#6.歩めぬ二人
冬ももう少しで終わりかという頃。
カオルは、教会で世話になっているのだというベラドンナの顔を見に行くことにした。
聖女様による説得により正気を取り戻した彼女は、その縁もあってかカオルに呼ばれない限りは自発的に教会の手伝いをしている。
元々敬虔な信徒だった彼女は女神教の教義もよく理解しているらしく、聖女様曰く「下手な聖職者より解ってる」のだとか。
「あら、カオル様ではありませんか」
「よっ」
そんなベラドンナは、教会の中ではシスターの格好をして、聖堂で祈りを捧げていた。
今日は他には参拝者も居らず、二人きり。
喪服を思わせる黒い修道服に、黒いヴェール。
色合いこそ違うものの聖女様に似通った服装ではあった。
ただ、教会のシスターというのは目元を隠すのが常識らしく、ベラドンナも目元までヴェールで隠され、ぱっと見では顔が解らないようになっている。
羽や角といった人外パーツがあるので見間違えようもないのだが、表情が解り難いのでカオルは常日頃から「ちょっと不便だな」と思っていた。
「元気してるかなって思って」
「はい。おかげさまで……ニーニャの時は、先に一人だけ戻ってしまい申し訳ございませんでした。何か不便などはありませんでしたか?」
「うん。そこは問題なかったぜ。教会も忙しかったんだろ? 仕方ないって」
「ありがとうございます」
なんでも、年末になると教会というのは忙しくなるらしく、悪魔の手でも借りたいような状況に陥っていたのだとか。
カオルもカルナスに戻った折、お土産を渡しに教会を訪れた事があったのだが、その時は聖女様始めシスターの方々一堂苛烈な状況下に置かれていたらしく「申し訳ございませんがお話は後日にしてください」と追い返されたほどであった。
その時はお土産だけ置いてそそくさと帰っていたが。
「忙しければ俺も手伝おうと思ったんだけど、断られちまったんだよな」
「祝明のミサは、代々教会関係者のみで準備を行うのが習わしですので……私も、お手伝いをしたのは今年が初めてなのです」
「へえ、そうなのか。どうりでなあ」
その、ベラドンナ達が忙しい思いをしていた理由は、年末の大イベント『祝明のミサ』にある。
この準備の為、ベラドンナ達は日夜休む暇なく聖堂の大掃除をしたり、食材の買い込み、料理の下準備などに汗していたのだという。
「その祝明のミサって、どんなものなの?」
「祝明のミサは、街の皆さんを招いて、一年の間女神様への敬虔なる祈りを捧げた事を女神様から褒めていただける、とても大切なミサなのです」
「女神様から……女神様、褒めてくれるんだ」
「はい。これにより人々は『自分達は女神様に見守られている』という事を自覚し、悪事を働いたりする事なく、善人として生きられるよう清い心がけができるようになるのです」
とても素晴らしい日ですわ、と、眼を瞑りながらに幸せそうに語る。
カオルにとって、元の世界での年末とはただだらけて過ごすだけの退屈な長休みでしかなかったが、こちらでは違う年末が過ごせそうで、ちょっとドキドキしてしまっていた。
(そーいや、この女神像は俺の知ってる女神様とは違うんだよな……やっぱ、サララがよく言ってた『アロエ様』っていう女神様が来るのかな?)
カオル視点では、この石像の時点で美少女っぽい女神様はどう見ても自分の知る女神様ではないので、新たな女神様との出会いにも若干の期待と不安があるのだが……それは別としても、イベント自体が楽しみだった。
「この祝明のミサが終わると、女神様の祝福が降り注ぎ、何かしら幸せになるのだと言われています。ミサの後には料理を供しての迎年の席が設けられますので、カオル様も是非、サララさんとお二人でご参加くださいね?」
「ああ、解った。必ず参加するぜ」
ベラドンナ達が頑張って準備したお祝いの席なのだ。
絶対に参加してやろうと、カオルはニカリと笑い答えていた。
「お邪魔しま~す……あ、カオルさんだ」
「うん? おお、ミスティーじゃん」
それから少しの間ベラドンナと雑談していたのだが、聖堂の扉が開き、参拝者が訪れる。
カオルにとってはもう見慣れたパン屋の娘、ミスティーである。
街一番の美人さんと名高いこの少女だが、カオルにもにっこりと微笑み返してくれる愛想のいい娘であった。
カオルも思わず笑顔になってしまう。
「お祈りに来たのかい?」
「ううん。それもあるんだけどちょっと……シスター、ちょっと懺悔よろしいですか?」
「ええ、もちろんですわ。それではカオル様、失礼しますね。ミスティーさん、こちらへどうぞ」
「ありがとう。それじゃ、カオルさん、また」
「ああ」
ベラドンナに促され、奥の部屋へと入っていくミスティー。
二人を見送り、カオルも誰もいなくなった聖堂に居ても仕方ないので、帰る事にした。
「――ああ、忘れてた」
扉に手を掛けたところで一人ごち、女神像の前へ。
(えーっと……俺の周りの人が皆幸せになれますように。あと、面白いことが起きますように)
一番に浮かんだことはなんとなくそのまま祈るのは恥ずかしかったので、やや遠回しに。
二つ目に浮かんだことは、平和過ぎる冬に対しての注文というか、平和を求めながらも退屈しない日々を願っていた。
そうして数分。祈りの姿勢を解き、今度こそ帰る事にした。
「ただいまー」
「……」
家に着くと、珍しくサララが暖炉の前に寝転んでいなかった。
ソファの上で気だるげに横たわり、ぼーっと暖炉の炎を見つめていたのだ。
「おーい」
「あらカオル様。おかえりなさい」
間近で声をかけてようやく反応が返ってくる始末。
カオルは最初、寝ぼけてやる気がないのかと思ったが、どうやらそれとは様子が違うように感じた。
尻尾が垂れていたのだ。
「なあサララ、どうかしたのか?」
「うに? 何がです?」
「いや、なんか反応が鈍いっていうか」
「そうですか? すみません、ちょっと考え事をしていたみたいで」
「なんだそりゃ……」
変な事言うなあと思いながら苦笑いでキッチンへ引っ込む。
外は寒かったが、まずは様子がおかしいサララにホットミルクでも、と考えた。
「ちょっと待ってろよー」
目の前を通り過ぎてしまったので、一応声をかけ、鍋を手に取る。
火打石を使い、難なく着火。慣れたものであった。
ミルクはこの時期凍っているものを鍋に入れ溶かすところから始めないといけない。
若干不便だし凍っていると味が落ちるのだが、その分保存が効きやすいらしく、割合長持ちになっていた。
カオルはその凍ったミルクに、バター少量、それから砂糖を入れる。
サララは甘いモノも結構好きなので、こういった調整をしたホットミルクは喜んで飲んでくれるのだ。
カオルにはちょっと甘すぎるが、サララが求めるなら、と、自然と最適なバランスを見いだせるようになった。
「サララ、ホットミルク作ったぜ。飲むか?」
「あ……うん。いただきます」
「んじゃ、持ってくるからな」
相変わらずソファの上から動こうとしないサララ。
今度はちゃんと反応を返してくれたが、視線は暖炉の方ばかり見ていて、やはり気だるそうだった。
体調が悪いのかもしれないと思い、カオルも急いでキッチンに戻る。
すぐさま木のコップにホットミルクを注いで戻る。
なんとなしに心配になってしまったのだ。
こんな事は、今まで一度もなかった。
サララは割と健康体質で、一緒に暮らしていて風邪などひいたことは一度もない。
いつでもマイペースで、いつでも笑顔を見せてくれる、そんな少女だったのだ。
だからこそ、この変異には何か大きな意味があるんじゃないかと、そんな事を考えてしまう。
「持ってきたぞ。ほら、これ飲んで温まれよ」
「ありがとうございます」
起き上がりながら、差し出したコップを受け取るサララ。
先程と比べればレスポンスも大分マシにはなったが、その視線はうろうろとしていて、今一定まらない。
「えへへ、カオル様のホットミルクって甘くておいしいんですよね。サララ、これ好きですよ」
「前にもそう言ってたからな。なんか元気ないけど、大丈夫か?」
「んん……」
静かにミルクを啜り、可愛らしくはにかむサララ。
ただ、尻尾はやはり垂れ下がったままだし、頬も赤く上気したまま。
照れているというよりも、体調に何がしかあったのではないかと、そんな事を思ってカオルは心配してしまう。
だけれど、サララは考えるように視線を上に向け……やがて、微笑んで見せた。
「カオル様が優しくしてくれるなら、嘘でも病気だと言っておきましょうか?」
「サララ。俺は本気で心配してるんだが?」
「えへへ、ごめんなさい」
おどけて見せるこの猫耳の相棒が、本当に冗談でそれを言ってるだけには思えなかったのだ。
だからカオルは、わざわざそんな事を言ってみせるサララに、若干の苛立ちを覚えてしまった。
(弱ってる時くらい素直に頼りゃいいのにな。普段甘えてくるくせに、なんでこんな事にばっか――)
普段のサララなら、それこそカオルの返答など気にもせず一方的に甘えてくるはずだった。
カオルが作って差し出すより前に「寒いからホットミルク作ってくださいよー」とか言うだろうし、寒ければ寒いで「もっと暖炉にくべる薪を持ってきてください」だの言ってくるのが、普段のサララである。
そう考えると相当にカオルも飼いならされているのだが、こういう時の変にしおらしい、弱さを見せようとしない所が、カオルには悔しく感じてしまう。
「本当に、ちょっと考え過ぎてただけなんで」
「何を?」
「んー……猫になる前の事とか。猫になってからの事とか。まさか今年になって元の姿に戻れると思ってなかったので、この姿で年末を迎えられるなあって思ったら、ちょっと感慨深くなっちゃって」
「……ふぅん」
誤魔化しにも聞こえる話ではあったが、それはそれでカオルには気になる事だった。
猫になる前のサララの生活。
それはつまり、エスティアのお姫様として過ごしていた頃の事のはずだった。
もう何年も前の事。何年も前に、奪われた日々だった。
「サララはさ」
「はい?」
だから、なんとなく聞きたくなってしまったのだ。
お姫様をやってた頃のサララを。
それはどんな生活で、どんな日々で、そして、サララ自身が、どんなお姫様だったのかを。
今を見ればなんとなく想像ができないではなかったが、それでも。
本人の口から、それを聞きたいと思ってしまったのだ。
「……いや、なんでもねぇ。ホットミルク、美味いか?」
だが、聞けなかった。
聞きたいと、サララの事をもっと知りたいと思いながらも、それでも。
その一歩は、踏み出してはいけない一歩なのだと、カオル自身の中で歯止めとなってしまっていたのだ。
サララは、目の前にいる。
とても可愛らしく微笑みを湛えて、傍に居てくれる。
とても弱々しくて、とても健気で、とても我が侭で、嫉妬深くて。
だけれど愛しいとすら思える、そんな少女のままでいて欲しいと、そんな我が侭が、カオルの中に息づいてしまっていた。
カオルのごまかしの言葉に、サララも首を傾げてから「そうですね」と小さく頷いた。
何を言おうとしていたのか、それを察したのかもしれない。
サララはとても聡明で、勘が鋭い。
カオルが考えている事の多くはサララには筒抜けだったりするし、そのおかげでいざという時は抜群の連携を取れることもある。
だけれど、こういう時はとても不便なんだと、カオルは苦笑いしてしまった。
なんとなくでも、その意図が読まれてしまうのは気まずいのだ。
「ホットミルク、とっても美味しいですよ。温かくて……とっても、温かくて」
だが。カオルはまだ知らない。
サララ自身も、自分の気持ちを隠そうと必死になっている事を。
視線をうろうろさせ、伝えたい言葉を言えずに焦れて。
そうして、偽りの気持ちしか言えないもどかしさを感じている事を。
ある意味、二人は同じ気持ちを抱いていて、そうして、同じように互いとの距離を測りかねていたのだ。
気を遣うには近すぎた。だけれど、全てを委ねるにはまだ遠いようにも思えて。
それ以上の、そこから先の一歩を求める一言が、どうしても言えなかったのだ。
歯がゆい思いを抱きながらの冬。
もう間もなく年が明ける、そんな日の中。
二人は、歩みたいのに歩めない、そんな霧の中のような世界に立っていた。