#4.港町との別れ
「ああ、その人達なら知ってますよ。二年前にこちらに泊まりましたから」
「あら、本当なのリシュア? 私は覚えが無かったのだけれど……」
翌日。
出立の前に、宿屋の姉妹に行方知れずのフィーナ達の話を聞いたのだが、これがやはり当たりだったらしく、フィーナがはっきりと答えてくれた。
何故かハーヴィーは驚いたように目を白黒させている。謎過ぎた。
「ハーヴィー姉さん……本当に忘れてしまったんですか? ほら、あの、姉さんに話しかけられて浮ついた顔をしていた男性ですよ。あの、恋人の人に怒られてた」
「ううん……ああ! 思い出したわ! 確かオルレアン村からいらしたって言ってたわね! お名前は……そう、オークさん!」
「ノークさんですよ、姉さん、本当に忘れちゃってたんですね……」
「はぅ……」
しょぼくれてしまうハーヴィーと「やれやれ」と、呆れたようにため息をつくリシュア。
相変わらずの天然ボケをかますハーヴィーだが、これにはカオル達も苦笑いしながら「まあこの人はな」と流す。
慣れというか、『残念な美人さん』なのだと割り切れば、これくらいは普通だと思えたのだ。
初対面ならきっと見た目とのギャップに驚くだろうが、この人はこんな感じの人であった。
ある意味女神様が美人だったらこんな感じだったんだろうな、と、若干失礼なことを考えてしまっていたカオルであったが、とにもかくにもリシュアの話に耳を向ける。
「あのですねお客さん。一応お尋ねしますけど、お客さん達は、その人達とどういった……?」
暗礁に乗り上げたかに思えたフィーナ捜索に一筋の光明が、と思えたカオル達とは裏腹に、リシュアは少し困ったような顔をしていた。
子供ながらに周囲を気にした、というか。少し小さな声で確認してきたのだ。
「俺達が世話になってた村の人なんだ。フィーナさんの方は村長の娘さんらしくて、俺達、駆け落ちしたっていうその二人の捜索を頼まれててさ」
「ああ、そういう事でしたか……一応、私達も客商売ですので、宿泊客の方の話していた事や向かった先は、おいそれとは教えられないのですが……そういう事なら」
カオル達の説明で、難しい顔をしていたリシュアは心なし、明るい表情になっていた。
幸い、教えられない続柄ではないらしい。
これにはカオルもサララもほっとしていた。
「二人が向かった先って、解るのか?」
「元々は船を使って異国に、というつもりだったようですね。『南の国にいければ』って言ってましたので」
「南の国……」
「随分と思い切ったんですねえ、スケールが大きい駆け落ちです」
これが若さ故の勢いか、と、カオルはつい、年寄りじみた事を考えてしまっていた。
案外、若い二人ならば海くらい超えられるはず、みたいな考えがあったのかもしれない。
サララも額に手をやり「あちゃー」と目を瞑ってしまう。
「それじゃ、もうこの国にはいないって事か?」
「いえ、今のこの町には他国との旅客船は泊まらないはずですから、船で他国に渡りたいならずっと東にあるセレンまで行かないと……ですので、ハーヴィー姉さんがそれを説明したはずなんですが……」
「はい、確かに説明しましたね。うん、思い出しました!」
心配そうに姉を見つめるリシュア。
そんな妹の心配をよそに、ハーヴィーはどや顔でぐっと拳を握りしめていた。
……やはり、頼りなさが前面に出てしまっていて、カオルもサララも微妙な表情になる。
「それじゃ、結局二人はどこに向かったんだ……?」
「向かった先までは解りませんが……そうそう、『南の国もいいけど、誰もいない山奥で二人きりで暮らすのもいいね』とか話してたような」
「この国で山奥というと……北の方になりますねえ。オルレアン村の北側なんかは特に山岳地帯が連なりますけど、後はビオラの北とか」
うろ覚えながらなんとか思い出していくハーヴィーの説明を聞き、サララが瞬時に地図の地形を言葉にしていく。
この辺り、サララが博識なのか、あるいは猫として盗賊団と共に旅した日々かのどちらかが役立っているようだった。
そのおかげで地図を広げる必要すらない。オルレアン村とビオラの位置くらいは、カオルでもある程度は思い描ける範囲だった。
「事情が事情だから、わざわざオルレアン村の北側に向かうとは考えにくい気もするな」
「そうなると、ビオラの先ですね。ただ、あの辺りって本当に山が多いから、どの山に居るかとかは最悪しらみ潰しになるかもしれませんけど……」
「とりあえず、冬の間は無理だよな。でも、これで村長さんに持って帰る土産が増えたぜ」
「そうですね。お二人とも、ありがとうございました」
「ありがとうな」
二人、ぺこりと頭を下げる。
何も解らないまま報告しなければならなかったところが、この二人のおかげで大分情報がまとまったのだ。
少なくとも件の二人はこの辺りやカルナスには居ない。
それだけでも大きな情報に違いないのだから。
「いえいえ、お役に立てたようで何よりですわ」
「お二方とも、どうぞまた当宿にお立ち寄りください。私一人でも、立派に切り盛りして見せますので!」
元気いっぱいに笑うリシュアの言葉に、カオルは「やっぱそうなるのか」と、少し残念な気持ちになりながら、なんとか笑う。
「大変だろうけど、頑張ってな」
「はい! お客さん達も、どうぞよい春を迎えられますように」
「永らくのご利用、ありがとうございました。どうかよい春を」
春には結婚してしまうという姉が、まだ幼いこの妹を残し、何を想うのか。
それを考えると決して笑っていいことではないはずだが、カオルもサララも、できる限りの笑顔を見せて「また来るから」と伝えた。
ここは宿で、そしてカオル達は客なのだ。
宿の主が何を考え、結婚の際にどうなるか、跡取りの問題など客が気にする事ではない。
本人たちがそれでいいのなら、無理に関わるべき問題ではないのだ。
カオル達には、それが解ってしまっていた。
これがステラ王女のように結婚を本気で拒むようなら話も違うのだろうが、望んでする結婚なら、祝福すべきなのだから。
「良い宿でしたね」
「ほんとにな」
『海鳥の止まり木亭』を後にして、今度は世話になった人達の元へと向かう二人。
また来ようと思いながらも、その別れはやはり寂しく。
さざ波の音を紛らわせに感じながら、港を歩いていった。
「町長さんにはいろいろ世話になったから、まずはあいさつしないとって思っててさ」
「いえいえ、私達の方こそ、この町の為に動いてくれる方がいた事、これはとても嬉しかったですよ」
まず真っ先に訪れたのは、町長の家。
幸い家に居てくれたので、挨拶を、と、家の人に言うやすぐに出てきてくれた。
町長は「是非家でお茶でも飲みながら」と言ってくれたのだが、カオル達は「他に行くところがあるから」と断り、挨拶だけに留める。
「貴方がたのおかげで、この町は救われただけでなく、発展の希望すら抱けるようになった。自分が町長になった時こそは『この町を自分の手で復興するんだ』と粋がっていたんですがね、最近はもう、人が減っていって自信を失い続けるばかりで……私自身、貴方がたに救われたんですよ」
今まで口にしなかった弱音ではあったが、町長の吐露に、カオルもサララも真面目に耳を向ける。
この人はこの人なりに苦労していたのだ。
それが報われたんだから、これは本人にとって救い以外の何者でもない。
だが、それが解っていて、それでもカオルは「違うぜ」と首を横に振る。
驚く町長。だが、サララは笑っていた。
「これから先が本番だろ?」
「……そうでしたね。私は、これから先こそが真価を発揮できるチャンスなのだと思っています。この町の魅力を知ってもらい、この町だからこそ訪れたいと、住んでみたいと思ってもらえる、そんな町にしたいと思います」
「ああ。次に来る時が楽しみだぜ。頑張ってくれよ」
「私達、期待してますから。町長さんの町づくり、すごく楽しみにしてます!」
「ありがとう……これからこの町は、どんどんよくなっていきますよ! 皆、活気を取り戻してくれることでしょう。是非とも、またこの町に来てください! 一堂、歓迎します!」
老いを感じさせていたかつての表情はどこにもなくなり。
今二人の前に立っていたのは、これからを感じさせる気概に満ちた、活き活きとした中年男の姿だった。
カオルもサララも、そんな町長の顔に「勿論」と、笑顔になる。
町長の次に訪れたのは、提督の元であった。
波止場で日々を過ごしていた提督は、巫女のお説教もあって夜中に出没するように……とはいかず、今も昼間からぼーっと、海の向こうを眺めていた。
「この海は、いつ見ても変わる事はない。穏やかで優しくて、まるで母に抱かれているように安らぎ、父に守られているかのように雄大で。船の上から見る海は恐ろしくも感じられるが、港から眺める海は、人の心に何か、とても大切なことを思い出させてくれるように思えるのです」
「提督さん、結構詩的だな」
「ははは、これでも子供の頃は詩人に憧れていた事もありましてね。自由な世界に羽ばたきたくて、『いつかは大きな船に』と、まあ、子供そのままに興味が移り、軍人にまでなってしまいましたが」
「素敵な理由だと思いますよ」
爽やかな笑顔で語りかけてくれる提督に、カオルもサララも、「やっぱりこの人は幽霊っぽくないな」と思いながらも、その言葉には温かな気持ちになっていた。
人に好かれるなりの優しさというか、一緒に居るだけで好きになってしまうような、そんな人を引き付ける空気のようなものを、この提督は持っていたのだ。
軍人として、艦隊を指揮する立場にある提督にとっては必要不可欠な『人に好かれる才能』というものなのだが、二人から見てもやはりこの提督はそれを感じさせる、提督なりの人格者であった。
「お二人がこの町から離れてしまうのは寂しいですが、人との別れとは次に会う時の希望にも繋がります。我々船乗りは、それを『別れ』とは言いません。『送り出す』のです」
「俺達も、送り出してくれるかい?」
「勿論ですとも。どうかまた会える日を。海ではなくとも、人生という名の航海の中、立ち寄れる港である事を真に願って」
頭にかぶった黒い三角帽を左手に取って抱え、提督は恭しげに右手を胸の前へと当てた。
びしりと敬するその姿に、カオル達も自然、びし、と姿勢を正し。
そして、互いに笑ってしまっていた。
「ちょっと緊張するよな、これ」
「ええ。心が引き締まるのです。ですが、気軽にお考え下さい。貴方がたは、私と部下達にとってかけがえのない『友』です。何か困った事があらば、必ずや役に立つべく身を奮わせましょう」
「ありがとうな提督さん。お元気で」
「どうか末永く優しい日々を送れたらと思います」
困った事があれば、と言ってくれた提督ではあるが、二人は「そうは言っても幸せに過ごして欲しいな」と思っていた。
今までずっと冷たい海の中に居たのだ。今こそ、港に戻れたこれからこそ、温かな世界で過ごして欲しい。
死して海の眷属となり果てた彼に、せめてもの救いがあるとするなら。
このニーニャこそが、彼にとって安穏の地なのだから、と。
提督と別れ、カオル達が次に向かったのは、町はずれにあるアリサ婦人の家。
かつては婦人が一人で暮らしていた家であったが、元々は町の外から来た若い漁師の為の貸家も兼ねていたらしく、今ではトーマスも一緒に暮らしていた。
「なんか、お似合いの二人って感じだよな」
「ははは、カオル殿、そのような事を言ってはならん。アリサ殿に失礼でござる」
その様はさながら老夫婦のようではあったが、からかうように指摘すれば、トーマスは照れたように笑いながら否定していた。
彼にとってはアリサ婦人は、自分の命を助けてくれた恩人という扱いらしく。
あくまで自分の身命を以てその恩に報いたいという、かつての姫君に尽くした老兵の頃と何ら変わらぬ立ち位置のつもりらしかった。
「私としてはトーマスさんが近くに居てくださるのはとてもありがたいのですが……なんだか、縛り付けてしまっているようで申し訳なく思いますわ」
「そんな事はありませぬ。むしろ押しかけ同然に来てしまって、こちらの方が申し訳なく思うくらいで……どうぞ、この老骨めを役立てていただきたい」
「アリサさん、トーマスさんはこんな感じに頑固な方ですから、適当にこき使ったほうがむしろ喜ぶと思うんです。上手く使い方をマスターしてくださいね」
「これはサララ様。いいことを言いなすった! それでいいのですよアリサ殿!」
がはは、と、豪快に笑って見せるトーマスに、アリサも遠慮がちに微笑みながら「解りました」と小さく頷く。
元々控えめな女性だったらしく、役立ちたいとは言ってくれても、こき使うなどとてもできないようで。
それでもその存在はアリサにとって大きな支えになるはずだった。
老齢とはいえ、トーマスは老いなど感じさせないかくしゃくとした元軍人である。
カオルもサララも、その点は全く心配がないと思えた。
老人同士の介護など普通に考えれば行く先は寂しい末路と相場が決まっているが、トーマスと二人ならばそう寂しくもならないだろう、と。
「今まで世話になったが、私もようやく落ち着ける場所が見つけられたのだ。カオル殿、サララ様。どうかこれからも善く生きてくだされ。不肖このトーマス、お二人のこれからの幸せを、強く願っておりますぞ!」
「ははは、大げさだなトーマスさんは。でも、ありがとうな」
「一杯幸せになるつもりですから、安心していいですよ~」
二人の幸せを、という言葉に二人とも耳まで赤く染めながら、それぞれ別の方を向いて隠すように笑おうとする。
それが婦人とトーマスにとっては微笑ましく映るようで、このお似合いの二人を優しく見守っていた。
それから二人。市場でお土産になりそうな魚などを買って回り、馬車に積み込んでいった。
厩に留められたポチに「元気だったか」などと声をかけ、ゆったりと馬車に乗り込む。
「良い町だぜ。また来ような、サララ」
「ふふ。その気になれば一日で来れちゃうんですから、しんみりとする事もないんじゃないですか? オルレアン村にだって、きっと来た時よりも早く戻れますよ?」
「そういやそうだったな」
ポチのおかげで、長距離移動でもかなりの短時間で移動することができるようになった。
別れすらも、そこまで深刻なモノではなくなったのだ。
サララの指摘に、カオルも「何も寂しくねぇな」と笑う。
しんみりとしそうになっていたが、笑顔で町を出られそうだった。
「市場でお土産も買いましたし、これからがのんびりできる冬ですよ~」
「ああ。色々ありすぎたし、カルナスでのんびりしような――行くぜポチっ」
『ブルルルッ』
「あれ? もう『はいやー』は言わないんです?」
『ブルッ?』
からかうように幌の中から笑いかけてくるサララ。
カオルは解ってるので黙っていたが、ポチまでもが「それでいいのかご主人?」と物足りなさそうに顔を見てくるので、ぐ、と手綱を握りしめた。
「はいやーっ」
『ブルヒヒヒヒーンッ』
「きゃっ、ふふっ、もうカオル様ったらっ」
結局、言う事になったのだ。
笑われるのは癪だが、サララもポチも喜んでいるようなので、カオルはもう「それならそれでいいか」と思う事にした。
こうして、二人はカルナスへと一路。戻っていった。