#7.懺悔聞くベラドンナ
「聞いてくれよシスター! 俺、年が明けたら告白しようと思ってた娘がいたんだ。祝明のミサの時に沢山贈り物して、それで気を惹いてからって……ずっとそう思って金を貯めてたのに、貯めてたのに!!」
「落ち着いてください。息を深く吸って、深呼吸をするのです」
「すー、はー……う、うう……」
本年最後の一日。街の教会の懺悔室にて。
ベラドンナは今、街の青年の吐露を聞かされていた。
祝明のミサに始まる年明けまでの一連の流れは、多くの若者にとって、恋する相手への絶好の告白の機会となる。
情動溢れる冬祭りとは違い、年明けはどちらかといえばプラトニックな感情を優先しての告白を行う者が多く、例年、このように浮足立った若者達が、恋愛相談的な用途で懺悔室を利用するのだが……今年は、やたらと若い男が多く、教会へと詰めかけていた。
「本気だったんだ……ミリスの事、ずっと、ずっと想ってて……なのに、なのにこの時期になって急に……急にミリスがあの男の名前をっ!!」
「貴方も辛い思いをしているようですね。どうか重く背負わず、『来年こそは』と思ってはいかがでしょうか?」
「来年……来年になれば、この辛さも、忘れられるんでしょうか……?」
「救いは必ずありますわ。私も色々と辛い思いをしましたが、今ではこのように心の傷も癒え、人々の為に、女神様の為に生きる道を進む事が出来ました。貴方もきっと、素晴らしい道が見つかるはずですわ」
「うっ……シスターっ、ありがとうシスターっ! あんたの言う事なら聞ける気がするよ……そうだ、俺は誰かに背中を押して欲しかったんだ。新たな年を迎えてもいいんだって」
幸いにして、ベラドンナの言葉を素直に受け取ってくれたらしく、この青年は涙ながらに懺悔室を後にしたが。
「……はぁ。お次の方、どうぞ」
こんこん、と、外に聞こえるよう金具で音を鳴らし、次の希望者へ入室を促す。
「シスター、俺の話を聞いてくれ。ずっと恋人だと思ってた女の子がいたんだ。俺はあの娘の気さくな笑顔を見て、生きる希望にしてた。だっていうのに、あの娘は……エミリーはあの人の事ばかり話題に出すようになって……!!」
(……ああ、またこの話ですのね。今日だけでもう、十五人目だわ……)
顔こそ見えぬものの、懺悔に訪れた青年は、幾度目とも知れぬ『似たような愚痴』をベラドンナに話していた。
内容といえば、恋した娘や恋人だと思っていた女性が、自分以外の男性の事を想っていたり、頻繁にその名を会話の中に出したりしたことに対しての憤りや疑念をぶちまけるものがほとんどである。
そして、このような場合、ほぼほぼ全て、その『相談者以外の男性』に該当するのは一人の男であった。
「確かにあの人はカッコよかったさ! 塔の一件の時だって、他の兵隊さんより勇気を出して女悪魔を……あ、いや、その、とにかく、街の為にすごく頑張ってくれたってのは知ってるんだ! だけどさ、俺の好きな女の心を奪わなくたって良いじゃないか! エミリーだって、俺というものがありながら別の男を――」
(あああ……この地味に私自身もダメージを受ける懺悔も、女神様の試練なのでしょうか……辛いですわ。とても、辛い)
そう、今や城兵隊長として姫君の傍に立てる立場となった『彼』こそが、青年らの悩みの元凶だったのだ。
出世の折にお姫様に連れられ街を離れてしまったものの、未だに街娘達の気持ちは彼へと向いてしまっていた。
いや、むしろ離れてしまった所為で余計に燃え上がってしまったというべきか。
いつの世も、目先に居る相手よりも届かない場所に行ってしまった相手の方が美化されやすいとでも言うべきか。
本人的には口説いたつもりなどなくとも、受け取った側は「あの時の言葉は私と別れたくなくて言ったに違いないわ」「あの時私があの人の誘いに乗っていたなら」など、積極的になれなかった後悔の溜息が多かったのだ。
ついでに自分が引き起こした魔人騒動もよく話に出される為、ベラドンナ自身も巻き添えでダメージを受けていた。
「とにかく、俺はすごく辛いんですよ! 今のままじゃ幸せな気持ちで新年なんて迎えられねぇ! シスター、俺はどうしたら――」
「とりあえず、エミリーさんに今の気持ちを聞いてみてはいかがでしょうか? 今のままでは彼女の気持ちを量りかねている、それがもどかしくて辛い、という事でしょうし……」
「で、でも、聞いてもし振られたら……」
「聞かないまま疑念を抱いて接しようとしても、女性はそういった事には気づきやすいものです。辛い気持ちを隠したりせず、まずは自分が不安に思っている事を伝えてみては? コミュニケーションってとても大事ですよ?」
「そ、そうか……解ったよシスター。俺、やってみる」
「頑張ってくださいませ」
「ありがとう。少しだけ気持ちが楽になったぜ」
やり取りそのものは何のこともないただの愚痴と恋愛相談。
だが、これが中々務まる者がいないのだ。
この街の聖職者というのは、聖女様をはじめとして恋愛回りに聡い者が居らず、これが為、失恋や喪失の苦しみを分かち合える相手が永らく不在のままだった。
ベラドンナ自身、自分が辛い時期に誰も自分の心を楽にしてくれる相手がいなかったことが悲劇に繋がったのだと回顧から学び、だからと言って恋愛ができる訳でもない難しい立ち位置の彼女達の役に立つ為、自分が懺悔を担当させてもらえるようにお願いしたのだ。
実際問題、彼女が懺悔を担当するようになって、飛躍的に悩みを相談する若者が増えた。
これは、そういう需要があったにもかかわらず、それまでの教会が相談窓口としてその需要を満たせなかった事に他ならない。
自身の恋愛経験、そして夫に先立たれた事、子供を生めなかったという辛すぎる経験こそが、そういった悩める若者に「この人に言われた事なら説得力がある」と思わせるに至ったのだろう、と自分で思いはしていたが。
予想以上に、多すぎたのだ。
「――お次の方――」
既に朝から休みなしで懺悔ばかりをしていた。懺悔する機械となっていた。
最初こそ親身になって話を聞き、真面目に考え答えをひねり出していたベラドンナだったが、流石に幾度も続くと回転を速める為にアドバイスがおおざっぱになりつつある。
そして、数をこなせばこなすほど「きっとまた次も同じような相談なのだわ」と諦観が前面に出てきてしまう。
そして大体、その予想は的中するのだ。
「ベラドンナ。並んでる方々にはお話して引き取ってもらいましたから、貴方も少し休みなさいな」
次に聞こえた声の主は、聖女様だった。
どうせまた次も同じような相談が、と思っていたベラドンナもこれには驚き、遮っていた板を押し上げる。
見慣れた聖女様の堅い表情。
「聖女様。しかし……」
「貴方ばかりに押し付けてしまい申し訳ないけれど……無理をして貴方が倒れでもしたらそれこそ代えが利かないのですから。少し休んでらっしゃい。行きたいところもあるのでしょう?」
あまり笑顔の得意ではない彼女なりの、できる限りの笑顔なのをベラドンナは知っていた。
言葉も優しさあってのもので、ベラドンナも張り詰めた心が癒えるのを感じ、わずかばかり表情を和らげる。
「この時期に懺悔室の利用で混むのは例年の事。今年はいくらか事情が違うようだけれど……それでも、年明けにも同じような雑念を抱いた方で一杯になるから……」
「……確かに、そうでしたわね。少し気負い過ぎていたのかしら」
例年の賑わいを思い出し、ベラドンナも自身が頑張り過ぎていたことにようやく気付く。
これこそが自分の役目、と意気込んではいたが、悪魔一人増えたところでどうにもならないのが年末の恐ろしいところである。
懺悔者に用意された椅子に腰かけながら、聖女様はわずかばかり頬を緩める。
「それでも、今年は、笑って過ごせそうだわ。それというのもカオルさん達のおかげね」
「あ……そう、ですね。カオル様のおかげで、私は……悲しみから解放されましたから」
「私もだわ。貴方という親友が亡くなってしまって、悪魔となって私の前に現れたんですもの。この上は私自身が討伐しなくてはならないのかと、自分の運命と女神様を呪いそうになっていました」
本当にあの頃は辛かったです、と、ため息混じりに胸の前で手を組む。
人としての生を捨て、人ならざる存在へとなってしまった友が、そこにはいたのだ。
親しかった彼女とて、ただ女神に祈り続けるだけではなかった。
ひたすらに迷い続けた末、衛兵隊が斃れ、いよいよこの街の危機かとなった折。
彼女は一人、悪魔と化したこの友を討とうと考えていたのだ。
そのような時に無遠慮に自分の元を訪れたカオルには怒りすら湧いたが、結果として彼に話したことが元で、この友人は今の生を失わずに済んだ。
まだまだ全ての人から認められた訳でもないし、犯した罪を償える事などありはしないが、それでも、この穏やかな顔の友が、自分の近くに戻ってきてくれたのだ。
感謝しても足りないほどの恩義がそこにはあった。
「では、少しだけ失礼して……カオル様のところに顔を出してきますわ」
「ええ、ゆっくりしてきなさいな」
気がかりなこともあり、ベラドンナはその好意を素直に受け取る事にした。
優しく送り出してくれる聖女様に感謝し、心持ち軽い足取りで街へと駆け出してゆく。
「お見舞いのお花と、簡単な材料と……よし」
マーケットで予め必要なものを買い集め、カオル達の暮らす家へと向かう。
(なんとなく、昔を思い出すわね……)
聖女様の計らいで得た余暇ではあったが、紙袋を胸に抱きしめ歩くのが妙に懐かしく感じてしまい、小さく微笑む。
思い出すのはずっと昔。
まだ人間の頃。愛した男性と結婚するまでの、恋人だった時期の事だった。
(あの頃は、毎日のようにあの人の家に、ご飯を作りに通って……ふふっ)
失われたことそのものは辛い記憶に違いなかったが、正気を取り戻してからのベラドンナには幾分、過去を顧みるだけの心の余裕があった。
楽しかった事、幸せだった事を、悲嘆なく思い出せるようになっていたのだ。
そんな思い出の一つに、今の自分に近い状況があった。
あくまで近いだけで、何から何まで同じという訳でもなかったが。
(カオル様にはサララさんがいるし、私自身、恩義は抱いているけれど恋人でもないし……でも、誰かの為にお買い物をしてから出向くというのは、なんだか懐かしいわ)
訪れる目的も、相手との立場の違いも、抱く想いすら違うが。
それでも、同じことをしているという認識になり、どこか楽しくもあり。
その楽しさを受け入れられるようになった自分が、どこか嬉しく思えていたのだ。
ここにきて、ベラドンナは大分、生来の人格を取り戻しつつあった。
そうこうしている内に、カオル達の家へと着く。
《コンコンコン》
ノックを三回。丁寧に鳴らすと、少しして《がちゃ》とドアが開く。
「あ、ベラドンナか。いらっしゃい」
カオルであった。ベラドンナの顔を見るや、安堵したように気持ち明るい顔になる。
ベラドンナも丁寧な仕草でお辞儀し「こんにちは」と挨拶する。
それから、申し訳なさそうに眉を下げながら「遅くなりましたが」と、続ける。
「サララさんの容態が芳しくないと聞いて……ずっとお見舞いに来ようと思っていたのですが、遅れてしまいました」
ベラドンナがここに訪れた理由。
それは、体調を崩したのだというサララのお見舞いの為、というのが第一だった。
ニーニャから戻ってしばらく。
ミサの準備が忙しいタイミングで、どうにもサララの体調がよくないらしいと聞いていて、ずっと気にかけていたのだ。
その関係で、どうやらカオル達がミサに参加する事が出来そうにないのも知っていた。
だから、年が変わるまでの間にせめて顔を出せたら、とずっと思っていたのだが……ベラドンナ自身、ミサの手伝いや懺悔役にと多忙を極める中で、今回ようやくそれが叶った形となる。
「わざわざ忙しい中お見舞いに来てくれるだけで嬉しいよ。とにかく入ってくれ。サララも喜ぶぜ」
「はい、それでは失礼して……サララさんは、ご容態は?」
「んー……あんまり良くはないけど、死ぬほどじゃないらしいからな。辛いは辛いだろうけど、落ち着いた感じか」
促されるままに家へと入る中、サララの容態についても説明がなされ、思ったほどではないらしいのが解り安堵する。
カオルも、ある程度心に余裕があるようで、そこまで落ち込んでいる様子もなかった。
「お薬は?」
「医者の先生に頼んでみたんだけど『獣人に人間の薬は効果がないから栄養のあるものを食べさせてやりなさい』って言われちゃったよ。一応、栄養あるもの食わせてるつもりだけどな」
「そうでしたか……獣人の方は、医療周りも人間とは違うのですね」
「普段人間と違いないから解らないけど、結構見た目以外も人間と違う部分が多いらしいからな……食い物とかも気を遣わないといけないって聞いたし」
意外だよな、と苦笑いしながら、奥のドアを開く。
外とは違う温かい空気が中から溢れて、ベラドンナの頬を柔らかく迎えた。
「サララ、ベラドンナがお見舞いにきてくれたぜ」
暖炉とソファの置かれたくつろぎの為の部屋が、急造の寝室になっていた。
無理矢理ベッドを運んだらしく、絨毯が一部破れてしまっていたが。
わざわざ暖かい部屋で休めるように気を遣ったのだろう、と、ベラドンナは察した。
「ん……すみませんベラドンナさん」
カオルの声に、耳をピクリとは動かしたものの。
ベッドの中のサララは、それ以上は動こうとしなかった。
まだ気だるいらしく、声だけで対応。
二人が近づくと視界に入ったらしく、顔だけは向けてくれた。
「聖女様の好意で、少しの間だけ席を外してもいいと言われましたので……カオル様にも少し休んでいただこうと、こうしてきたのです」
「俺にも?」
「はい。サララさんだけでなく、カオル様もお疲れのようですから。どうか、休んでいてくださいまし」
その為の紙袋なのです、と、胸にずっと抱いたままの紙袋を二人に見せ、にこり、微笑む。
自身も疲れてはいたが、それ以上にこの主人とその大切な人が疲弊しているのが、ベラドンナには我慢ならなかったのだ。
人助けばかりしている彼らにも、助けが必要な時はあるはず。
これこそが、ベラドンナがこの家を訪れた最大の理由だった。
(それにこの人達には、幸せになってもらいたいわ)
自分が果たせなかった希望の日々を。
自分が希い続けた幸せを、この二人こそが得られれば。
そう思えばこそ、ベラドンナは、二人の役に立ちたいと思ったのだ。
「いや、でも……ベラドンナも疲れてるんじゃないのか?」
「私は大丈夫ですわ。こう見えて悪魔ですから」
体力には自信があるのです、と、自分でも妙な事を口走って上手い事を言った気になっていた。
それが可笑しくて、自然と微笑みになる。
それが伝わったからか、カオルもそれ以上は食い下がらず、頷いて返す。
「解った。それじゃ、ベラドンナに任せるぜ。ずっとサララの傍についてやりたかったんだけど、俺一人だと結構やる事が多くてさ。看病もまともにできなくって」
「病気になると、どうしても不安になりがちですし……そうしていただければ、私も安心して家事を手伝えますわ」
どうやらサララの傍につく気らしく、ソファを運んで近くに設置、腰かけながら見守る姿勢に移る。
ベッドの横にソファ、というのは滑稽ではあったが、椅子を捜すのも惜しいくらいに傍に居たかったのだと、その心配もよく解ったので、ベラドンナは一々口を挟まない。
何より、ここはもう自分が入り込むような場所ではないと解っていたのだ。
「では、キッチンをお借りしますね」
「助かるぜ。これから何か作ろうと思ってたんだけど、頼むよ」
「サララは、ミルクスープがいい、です」
こんな時もリクエストを怠らないサララには二人とも笑ってしまったが、「食欲があるのは素敵な事」と、ベラドンナはそれを受け付ける方向で、キッチンへと向かった。