#5.ジブショウショウのミルクミルフィーユ煮込み
カルナスに戻ってからのカオルは、サララと二人、平和な日々を送っていた。
ニーニャと比べると比較的雪の多く降るこの地域は、街の至る所で大量の積雪の処理に追われていたのだが、勿論カオルも自分の家と、困っている街の人々の手伝いに奔走する毎日。
サララは寒いので家の外には出たがらず、目下暖炉の前で丸くなっているばかりだったが、たまに気が向いたかのように編み物なりを始めては、手製の手袋やらマフラーやらを用意してくれていた。
だらしがない印象の強い猫娘ではあるが、男心を掴むことは怠らぬ出来た黒猫だったらしい。
「ああ、疲れたぜ。雪かきは結構運動になるよなあ」
今日もまた、雪かきを終え家に帰ってきたカオル。
そのお礼にと包みを渡されていたのだが、疲労感のままに暖炉の前に座り込んでいた。
丁度、暖炉前でくつろいでいたサララと目が合う。
「ふふっ、おかえりなさいカオル様。今日もいいお顔ですねえ?」
「あー……なんか、そんな顔してる?」
「満ち足りたような顔をしてますよ? 人に頼られるのが嬉しくて仕方ない、みたいな」
「そっか」
自分の顔を見ながらに微笑み返してくれるサララのそんな一言に、カオルも頬をぽりぽり、若干照れながら小さく頷く。
「結構楽しいんだ。そんなに大したことはしてないんだけどさ、やっぱ、人の役に立ててるのっていいなあって」
「もう働かなくてもしばらくは遊べるくらいのお金貰ってるでしょうに。でも、そうやって楽しそうに帰ってきてくれるカオル様を見るとほっとしますねぇ」
「そうか? あ、ちょっと待っててくれな。夕飯、すぐ用意するから」
「ん。ではお皿並べはお任せください」
プロですから、と、にこやかぁに微笑みながら立ち上がる。
食事と聞けば俊敏になれる。それがこの猫娘であった。
これにはカオルも「相変わらずだなあこいつは」と妙に楽しくなり、ぐ、と立ち上がる。
疲労は抜けていないが、こんな女の子の為にご飯を作る事に悪い気はしないのだ。
「今日は何を作るつもりなんです? そういえば、その包みは?」
料理の時間である。
カオルは持ち帰った包みをそのままキッチンまで運んでいた。
サララもそれが気になるのか、ちらちらと見ている。
「これな。さっき雑貨屋のアーシーさんの家の雪かきを手伝ったら貰ったんだけとさ……『雪グミの実』っていう木の実らしいんだ」
「おお、雪グミ! そういえばこの時期は採れるんでしたねー」
「知ってるのか?」
「ええ。山林とかにこのくらいの時期になると生るんですよぉ。酸っぱいのでそのまま食べると『んー』ってなっちゃいますけど」
「『んー』ってなっちゃうのか」
眼をぎゅっと瞑ってふるふる震えるサララ。相当酸っぱいらしい。
調理方法などはよく聞かず、ただ「持って行ってね」とだけ言われたため、カオルはちょっと迷ってしまった。
使えるなら料理の具にでも、と思っていたのだが、酸っぱいだけの木の実の使い方はちょっと浮かばないのだ。
「えっとですね、そのまま食べると酸っぱいんですけど、火を通すとすごく甘くなるんです。ジャムにするととっても美味しいですから、それだけの量があるならチャレンジしてみるといいかも?」
「ジャムか。なるほどなあ。試してみるぜ」
基本的には料理しか作れないカオルだが、ジャムやマーマレードの作り方に関してはパン屋の娘さんとの雑談で聞いたりもしたので、ある程度自力でできるつもりではあった。
そう考えるとこの雪グミ、朝パンを食べる時にジャムとして使える便利食材と言える。
手軽に朝食を済ませたいカオルとしては大変ありがたかった。
「とりあえずこの雪グミは料理の材料にはならないから……ニーニャで買ってきた『ジブショウショウ』ってのを使おうと思うんだ」
「ジブショウショウ……緑菜と白衣は?」
「勿論買って来たぜ」
「おぉぉぉっ! という事はまさか! カオル様!?」
「ああ、ミルククリーム煮って奴を試してみるつもりだ」
「やったー! カオル様解ってるー!!」
ジブショウショウと聞いて目を輝かせたサララ。
どうやら定番の調理方法らしいミルククリーム煮は、見事この猫娘の好みに合致しているらしかった。
おかげで大はしゃぎである。
「作るの自体は初めてだから、そこまでは期待するなよ?」
「期待しますよぉ。大丈夫、カオル様の料理の腕前はサララが解ってますから!」
気にしないでください、と、親指をぐ、と立てながら笑ってくれるサララに、カオルは「そこまで信じてくれるなら」とやる気を湧かせる。
この女の子に美味い物を食わせたい。幸せそうな顔を見たい。
その気持ちが料理の上達を促し、カオルをして「これくらいならなんとかなるだろう」と自信をのぞかせていたのだ。
この世界に来るまでのカオルなら不可能だった料理も、今の彼ならばそれまでの経験のアドリブでなんとかできる算段があった。
「よーし、やるぞーっ」
「頑張ってください。サララはここで応援してます!」
眼をキラキラとさせながら両手をぐっと握りしめ応援スタイルに入るサララ。
当然何かの役に立つという事はないのだが、カオルにとってはもう、これで十分だった。
皿並べのプロ程度でいいのだ。本当は自分と一緒に並んで作ってくれたらそれはそれで楽しそうだとは思っていたが、サララに料理の手伝いをさせるのはなんとなく危なっかしく感じてしまう。
今はまだ、カオルにとってはこれでよかった。
「はふー……美味しかった、です」
「結構食い応えあったなあ……パン無しでも腹いっぱいになったか」
「そうですねー。パン無しでもオッケーでしたねえ」
完食。とても幸せそうにうっとりした顔でため息を漏らすサララ。
カオルも腹をさすりながら感嘆していた。
思った以上の美味だったのだ。サララも食べながらにしきりに感動していた辺り、ご満悦な様子で。
(ああ、試してみてよかったなあ。サンキュー、女神様)
もののついでで思い出したこととはいえ、女神様経由の知識で作る事が出来たのだ。
以前女神様が言っていたように、ミルククリームに溶け込んだかのようなジブショウショウの身はトロトロのふわふわで二人の舌を魅了していた。
ただ柔らかいだけでなく舌の上にあると噛まずとも溶けていくようで、フォークで刺して食べるのではなく、スプーンでクリームと一緒にすくいながら食べる魚料理である。
それでいてミルククリームと合わさるとなんとも言えぬ深い味わいが出て、緑菜や白衣といったあまり味の強くない野菜とも相性がいいのか、濃厚なジブショウショウの味を感じさせてくれていた。
変わった点があるとすれば、パンが無くても腹が一杯になる点。
これはジブショウショウ特有なのか、食べていると妙に腹が膨れるのだ。
ジブショウショウ自体はそれほど大きくはないのだが、何か特別な効果なのかもしれないとカオルは考える。
「ああ、もう幸せ……動きたくないです」
「いやいや、幸せなのはよかったけどさ、横になるならせめてベッドなりソファなりに移動しろよ?」
早速テーブルに膝をついてぽけーっとしてしまうサララ。
カオルとしては片づけの邪魔なので、そのまま寝てしまわないように頬を指先で突っつきながら退席を促す。
突っつくたびに「うに」と力の無い反応が返ってくるが、幾度か繰り返してると流石に諦めたのか、「むむむ」とちょっと悔しげに立ち上がる。
「カオル様の意地悪。美味しいご飯を食べたらまったりしたくなるのはサララの所為じゃないですよ?」
「楽になれるところでまったりしてくれよ。火も落としちゃうし、寒くなるぞ?」
「むー」
一応食卓も調理に使った火がまだ残っているので温かいと言えば温かいが、暖炉の前と比べれば流石にそこまでとは言えず。
更に火も消えるとあっては、あったか空間大好きなサララには、眠る場所としては今一なはずであった。
それは解っているらしく、サララも不承不承といった様子で「解りました」と暖炉のある部屋へと向かう。
(……ちょっと可哀想だったかな)
片付けの邪魔とはいえ、折角幸せな気持ちにさせてあげたのに退かしてしまったのはちょっと悪い事をした気になっていた。
だが、そうはいってもサララの事。
そこまで気にはしてないんだろうなあと考え、洗い物に集中する。
「うひー、つめてっ」
この時期。洗い物は中々の苦行であった。
料理はまだ火を使えば手先指先が温まる分良いが、洗いはただただ冷水に手を突っ込まなくてはならない。
慣れてはいたとはいえ、冷水の中皿を洗っていくこの瞬間こそが、カオルにとって悩ましい苦行の時であった。
「あ、洗い物終わったんですね。お疲れ様です」
「ひー、寒い寒い寒いっ」
「さささ、暖炉の前どぞー」
「ああ、悪いな。ふー、ふー」
洗い物が終わり戻ってきたカオルに、サララはすぐに暖炉前の定位置を譲り、ソファへと移動する。
そこで横たわるのだが、震えながら指先を当てるカオルを見て、いくばくか考えるような仕草。
「――お皿洗い、サララがしましょうか? その、大変なら」
ぽつり、呟くように聞こえたそれに、カオルは不意に胸が温まるのを感じてしまう。
サララがそんな事を言い出す事なんて本当に稀で、そして貴重だった。
「いいよ。俺が好きでやってるんだからな」
「あ、そうでしたか。見てて寒そうだから、流石にそこまでお任せしちゃうのは申し訳ないなあって思っちゃったのですが……」
「大丈夫だぜ。それに、女の子に寒い思いさせるのもそれはそれでな」
嬉しくはあったが、カオルは首を横に振っていた。
冷たい思いをするのは自分でもサララでも違わないのだから。
それなら、この大切な女の子にそんな思いをさせるよりは自分が、と思っていたのだ。
(……やれって一言言ってくれれば、私がやるのになあ。カオル様ばかりに冷たい思いをさせたくないのに)
ただ、同じ思いをサララも抱いているのはカオルも知らず。
なんとなしに残念な気持ちになりながら、サララは「そうですか」とだけ返し、ぱたり、ソファに顔を埋める。
やれと言われれば嫌がらずやるくらいの気はあるけれど、まだ相手の得意分野に自分から踏み込むだけの勇気は、サララにはなかったのだ。
不器用だと自覚しているなりに、不得手な事に自分が手を出す事には躊躇してしまっていた。
そんな、カオルの知らないサララの一面であった。