#1.モーニングメニューはブッフェな宿
騒動の解決から三日ほど後の事。
誰もが元の静かな町に戻るかと思われたニーニャは、姫君の策により国中にクイーン・パメラの事が知られ、このわずかな間に続々と観光客が押し寄せる事態に発展していた。
その関係もあってか、カオル達の泊まるニーニャ唯一の宿『海鳥の止まり木亭』もまた、異例の大繁盛となっていた。
まだ少し早い時間ではあったが、食堂は既に賑わいに満ちている。
「おーいねーちゃん、この皿の料理もうなくなっちまったぜ?」
「おねえさーん、水差しが空だから新しいの頂戴な」
「これうめぇ! この魚なんて言うんだこれ!!」
事件解決前はとても静かな朝食の時間だったが、今では各地から駆け付けた自称歴史研究家やら自称ゴーストウォッチャーなどの『その道の求道者達』が賑やかに食欲を満たす時間である。
一々注文に応じて一皿ずつ作るなんて事は人手の都合上無理になったので、今ではビッフェ形式で「お好きにお取りください」というやり方で間に合わせていた。
カオルとサララもまた、朝食をとる為この食堂に顔を出したのだが、早朝からの賑わいに苦笑いのまま空いている席を探すところからであった。
「あら、おはようございます、お客さんがた」
「ああ、おはよ」
「おはようございます」
いそいそと空になった皿を運んでいた宿屋の女主人『ハーヴィー』であったが、カオルとサララに気付くや、にこりと品よく微笑みながら「そちらのお席へどうぞ」と、皿を持ちながらに器用に空席へと案内する。
「相変わらずすごい光景ですねえ……数日前までは考えられなかったくらいです」
「本当、私達もびっくりしてしまって……でも、このビッフェ形式というのはいいですね! お客さんが教えてくれたおかげで、リシュアも大分手間が減ったと喜んでいました!」
「これに関しては私も驚きましたね。カオル様がビッフェなんて知ってるのも驚きですけど、こういう所でも活用できるとは」
カオルはすぐに席に着こうとしたのだが、サララはそのままハーヴィーと雑談なんかを始めていた。
いや、サララも一言二言かわしただけですぐにその場を離れようとはしていたらしかった。
だが、ハーヴィーの方が足を止めてそのままサララと雑談モードに移ってしまったのだ。
「そうなんですよね! まさか宮廷のパーティー形式をこんなところで活かせるなんて――」
『ハーヴィーねーさん! 何のんきにお喋りなんてしてるんですか! 早くお皿持ってきてください!』
「あっ、ご、ごめんなさいリシュア! 今行くからっ……あの、失礼しま――わっ、きゃあ!!」
案の定、焦れた妹にせっつかれてあわてて走り出そうとする……までは良かったが、慌て過ぎて転倒してしまった。
長いスカートがひらりとめくれ上がり、一瞬だけ客達の視線が料理からハーヴィーのスカートの中へと向いていた。
カオルだけはすぐに我に返り視線を逸らした為サララのひんしゅくを買う事は回避できていたが、他の男達はガン見である。
「あいたたた……あっ、お皿……」
「幸い割れてないみたいですね。どうぞ」
「あ、ありがとうございます……すみません。私、ちょっと足元がおろそかになりやすいようで……」
「大丈夫だよ、気を付けて運んでくれな」
「はい……」
まず真っ先に皿を拾い始めたのはサララだったが、カオルも手伝い、一緒になってハーヴィーに渡す。
枚数こそそんなに多くはないが、これが割れたら大変な手間になるので、不幸中の幸いという奴である。
このハーヴィー、見た目こそ清楚系のお嬢様のようないでたちだが、中身は割と残念なお姉さんであった。
二つの事を同時にできないらしく、雑談中は皿を持つ手は完全にそのままになっていたし、妹に怒られるや頭の中がお皿を運ぶ事で一杯になり、周りが見えなくなる。
そして転んでしまうと、今度は自分のスカートの状態などにも頭が向かず、ただただ申し訳なさそうに「とほほ」とため息するのだ。
偶然良い光景を見られた客にとっては眼福モノであるが、カオル達からすれば「この人危なっかしいなあ」と心配になってしまう。
妹の苦労がなんとなしに想像できる出来事であった。
「とりあえず炒めた麦飯と貝のスープを取って来たぜ」
「私はサッサとミーク豆のマリネを持ってきました。美味しいですよこれ」
まずは腹にたまるものを、と、適当に主食とスープを二人前手に取って戻ってきたカオルに対し、サララは小魚を使った料理を二皿取って戻ってきた。
目の前の魚料理に早くも気が向いているのか、ちょっと興奮気味に尻尾を立てている。
心なし瞳孔も大きくなっているように見えて、カオルは口には出さないながらも「やっぱまんま猫なんだよなあ」と、この黒髪の少女の隠れない感情表現に頬を緩めていた。
一緒に居るとドキドキさせられることも多いが、こういう時は小動物的で、どこか癒されるのだ。
「マリネって、酸っぱい奴だっけ?」
「酸っぱい奴ですね。ブドウ酢を使って作る料理ですので~」
どぞー、と、カオルの前に置き、また席を離れる。
今度は何を持ってくるのかと思えば、水差しとコップであった。
「そういや水も自分でもってこないといけないんだったな」
「そうですよ~。前まではコップだけあればハーヴィーさんが注いでくれましたけど、今は忙しくてそれどころじゃないみたいですしねー」
ちら、と、食堂内を見ると、リシュアから追加の皿を受け取ったらしいハーヴィーがいそいそと食堂内を回っている。
さっきはドジなところも見せていたハーヴィーだったが、よく気が付く女性なので足りていない料理の補充や水差しの交換などを手際よくこなしていくのだ。
人手が足りず忙しない思いをしてはいるが、その表情はどこか明るく爽やかにも思え、カオルも「邪魔しちゃ悪いもんな」と、サララの持ってきたコップを受け取る。
「でも、ここ数日ですごい勢いで人が増えましたよね。ちょっと前までは宿屋も町の中もすごい寂れていたのに……」
「まあな。ステラ様すごいよな、これを読んでたんだろ?」
「読んでたんでしょうねえ。カオル様、ステラ様が味方でよかったですね」
「ほんとにな」
つくづく、ステラ王女の聡明さというか、見識の広さには驚かされる二人であった。
ただ頭がいいだけでなく、相応に市井に関してもモノを知らなくてはこのような発想には至らないはずで、そしてそれがこの短期間に成果として目に見える形になっているのだから。
そして、食堂の賑わいを見ながらに二人、小さく息をつき。「いただきます」と、何かに祈って食事が始まる。
「ただ酸っぱいだけじゃないんだなこれ」
早速サララの持ってきたマリネを食べながらに、カオルは感想を口にする。
口に含むと、確かにまずは酸味が口の中を支配するのだ。
だが、その後に来るのは豊潤なブドウの香り。そしてほのかな甘さである。
塩気は感じられず、甘酸っぱさがメインの素朴な料理ではあったが、それがかえって炒めた麦飯とマッチしている。
「ふふん、そうでしょうそうでしょう。他にも『ライデンのしずく煮』とか『ドウカンのカレーフライ』とかありましたけど、私的に一番朝食向けなのはこの一皿だと思ったのです」
「そっちも気にはなるけど、朝飯に食う分ならこれくらいで丁度いいもんな。さっぱりしてるし」
カオルにはどれがライデンでどれがドウカンなのか解らなかったが、確かに他にも魚料理はいくつもあって、そのどれもが重そうな脂っぽい料理であったり、魚自体が大きかったりと朝食とするにはいささか厳しい物であった。
そんなものでも探究者達は二皿三皿と余裕で平らげていくのが恐ろしいが、カオル達はそれに合わせる気はなかったのだ。
「カオル様が持ってきてくれたスープも美味しいですよ。もう片方のトンガリ蟲のスープ持ってきたらどうしてくれようかと思いましたけど」
「トンガリ蟲? ああ、あの頭の尖った、うにうにしてる奴か」
「そうですそうです。私達猫獣人はあれを食べると盛大に体調が崩れるので……腰が抜けちゃうんですよねえ」
あれだけは無理です、と、苦笑いしながら貝のスープをすくって味わう。
にっこりと笑って「うん、美味しい」とわざわざ口に出す辺り、結構なお気に入りらしかった。
「そっか、サララにもダメな食べ物とかあるんだな」
「そうですね。他にも玉ねぎとかは生だと危険です。猫と違って火が通ってれば問題ないので、ちゃんと煮たり焼いてから出してくださいね」
「気を付けるぜ」
さりげなく猫とは違うんですアピールも聞こえた気がするが、そもそも猫が玉ねぎがダメと言うのもカオルにとっては初耳だったので、「どっちみち気を付けないとな」と、自分で料理する時に少し配慮するように心がける事にした。
割と命に関わりそうな事なので、真面目に。
「――すまんが」
そうして、それ以降と特に話題もなく黙々と食べていた二人であったが。
不意に通路側から話しかけられ、二人して「うん?」と食べる手を止め、目を向けていた。
そこに立っていたのは、青髪を大き目のリボンでツインテールにした娘。
リシュアと同じくらいの、まだまだ子供と言っても差し支えない年齢に見える少女であった。
「相席させてもらってもいいだろうか?」
その少女だが、炒めた麦飯の入った皿とコップを手に、カオル達にそんな事を願い出ていた。
客数は多いが、それでもまだ空席は見える場所にもある。
カオルもサララも「なんでわざわざこの席に?」と思い顔を見合わせたが、特別断る理由もないので、二人して頷く。
「いいぜ」
「どうぞ。私の隣に座りますか?」
「ありがとう。すまぬな」
活発そうな見た目とは裏腹に、どこか堅苦しさを感じる古びた口調。
それだけでもう「変わった子だな」とカオルには印象付けられたが、サララの隣に座った時の笑顔は子供そのもので、ちょっとだけホッとする。
「……席は空いているのだがな。最近は一人で食べていると、見知らぬ男達に話しかけられて鬱陶しいのじゃ……やれ『親御さんはどこにいったんだい?』だの、『一人で食べてて寂しくないか? おじさん達と食べないかい』だの……人を子ども扱いしよってからに」
全く、と、憤慨しながらに皿とコップをテーブルに置いていく。
どうやら他の大人達に声を掛けられるのが嫌で仕方ないようだが、こんな少女が宿屋の食堂なんていう似つかわしくない場所で一人飯を食べていれば、誰でも気にはなるというものである。
二人ともそこは気になったのだが、とりあえずは少女の話に耳を傾けていた。
「そんな訳で、そなた達の席に邪魔させてもらう事にしたのじゃ。見た感じ、テーブルマナーもそこそこ、綺麗に食べておるようじゃからの」
「そ、そうなんですか。それは何よりですね……」
「まあ、あんまり汚く食べてもな」
見た目汚くないから、という理由らしいのはこれで分かったのだが、言われてみれば確かに、他の席で食べている客というのは今一マナーがなっていないというか、若干意地汚い食べ方にも見えるのだ。
人の食べ方など一々どうこう言うつもりもないカオルではあったが、気にする人にとっては憂鬱になってしまうのだろう、くらいには人からの見え方が大切なのは理解しているつもりだった。
食事の場というのは、殊更そういったこだわりが前に出てくるものなのだから。
「……挨拶が遅れたな。私はこのニーニャの近くにある海の王の祠の巫女で、リームダルテという者じゃ。こうして顔を合わせるのは初めてだとは思うが、そなたらがこの宿に泊まっておったのは大分前から知っておった」
「えっ、そうだったのか!? 巫女さん……って、なんか、思ったより若い、というか……」
「あははは……思ったより近くにいらっしゃったんですねえ」
カオルもサララも、これには面食らってしまう。
以前会いに行った時に居なかった巫女がこんな近くにいた事に対しての驚きも多分ながら。
子供っぽい、というよりも子供そのものにしか見えないのだが、巫女なのだと言われればなるほどそう感じさせるような浮世離れしたような雰囲気は感じていた。
ただ、そうだと言われなければ絶対に気づくことはなかったはずなので、カオルもサララも苦笑いであった。
そうして、巫女はこの初対面のカップルが今一な反応なのも気にしない。マイペースであった。
「見た目は確かに若いかも知れんが、これでもそなたらの云十倍は長く生きておる。あまり子ども扱いはせぬようにな?」
「あ、そうなんだ……ああ、解ったよ。よろしく」
「よろしくお願いしますね……自然界の王に仕える巫女というのは、歳を取らないものだったんですね……すごいなあ」
怒ってはいなかったが、見た目に関してはあまり言及しない方がいいらしい、というのはこれまでの話と当人の忠告で理解できたので、カオルは素直に頷いておくことにした。
折角会えたのだから、変な事を言い続けて喧嘩するのも馬鹿らしい。
「挨拶忘れてたけど、俺はカオル。こっちの子はサララだ。二人で巫女さんに話を聞く為に祠に出向いた事もあったんだけど、すれ違ってたのかな?」
「うむ。そなたらが来ていたのは祠を通して知ってはいたのじゃ。丁寧にお祈りまでしてくれたからのう」
「もしかして、お祈りをすると巫女さんに伝わるんですか?」
「その通りじゃ。祠での祈りはその祠の巫女を通して海の王へと届く。そして海の王からの力も、巫女を通して祈った者へと届くのじゃ。いわば中継者という事じゃな」
「巫女さんってそういう役割だったんだな……中継者、か」
若干回りくどい気もしたが、それによってカオル達の事が来訪がこの巫女に伝わったのなら、それはそれで便利なのかもしれない、と、カオルは少し頭を働かせる。
これも考えよう、というものである。
一面だけ見れば面倒くさいシステムだが、有効活用できる場面もあるかも知れない、と。カオルはそう思う事にした。
それから、少しの間巫女が黙々と炒め飯を食べていたので、話は止まってしまう。
サララも食べている最中は喋ったりしないし、カオルも食べる事に集中する事にした。
「……ふぅ。麦飯もそろそろ飽きたのう」
皿に盛られた分の炒め飯を食べ終え、リームダルテは憂鬱そうにため息をつく。
「他の料理も食えばいいのに。いくらなんでも麦飯だけっていうのは飽きるんじゃないか?」
パンと比べれば幾分食事をした気にはなるとは言え、この炒め麦飯。入っているのは麦飯と芋などの雑穀のみである。
塩気はあるものの、これ単体で食べるのは少し辛い。
そんなものを、このリームダルテは単体で食べていたのだ。飽きるのも無理はない。
だが、カオルの指摘に、リームダルテは「仕方ないのじゃ」と、眉を下げまたため息を吐く。
「我ら海の王に仕える巫女は、海に住まうあらゆる生き物を口にする事が出来ぬ。そういう制約があるのじゃ」
「ああ、聞いた事がありますね、それ。海産物は海の王の眷属なので、巫女や敬虔な信徒は食べる事が出来ないとか」
「まさにその通りなのじゃ。食べると王の怒りを買ってしまい、三日三晩呪いに苦しむことになる……」
「それ、かなりきつくないか……?」
「うむ……長く生きている中で慣れてはいたが、ここのように美味そうに盛られているのを見ると、切のうて切のうて、のう……」
巫女殿の溜息は尽きる事がない。
海産物が食べられない。これだけでつまり、この食堂に並べられている料理の大半は無理という事になる。
というより、実質麦飯と水以外は無理であった。
「かと言って、その皿の料理のように一緒に盛られている豆だけを取るというのも、ちょっとみっともない気がしてしまってのう」
「あー、解る気がします。好きなものだからって、それだけをよそるのはちょっと恥ずかしいですよね……」
「そ、そういうものなのか? 俺、結構自分で好きなものはそればっか取っちゃってたけど……」
二人して仲良くマナーある食べ方について語っていたが、カオルはちょっとついていけてなかった。
好きなものを好きなだけ取る。それはかなり贅沢ではあるが、多くの幸せを得られる最適解のようなものだと思えたのだ。
確かに盛り付けの中で美しく見えるパターンはあるし、肉ならば肉だけ、というのは見栄え的にもバランス的にもよろしくないのはカオルも解ってはいたが。
それでも好きなものは取りたかったのだ。
「前から思ってましたけど、カオル様って変なところ子供っぽいですよね……」
「英雄のする事にしては、ちょっとばかしみっともないのう」
二人して「それはどうなの」という視線を向けてくるのだ。
初対面のはずのこの二人が、なぜか結託してカオルを追いつめていた。
おかげでカオルもタジタジである。
なんとか言い返そうとしたのだが、女の子二人にジト目で見られてしまうと頭の方がまともに働かず、気の利いた言葉が思い浮かばない。
それでもどうにかして取り繕って、ぽそぽそと口を開く。
「……文化の違いという事で一つ」
「文化の違いなら仕方ないのう」
「カオル様のいた世界の文化なら仕方ないですね」
(あっ、それでいいのか……)
カオルが『文化の違い』という便利な言葉の使い道を覚えた瞬間であった。