も願い損ねちまったな」
なんとも太っ腹な女神様であった。
夢の中に時たまあらわれるあの女神様とはえらい違いだ、と、ちょっと惜しい事をした気分になりながらも、それでも「俺にとって一番は叶ったから良いか」と、割り切る事にした。
目の前のこの少女の健康こそが、一番のご褒美だったのだ。
「サララは何願うつもりだったんだ?」
「え? それは……内緒ですよ。内緒。人に話すと叶わないんですよー」
「そうなのか?」
「ええ。今決めました」
「お前が決めたのかよ」
なんとも身勝手な猫娘であった。
新年早々口はよく回る。
だが、少し照れくさそうに視線を逸らしたりしていたので、「本当に言いにくい事なんだろうな」と察して、カオルはそれ以上は追及しなかった。
「――くー」
そして、暖炉前のソファの一角。
ここにもう一人、未だに眠ったままの影があった。ベラドンナである。
大きな翼をぴったりと合わせ、横向きになってソファに置かれていたぬいぐるみを抱きしめながら、幸せそうに寝息を立てていた。
「ベラドンナ……」
「ぐっすりみたいですね。起こすのも可哀想かも……」
本来ならばシスターとして祝明のミサに参加し、教会で新年を迎える予定だったベラドンナは、一旦カオル達の様子を見に来た後もサララの不調とカオルの手伝いを理由に早々に教会から離れ、戻ってきてくれたのだ。
おかげでカオルはつきっきりで看病する事が出来て、病中、不安が募って寂しがるサララを一人にせずに済んでいた。
ついでに汗拭きなどもサララの意識がない間はベラドンナがやってくれていたのもある。
年が明けてからしばらくは起きていたのはカオルも知っていたが、どうやら力尽きて眠ってしまっていたらしい。
「まあ、そっとしといてやろうぜ。ずっとミサの準備で忙しくて、ここに来てからも飯を作ってくれたり……すごくがんばってくれたんだ」
「そうですね……ベラドンナさん、ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀しながら、眠っている間自分の上に掛けられていたひざ掛けをベラドンナの上に掛けるサララ。
カオルはそんな様を見て「年が明けてから随分しおらしいな」と、本調子ではないのかと心配したが。
「――さて! カオル様、折角年が明けたのですから、広場に行きましょう! お腹が空きました! もちろんお風呂も入りたいので沸かしてください!」
そんな心配をよそに、この黒猫娘はいつもの調子でお腹をさすりながら満面の笑みになっていた。
新年早々の可愛い我が侭である。カオルも「ようやく戻って来たな」と笑いながら、その我が侭を聞くことにしたのだった。
一人眠ったままのベラドンナを残し、広場へと出てきた二人。
サララ曰く「新年のお祝いで街中は色んな催しが行われているはず」との事で、出店などを目当てに訪れたのだ。
既に多くの人が、厚手のコートやら毛皮のローブやらを羽織って出てきており、まだ朝早くだというのに、道のそこかしこには行商の出し物が見られ、サララお目当ての食べ物屋台もいくらか目に入る。
「わぁ☆ カオル様カオル様、私あれ食べたいです! ジュウマンゴクの塩焼き!」
早速サララが目を輝かせながら催促したのは、串に刺された塩焼き魚だった。
なんとも渋すぎるチョイスだが、カオルも「そういやこんなの向こうでもあったなあ」と故郷の事をちょっと懐かしく感じて興味が湧く。
丁度見た目もサイズもそんな感じだったのだ。
「親父、二本くれよ」
「あいよー……おっ、あんた塔の悪魔の時の――」
「うん? ああ、祭りの時のおっちゃんじゃん!」
偶然というか、屋台の親父が顔見知りだった。
以前、事件を解決した後に行われた冬祭り。
その準備に関わっていた露店商の一人である。
「あん時は世話になったなあ。兄さんのおかげで街は元通り、祭もできたし……俺達も、くいっぱぐれしないで済んだしな!」
「ははは、俺達も祭、すごい楽しめたし。それに今も楽しそうなのやってるし、ほんと解決できてよかったよ」
おかげで街は賑わいを取り戻し、今もまた、子連れが幸せそうに、安心して歩けるようになっているのだ。
もう、悲しみに暮れる母もいない。
「新年早々兄さんから金取るなんてしたらコルルカの親分にのされちまうからよ、ほら、持って行ってくれよ! 彼女の分もな!」
「いいのかい? ありがと」
「次は金取るけどな。俺達商人は『恩には恩で返せ、儲けには儲けで返せ』っていう言葉がある。次からは対等だぜ?」
「ははは、お手柔らかに頼むぜ」
親父の好意と粋な言葉に顔をほころばせ、ありがたく二本頂いた。
ただ貰うばかりでは申し訳なくも感じてしまうところだが、「次は対等だ」なんて言葉のおかげで、その負い目も薄れていたのだ。
折角の魚が冷めない内に、と、カオルはすぐに戻った。
「お待たせ、ほら」
「わあいお魚だぁ☆ すごい久しぶりに食べる気がしますよぉ、私もうお腹ぺっこぺこで~♪」
すごくいい笑顔で受け取り、早速一口。
「ん~~~~♪」
もむもむと丁寧に噛みながら、サララは若干だらしがない顔で口の中の幸せを味わっていた。
そんなサララを見て、《ぐぅ》と、腹の音が鳴っている事に気づき、カオルも一口頬張る。
「んぐ……美味いな、これ」
ただ塩焼きされただけの魚だが、空腹の身にはなんともご馳走じみていて。
冷たい新年の空気に触れながら食べる串焼きが、なんとも贅沢な食事のように思えて、カオルは口の中も腹の中も、心も温まっていった。